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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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東海ダンマサークル



 法輪6a011016c5550e860d01240b6fafeb860e.png 
ヴィパッサナー冥想
実践会 6a011016c5550e860d0123dddd00fe860d.png仏旗




 冥想会などで唱える礼拝・三帰依・慈悲の冥想について
 皆さまが冥想会や講演会に参加されると、冥想や講演が始まる前に、先ず講師の方と一緒にパーリ語で、「仏陀を礼拝いたします」という意の礼拝、「仏陀・仏陀の教え(真理)・仏陀の道を伝える者である僧(僧団)、の“三つの宝”に帰依いたします」という意の三帰依と、日本語で、慈悲の心を育む慈悲の冥想を唱えます。初めて参加される方々の中には、何となく抵抗感があったり、多少の戸惑いがある方もいらっしゃるかも知れません。なぜ、このような礼拝・三帰依慈悲の冥想を唱えるのでしょうか。スマナサーラ長老は、講演の中で以下のように説明されています。

続きはここをクリック






仏暦<仏紀>2560年

1・2・3・4・5・6月 行事予定--2017-01-09-現在



2017-2月  名古屋初期仏教デー は無し

 
ヤサ先生「仏教法話会」 
-無し決定--変更確定20170108

自主冥想会>in刈谷 02

    2月26日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)




2017-3月  名古屋初期仏教デー は無し 
 5
日<日> 
ヤサ先生「仏教法話会」 

   初心者冥想指導も始まりました。
     日本ガイシフォーラム 第一和室  午前午後+延長<17時までに退場>

    食事御布施会 

食事御布施写真1  10時から11時までに集合 
11:15~12:00  (11:30までが準備時間です。
   11:30頃よりお食事を始めていただきます。) 
         【場所】 日本ガイシフォーラム 和室







----<スタッフ 募集> ----
① サークル運営手伝い
② 録音---作業内容---自分の録音機で録音----担当者に渡す。
③ 録画--作業内容-自分の録画機で録画--担当者に渡す。
可能かどうか内容確認でもいいので、お問い合わせください。
   サジ宛にメールください。    sajipura@lake.ocn.ne.jp

よろしくお願いします。








  バナーです。ご利用ください。   初期仏教の世界   



 
https://www.youtube.com/watch?v=vHGtGcOjAGA









テーラワーダ仏教とは? | 11:46:26 | トラックバック(0) | コメント(2)
4月 04/02 『花まつり』名古屋初期仏教デー   (スマナサーラ長老)--  





4月
04/02 
『花まつり』名古屋初期仏教デー
 
 名古屋初期仏教デー (スマナサーラ長老)--
  初めて冥想会へ参加される方へのご案内-  日本ガイシフォーラム

 
*  初心者冥想指導は ありません。





2017花まつりチラシ_01








日本テーラワーダ仏教協会

#jtba【ご案内】4/2(日)名古屋初期仏教デー『花まつり』

 年に一度、お釈迦さまの誕生をお祝いする『花まつり』です。たくさんの方に参加していただければ幸いです。皆様、ご家族や友人・知人をお誘い合わせの上、気軽にご参加ください!

日時:4月2日(日) 12:00~18:30
参加費:喜捨(お気持ち)・予約不要
会場:日本ガイシフォーラム(和室)
〒457-0833 愛知県名古屋市南区東又兵ヱ町5-1-16

<交通アクセス>
●JRご利用の方 東海道本線「笠寺」駅(かさでら)徒歩3分
http://www.nespa.or.jp/shisetsu/bunka/access.html 

【スケジュール】
12:00 開場・受付開始
   誕生仏への献花(自由に花をお持ち下さい)
   ※誕生仏への献花・物品のお布施は12時30分まで受付いたします。
13:00 読経、聖糸・聖水授与、法話、慈悲の冥想
    ※初心者冥想指導はありません
18:30 終了予定
    ※終了時間等内容は変更になる場合があります。

▼お手伝い呼びかけ
準備は午前9時より開始いたします。ご協力いただける方はぜひお越しください。

 当日準備は、花御堂の作成・会場設営・甘茶の準備、参加者へのお菓子詰めなどがあり、「花まつり」はいつも皆様のご協力で成り立っております。法友との縁が得られたり、交流を深める貴重な機会でもありますので、ぜひ一緒に準備いたしましょう。どうぞ気軽に声をかけてください!

