FC2ブログ

新WEBサイト公開開始しました

 
■ご訪問者数
■東海ダンマサークル紹介

zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

■カレンダー

10 | 2018/11 | 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

■記事検索

■最新記事
■月別アーカイブ
■カテゴリ
■メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

■リンク
■QRコード

QRコード

「あなたの休日は?」~安心感という病~
 










#jtba「あなたの休日は?」~安心感という病~ #仏教 #Buddhism #スマナサーラ長老 #無常 #人生 #楽しみ #変化 #永遠

 人生は、休めません。なぜ人は、休もうとするのでしょう。なぜ安定と安心感を目指すのでしょうか。一定した収入、安定した生活を目指しても、一切が無常であることの存在の中では、あり得ない話です、“ウサギの角”を探すような無駄な努力になります。

 結婚したばかりの若夫婦は、相手に気に入られるように努力しますが、いつの間にか安心感の病にかかって努力を止めるのです。それですべて崩れていくのです。結婚に限らず、他のことにしても、人生に完了なんかはありません。勉強を完了した、能力向上を完了しました、金儲けを完了しました、などは成り立ちません。結婚を止めました、勉強を止めました、等々なら言えます。完了とは言えません。人生は休めません。この認識が不足しているから、人生は失敗するのです。

 前にも述べたように、世の中は「無常」です。変わり続けているのです。それなのに、人は楽しい瞬間だけ、変わらず安定することを期待するのです。

 おいしいご飯を前にして味わえる幸福感が、続いてほしいと思ったとしましょう。食べるご飯がなくなるから、楽しめなくなります。ご飯がなくなるから食べないことにすると、味わえる楽しみがなくなります。どうにもなりません。その瞬間だけ楽しむしかないのです。

 試しに後で楽しもうと、いま行うべきことを後回しにしてみましょう。あのおいしいご飯が、賞味期限が切れて食べられない状態になってしまうのです。人生の楽しみについても、後回しにする人は、人生の賞味期限が切れるまで待つことになるのです。

 楽しみは無常から生まれるのです。親と子の関係を考えてください。子供が小さいときは、早く大きくなることを期待する。子供のわずかな成長も、大喜びの種になる。何か喋っただけで、ハイハイしただけで、立ち上がっただけで、母の心は大祭りです。何のこともなく、ただ無常を楽しんでいるだけです。しかし、それは期待して訪れた無常なのです。

 ところが、思春期を迎えて反抗期に入ると、「あんた変わったね」と悲しむのです。この場合は、無常を悲しむのです。子供が成長することは避けられないと知っているのに、その成長(無常)は認めたくない。それで苦しみが始まるのです。

 生きていくことは、変わっていくことです。楽しみも変化するので、長く取っておけるはずがありません。楽しみとは、その瞬間・瞬間にあるものです。

 無常を楽しむ母親なら、赤ちゃんのときから起こる日々の成長を、その瞬間で楽しむのです。反抗期も、家出することも、結婚して親から離れることも、うるさいと親に逆らうことも、すべて成長の過程で起こることなので、楽しめるのです。孫が生まれたら「ああ嫌だ。私はこんなに若いのに、おばあちゃんになった」ではなく、楽しめるのです。

 はっきり言います。無常を認める人にとっては、衰えて死んでしまうことも楽しい出来事です。しかし、このような生き方は、人間にとっては嘘のように聴こえる。それにも理由があります。

 人には無常以外、楽しみは存在しないのです。しかし、潜在的に変化に逆らおうとするのです。永遠なものに憧れるのです。永遠とは、空に描いた絵のようなものです。無常を知らないことを「無明」と言います。無常に逆らうことを「無知」と言います。無常に逆らう行為は、愚か者の生き方です。愚者には、幸福な生き方は期待できません。

 すべてが無常であることを知り、楽しみながらその瞬間ごとのものであることが理解できれば、すべての変化を受け入れられるようになります。無常を知る人は、決してくじけません。

Photo by rawpixel on Unsplash
▼参考テキスト
Kindle版「くじけないこと」
https://goo.gl/kGq44G
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上








未分類 | 10:50:49 | トラックバック(0) | コメント(0)
39760542_1838626689566685_2185388589813071872_n[1]


