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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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東海ダンマサークル



法輪6a011016c5550e860d01240b6fafeb860e.png 
ヴィパッサナー冥想実践会 6a011016c5550e860d0123dddd00fe860d.png仏旗

旧年中まではお世話になりました 2019年からは
新ウエブサイトでご覧ください。--<ここをクリック

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冥想会などで唱える礼拝・三帰依・慈悲の冥想について
皆さまが冥想会や講演会に参加されると、冥想や講演が始まる前に、先ず講師の方と一緒にパーリ語で、「仏陀を礼拝いたします」という意の礼拝、「仏陀・仏陀の教え(真理)・仏陀の道を伝える者である僧(僧団)、の“三つの宝”に帰依いたします」という意の三帰依と、日本語で、慈悲の心を育む慈悲の冥想を唱えます。初めて参加される方々の中には、何となく抵抗感があったり、多少の戸惑いがある方もいらっしゃるかも知れません。なぜ、このような礼拝・三帰依慈悲の冥想を唱えるのでしょうか。スマナサーラ長老は、講演の中で以下のように説明されています。

続きはここをクリック




協会の今年のスローガンです。
「こころを清らかにする人が幸せである。」
私たちは、アルボムッレ・スマナサーラ長老のご指導の下、釈迦牟尼仏陀の教えを社会に伝え広め、法を学び、修行できる環境を提供することを目的に活動しています。








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行事予定はココをクリック!

 2019年1月14日<月>祝日--
 
名古屋初期仏教デー スマナサーラ長老-








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 毎月2回、冥想会開催!
みんなの冥想会バナー


連絡先 全般:TEL:090-8079-6361(船橋MAIL:sajipura@lake.ocn.ne.jp(佐治)

    自主冥想会:TEL:090-6331-1934 MAIL:takesumi9696@ezweb.ne.jp(森山)




----<スタッフ 募集> ----
① サークル運営手伝い
② 録音---作業内容---自分の録音機で録音----
担当者に渡す。
③ 録画--作業内容-自分の録画機で録画--担当者に渡す。
可能かどうか内容確認でもいいので、お問い合わせください。   
 サジ宛にメールください。    sajipura@lake.ocn.ne.jp

よろしくお願いします。









  バナーです。ご利用ください。   初期仏教の世界   



 
https://www.youtube.com/watch?v=vHGtGcOjAGA








テーラワーダ仏教とは? | 21:46:26 | トラックバック(0) | コメント(5)
新着動画|【初期仏教Q&A】禅僧と阿羅漢の悟りは違うのか?/日常生活で何をすれば仏道修行になるのか?(スマナサーラ長老
 

  • #jtba 新着動画|【初期仏教Q&A】禅僧と阿羅漢の悟りは違うのか?/日常生活で何をすれば仏道修行になるのか?(スマナサーラ長老)

    Q:禅僧と阿羅漢の悟りは違うのか?――日本で悟ったと言われる禅宗の老師の方々の解脱の心と、テーラワーダの阿羅漢の方々の境地は同じか、違うのか?
    Q:日常生活で何をすれば仏道修行になるのか?――在家の修行者として、日常生活で何をすべきなのか、何をすると修行になるのか、という判断基準は?
    2019年4月20日(土)かでる2・7で行われた「札幌ダンマサークル:スマナサーラ長老の法話と質疑の会」より,、質疑応答の部を順次配信致します。撮影:札幌ダンマサークル

    ~生きとし生けるものが幸せでありますように~



未分類 | 09:13:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
#jtba 新着動画|Happy Wesak Day!【佛紀2553年ウェーサーカ祭記念ビデオ】五蘊の観察――慧の修習(スマナサーラ長老の法話より)
 

#jtba 新着動画|Happy Wesak Day!【佛紀2553年ウェーサーカ祭記念ビデオ】五蘊の観察――慧の修習(スマナサーラ長老の法話より)