【お問い合わせ】 東海ダンマサークル ブログ コメント欄まで
http://toukaidhammam.blog72.fc2.com/

~生きとし生けるものが幸せでありますように~









お知らせ | 15:24:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
東海の3月行事予定





東海の3月行事予定






2017-3月  名古屋初期仏教デー は無し 

 5
日<日> 
ヤサ先生「仏教法話会」 
--決定 20161011
      初心者冥想指導も始まりました。
     日本ガイシフォーラム 第一和室  午前午後+延長<17時までに退場>

        食事御布施会 

食事御布施写真1  10時から11時までに集合 
11:15~12:00  (11:30までが準備時間です。
   11:30頃よりお食事を始めていただきます。) 
         【場所】 日本ガイシフォーラム 和室






自主冥想会>in刈谷
3月の予定
・ 3月12日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)
・ 3月19日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)予備日
・ 3月26日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)






ひとり言 | 16:47:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
五宝寺はなまつり法話「楽に生きるための真理」(Dhammacast)





五宝寺はなまつり法話「楽に生きるための真理」






五宝寺はなまつり法話「楽に生きるための真理」(Dhammacast)

| | コメント(0) | トラックバック(0)
五宝寺はなまつり法話「楽に生きるための真理」(1時間16分01秒)をダウンロード
xzqwy.jpg
去る4月16日に高知県宿毛市の五宝寺(高野山真言宗)で行われたスマナサーラ長老「はなまつり法話」と質疑応答の音声ファイル(MP3)を配信いたします。

「生きる事は苦ですただでさえ苦しい人生を
よけい苦しくするような生き方はやめて、どうすれば苦がなくなるか?と工夫して生きるべきです。ブッダは私たちに、『こうすれば楽です、こうすれば究極に楽になりますよ』と、教えてくれたのです。」(法話メモより)

 
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~

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このブログ記事を参照しているブログ一覧: 五宝寺はなまつり法話「楽に生きるための真理」(Dhammacast)

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ひとり言 | 15:49:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
#jtba「マインドコントロールを解除するために」(後篇)





協会のfbより紹介です。





画像に含まれている可能性があるもの:4人、座ってる(複数の人)、室内

日本テーラワーダ仏教協会

#jtba「マインドコントロールを解除するために」(後篇)

 真理はこのようなものです。注射薬は、ある病気に特効薬であるならば、その病気にかかっている誰が試してみても、一向に構わないのです。しかし、塗ったり飲んだりしてはいけません。ブッダの教えも、誰が試しても真理であることは発見できます。幸福になることが確実です。しかし、自分のバイアスでやってみても、同じ結果は出ない可能性があるのです。

 我々は思考の自由、事実を知る権利を大事にするならば、やるべきことは心からバイアスの基準を捨てることです。自分でバイアスを捨ててしまって、心を自由にすると、マスコミ・インターネットなどで限りなく流れる如何なるデータであっても、どこまで事実かと発見することができるのです。情報によって操られることがなくなるのです。マインドコントロールが解除されるのです。バイアスを無くしてはじめて、「理性」のある人間になるのです。お釈迦さまが理性のある人、知識人、というのは、バイアスの膜が薄い人のことです。