未分類 | 16:40:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
拙僧が投稿した『お施餓鬼・慈悲の心育む』




協会の記事ではありません。
吉水 秀樹  安養寺住職 のfbより紹介です。


  「お施餓鬼」とブッダの教え  吉水秀樹

 拙僧が投稿した『お施餓鬼・慈悲の心育む』が、今日、8月12日の地方新聞投稿欄に掲示されました。

★投稿の原文
-------------------------------------------------------
 お施餓鬼  住職 吉水秀樹59歳
 お盆の季節に多くの仏教徒が行う祭事に「お施餓鬼」があります。「お施餓鬼」は、現代風に言えば「幽霊供養」です。私は若い頃「こんな非科学的な迷信行事は廃止したらいいのに!」と思っていました。しかし、今ではこれほど、道理に適った平和な仏教行事はないように思っています。お施餓鬼の本質は、目に見えない生命や小さな哀れな生命に自分の持っているものを与える実践です。儀式の中で「水向け」という作法をします。他の生命に水を与えるという意味です。経には、私たち人間にとってはコップ一杯の水でも、微生物にとっては大海の如くである。水向けの作法をすることは、彼らにとっては天に龍が舞う洪水嵐の如くであると説かれています。先日、寺の土間に一匹のちりめんじゃこが落ちていました。二三日経って気づいたら、何十匹ものアリが集っていました。私たちにとっては、小さなじゃこですが、アリにとってはクジラ程の獲物です。アリとじゃこを葉ですくって庭に置きました。お施餓鬼の真意は、私たち一人の持つ力は目に見えない生命にとっては、とてつもない威力と影響力が実際にあることを思い知り、自分以外の生命に対する慈しみのこころを育てることです。すべての生きとし生けるものが幸せでありますように。

-------------------------------------------------------

 テーラワーダ仏教を学んでいる人や、日本の坊さんでも、日本で広く行われている仏教行事の「お施餓鬼」の源流が慈しみの実践、慈悲喜捨の精神に基づいていることをご存知ない方も多いのではないでしょうか? 私自身も若い頃は、最も迷信じみた仏教行事だと思い違いをしていました。
 日本の仏教では、浄土真宗以外の大方の寺院がこの行事を盛んに勤めています。お盆に行われることが多く、先祖供養という大義の元に奉修されているのですが、スマナサーラ長老や誓教寺の藤本和尚さんの著書のなかでも、その源流がブッダの説かれた慈悲喜捨の精神に基づいていることが紹介されています。

 私は初期仏教を学び、ヴィパッサナー冥想を実践するようになってはじめてその本来の意義を理解するようになり、如法に奉修するようになりました。今では、8月16日の「お施餓鬼」の日には、100人以上の檀信徒がその本筋「慈しみの実践」として、お施餓鬼に参加されるようになりました。

 施餓鬼会の宣疏には、「夫れ龍は一の鱗蟲なるすら、尚蹄涔の少水を得ば、能く之を六虚に散じて以て洪流と為す。」と漢文で書かれてあります。この部分の意味をわかりやすく言えば「たとえ、水向け作法で用いるようなわずかな水であっても、その慈悲の行為は目に見えない生命や、肉体を持たない生命にとっては、龍が天に舞い、諸天で洪水嵐が起こるほどの力を持っている」と言った内容です。

 また、経の五如来の部分には漢文で、
★除慳貪業福智円満=欲と怒りを除いて、智慧を育てる
★破醜形円満相好 =醜い姿を整った形に変化させる
★灌法心身令受快楽=浄らかな水の力で喜びを与え、楽を得る
★咽喉広大飲食受用=喉を大きくして食べ物が食べられ満足を得る
★恐怖悉除離餓鬼趣=根源にある恐怖心をすべて除いて、昇天させる
 …とあり、一見仰々しい内容に思えますがよく読めば、他の哀れな生命に対して慈しみのこころで接して、慈悲喜捨の実践をするといった内容です。

 有名な「生飯偈」(サバゲ)=「汝等鬼神衆 我今施汝供 此食徧十方 一切鬼神供」の意味は、「他の哀れな生命、目に見えない生命、肉体のない生命に対し、私は今あなた方に施しの供養をします。願わくは、この食事をもろもろの世界へ行き渡らせ、餓鬼にも,神々にも、すべての生きとし生けるものへ捧げ供養いたします。」という内容です。

