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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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【初期仏教Q&A 】ブッダの智慧で答えます(スマナサーラ長老)マーラさんのこと/『宝経』預流果と輪廻転生/『慈経』と出家の戒め/『慈経』因縁物語の解釈/
 








視聴者の皆様から届いた質問をスマナサーラ長老にお尋ねしました。生き方についての悩み、初期仏教への疑問など、長老にお聞きしたいことがある方はメール(info@j-theravada.net)または協会HPの質問BBSでお寄せください。以下、質問の目次です。

00:27 マーラさんのこと
05:19 『宝経』預流果と輪廻転生
08:15 『慈経』と出家の戒め
12:35 『慈経』因縁物語の解釈
20:25 「文化的バイアス」を避ける方法
25:12 怒りの解毒剤

聞き手:佐藤哲朗(日本テーラワーダ仏教協会編集局長)


https://www.youtube.com/watch?v=3gLlm-xtNZk









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『こころが安穏であればそれでいいのです』
 





協会の記事
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吉水 秀樹  安養寺住職 のfbより紹介です。





安養寺 みんなの仏教さんが投稿をシェアしました。
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吉水 秀樹

   タコ焼きの話

 昨日は家内とタコ焼きで忘年会をしました。関西でタコ焼きは家庭料理です。たいていの家庭にタコ焼き機があります。外で買うのより、だんぜん美味しいです。まず、我家のレシピを紹介します。

【タコ焼き粉100g・キャベツみじん切り・桜エビ・出汁醤油・紅ショウガ・水300㏄・卵1個・ゴマ油大さじ1杯】を最初に混ぜます。【タコ・青海苔・鰹節・九条ネギ】以外は全部最初に入れてしまいます。この方が簡単です。形成ができたら、最後にもう一度ゴマ油をさじでかけて、カリッと揚げ焼きします。ゴマ油を上手に使うと、香ばしさと触感がアップします。ソース味・だし醤油味・マヨポン…、三種類くらいのタレで味を変えて楽しみます。
タコ焼きは、困ったことにビールと合います。

 まぁ、そんなわけで昨日は楽しく豊かな我家の忘年会でした。食材費は、約1000円です。
12月のはじめに長老から、「豊かさとは知足」「あるもので満足する」と教えて頂きました。生臭坊主で申し訳ないですが、私の豊かさはこんな感じです。二人とも、とうとう還暦を迎えました。いつ死んでもいいね…と笑顔で豊かに幸せな日々を生きています。

 それはそうと、長老にお会いし最後の挨拶をしたときに、長老は私たち二人の目を見て、

『こころが安穏であればそれでいいのです』

とサラっと仰いました。この言葉があとあと効いてきています。朝の冥想で坐ったとき、『こころが安穏であればそれでいいのです』と。経を読んでいるとき、歩いているとき、妄想に気づいたとき…。
『こころが安穏であればそれでいいのです』と何度も何度も出てきます。
 








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#jtba【報告】兵庫 12/16(日) 今年最後の「関西月例冥想会」が終了









#jtba【報告】兵庫 12/16(日) 今年最後の「関西月例冥想会」が終了

 昨日、今年最後の関西月例冥想会が行われました。ご参加。ご協力いただきました皆様、ありがとうございました。寒い日ではありましたが130名以上の方が参加され、初めて冥想会指導を受けられた方も15名以上ありました。お釈迦さまへのお供え、長老へ食事お布施の品々もたくさんで、また調理ご協力もありました。

 昼過ぎからは雨が降り出し、終了時間が遅くなり、帰る頃には真っ暗でしたが、残って掃除や片づけをお手伝い下さった方もありました。ご協力、感謝いたします。今年も残りわずか、皆様良いお年をお迎えください。

 年末年始の 2018年12月28日(金)~2019年1月6日(日)までは、マーヤーヤーデーヴィー精舎で第二回「一時出家修道会」が行われます。比丘サンガ・スマナサーラ長老が指導され、夕方には読経と法話が毎日ある予定です。一般の日帰り参加も可能です(※詳細は後日お知らせ)。この機会に、ぜひ皆様ご参加ください。

 次回、関西月例冥想会は「新年 関西月例冥想会」として、2019年1月5日(土)13:30から法話(質疑応答)・祝福法要を行います。どなたでもご参加いただけますので、初詣にお越しください。※1/5は冥想指導はございません。