 いくら学者であっても、北伝南伝の経典通であっても、世界的に認められる知識人であっても、「我は知っている」というバイアスで、乱暴に、いい加減にブッダの言葉を解説しても、ブッダの教えを知る人にならないのです。人は有名であればあるほど、世界はその人の言葉を信じるのです。これもバイアスですが、仕方がありません。社会のリーダーシップを取っている知識人・思想家たちは、とても気楽にものごとを解説したり自分の意見を述べたりする。

 ブッダの教えについても、とても気楽に解説したり知る。この知識人の方々は、「私は知識人である。物事をよく学んでいる。ですから、私の意見に間違いあるはずがありません」という立場なので、結局はバイアスなのです。バイアスがないオープンな心で、ブッダの教えを解説することは、たいへんなことなのです。

 科学の理想的な立場は、主観はいけない、ということです。データのみを客観的に調べることです。自分の意見は、決して科学の見解にはなりません、データによって、自然に導かれる結論が、科学の見解です。

 ブッダの教えを解説して、他人にも理解してもらいたいと思う人々は、必ずこの科学の立場をとらなくてはならないのです。その人が、真理に依って立つ者と言われるのです。解りやすくいえば、正真正銘の科学者、ということです。

 ここで科学の例を出して説明しましたが、昔の世界では、科学なんかはなかったのです。昔の人々は、より解りやすい例で、バイアスの無い状態を理解したのです。それは裁判の例なのです。裁判の場合は、裁判官がいる。原告側がいる。被告側がいる。原告側に自分が言うことを立証するために、証拠・証人などがいる。被告側にも自分の無罪を立証するために、証拠・証人がいる。判決は裁判官が出すのです。

 正しい裁判官なら、自分の気持ち、自分の好みなどを微塵も使用しない。原告側もまた被告側の社会的立場、権力なども気にしない。誰の肩も持たない。立証されたら有罪。立証できなかったら無罪。裁判官の理想的な心構えを、バイアスのない心構えとして昔は理解したのです。ですから、仏教では、裁判に対しても、「法に依って立つ」という単語を使うのです。

 もし裁判官が、袖の下で賄賂を取っているならば、どうなることでしょうか。わいろの額が原告側の方が多ければ有罪で、被告側の方が多ければ無罪になるでしょう。また、真剣に証人のはなしを聞く必要もないでしょう。封筒の中に入っている枚数だけ数えれば、判決は下せるのです。

 もしそうなったら、この世で法律なんかは成り立たなくなるのです。この世で、政治家の、権力者の、好みに合わせて判決をしてしまう裁判もいないとはいえないでしょう。しかし、裁判官には、バイアスは猛毒です。

 我々人間は、物事を理解する上で、他人に情報を伝える上で、賄賂を取る裁判官のような生き方をしているのです。それでは話にならないのです。我々の生き方は、「自分の理解」に基づいたものでしょう。だから、それで正しく生きていると、胸を張って言えるのでしょうか。

 もしブッダの教えを理解するならば、こころをバイアスから解放して、理想的な裁判官のように、正しく物事を理解して、正しく生きていって、真の幸福に達することができるでしょう。終わり

●photo:Dec 10, 2014 by California Courts<flickr>
▼引用テキスト
「思考さえも自由にならない」~人間皆バイアスを持っている~
http://www.j-theravada.net/howa/howa149.html
~生きとし生けるものが幸せでありますように~










facebook | 16:33:40 | トラックバック(0) | コメント(0)
#jtba「マインドコントロールを解除するために」(中篇)





協会のfbより紹介です。





#jtba「マインドコントロールを解除するために」(中篇)

 人間の意見、というものは、結局はそれぞれの人の主観に過ぎない、というのが、ブッダの立場なのです。主観はすべて間違い、という意味ではありません。

 例えばある人が「生命は死後、生まれ変わるのだ」と言う。またある人が「生命は死後、生まれ変わらない」と言う。この二つの意見とも主観です。もし実際に生命が死後生まれ変わることが事実であるならば、前者の主観がウソにならないのです。後者の意見はウソになるのです。もし生命が死後生まれ変わらないことが事実であるならば、前者の意見がウソで、後者の意見は真理になるのです。