☆餓鬼を視覚的に対象化すると、六道絵図にあるような姿になりますが、もともと餓鬼には肉体はありません。だから幽霊のような存在なのです。つまり、その本質は「満たされない」という執拗な悪感情です。今、この世に生きている人の中でも、「満たされない」という思いのある人のこころは、欲望と怒りのエネルギーが蔓延していて、その姿が餓鬼道に他なりません。

 私は、毎年このお盆の時期になると、一人の日本仏教の坊さんとして、何か世間に訴えたい気持ちになり新聞に投稿します。自慢話ではないのですが、一年に一回しか投稿しないのですが実に採用率は、ほぼ100%です。タイムリーなのと本心で書いているからだと思っています。去年は「お霊膳」について書きました。
私は本当のところ、若い日本の坊さんたちにこそ、この記事を読んでもらいたいです。そして、仏弟子である自分自身を狭い教義から解放する。住職を縛る法門から解放すること。迷信じみた儀式や儀礼を超えて、一人の名もない仏教者として、ブッダの道を真っ直ぐに歩んで欲しいと願っています。               吉水秀樹 三拝 




 



未分類 | 15:54:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
東海ダンマサークル#テスト
この記事を閲覧するにはパスワードが必要です
パスワード入力


未分類 | 18:20:32
03/04-- クサラダンマ長老 「仏教法話会」 -----残念 突然ですが 最後の法話会です。







残念 突然ですが 最後の法話会です。

03/04--
 
クサラダンマ長老 「仏教法話会」

 日本ガイシフォーラム 注-第1和室午後+延長
<17時までに退場> 
終了時間未定です。 遅くなるかも?


+食事御布施会


法話のテーマが、『転法輪経』
法話は数回にわたるとも聞きました.





★「茶話会(親睦会)」のお知らせ
午前10時から
法友のみなさんの集いがあります。
※自由参加、昼食は各自ご用意ください。





        食事御布施会 

食事御布施写真1
10時から11時までに集合 
11:15~12:00 
 (11:30までが準備時間です。 
           11:30頃よりお食事を始めていただきます。) 
         【場所】
日本ガイシフォーラム

【食事御布施会の紹介】 
今 回より勉強会の時、食事のお布施をさせていただくことになりました。 テーラワーダの国では、2550年前から今迄変わらず、在家がサンガの皆様の食を支えてきました。 東海ダンマサークルでも、みんなで持ち寄ったお弁当の中から、ひと匙の食事を差し上げたいと思います。 遠くから、お釈迦様の教えを伝えに来て下 さるお坊様を、この一口のお布施が支えるのです。  とても意義のある行為です。 どうぞ皆さんも食事のお布施にご参加ください。 なぜかとても元気になれます。 しあわせな気分になります。 卵焼き一切れ、おむすび一つでかまいません。 皆さんでサンガの命をつなぎましょう。 お布施という善行為を体験してみてください。






      法話会(クサラダンマ長老)  説明【内容】

①講師:クサラダンマ長老

法話のテーマが、『転法輪経』
法話は数回にわたるとも聞きました.


②内容:法話会+食事のお布施

③開催場所:日本ガイシフォーラム

④時間:13001700 退場17時

④参加費:喜捨

⑥初心者冥想指導はありません

※英語での法話となる為、通訳を介しての 法話会となります。






【お問い合わせ】 東海ダンマサークル 
     電話:
090-8079-6361  船橋壯吉
 メール sajipura@lake.ocn.ne.jp <佐治正幸>







転法輪経

1 このように私は聞きました。ある時世尊はべナレスの昔仙人が降りてきたところであると伝えられた鹿野苑(ろくやおん)において住んでおられました。そこで世尊は五人の比丘に説かれました。

2 比丘たちよ、これら二つの極端は出家者のなすべきことではない。二つの極端とは欲における卑俗な、凡欲な、聖者の行うものではない、利益を伴わない娯楽に執着し耽けること、及び苦しい聖者の行うものでない利益を伴わない肉体を苦しめる苦行に努めることである。比丘たちよ、如来はこれら二つの極端に従わず中道をよく覚えられた。(中道は智慧の)眼を生じさせ智慧を生じさせるもので、寂滅、勝智、正覚、涅槃に導くものである。