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

日本テーラワーダ仏教協会







未分類 | 13:50:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
 『正見』=見解のないこと  
 




協会の記事
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吉水 秀樹

 『正見』=見解のないこと   
      2018年12月 安養寺みんなの仏教レポート

 今年最後のみんなの仏教テーマは、『正見』でした。見と漢訳されているので、「見ること」と限定されがちですが、パーリ語では、サンマー・デッティsammā diṭṭhi と言います。デッティは、「見解・意見」のことです。そこで、まずは、「正しい見解」「正しい意見」「正しく見ること」「正しく聞くこと」「正しく対象に触れること」と理解されたらよいと思います。
 水野辞書にはわざわざ「特に謬見(ビュウケン)」と書いてあります。謬見は「間違った見解」のことです。つまり、見解そのものが「誤見」であることが暗示されています。
 
正見は八正道の一番目の項目ですが、一番目におかれている
のも偶然ではありません。そもそも対象に触れることで因縁が始まるので、すべての仏道修行(冥想)の根本と言えます。
 また、八正道は、四諦=「苦・集・滅・道」の道諦のことであり、すなわち中道マッジマーパティパダーmajjhimâ patipadâです。仏道を歩む、こころを育てる、修行するとは、八正道の実践に違いありません。

 長老方が「八正道」や「正見」という言葉を使わずに、写真の本のように、

『8マインドフル・ステップ』
『心を整える8つの脳開発プログラム』
『ブッダが教えた幸せの実践』

と表現されているのも注目して下さい。おそらく、仏教用語として従来の固定観念で見て欲しくないという願いがあると私は感じます。長老方がすでに、優れた解説をされているので、ここでは私のまとめだけを書きます。普段の法話で一般の人にカードを使って説いています。

 普段の生活で、何かを見たり、聞いたり、対象に触れて自分の意見・見解が生まれた瞬間に、気づいて念ずべきことです。

☆見たことが事実ではない 
☆聞いたことが事実ではない
☆考えたことが事実ではない

◎自分の考えは、どこまでいって自分の考えであって、
自分の考えが真理(真実・事実)になることはない

以上の理を日常の暮らしに常に気づいて念ずることが正見の実践だと思います。
 
 スマナサーラ長老は、著書に正見を以下のようにまとめられています。

★鵜呑みにする癖をやめる
★データを調べて判断する
★客観・主観とも、意見を決めつけない
★達した判断を定着させない

 グナラタナ長老は以下のように説かれました。

★原因と結果を理解すること
★四つの真理、「苦しみ」「苦しみの原因」「苦しみの滅尽」「苦しみを滅する道」を理解すること

 八正道は正見がすべてに通じる入口であり、他の項目も仏道実践者には日常に現れてきます。それは正しい、見方・思考・言葉・行動・仕事・精進・気づき・集中として現れます。








未分類 | 10:12:31 | トラックバック(0) | コメント(0)
『別時冥想と作法』
 




協会の記事
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吉水 秀樹  安養寺住職 のfbより紹介です。




    『別時冥想と作法』

 「別時冥想」って言葉は、私の作った言葉ではありません。昔から日本仏教では「別時念仏」など、「別時」という仏教用語があります。仏教者にとって、本来修行は生きることそのもので、四六時中こころを育てるのがブッダの冥想です。しかし、世俗に暮らす私たちは、出家比丘のそのような生き方がし難いので、時を区切ってこころを育てます。それが、別時の意味です。そうなので、皆さんが日々実践されている「歩く冥想」「坐る冥想」も座禅もみんな「別時冥想」なのです。
 私はこの意識はとても大切だと考えています。それは、ダラダラナアナアになることを防ぎます。ですから、例え朝に10分間の冥想をするときでも、普段の生活と区切りをつけて、真剣に修します。私の実践例を紹介します。

 私は毎朝、最低でも60分の坐る冥想をしています。坐る前に、裏山を15分ほど歩く冥想をしてこころを整え、礼拝して「慈経」と「慈悲の言葉」を声にだして念じます。
坐る直前に手短に修行の確認をこころします。誰でもしていることですが、明確にします。
 一番が時間のこと、何分の冥想に挑戦するかを確認します。二番目は、何があっても、放っておくこと。電話やチャイムが鳴っても放っておくことを念じます。この二番目の確認が大切です。ここで、「電話が鳴ったら対応する」「お客さんが来たら対応する」としてもかまいませんが、その分条件づけられた浅い冥想になってしまいます。