2019年5月12日に開催された日本テーラワーダ仏教協会の佛紀2553年「釈尊祝祭日ウェーサーカ祭」(なかのZERO小ホール)で上映された記念ビデオです。
 
佛紀2553年ウェーサーカ祭記念ビデオ
『五蘊の観察――慧の修習』

アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話より
編集:三幡正実
音楽:Imee Ooi
 
目次
プロローグ
第1章 五蘊の観察
 ①色蘊の観察
 ②受蘊の観察
●命とは何か
●何故ありのままに知ることができないのでしょうか?
●感覚から渇愛が生まれる
●捨てることの完成
 ③想蘊の観察
 ④行蘊の観察
●誰が生命を生かしているのですか?
 ⑤識蘊の観察
●思考・妄想はストップ
●知っていることは正しいか?
第2章 五蘊に無我を観る
●無我相経
第3章 五蘊観察の勧め
結語
 
~生きとし生けるものが幸せでありますように~





未分類 | 16:24:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
【案内】愛媛 7/14(日) 松山講演会「生きづらさ、不安感を乗り越えるには」
 







#jtba【案内】愛媛 7/14(日) 松山講演会「生きづらさ、不安感を乗り越えるには」#仏教 #Buddhism #スマナサーラ長老 #講演会 #松山 #生きづらさ #不安感

【タイトル】『生きづらさ、不安感を乗り越えるには』仏陀の智慧に学ぶ

【日時】7月14日(日)
    午前10:00~12:00 講演、午後01:30~04:00 質疑応答

【講師】アルボムッレ・スマナサーラ長老
【場所】松山市総合コミュニティセンター 3階(大会議室)
    〒790-0012 愛媛県松山市湊町七丁目5番地
【定員】300席
【参加費】無料(ご喜捨)

▼アクセス
http://www.cul-spo.or.jp/comcen/access/

【申し込み方法】
 メール:bohisa26@gmail.com
 電話:050-7132-5060(受付時間 12:00~17:00)
※質問の事前受付:当日も会場にてお受けしますが事前受付もします。上記にお送りください。 

【問い合わせ】松山講演実行委員会
 電話:050-7132-5060

▼えひめダンマサークル準備会
http://dhammaehime.blog.fc2.com/

生きとし生けるものが幸せでありますように










未分類 | 13:13:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
5月18日(土),19日(日)「スマナサーラ長老in宮崎」復活のお知らせ




5月18日(土),19日(日)「スマナサーラ長老in宮崎」復活のお知らせ

諸般の事情で中止のアナウンスをした「スマナサーラ長老in宮崎」ですが、会場等を変更して開催されることが決まりました!

直前のご案内ですが、ご都合のつくかたは、是非お誘い合わせの上ご参加下さい。

参加希望の方は、以下の連絡先までお申し込み下さい。

主催:うちうみハーブ園
(連絡先 加藤 080-3287-4879)

場所:天空カフェジール(宮崎県宮崎市加江田6411)
※会場にイベントに関する問い合わせをすることはご遠慮ください。
http://tenku-zeal.com/
https://www.facebook.com/tenkucafezeal/posts/2339780626068926

参加費:無料
駐車場あります。各自で坐布(座布団)を持参下さい。
※坐布は貸出もできます。会場は板の間のため、マットやタオルなど各自のご判断でお持ち下さい。

周辺にコンビニ等はありませんので、飲み物の準備等は予めお願い致します。

電車でお越しの方は、曽山寺駅から会場までの送迎をしますので、希望される方は、参加申込み時にお知らせ下さい。その他お問い合わせはうちうみハーブ園・加藤(080-3287-4879)までお願い致します。






 

未分類 | 08:55:27 | トラックバック(0) | コメント(0)
業とは意志である




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協会の記事ではありません。
吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。
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写真の説明はありません。
写真の説明はありません。
吉水 秀樹