3 如来によって、よく覚えられたかの中道「(智慧の)眼を生じさせ、智慧を生じさせ、寂滅、勝智、正覚、涅槃に導くものである」とは何であるか。それは八つの聖なる道である。即ち正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。比丘たちよ、これが如来によって覚られた中道であって、眼を 生じさせ、智慧を正じさせ寂滅、勝智、正覚、涅槃び導くものである。

4 比丘たちよ 、これが苦の聖なる真理である 。生も苦である。老も苦である。病も苦である。死も苦である。心配、悲泣、苦しみ、憂い、苦悩も苦である。嫌いなものと結ばれるのも苦である。愛するものと結ばれないのも苦である。求めて得られないのも苦である。要するに五つの固執される集まり(五固執蘊)は苦である。

5 比丘たちよ、これが苦因の聖なる真理である。これは再生を起こし、歓楽愛着を伴い、ここかしこで歓楽する渇愛である。この渇愛とは何であるか。五欲の渇愛(常見を伴う)存在への渇愛、(断見を伴う)虚無への渇愛である。

6 比丘たちよ、これが苦滅の聖なる真理である。これはかの渇愛の完全な離貧、滅、捨棄、捨離、解放、無執着である。

7 比丘たちよ、これが苦滅に至る道の聖なる真理である。これは八つの聖なる道である。即ち、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正精進、正念、正定である。

8 比丘たちよ、「これが苦の聖なる真理である」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じたのである。

9 比丘たちよ、「その苦 の 聖なる真理遍知されねばならない」と以前は聞いたことのない諸法 に おいて私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

10 比丘たちよ、「その苦の聖なる真理は編知された」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。
11
比丘たちよ、「これが苦因の聖なる真理である」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

12 比丘たちよ、「その苦因の聖なる真理は捨断せられるべきである」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

13 比丘 たちよ、「その苦因の聖なる真理は捨断された」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

14 比丘たちよ、「これが苦滅の聖なる真理である」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

15 比丘たちよ、「その苦滅の聖なる真理は覚られるべきである」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

16 比丘たちよ、「その苦滅 の聖なる真理は覚られた」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

17 比丘たちよ、「これが苦滅に至る道の聖なる真理である」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

18 比丘たちよ、「その苦滅に到る道の聖なる真理は修習されねばならない」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

19 比丘たちよ、「その苦滅に到る道の聖なる真理は修習された」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

20 比丘たちよ、これら四つの聖なる真理において、このように三転十二行相のあるがままの智見が、私に清浄とならなかった間は、比丘たちよ、天、魔、梵天と倶なる(天の)世界、沙門、婆羅門、王、人々の人間界において、私は無上の正覚者をよく覚ったとは自称しなかった。

21 比丘たちよ、これら四つの聖なる真理において、このように三転十二行相のあるがままの智見が、私に清浄となったのであるから、比丘たちよ、天、魔、梵天と倶なる(天の)世界、沙門、婆羅門、王、人々の人間界において、私は無上の正覚者をよく覚ったとは自称したのである。私の(阿羅漢果の)解脱は壊れることはない。これが最後の生であり、今や再び生を享けることのない智見が私に生じた。世尊はこれを説かれました。満足した五比丘は世尊の教説を心から喜んで受けました。

22 この説教が説かれているうちに、尊者コンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものである」と遠塵(埃のない)離垢(汚れのない)の法眼が生じたのでした。

続く...........







未分類 | 14:08:10 | トラックバック(0) | コメント(0)
生きるのに欠かせない「少欲知足」
 





日本テーラワーダ仏教協会
のfbより紹介です。

#jtba「少欲知足は『人生の安全対策』」スマナサーラ長老



「少欲知足は『人生の安全対策』」アルボムッレ・スマナサーラ長老

生きるのに欠かせない「少欲知足」 「少欲知足」というと、ほとんどの方は聞いたことがあって「よりよく生きるための教えの一つ」というふうに思っていたりするでしょう。しかし、「少欲知足」とは、人間が幸福に生きるにはきれいな空気ときれいな水を基本とするのと同じぐらい、人生に欠かせないお釈迦様の教えなのです。