 仏教は世の中の様々な意見について、誰が正か、誰が邪か、ともう一つの偏見で二分化しないのです。人の意見は、事実に、真理に合っているか合っていないのか、また、どの程度で合っているのか、というところを気にするのです。事実に合っていても、主観は主観です。

 真理を発見するためには、人の話に乗るのではなく、自分で経験しなくてはいけないのです。それでも、その実験する方法を人から学ばなくてはならないのです。人の話は主観でしょうし、それを聞く自分が、また自分の主観を作るでしょう。これが問題になります。

 また我々は、日常生活をする上では様々な他人の意見を聞き入れなければならないのです。その場合は、単純に鵜呑みにする、自分の好みで一人の意見を取り入れてもう一人の意見を却下する、言っている相手の迫力に抑えられて信じる、皆の意見に合わせる、などのバイアスが入ります。

 しかし人は、事実・真理を知るべきです。正しい行動、正しい生き方をするべきです。でもここまでバイアスに攻撃されたなら、事実を知ることはできそうもないのです。

 お釈迦さまが悟りをひらいて間もないうちに、この大きな問題が気がかりになったのです。悟りそのものが言葉に、概念に、イメージにならない、すべてを乗り越えた境地なのです。

 真理そのものにしても、いまだかつて誰も発見しなかったものなので、俗世間の思考パターンでは理解できないものです。語っても相手には理解しにくいものになるのです。自分が解っていることを相手にしゃべると、使う言語によって充分表現できない可能性があります。

 それから、聞く人は自分の能力で理解するので、言われたことをそのまま理解しない可能性もあります。それによって事実はけっこう偏向してしまうのです。お釈迦さまが説法するときは、この問題を解決して語られたので、「法についてよく語られている。正しく語られている」という形容詞を使うのです。法は相手に充分理解できなくても、誤解することは不可能です。

 しかし、ブッダの聖なる教えは、よく変わったものです。聖なる優れた教えは、俗的一般論にまで、時代によって変わってしまったのです。それは釈尊が厳密に注意したところを無視されたことの結果ではないかと思います。いわゆるバイアスの問題なのです。

 我々一般人は、バイアスの塊なのです。客観的である、科学的である、実証されている云々の理由が、無意識的にバイアスなのです。興味あるものしか調べないのは、我々の生き様です。ブッダの言葉を自分で理解するとき、また、他人に教えるとき、自分の主観で解説する。自分で理解できる範囲だけが正しいと思ったりもする。

 また、自分の主義に合わせて解説する。論理学者は論理の立場で、哲学者は哲学の立場で、科学者は科学の見解で、神秘家は神秘主義の立場で、宗教家がそれぞれの宗教の立場で解説するのです。それで、お釈迦さまが伝えたかったことと、解説は変わってしまうのです。ですから仏教では、解説の仕方(解説学)まで教えなくてはならなくなっているのです。

 仏教は他宗教と違って、完全オープンな教えなのです。誰が学んでもよいのです。批判することも、挑戦することも、比較することも、できるのです。恨み憎しみをもって、根拠のない言葉で仏法を侮辱することは、悪いに決まっている。それは悪業です。それ以外の批判は、悪業になりません。

 しかし「仏教は自由な教えだ。オープンな教えだ。批判することも自分なりに解説して理解することも自由だ」と思って仏教を解説しても、たいへんな問題が起きます。彼らが真理を自分の主観で偏向させてしまうのです。なぜならば、物事を理解する自分の立場(自分のバイアス)に基づいて理解するからです。

 本当のところ、オープンの意味は、バイアスで解説することではなく、客観的に理解することなのです。自分の好きなように科学実験したからと言って、科学の真理は発見できないのです。注射するべき薬を、自分は注射がイヤだからといって、身体に塗ったり、飲んでみたりしてもダメなのです。そこで、自分のバイアスは通らないのです。つづく