業とは意志である

 昨日の日記の言葉です。これは長老が仰った言葉で、もとを辿ればブッダの言葉です。業は原因と結果の法則であり、業には、「行為」と「行為の結果」という側面があます。「行為には過去の習慣力」が含まれています。この為に業は「どうにもならないもの」と理解され、運命論と勘違いされてしまうことがあります。
 しかし、業には別の肝心な面があります。それが、「今ここの意志」という面です。本当に大切なことは、「業とは意志である」と理解することです。 単純に考えれば、「意志によって、行為は結果をうむ」となります。

 何であれ、対象に触れて、思考や感情が生まれるときには、過去の影響を受けています。これは仕方のないことです。生活中に、冥想中に、「カー!」と、音に触れて「カラス!」と思ってしまうことです。しかし、過去の習慣力の言いなりになる必要はまったくありません。何故ならそれが妄想であり、幻覚のようなものだからです。

 「見たものは見たまま・聞いたものは聞いたまま・考えたことは考えただけ…」そこで、気づきを入れて終わらせてしまえば、過去の習慣力はもはや影響を持ちません。

 昨日食べたリンゴは今食べられないし、明日食べるミカンも今は食べられません。それは妄想だからです。ほんとうにあるのは「今ここ」です。今ここにあるイチゴは食べることができます。それが、「業とは意志である」という意味で、完全な自由を意味しています。

「今ここ」という現実の瞬間は、過去の影響をまったく受けないことが理解できるでしょうか?
 この法則は例え、刑務所に入れられて身柄を拘束されていても同じです。なにものも肉体の拘束はできても、こころを拘束することはできません。それがこころの世界の真実です。

 誰も望むことではありませんが、もし仮に刑務所に入れられたら、解脱直行の冥想道場と思えば最高の環境かも知れません。死刑に処され、そこでこれは私の業であると受け入れ、すべてを捨てたなら、無余涅槃にさえ入れる可能性もあります。
 一般の方にこのまま話すと誤解を招く可能性がありますが、すべてが自分の業である、業自性・自業自得の理を見るものは究極の自由を手にするのだと思います。










未分類 | 16:40:22 | トラックバック(0) | コメント(0)
嘘について
 



協会の記事ではありません。
吉水 秀樹  安養寺住職 のfbより紹介です。



嘘について
 嘘について考えてみました。長老は嘘を悪業の親玉と仰いました。ブッダは嘘をつかないことが唯一の道徳とも説かれています。これらは、嘘から萬の不幸が生まれる。嘘をつかないということで、やがてすべての道徳が網羅されて、人格の完成に至るという意味かと私は理解しています。

嘘 = 不妄語、とは何でしょうか? 人を騙すことや、隠し事をすることが、嘘でありそれは確かに善いことではないのは理解できます。しかし、これらは表面的な理解であり、現象面に過ぎないと思います。

 そこで嘘の本質は何でしょうか? 私は、『こころに嘘がある』。この言葉に尽きると思います。この言葉の意味や理解の奥行が人によって違うのだろうと思います。
たとえ、「私は嘘をつきません」「私は仏教徒の五戒を守っています」「私は仏教を深く信仰しています」と言っても、こころに嘘があるなら、何の意味もありません。
『こころに嘘がある』とは、現象にあらわれる以前のこころの動きです。別の角度から見てみます。
-----------------------
人に知られたくない秘密にしていることがある。そこを訊ねられたのに言わないでいる。これらのことが嘘になるのか? 悪いことなのか? という問いがありました。
 長老は以前、「嘘」の対極にある八正道「正語」の解説で、「自分も幸せになって、人も幸せになる言葉を話す」といった説明をされていました。とてもわかりやすいガイドラインだと思います。そこに照らすと、「その言葉を語って、まず自分が幸せになるのか? 次に相手が幸せになるのか?」ということが、とても大切なことと理解されます。