 私たちは世俗に暮らしているので、限度があります。しかし、この部分こそが私が「別時冥想」と呼んでいる肝心なところです。「厭離」や「離欲」というブッダの言葉が示すように、60分ダラダラ冥想するより、10分間、私は一切の世俗から離れるという覚悟をした方が、はるかに効果あります。冥想は決して長い時間坐るのがよいわけではありません。

 もし、今死んだとしたら、電話にでることは終わりです。雨が降っても洗濯物のことなどどうでもいいことです。ですから、本当の冥想は10分間の冥想なら、10分間死ぬという意味です。肉体的には死にませんが、精神的に死ぬことは可能です。
「真剣」とか「死ぬ気でやれ!」とか、いぜん紹介した仏教用語の【サムヴェーガ】=「このままではだめだ! と感じ、真理を求道する切迫したこころの状態」とは、この意です。
 長老方が、「手放す」「放っておく」「何もしない」と仰るのも、精神的に死ぬこのことです。

   『冥想の作法』
 坐ってからは、まず背筋を伸ばします。意識的に深く三回ほど呼吸をします。軽く頭を下げ再度姿勢を正し楽に坐ります。「待ちます」や「固定します」など好きな言葉を念じて、身体を動かさないと宣言します。そこからが、ヴィパッサナー冥想です。一回目の呼吸が観察されるのを明確に見ます。
 このような作法が大切なのは、まさに日常・世俗から離れる、大切な入口になるからです。儀式・儀礼のようですが、自分で作法を決めて如法に修されることをお勧めします。

 いくら、「電話が鳴っても放っておく」と宣言しても、凡人がそう簡単にできることではありません。仮に電話が鳴って反応しても慌てずに、ありのままに淡々と今ここにある感情の動きを観察するのが、ヴィパッサナー冥想です。そうするうちに、本当に電話が鳴っても感情が出なくなって、いよいよ観察冥想に入ります。

 冥想・座禅と言っても、誘発された静寂、強制された静寂は、静寂ではありません。それは子どもを教室の後ろに立たせるようなものです。期待も努力も捨てて、すべてを放っておく、何もしないのが真の冥想だと思うのです。

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未分類 | 10:21:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
著者をフォローする アルボムッレ・スマナサーラ + フォロー それならブッダにきいてみよう: 人間関係編
 








仏教は幸せに生きる(一切の苦を乗り越える)ための学問です。

お経を唱えたり厳しい修行をしたりしなくても、心の方向をちょっと変えるだけで楽しく生きられる「テクニック」の宝庫でもあります。
生きていくうえでの悩みや疑問(Q)と、それに対する答え(A)が詰まっているこの「ブッダ的人生相談」は、具体的な例ばかりなのでより仏教を身近に感じていただけると思います。また、あなたが似たような困難にぶつかった時には、打開するヒントも与えてくれるはずです。
読んだ後、心がふっと軽くなり、物事をシンプルに考えられるようになれたら、あなたはもう幸せへの第一歩を踏み出しているということです。


-人間関係編 目次-

1 人間関係を円滑にするコツ
2 人といると緊張してしまいます
3 嫌いな人に親切にするためには?
4「ご縁」について
5 破られない約束なんか無い?
6 ご恩の返し方
7 頼まれ事はどこまで引き受ければいいでしょうか?
8 「所有すること」の恐ろしさ
9 「方便」と「嘘」は違う?
10 どうすれば友達ができますか?
11 良い友達のつくり方
12 悪友は避けた方がいい?
13 ウザいけど仲間はずれは嫌……どう付き合えば?
14 本音を話すのは良くないんですか?
15 善人と付き合うのはかったるい?
16 他人に迷惑な行為とは?
17 会話を意味あるものにするには
18 折り合いが悪い人との付き合い方
19 他人を嘲笑うということ
20 人の気持ちがわかるようになりたい
21 怒らせてしまった相手との関係を修復するには
22 人と対立してしまった時の解決法
23 人前であがらない方法
24 成熟していない年長者でも 敬わなくてはいけませんか?
25 離婚を考えている夫との関わり方
26 妻との会話が噛み合いません
27 「認められたい」という欲
28 集団意識は本当に正しい?
29 組織の中で結果を出すには?
30 傲慢な上司に困っています
31 上司とのトラブルで解雇の危機!
32 部下の育て方
33 働かない息子を何とかしたい
34 仕事相手に対する怒りで疲れてしまいました
35 怒らないとなめられる?
36 怒りの伝染を避ける方法
37 日本のお寺に女性は要らない?
38 弁護士としての心がまえ
39 暴言を吐く病院スタッフへの対処法
40 破産しそうな親類との付き合い方
41 認知症の母とどう向き合えばいいですか?
42 介護の心がまえ
43 老い先短い親に 道徳や真理を伝えたいのですが
44 うつ病の友達にしてあげられること
45 大切な人が罪を犯してしまいました
46 親への怨みを断ち切りたい
47 人間関係で冥想を活かすには
48 社会を良くする方法とは?
49 人と接するのが苦手です どうすればいいですか
50 放っておくと排他的・差別的になってしまうのが人間?