●photo:Virtual Reality Demonstrations by Knight Center for Journalism in the Americas<flickr>
▼引用テキスト
「思考さえも自由にならない」~人間皆バイアスを持っている~
http://www.j-theravada.net/howa/howa149.html
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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#jtba 佼成出版社の月刊誌『やくしん』2017年3月号にスマナサーラ長老のインタビュー記事「過去や未来は考えない!”いま”を生きることが何よりも大事。」が掲載されました。





協会のfbより紹介です。





#jtba 佼成出版社の月刊誌『やくしん』2017年3月号にスマナサーラ長老のインタビュー記事「過去や未来は考えない!”いま”を生きることが何よりも大事。」が掲載されました。
https://www.kosei-shuppan.co.jp










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#jtba「マインドコントロールを解除するために」(前篇)






協会のfbより紹介です。





#jtba「マインドコントロールを解除するために」(前篇)

 マスコミのワイドショーなどは、この世で起こる色々な出来事の真相究明に必死です。犯罪容疑で人が逮捕されると、その人が何をやったかと、きめ細かく報道しますが、実際は拘置所で容疑者が何を喋っているか、検察側がどんな情報を調べているかは、外の世界には知られないはずです。何でもかんでも発表すると、正しく捜査することができなくなる。

 なのに、マスコミでは容疑者の態度や気持ちまで、報道するのです。どこから得た情報で、このように真相究明しているのかと、よく解らないのです。裁判で判決を出すためには何年もかかるが、マスコミは次の事件が起きた時点で、前の事件の判決まで出して終わるのです。犯罪だけではなく様々な問題について、マスコミの倫理にしたがって、ありのままの事実をそのまま発表するという名目で報道されるのです。

 たとえば報道については、自由と責任、正確と公正、独立と寛容、人権の尊重、品格と節度を守るという約束事があります。実際、倫理綱領が守られているのでしょうか?
 
 マスコミは決して倫理綱領を意図的に破ろうとはしません。むしろ、ついうっかりして破ってしまうケースの方が多いのです。現代マスコミの気になるところは、倫理綱領ではなく、何かをしてスクープを探し出して一般社会にアピールすることです。皆に見て欲しい、皆に読んで欲しい、という気持ちが強すぎて、情報は単なる娯楽番組に変身するのです。

 ジャーナリストは実際何が起きたか、ではなくて、自分の手に入ったわずかなデータに基づいて、いかに感動的な作品を作るのかということに、必死なのです。というわけで、公正も正確さも、独立も寛容も希薄になってしまうのです。たとえば日本で流れる北朝鮮の情報は、まったくワンパターンです。良いことは微塵も報じないのです。北朝鮮で流す日本に関わる情報も、恐らく似ているでしょう。

 オリンピック試合などはそのまま生放送する約束ですが、実際、番組を観ると、放送してくれるのは自国の選手たちが参加するところだけです。それはアメリカにしても同じ方針です。各国の日常の生き方、文化などを放送するときも、基本的なパターンがあるのです。ヨーロッパの日常習慣とアジア・アフリカの日常習慣が、同じ基準で放送されることはないのです。一般大衆が突然、韓国のドラマなどに釘付けになると、マスコミも韓国のものなら何でもすごいというアプローチで、様々な情報を放送することになるのです。

 ここまで書いたのは、マスコミを批判するためではありません。「事実を語る」場合、起こる問題を明確にするためです。人は事実を語ろうとしても、結局はバイアスが入るのです。色眼鏡で見たものは、正しく見えたとは言えないのです。バイアスもいろいろです。