「真実を語らない」「隠し事をする」、これらにも二種類あると思います。
「語るべきことを語らない」と「語る必要のないことを語らない」の二つです。前者は嘘です。後者は嘘ではありません。
 そもそも、ブッダは「沈黙の聖者」と言われています。何か話す必要があるのかと静かに自問したいものです。

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 ここで、奥深いのは「意志」です。生命には最初に意志があります。意志によって動きます。意志があれば何をしてもよいという意味ではありません。しかし、意志の段階には完全な自由があるという意味です。この自由は何人も侵すことはできません。そこに、「~しなくてはならない」というのを入れることがこころの嘘です。

 シンプルに考えたら、自分を含めたすべての生命への「慈しみ」が原点にあることが肝心です。慈しみがあって、こころに嘘がない。自分の愚かさをよく知り、完璧な人間などいるはずもなく、相手も私も不完全な人間同士であることを理解する。誰よりも自分のこころを丁重に扱って、それと同じように他者のこころも尊重する。これが道徳・戒律の原点かと思いました。

 「こころに嘘がない」とは、自分のこころの動きをよく観察して、微細な悪感情も、「そうでありたい」「そうあってはいけない」という、ありのままから離れるエネルギーにも気づいていることだと思います。そこにはただ、ありのままの自分がいることでしょう。

追伸 : 挿入画像は、地蔵盆に子どもたちに「嘘をついてはいけないよ」と教えるためのカードです。私自身は小学校の低学年の頃に、「嘘はダメ!」って両親から教えられて、そのお陰で萬の不幸から本当に免れたと感謝しています。嘘をつかない(不妄語)には、確実な福楽、強力な現世利益があると思います。

https://www.facebook.com/tetsuro.sato.52/…/2607385455957707…

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コメント

  • 吉田 牧生 ありがとうございます。

    とても分かりやすい詳細な解説に出会えてラッキーです。


    「心に嘘がない」

    そうでありたい。そうあってはいけない。これもつくったものですね。

    ありのままの世界にはないですね。そうですね。

    思考のない世界へ。

    思考は慈悲喜捨の思考になりますように。

    瞑想観察していると、ありのままの世界から間断なく飛び出していく心に気づきます。

    その流れに乗らない。乗るなよ。

    長老に「ほ〜っておく」をやるように指導されていますが、
    これはとてもいいなぁと思いこれでやっています。












未分類 | 09:52:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
長老の法話を聴き、多くの法友たちとも仏教交流ができました。
 




協会の記事ではありません。

サークル仲間の徒然日記です。






協会活動スローガン『こころを清らかにする人が幸せである』

皆さんありがとうございます。
4日5日とマーヤーデーヴィ精舎で法友と共にやれて
よかったです。

この喜びを東海ダンマサークルのラインで書きました。
一番お世話なった関西メンバーが抜けていました。


☆関西ウエサーカー祭と月例瞑想会に参加して
長老の法話を聴き、多くの法友たちとも仏教交流が
できました。

充実したゴールデンウイークです。

長年の人生川下りは
年齢だけはほぼ終点。

この川の両岸には 魅力的な止まりどころが
いっぱい。

これを五戒という宝物で心の調御をしながらの
川下りです。

舟下り中、仏教に出会い生老病死というウネリを
学んだ。

これに逆らうのが自我
だと知った。

有り難い。有り難い。

善友と共に
無常・苦・無我の墓場暮らしを楽しみながら
舟は涅槃の海に入ります。

舟下りは一艘一艘ですが法友同士
慈悲喜捨の気持ちで
助け合いながら
人生を成功させましょう❗️

(^。^)(^_^)







未分類 | 09:12:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
沙弥の二人(ケーマ&スマティ)
 









画像に含まれている可能性があるもの:2人、室内


日本テーラワーダ仏教協会 マーヤーデーヴィー精舎

#jtba 精舎日記
沙弥の二人(ケーマ&スマティ)
今回の修行期間ももうじき終了。合唱
生きとし生けるものが幸せでありますように
#buddhism #仏教 #修行