〈上座仏教のスマナサーラ長老が、実際に寄せられた悩みに答える「一問一答形式」で、わかりやすく実用的に仏教の教えを解いたシリーズ〉
・内面に向き合う人のための「こころ編1」、「こころ編2」
・対人関係に関する悩みを集めた「人間関係編」
・子供についてのあれこれ「教育編」
・より良く生きるためのヒントが詰まった「ライフハック編」










未分類 | 09:52:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
紹介】智慧の扉『預流果に達する法の聞き方』
 







#jtba【紹介】智慧の扉『預流果に達する法の聞き方』 #スマナサーラ長老 #仏教 #Buddhism #記事 #智慧 #パティパダー

 今すぐに預流果に達してください。これは先延ばしにすることはできません。私たちが瞑想しているといっても、なんとかやっているだけで、真剣にはなっていません。それと日常の下らないことの成功のために瞑想をする愚か者たちもいます。

 会社で仕事が上手くいくという目的、人間関係を上手くやる目的、夫婦が仲良くなるための目的、そういうご利益目的は下らないのです。ブッダが教えたヴィパッサナー瞑想というのは、この上のない尊い価値のある道具なのです。決して、現世利益目的で汚してはならないのです。

 それから、いつでも説法を聞くときは真剣に聞いてください。身を入れて説法を聞くならば、説法が終わると同時に預流果に達することができます。特別に瞑想しなくても構いません。仏教の僧侶は、瞑想で発見するべき事実・真理を、そのまま皆様の心で発見できるようにしゃべるのです。

 しかし、皆様は説法を聞きながら瞑想しなくてはいけません。その場合の瞑想とは、自分の心、自分の気持ちを対象に、比較して理解することなのです。「この説法は、他ならぬ私に語られているのだ」と真剣に受け取ってください。「某というお坊さんが説法している」ではなく、ブッダの真理が、ダンマが皆様の心に語りかけているのです。「語られている真理は、自分の心とどう関係があるのか?」ということを学んでください。いま・ここで、その宿題をやるのです。
 
 宿題の内容は「あなたは誰ですか?」です。一人ひとり自己紹介してみてください。「あなたと特定できる自己とはなんなのか?」ということです。その結論はどうなるのでしょうか? 自分だと特定できる何かが、たったひとつでも見つかったでしょうか?

 説法を聞きながら自分の宿題をやると、それで預流果に達するか、達するギリギリのところまで心が成長するはずです。宿題をすること、それがすなわち瞑想になるのです。瞑想とは、観察することです。決してヨーガのことではありません。

 ブッダの瞑想とは、自分を調べることなのです。調べて、調べて、事実・真理を発見することです。真理を知る人の心が、煩悩から解放されるのです。智慧で悟るのであって、信仰では悟れません。智慧は、本や文章からは得られません。智慧は自分が宿題をやること、すなわち自己観察で得られるものなのです。真剣に頑張ってみてください。

・2018年「パティパダー9月号」より
~生きとし生けるものに智慧の光が現れますように~







未分類 | 10:58:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
 呪いと輪廻と光明
 




協会の記事
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吉水 秀樹  安養寺住職 のfbより紹介です。