 政治的なところで言うと、アメリカや西洋の政治に対して限りなく持ち上げたくなるバイアス、中国やロシア・北朝鮮について批判的なバイアス、アフリカなどの国々について無関心なバイアスなどが必ず入ります。事実はどうであろうとも、大衆の意見に合わせることもバイアスです。よく売れるように、視聴率を上げるように、放送するときは、金を儲ける目的というバイアスが入っているのです。自分が好きな有名人を褒め称える、好きではない有名人のいけないところだけ流す、などのバイアスもあるのです。

 権力者におびえて、また権力者の機嫌を取るために、情報を変えるというバイアスもあるのです。それは「恐怖」のバイアスです。問題は、人間にこころをバイアスから開放して事実を伝えることが可能なのか、ということです。ほとんど不可能だと思います。しかし、政党機関紙のように様々な組織が発表する新聞雑誌などのバイアスは、はっきりしていますから、問題にはなりません。問題は、バイアスはもってのほかだと言いつつ、情報を流す世界のことです。

 研究世界においても、バイアスが派手に機能するのです。相手より先に発表したい、先に特許をとりたい、儲かりたい、などの気持ちが入ると、研究の客観性が弱くなるのです。データのごまかしも起こるのです。歴史、考古学の分野でも、「好み」というバイアスが入るので、たいへん困るのです。

 好みによって、データの解説が変わるのです。中国の子供たちが学ぶ日本の歴史と、日本の子供が学ぶ日本の歴史は、派手に違うものです。考古学の場合は、何かを発見したら「一般人を感動させる」というバイアスが入るので、ひとかけらの破片を見て、当時の状況をビデオで観ていたような感じで発表するのです。

 哲学や宗教の研究の場合は、決まってバイアスなのです。研究者には、自分が好きな哲学思考があるので、その方向に傾けて哲学研究をする。宗教の場合は、自分の信仰があるので、研究成果はそのバイアスで塗り固める。聖書の言葉の解説にしても、説明はそれぞれの宗派によって変わるのです。

 これは仏教の研究についても同じことです。同じブッダの言葉であっても、解説は宗派によって変わる。宗教・哲学を解説する人々は、自分たちがバイアスでやっていると絶対言わないのです。そのように思ってもいないのです。自分こそが本当の意義を理解しているとまじめに思っているのです。そこで何が起こるのでしょうか?

 自分の宗派で新たに語っているアイデアがあります。それは元のブッダの教えに合うかもしれません。合わないかもしれません。合うか合わないか、どうでもいいのです。自分の宗派の論点が正しいと立証したいのです。そのためにブッダの言葉を引用するのです。

 ですから、解説は、自論を立証できるように偏向してしまう。このようなことは皆、悪気があって人を騙す目的でやっていると、決して言えないのです。誰でも正直なつもりです。誰でも、客観的に事実を調べているつもりです。誰でも学術的に研究しているつもりです。自分の力いっぱい、努力しているのです。しかし誰にも解説がバイアスによって偏向することを変えられないのです。つづく

●photo:Reporters by M M<flickr>
▼引用テキスト
「思考さえも自由にならない」~人間皆バイアスを持っている~
http://www.j-theravada.net/howa/howa149.html
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、立ってる(複数の人)、歩いてる(複数の人)、カメラ、屋外










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#jtba「小さな灯火となる」~落ち着きと安らぎ~





協会のfbより紹介です。






画像に含まれている可能性があるもの:猫


日本テーラワーダ仏教協会

#jtba「小さな灯火となる」~落ち着きと安らぎ~

 慈しみを持ってすべての生命に接することを、仏教では「ともしび」にたとえています。「ともしび」は、それがあるだけで、その周辺が明るくなります。そうした存在は「ともしび」だけに限りません。たとえば、私たちは花を見たときに、「キレイだな」と感じます。見ているだけで楽しい気分になります。

 でも、花は「みんなにキレイと思われなきゃ」「みんなに楽しんでもらうのに、私はへとへとだわ」などと思って咲いているわけではありません。ただ勝手に咲いているだけです。私たちはそれを見て、とても楽しい気持ちになるのです。