画像に含まれている可能性があるもの:2人、立ってる(複数の人)、室内










未分類 | 15:43:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
掃除と冥想
 




協会の記事
ではありません。
吉水 秀樹  安養寺住職 のfbより紹介です。




掃除と冥想
 皆さん、お風呂の掃除はされますね? 私は夫婦二人暮らしなので毎日しませんが、三日に一回程度、バスマジックリンを使って排水管まで掃除します。家の掃除も毎日しませんが、埃が目につくようになったらします。階段がよく目立ちます。トイレも汚れに気づいたら掃除します。本堂は使った後、使う前に簡単な掃き掃除をします。90代の先代住職と母は、未だに毎日のように、境内の草引きなど掃除をしてくれています。車も乗る前に簡単な掃除をします。そう言えば食器も毎度毎度、使ったら直ぐに洗うし、身体は毎日お風呂に入って洗います。

 さて、それでは肝心のこころはいつ掃除されますか? この話は、二三日前から、なんで私は毎日懲りもせずに冥想するのだろう? なぜ私はこうして坐っているのだろう? と直球の疑問が生まれてその返答が出来なかったので静かに考えたことです。

 仏教ではパーリ語に、バァーヴナー bhāvanāという言葉があり、それが修行と訳されました。「修めること」「修得」「修養」といった意味ですが、私はそれが「こころを育てること」=「冥想」であると教わりました。別の表現をすると「こころの手入れ」「こころの掃除」です。
 
 仏教では真実として、人間は「こころ」と「身体」でできていると説きます。詳しくは五蘊になります。身体の掃除は大方の人が毎日好んでしています。お風呂に入って綺麗に洗い、その他の身体の手入れも大変入念にする人が多いです。 しかし、これは私の半分か五分の一に過ぎません。
  
 このように考えたら多くの人は、こころの掃除、こころのお手入れをどのようにしているのでしょうか? こころの掃除は考えたこともない、寝たら疲れも取れるのでこころの汚れも落ちるだろう…と、いい加減です。
 目に見えるもの、物質だけを大切にして、目に見えないもの、肝心なこころをないがしろにしています。私の人生を振り返ったら、こころの掃除やお手入れをしたこともなかった為に、40代には大変ひどい目に遭いました。自業自得です。

 私は気がついたら、毎日どころか、こころも使うたびに掃除する、汚れに気づいたらそれを落とす、瞬間瞬間に掃除してこころが汚れない、とても素晴らしい習慣が身につき、萬の不幸から免れることが出来るようになったと確信しています。
 それでも毎朝坐るのは、掃除であり日々の手入れです。冥想という掃除は福楽が大きくてやめられません。慈悲の隨念や無常の隨念は汚れないコーティング・ワックスのような感じです。ヴィパッサナー冥想は、すべて捨てる究極の掃除です。冥想は使ったこころの掃除、日々の当たり前の手入れだと思いました。

写真の説明はありません。
写真の説明はありません。










未分類 | 08:55:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
 

#jtba 精舎日記
一時出家修道会の準備中
出家儀式のためにお越しいただいた長老方
生きとし生けるものが幸せでありますように
#仏教 #buddhism #出家 #比丘 #upasampada #instagood


画像に含まれている可能性があるもの:6人、室内






未分類 | 13:46:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
「情熱」と「欲望」 「中道」と「気づき」
 




協会の記事
ではありません。
吉水 秀樹  安養寺住職 のfbより紹介です。





吉水 秀樹

「情熱」と「欲望」 「中道」と「気づき」
 このところ情熱について、いろいろ学んでいました。若い頃、情熱的に活躍していた人が年老いて生気を失い哀れに消えてゆく姿があります。このような情熱は何にしても動機のある情熱です。私が今問題にしている情熱とは、恋愛感情や仕事や芸術、趣味に対して熱心であることではありません。人や概念や何らかの理想に対して情熱があり、金持ちや有名人であることは矛盾や葛藤、努力が伴います。
 そこで私が問題にしているのは、何の動機も持たない情熱、内に捨棄を宿した情熱、名も無い人の持っている情熱です。情熱に動機があるとそれは情欲になります。