     さらに表示









未分類 | 15:19:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
「『生きること』に必要とされる本来の仏教の姿へ」
 




日本テーラワーダ仏教協会   のfbより紹介です。

 

#jtba「『生きること』に必要とされる本来の仏教の姿へ」スマナサーラ長老

https://www.facebook.com/notes/日本テーラワーダ仏教協会/jtba生きることに必要とされる本来の仏教の姿へスマナサーラ長老/979939452067924/


「『生きること』に必要とされる本来の仏教の姿へ」

著:アルボムッレ・スマナサーラ長老

儀式・儀礼に凝り固まった現代の宗教



  さらに表示





















未分類 | 16:27:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ(Dhp.116)





まんどぅーかの
パーリ語ページ



 のホームページより紹介です。





2017-6/1


善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ(Dhp.116)





2017年6月

28
29
30
31
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
1









未分類 | 13:20:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
「う~ん、怠けって何だろう?」 マーヤーデーヴィー精舎関西月例冥想会





協会の記事ではありません。
サークル仲間の所感です。
 <
大仏とやっさんとやさしい教え>





「う~ん、怠けって何だろう?」 マーヤーデーヴィー精舎関西月例冥想会

「何で私が教えなくっちゃいけないんですかねぇ」
スマナサーラ長老のお得意なフレーズのひとつ。日本で日本人に日本語の解説をスリランカ人の長老がするのですから、言ってみたくもなるのでしょう。言葉の意味をよく咀嚼せず、安易に日本語を使っていることを日本人として反省しなくてはいけないです。

今回の「何で私が・・・」は2つ。まずは『怠け』です。怠けるを辞書で調べると、①おこたる。精を出さないこと。②だらしなくなる。

長老は『怠け』は、やるべきことをサボることと定義づけされました。「やるべきことは誰にでも常にあるのだから、そのやるべきことをしっかりやりましょう。では、皆さん頑張ってください」なんて怠けたお話では終わりません。

日頃、誰もが共通して感じているのは、たぶん、やるべきことは知っているのにそれが出来ないのはなぜなのか、頑張らなきゃと思いつつ、なかなか頑張れないのはどうしてなのか、などでしょう。

そこで2つ目の長老による日本語解説『頑張る』です。

常に人間は頑張り続けることは出来ないもので、ここ一瞬という時にだけ『頑張り』は出すもの。やるべきことがあるのにやる気が出ない。その瞬間に『怠け』を排して『頑張り』を出すようにすれば、先の疑問は解決されてしまう。

ちょっとだけわかったような、でもわかっていないような、具体的にはこうです。

「1時間、30分と時間を細かくカットして、この時間にはこれをやる!!と決める」
常に時間を区切って、やるべきことを確認し、決定し、行う。このように自らやるべきことやっていく。この手法を使うことで、ちょっとの頑張りで怠けを取り除けるようです。頑張りを出すのは、スケジュールを決定し実行に移る瞬間だけ。あとは行動してしまうわけですから、頑張りを継続している必要はありません。また怠けも自然に遠のいてくれるようです。

ようやくわかりました。今回も早速、実践すべし、です。

ところで今回のマーヤーで「餓鬼事経 死者たちの物語」の著者藤本晃さんの奥さまにお会いしました。つい「餓鬼事経はとても素晴らしかったので、是非早々に天宮事経のご出版もお願いします」と勝手を申し上げましたところ、着々と出版の準備が進んでいるとか。嬉しいお話です。

画像に含まれている可能性があるもの:屋外









未分類 | 08:53:51 | トラックバック(0) | コメント(0)
#jtba【新刊】スマナサーラ長老の初期仏教法話DVD『こころのストレッチ』





協会のfbより紹介です





日本テーラワーダ仏教協会 アラナ精舎と関西ダンマサークルさん、日本テーラワーダ仏教協会 マーヤーデーヴィー精舎さんが日本テーラワーダ仏教協会さんの写真をシェアしました。
自動代替テキストはありません。