 人間もそうした生き方ができます。その人がいるだけで、まわりの人たちも明るい気持ちになれる。こうした生き方をするのは、決して難しいことではありません。それには、あらゆる生命に対して慈しみの心を持つことです。まわりがあなたにどんな態度をとろうと、あなた自身はまわりにほほえみかける。あなた自身の心は常に安らぎを持つ。

 これを繰り返していると、まわりの人たちの様子も変わっていきます。お父さん、お母さんが落ち着いた心でいれば、子どもの心も落ち着いていきます。夫(あるいは妻)が安らかな心でいれば、パートナーの心も安らいでいきます。ほほえむ人のまわりには、ほほえむ人が集まってきます。これが「ともしび」となって生きていくことなのです。

●photo:Smile by Takashi Hososhima<flickr>
▼引用テキスト
「執着しないこと」(中経出版、kindle版)
http://amzn.to/2igvHnw
~生きとし生けるものが幸せでありますように~










facebook | 11:53:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
瞑想~それは眠気との闘い





協会の記事ではありません。
ポンタ丸さんのブログより紹介です。

心を洗う






瞑想~それは眠気との闘い


ずっと眠気と闘ってきた


今も眠気と闘っている


先日、私がいつもお世話になっている誓教寺で2泊3日の女性限定の瞑想ミニ合宿が行われました(詳しくは誓教寺のHPでどうぞ)。

 私は仕事の都合で2日しか参加できませんでしたが、やはり瞑想はできるだけ長時間したほうがいいので、こういう機会があるときは、できるだけ時間をつくって参加するようにしています。

【どうやって生きていったらいいかわからない~そんなときは】で最後に少し書きましたが、瞑想すると様々な「気づき」が起こります。

-----------------------

続きはここの中

http://ponta-maru.com/meisou-nemuke-tatakai/








心を洗う | 10:03:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
'17 1/29 関西定例瞑想会@マーヤーデーヴィー精舎





β関西活動報告 の紹介です。

午前の法話音声は↓こちら
■法話-怠け取り除く 直面■






'17 1/29 関西定例瞑想会@マーヤーデーヴィー精舎
1/29 2017年最初の関西定例瞑想会が
マーヤーデーヴィー精舎で行われました。

プログラムは以下の通り。

9:35--
礼拝-三帰依-読経、慈悲の瞑想
スマナサーラ長老より法話(音声あり)
11:25--
お釈迦様へお食事等のお供え
11:40--
お昼休み
(12:40--ミーティング)

午後の部
13:20--
読経、慈悲の瞑想
初心者は、スマナサーラ長老より瞑想初心者指導
(1階ダイニングホール)
経験者は、各自で瞑想
(座禅-戒壇堂、歩行瞑想-2F 他)
18:25--
全員瞑想を終了し、2Fホールへ集合
慈悲の瞑想、読経、回向
18:40--
瞑想会終了 


午前の法話音声は↓こちら
■法話-怠け取り除く 直面■



当日の法話動画はこちら↓で見ることが出来ます。
◇【youtube動画】2017年1月29日(日)『関西月例冥想会』スマナサーラ長老指導
◇ http://mayadevi.hatenablog.com/entry/2017/02/05/142457

音声の著作権は、日本テーラワーダ仏教協会に属します。私的使用の範囲でご活用ください。
内容の一部、または全部を転用、二次利用することはお控えください。
内容をテキスト化して『公開』をすることは、転用、二次利用に含まれます。

音声、映像の配信については、関西冥想会の了承を得ております。
また、何らかの形でご紹介いただく場合は、動画、音声の直接リンクでなく、
元blogの記事URLをお貼りくださいますようお願いいたします。
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/2241027.html

私的使用の範囲でお願いしております。
ご参考に
https://www.bengo4.com/houmu/17/n_556/
読者の皆様 参考にお目通しを  










Māyādevī Vihāra blog | 10:31:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
東海「花まつり」の告知です
 