 ところで、とても皮肉な表現ですが、ある意味で聖職者の着ている法衣は、欲望から自由でありたいという欲望を象徴しています。こころに生じた欲望に対して、ほとんどの宗教は禁欲こそがこころの平安へ導く一筋の道のように説きます。しかし、その禁欲自体が欲望から自由でありたいという欲望に違いありません。さて、この事実を見た私はどうするべきなのでしょうか?

 「気づき」という道があります。これは欲望を否定するのでなく、欲望を理解するという意味です。美しいものに出会い知覚が生じます。接触があり、感覚が生まれ、その継続を望みます。欲望はこのように生まれます。欲望は葛藤を生み出します。人は葛藤を望みません。欲望の中に恐怖が潜んでいることが見えるでしょうか? 
 そこで多くの人は欲望を取り除こうと努力します。この戦いに終わりはありません。しかし、もしあなたがこの欲望を消し去ろうとせず、いい欲望、悪い欲望と分別せず、こちらを残してあちらを捨てようとせず、一切の言葉、時間を交えることなく欲望を理解する。
 あなたの精神が、拒絶も非難もなく、欲望の生起の全容をありのままに見ているなら、そのときはじめて静かな精神の祝福があるでしょう。

 欲望はあいかわらずやって来ますが、それはもはや影響力をもちません。恐怖がなくなります。あなたのこころには一定の反応はあります。それがなければあなたは死んでいます。しかし、それにたいして、なにもすることはないのです。生と滅があり、因果法則で自ら消滅します。
 快楽を追い求めるのでもなく、欲望を抑圧したり歪めたりするのでもない、このような道を「中道」といい、「気づき」の道です。しかして、出発点がゴールなのだと学びました。









未分類 | 13:39:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
釈尊祝祭日「ウェーサーカ祭」記念壁紙(背景画像)を配信 お釈迦さまの「誕生・成道・般涅槃」という三大聖事を祝うウェーサーカ祭記念壁紙を配信します。イラストは市場涼太さん、市場草太さんの作品です。PC用、スマートフォン用など5種類のサイズを用意しました。 ↑スマートフォン用(※クリックするとフルサイズ画像が表示されます) ↑タブレット用(※クリックするとフルサイズ画像が表示されます) ↑携帯電話用(※クリックするとフルサイズ画像が表示されます) ↑PC用(※クリックするとフルサイズ画像が表示されます) ↑PCワイド画面用(※クリックするとフルサイズ画像が表示されます) 以下のページからもダウンロードできます。 ウェーサーカ記念壁紙ダウンロードページ ~生きとし生けるものが幸せでありますように~
 




釈尊祝祭日「ウェーサーカ祭」記念壁紙(背景画像)を配信

お釈迦さまの「誕生・成道・般涅槃」という三大聖事を祝うウェーサーカ祭記念壁紙を配信します。イラストは市場涼太さん、市場草太さんの作品です。PC用、スマートフォン用など5種類のサイズを用意しました。

↑スマートフォン用(※クリックするとフルサイズ画像が表示されます)

↑タブレット用(※クリックするとフルサイズ画像が表示されます)

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↑PCワイド画面用(※クリックするとフルサイズ画像が表示されます)

以下のページからもダウンロードできます。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 






#jtba お釈迦さまの「誕生・成道・般涅槃」という三大聖事を祝うウェーサーカ祭記念壁紙を配信します。イラストは市場涼太さん、市場草太さんの作品です。PC用、スマートフォン用など5種類のサイズを用意しました。









未分類 | 09:52:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
youtube.com 【初期仏教Q&A】亡くなった友人の死後の幸福を願いたい/知人が殺されてしまった。悲しくて仕方がない/【法話】避けられない逆境…
 







  • スマナサーラ長老のご法話。スリランカに思いを馳せながら聴きました。#PrayForSriLanka





    コメント

#jtba YouTube新着動画|2019年4月14日(日)法話と実践会@ゴータミー精舎より、スマナサーラ長老の質疑応答(Q&A)を4回に分けて公開します。
最終回の質問は……亡くなった友人の死後の幸福を願いたい/知人が殺されてしまった。悲しくて仕方がない/【法話】避けられない逆境のなかでどう生きるのか?