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吉水 秀樹

 呪いと輪廻と光明

 仏教では、生命とは肉体にこころのエネルギーが宿っているものと説明します。こころのエネルギーとは、ある意味で肉体にかけられた呪いのように私は感じます。その呪いとは生存欲のことです。
 何故この世が平和にならないのか、争いごとが絶えないのかと考えたら、生命には生存欲があるからだと思います。「何としても生きていたい」「死にたくない」この生存欲に正当な理由や根拠はありません。いずれ死に逝く命なのに、いつまでも生存していたいと思うのです。
 この生存欲を手放すこと、輪廻から解脱することが仏教の究極の目的だと思います。解脱したら何が起きるのか? と愚かにも考えてしまいます。
 私は、ひかりになるのだと妄想しました。太陽の光でたとえると、すべての地球上の生命は太陽光の恵みで生きていられます。生命はみんな太陽の申し子です。太陽に近づけばすべての生命は焼き尽くされるので、太陽の光は善悪を超えています。生存欲を捨てたら、呪いはひかりになると思うのです。呪いをひかりにかえるのには、時間も努力もあってはなりません。如来の存在を仏教では、「光明」と説いています。 
 光明遍照 摂取不捨 と本堂の欄間に書かれてあります。今朝のお堂で坐って浮かんだ私の妄想です。








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内容: チッタ居士 〜真理を体験した人の違い〜 (スマナサーラ長老の法話の録音を聞きました)
 




協会の記事
ではありません。
弘誓院 秋田副住職の 関西ダンマサークルの報告より紹介です。





4/15
関西ダンマサークル報告

 

皆様、こんばんは。

本日アラナ精舎にて関西ダンマサークルが行われましたので、ご報告申し上げます。

また明日はアラナ精舎の開基13周年記念だそうです。とは知らず偶然居合わせた瞑想お泊まり組でささやかにお祝いをさせていただきました。皆様も随喜していただければいいなあと思います。木岡さんはじめこれまでアラナ精舎を支えてくださった方々、本当に感謝致します。静かで居心地のいい本当に素敵な場所だと思います。

 

さて、では本題の報告に移らせていただきます。

参加者:9

内容: チッタ居士 〜真理を体験した人の違い〜

(スマナサーラ長老の法話の録音を聞きました)

 

さて今回、2回目となる報告を松原様より拝命致しましたので、ちょっと趣向を変えて、参加者のチッタ居士へのインタビューという形で皆様に報告をお届けしようかと思います。一応、長老のお話しをベースになるべく妄想しないように作っておりますが、誤りやご批判等あれば甘んじて受けますのでどうぞご遠慮なくおっしゃってくださいませ。

それではどうぞ。

 

参加者

えーチッタ居士さん、こんにちは。とりあえず自己紹介してもらっていいですか?

チッタ居士

はい、みなさん、こんにちは、チッタと申します。ていってもチッタってあだ名みたいなもので、チッタっていうのも心っていう意味で、ほら、あの諸仏の教えに サ、チッタ、パリヨーダパナンってあるでしょ。あのチッタですよ。ちなみに居士っていうのはガハパティの訳でガハが家、パティが主人、夫って意味で、在家で修行する男性に使われる呼び名なんだ

参加者

へーそうなんですか。でも在家でお経の主人公になるってすごいですね!

チッタ居士

うん。まあ僕が結構修行がんばって、第四禅定まで好きに入れたり、最終的に不還果にまで達したっていうこともあるけど、お釈迦様としては在家でもこんなに頑張れるんですよっていうことをみんなに示したかったみたい

参加者

ほーなるほど。で、チッタさんは具体的にお経の中ではどんなことされたんですか?

チッタ居士

うん、まずはね、長老たちがわかんない、わかんない、って議論してたから、それに答えたんだよ。

参加者

えーすごいですね。在家なのに、プロの出家者の疑問に答えちゃったんですね!

チッタ居士

まー仏教の世界ではそういう年功序列とか上下関係ってあんまりないからね。わかった人が答えればいいじゃんって感じなんだよ

参加者

なるほど。風通しが良さそうでいいですねー。それでどんな疑問だったんですか?

チッタ居士

うん、彼らは「執着(結縛)」と「執着(結縛)される対象」が同じものなのか、違うものなのかってことで議論してたんだよね

参加者

ふむ、つまり例えば「チョコへの執着心」と「物体としてのチョコそのもの」が同じかどうかってことですか?