日本テーラワーダ仏教協会

#jtba【新刊】スマナサーラ長老の初期仏教法話DVD『こころのストレッチ』

●V-264『こころのストレッチ』 ~人生を自由自在にする方法~
 こころは認識する対象によって、伸び縮みするオートフォーカス機能を持っています。私たちはこころの大きさを調整することで、その時々の状況に応じた適切な対応をしているのです。このこころの伸縮機能を上手に使える人は、日常生活でもビジネスでも成功を収めます。また、仏教で推奨する「智慧の開発」にも、こころの柔軟性は欠かせません。しかし年をとるにつれ、こころは柔軟性を失い、硬直して「頑固」になってしまうのです。そんな「こころの老化」を防ぐためには、つね日頃から「こころのストレッチ」を習慣づける必要があります。お釈迦さまの教えから、その具体的な方法を学んでみましょう。

◆詳しくはこちら(カタログあり)
 http://www.j-theravada.net/bhavana_books/dvd/

▼購入方法について(2,160円、税込・送料無料[国内のみ])
・事務手続きの都合で、先入金とさせていただいております。
・郵便局の「払込取扱表」の通信欄に、ご希望のDVDの商品番号(V-264等)を記載して、合計金額を下記口座までお振込みください。
・送付先の住所は漏れ無くご記入下さいますようお願いいたします。
※国内のみ送料は無料です。

★郵便局から「払込取扱票」でお振込の場合
 口座番号:00120-5-763914
 名称:日本テーラワーダ仏教協会

★他行からのお振込みの場合
 ゆうちょ銀行:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
 当座:0763914

・事務局で入金を確認後、商品を発送いたします。
・通常、入金から7日~10日程度でお手元に届きます。
・ご不明の点は、info@j-theravada.net までメールでお問い合わせ下さい。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~










未分類 | 15:38:01 | トラックバック(0) | コメント(0)
今週の「スマナサーラ・ミラクル」---「悟り」が証明されたと言っていいような珍事件が曹洞宗で起こりました。





丹下 覚元 のfbより紹介です。





藤本 晃さんが丹下 覚元さんの投稿をシェアしました。

丹下 覚元さんの写真丹下 覚元さんの写真


丹下 覚元さんが写真3件を追加しました。

今週の「スマナサーラ・ミラクル」

「悟り」が証明されたと言っていいような珍事件が曹洞宗で起こりました。
なんと前回アップした丹下の🈲記事「曹洞宗の黒歴史」(そのタイトルなんとかならんか)をテーラワーダ仏教(スリランカ上座部仏教)のアルボムッレ・スマナサーラ長老がご覧になられて大絶賛♡

(._.)でね…、そこまでなら良かったんだけど、スマナサーラ長老が、先日、曹洞宗の本庁で行われていた「只管打坐とマインドフルネス」をテーマにした宗門の「学術会議」でパネリストとして参加してて、そこで丹下の名前まで出しちゃったの。おまけに🈲タイトル「👿曹洞宗の黒歴史」の記事を、曹洞宗の幹部クラスたち大勢を前にして引用しちゃったんだって。
おまけに、
「宗門にも悟りを認める僧侶がいる。曹洞宗も、釈尊、道元禅師の教えに還り、悟りを追求する団体に戻って欲しい」って、曹洞宗にに要請したんだって。その流れでカーイ(゚Д゚) 
それ、踏み台デース。
会場、アナ雪みたいに凍り付いたんですって。
( ゚Д゚)(゚∀゚)(゚ Д゚)( ゚Д゚)(゚∀゚)(゚∀゚)

でもその後は議論白熱。
「少しも寒くないわ。」

丹下覚元は🈲💣発言によりフィリピンに逃亡中です。

🈲内容は編集済み。興味のある方は編集履歴にてご覧下さい。









未分類 | 10:16:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
今年は休みの一部をアラナ精舎で“自主冥想合宿” と決めていたのでした。--- <大仏とやっさんとやさしい教え>
 





協会の記事ではありません。
サークル仲間の所感です。
 <
大仏とやっさんとやさしい教え>





加納 康彦--- <大仏とやっさんとやさしい教え>

今年の夏休みもあっという間に終わってしまいました (T_T)

休みはいつも無計画にダラダラしてる間に終ちゃっうので、今年は休みの一部をアラナ精舎で“自主冥想合宿” と決めていたのでした。

実際には、冥想合宿とは言えないものでしたが、今まで経験したことのなかったテーラーワーダでの追善供養に参加させて頂くことも出来て、有意義な時間を過ごさせて頂きました。