未分類 | 16:16:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
『出家について・阿羅漢について』 ※法句経91からの少し難しい話です。
 




協会の記事
ではありません。
吉水 秀樹  安養寺住職 のfbより紹介です。






『出家について・阿羅漢について』 ※法句経91からの少し難しい話です。

 最初に、法句経 第七章は、阿羅漢の章です。
この章では、阿羅漢(解脱して涅槃にいる者)の生き方が説かれてあると理解して読まれるとさらに理解が深まると思います。

90. すでに出離の道を終え、すべてから解脱し、あらゆる束縛のない者に、苦しみは存在しない。

91. 家を出た気づきのある者は、家を楽しまない。白鳥が池を立ち去るように、彼らはあの家、この家、さまざまな執着を捨てる。

92. 財を蓄えることなく、食の適切を知り、解脱した彼らの存在が空にして、そして、対象をあるとしないなら、彼らの行き先(趣:死後に赴く所)は、空を飛ぶ鳥たちに足跡が無いように、捉えようがない。

--------------------------------------------

 出家とは、家を出て仏門に入ることです。似た言葉に「遁世」トンセイがあり、遁世は俗世間から離れて隠居隠遁することです。
 大きな問題点は、お坊さんが出家しているのかどうか? あるいは出家体験があるかどうか? ということです。一時出家という言葉もありますが、一時的であっても「捨てた」経験のある者とない者では、人生の意味合いも、仏教者としての深さにも違いがあるということです。私は本来の意味でも出家者ではありませんが、「家を捨てた」「寺を捨てた」「仕事を捨てた」これらの経験はあります。その経験が私の仏教者としての中核になっていると思っています。

 パーリ語では、pabbajati が出家する・遁世するという動詞で、pabbajana が出家・遁世です。法句経91では、uyyuñjati という言葉が使われてあり、それは出発する・家を出るという意味です。よくわからないのですが整理すると。

Pabbajana パバッジャナ が、仏教用語としての出家であり。
Uyyuñjati ウッユンジャティが、出発する・家を出るという普通の言葉のようです。

 法句経91の一偈目は、
Uyyuñjanti satīmanto, na nikete ramanti te;
【家を出る/気づきのある / ない/家(より所)/ 楽しむ】とあり、「家を出た気づきのある者は、家を楽しまない。」となります。

 インド文化では、古代から「四住期」という考えがあります。これは簡単に説明すると人生を四つの時期に分けて、
(1)学生期 先生のもとで学ぶ。
(2)家住期 家にあって家庭をつくる。
(3)林棲期 森に隠棲して修行する。
(4)遊行期 一定の住所をもたず乞食遊行する。

 古来から出家・乞食生活という文化的な背景があるということです。また、「家」は、色々な単語がありますが、niketaは、= ālaya と辞書にもあり、「家」が「より所」であって、それは「もろもろの執着」を意味します。唯識学者に叱られそうですが、大乗仏教用語の阿頼耶識とは、こころの中核のことで、それは結局執着に過ぎないのかも知れません。無我が真理なら、あるとしている「私」や「真我」は妄想概念なので、私にはつじつまが合っています。
 良くも悪くも、日本のお坊さんは家を出ていないので、そのことで色々な問題が起こります。少なくとも、出家本来の意味だけは理解して、日本のお坊さんとしての自覚を持って行動するべきだと思います。











未分類 | 11:01:22 | トラックバック(0) | コメント(0)
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