チッタ居士

うーん、最初の方はそれでいいんだけど、あとの対象っていうのがちょっと違うかな。

ここでいう対象ってのは、チョコそのもの+それを認知する感覚器官(六根)も含んでるんだよね。

参加者

なるほど。で、チッタさんはなんて答えたんですか?

チッタ居士

白牛と黒牛をロープで結んでるとして、白牛は黒牛を縛って結びつけてるものか?って聞いたんだよ

参加者

うーん、なんか一瞬わかんないですね。違うような気がするって感じです

チッタ居士

そう、違うんだよ。その二頭の牛っていう対象を結びつけて縛ってるのは、あくまでロープなんだよね。対象そのもの、は感じる方(感覚)も感じられる方(物自体)もただあるだけで、そこに執着心っていうロープがなければ、その二つは結びつかないんだよって理屈だね。これでわかってもらえた?

参加者

ええ、なんとなく。つまり執着の原因は外部や物理的な感覚器官にあるんじゃなくて、自分の心の問題だと。そういうことですね?

チッタ居士

うん、それでまあ間違いないんじゃないかな

参加者

ありがとうございます。よく分かりました。

ところでチッタ居士、あなたは他のお経にも登場されているそうですね。

チッタ居士

うん、まあね。仏教実践してたら、めちゃ効果あるよって異教徒の友達を仏教に誘って出家させたり(彼は最終的に阿羅漢になっちゃたんだよ!)、あと死に際に結構ドタバタがあって、それがお経になってるかな

参加者

死に際のドタバタ、と言いますと、どんなものだったんですか?

チッタ居士

お見舞い経っていうお経なんだけど、僕が結構重い病気で寝てたら、神様と精霊が見舞いに来たんだよね。それで「チッタよ、将来、転輪王になりなさい。願えば叶うから」、なんて言うんだよ。

参加者

すごいですね。お見舞いに神々ですか!しかもめちゃくちゃ期待されてるじゃないですか!しかも転輪王てめちゃくちゃすごいんでしょ。いい話じゃないですか。

チッタ居士

うん、まあ転輪王てのはすごい人だよ。人を少しも傷付けたり迫害することなしに国を統治して世の中を良くしちゃう王様っていうんだから、そりゃあすごいよね。マウリヤ朝のアショーカ王も転輪王だって言われてるけど、たぶんお世辞入ってるから本物はもっとすごいんだろうね。

参加者

おーあのアショーカ王よりもすごいと!それはもうなるしかないでしょう!

チッタ居士

それがさー。断っちゃったんだよ

参加者

えーどうしてですか?

チッタ居士

だってさ、意味ないじゃん。全部無常なんだよ。だったら全部さっぱり捨てさって死んだ方がいいじゃん。来世で人間の王とかもういいよ、って感じ。だって次は梵天に生まれて解脱確定なんだし。そっちのがよっぽど価値あるじゃん

参加者

おーさすが不還果に到った方は違いますね!なるほどこの世に未練や執着はないと。でもやはり周囲の方々の反応は違ったのでは?それだけの誘いを蹴ったとなると

チッタ居士

そりゃ、もう親戚一同から狂人扱いされたね。チッタ、お前正気か?混乱してんじゃないのかって?かなり責められたね。こっちは病気で死にそうだっていうのに。

参加者

それで結局どうなったんですか?

チッタ居士

まあ、一応ちゃんと説明したら納得してもらえたけどさ。今度はあんた偉い人だから説法してくれって言うんだよ。何回も言うけど、俺死にそうなのにさ。

参加者

それでどんな説法を?

チッタ居士

とりあえず、仏法僧は大事だから、ちゃんと信頼しろって言っておいたよ。ただし闇雲に信仰しろってことじゃなくて、ちゃんとブッダの九徳、法の六徳、僧伽の九徳が一つ一つほんとかどうか確かめて、揺るがない確信をもって信頼するってとこが絶対忘れちゃいけないポイントだけどな。

それと、その三宝に加えてお布施も大事だってことも言っておいたよ。自分の家にお布施できるものがあれば全部、善法に従って生きてる人に分けちゃうのがいいぞってな。

参加者

死ぬ間際まで大変ですねー。

チッタ居士

まあ、うだうだこの世に残してく物や人の心配なんかしながら逝くよりよっぽどいいでしょ。全部捨ててさっぱりと逝く、これがやっぱりクールな仏教徒の死に様だと思うんだよな。おまけに最後にちゃんと為になることもみんなに伝えられたしな

参加者

そうですねーたしかにサッパリしててカッコいいです。ロックです!