東海「花まつり」の告知です





NEWS

スマナサーラ長老 講演会「死に方入門」(3月12日,一橋講堂)要予約
初期仏教公開講座「死に方入門」
人生の後半に入ってくると、誰しも自分の死について考えて不安になります。これまで生きることに精一杯で、どのように死ねばいいか考えたことがありません。「死」は初めての経験なので、前回の死から改善することもできません。正しい死に方、お手本とすべき死に方、そして揺るぎのない生き方をお釈迦様に教わります。

日時:2017月03月12日(日)13:30~16:30(終了予定)
場所:一橋講堂 ※お間違えのないようご注意ください。
定員:490名 参加費:ご喜捨(お気持ち)
【参加申込フォーム】
※必ず予約の上ご来場ください。


スマナサーラ長老 名古屋「花まつり」(4月2日,日本ガイシフォーラム)

スマナサーラ長老 名古屋初期仏教day「花まつり」
年に一度、お釈迦さまの誕生をお祝いする『花まつり』、たくさんの方に参加していただければ幸いです。皆様、ご家族や友人・知人をお誘い合わせの上、気軽にお越し下さい!

日時:4月2日(日)12:00~18:30 ※予約不要
会場:日本ガイシフォーラム(和室)
参加費:喜捨(お気持ち)
近日中の主な予定


https://www.facebook.com/events/1830362370540425/








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#jtba「神はいるのか?」~仏教でいう神の概念と理解~





協会のfbより紹介です。





#jtba「神はいるのか?」~仏教でいう神の概念と理解~

Q:仏教の世界における神の役割を教えて下さい。
A:皆、一般的に使用する言葉で特定の意味を指す場合は定義してほしいのです。 科学もそうでしょう。日常の言葉も使う場合がありますが、明確に定義してみます。
 
【神】絶対的存在・森羅万物の創造主 ←であるならば、仏教では彼は失業中です。※仏教は認めない。
 因縁により全てが成り立つ。自然法則(物理的な法則)・こころの法則により一切の現象が一時的に現れる。 もし、この普遍的な法則に神というならば、仏教では異論なし。しかし、誤解されやすい、また人格化されている言葉を何であえて使う必要はあるのでしょうか。
 
【神①】インドや日本で考える、死なない神霊であるなら ←仏教は認めない。
 死なない存在・不死なる存在はありえない。すべては動であって、止ではありません。
 
【神②】山も森も川も雷も雨も太陽も天皇も、またその他も神だとする場合 ←敬意を表す言葉なら、問題なし。信仰の対象なら、ただの迷信。
 
【神々】複数形で人間と違った次元の生き物(生命)を意味する言葉であるならば、多次元で分かれている霊的な存在なら ←仏教は認める。
 人間だけ「命」ではありません。生命として人間より下も上もあります。これも、受苦と受楽の割り当て見たいなものです。 人間より楽の割合が上なら「神」、下なら餓鬼、畜生、阿修羅、地獄でしょうね。
 
◆役割?
 何かやっているでしょう。端的に言えば、だれでも生きているということ。ミミズも生きているし、私も、そちらの方々も生きている。面白くも不思議もなんのもありません。神さんもミミズと同じ生きている。何で生きているのかも知らずただ単に生きている。未だ死んでないから生きているだけ。 だれにも「役割なんかはない」のです。勝手に生きている。しかし、調和がなければ、社会の秩序を保たないと生きていられない、そのような意味で生命体にはそれぞれ役割がある。
 
◆God
 差別感情を正当化する、搾取を好んでいる人間は、この概念が好きみたいですが、残念なことに仏教は「生命は輪廻転生している。生命は平等」だとする。

●photo:Ogre by slackrhackr<flickr>
▼引用テキスト
Q&A (64) 神の役割
http://www.j-theravada.net/qa/qahp64.html
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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