日頃、自ら仏教徒であると公言しながらも、宗教色がもっともでる法要についての知識を持っていないことを残念に感じていたのですが、追善供養に参加させて頂いたことで、少し理解することが出来ました。

当然のことですが、追善供養は自らが行うもの。日常で経験するような、お坊さまに意味もわからない経典を読み上げて頂き、それを静かに聞くだけというものではありません。つまり供養を依頼するだけで、実際に行動するのは他人ということでは成り立たないもの。自ら徳を積み、それを回向します。

ところで大切な人を亡くす悲しみは人それぞれで、悲しみの大きさは他人が測れるものではないということも、今回の追善供養で感じ取ることができました。

「愛別離苦」という苦があることは誰もが知っていることでしょうけれど、自分以外の人が感じるその苦しみの大きさを理解することは非常に難しいものです。別離の悲しみを時間をかけずに消化できる人、悲しみと共に生きることに多くの時間を要する人、悲しみを隠さず表現する人、内に閉じ込めてしまう人。いろんな人がいらっしゃいますが、それぞれの人がどれほどの悲しみを有しているのかなんてわかるものではないですね。

悲しむ人はその癒し方を自ら学び対応するしかないのですが、わたしたちは悲しむ人を見るとき、それを上手に伝えなければいけないと思うのです。それはお悔やみを伝えたり、優しい言葉をかけるよりも、ずっとずっと難しいこと。でも、その難しいことを行う準備を常にしておくことも、生きる務めの一つのような気がしました。








未分類 | 13:12:56 | トラックバック(0) | コメント(0)
‪#‎jtba‬【ご報告】7/20(水)アラナ精舎「雨安居入り法要」
 




協会のfbより紹介です。




‪#‎jtba‬【ご報告】7/20(水)アラナ精舎「雨安居入り法要」

みなさま

 昨日、7月20日(水)アラナ精舎にて15時30分頃から「雨安居入り法要」が執り行われました。平日ではありますが13名の方が参加され、和気あいあいとした時間を過ごしました。簡単ではありますが、報告いたします(詳しいレポートはパティパダーに掲載される予定)。

 まずはお釈迦さまへ礼拝、三帰依・五戒・懺悔誓願とお経が続き、慈悲の冥想の代わりに慈悲の実践(フルバージョン)を読み上げ、法要が始まりました。※写真添付

 その後、代表してお二人がクサラダンマ長老とワンギーサ長老に、改めて雨安居入りの要請文を唱え花束を渡し、続いて皆様から寄せられた日用品などの品物のお布施が為され、無事雨安居入りが執り行われました。

 それから、クサラダンマ長老とワンギーサ長老から短い法話があり、お二人の長老を囲んで茶話会が行われ、インドネシアの仏教事情などお聞きしながら、17時15分頃お開きとなりました。

 遠方から皆様ご参加・ご協力いただき、誠にありがとうございました。これから雨安居が続きます。ぜひサポートのほど、よろしくお願いいたします。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~











未分類 | 14:29:59 | トラックバック(0) | コメント(0)
公開講座「大学で何を学ぶか~仏教学を最先端の学問にしよう」(1)+(2)
 




協会のfbより紹介です。





Tetsuro Satoさん、日本テーラワーダ仏教協会さんが日本テーラワーダ仏教協会さんの投稿をシェアしました。
2016年5月7日に駒澤大学で行われた公開講座です。講師は,日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老です。…






Tetsuro Satoさん、日本テーラワーダ仏教協会さんが日本テーラワーダ仏教協会さんの投稿をシェアしました。
2016年5月7日に駒澤大学で行われた公開講座です。日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老と駒澤大学教授の有光興記先生との対談の様子です…

















未分類 | 15:30:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
4月 終了  花まつり コメントもらいました。
 




4月 終了     花まつり 
    コメントもらいました。

4月17日  「花まつり」御礼

東海ダンマサークル「花まつり」に行ってきました。

祭り行事は好きではないとおっしゃる長老もいつもよりは優しく目に映った。








未分類 | 15:02:47 | トラックバック(0) | コメント(0)
次のページ

FC2Ad