チッタ居士

……だろ?ってやるとダサいし、慢になるからやらないけどさ、笑。

 

以上、ちょっとふざけた気もしますが、若気の至りとご容赦くださいませ。

夜分に長文失礼いたしました。

それでは

みなさまが幸せでありますように!

 

秋田








未分類 | 17:05:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
心を育てる初期仏教法話
 















未分類 | 17:03:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
「あなたの休日は?」~安心感という病~
 










#jtba「あなたの休日は?」~安心感という病~ #仏教 #Buddhism #スマナサーラ長老 #無常 #人生 #楽しみ #変化 #永遠

 人生は、休めません。なぜ人は、休もうとするのでしょう。なぜ安定と安心感を目指すのでしょうか。一定した収入、安定した生活を目指しても、一切が無常であることの存在の中では、あり得ない話です、“ウサギの角”を探すような無駄な努力になります。

 結婚したばかりの若夫婦は、相手に気に入られるように努力しますが、いつの間にか安心感の病にかかって努力を止めるのです。それですべて崩れていくのです。結婚に限らず、他のことにしても、人生に完了なんかはありません。勉強を完了した、能力向上を完了しました、金儲けを完了しました、などは成り立ちません。結婚を止めました、勉強を止めました、等々なら言えます。完了とは言えません。人生は休めません。この認識が不足しているから、人生は失敗するのです。

 前にも述べたように、世の中は「無常」です。変わり続けているのです。それなのに、人は楽しい瞬間だけ、変わらず安定することを期待するのです。

 おいしいご飯を前にして味わえる幸福感が、続いてほしいと思ったとしましょう。食べるご飯がなくなるから、楽しめなくなります。ご飯がなくなるから食べないことにすると、味わえる楽しみがなくなります。どうにもなりません。その瞬間だけ楽しむしかないのです。

 試しに後で楽しもうと、いま行うべきことを後回しにしてみましょう。あのおいしいご飯が、賞味期限が切れて食べられない状態になってしまうのです。人生の楽しみについても、後回しにする人は、人生の賞味期限が切れるまで待つことになるのです。

 楽しみは無常から生まれるのです。親と子の関係を考えてください。子供が小さいときは、早く大きくなることを期待する。子供のわずかな成長も、大喜びの種になる。何か喋っただけで、ハイハイしただけで、立ち上がっただけで、母の心は大祭りです。何のこともなく、ただ無常を楽しんでいるだけです。しかし、それは期待して訪れた無常なのです。

 ところが、思春期を迎えて反抗期に入ると、「あんた変わったね」と悲しむのです。この場合は、無常を悲しむのです。子供が成長することは避けられないと知っているのに、その成長(無常)は認めたくない。それで苦しみが始まるのです。

 生きていくことは、変わっていくことです。楽しみも変化するので、長く取っておけるはずがありません。楽しみとは、その瞬間・瞬間にあるものです。

 無常を楽しむ母親なら、赤ちゃんのときから起こる日々の成長を、その瞬間で楽しむのです。反抗期も、家出することも、結婚して親から離れることも、うるさいと親に逆らうことも、すべて成長の過程で起こることなので、楽しめるのです。孫が生まれたら「ああ嫌だ。私はこんなに若いのに、おばあちゃんになった」ではなく、楽しめるのです。

 はっきり言います。無常を認める人にとっては、衰えて死んでしまうことも楽しい出来事です。しかし、このような生き方は、人間にとっては嘘のように聴こえる。それにも理由があります。

 人には無常以外、楽しみは存在しないのです。しかし、潜在的に変化に逆らおうとするのです。永遠なものに憧れるのです。永遠とは、空に描いた絵のようなものです。無常を知らないことを「無明」と言います。無常に逆らうことを「無知」と言います。無常に逆らう行為は、愚か者の生き方です。愚者には、幸福な生き方は期待できません。

 すべてが無常であることを知り、楽しみながらその瞬間ごとのものであることが理解できれば、すべての変化を受け入れられるようになります。無常を知る人は、決してくじけません。

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▼参考テキスト
Kindle版「くじけないこと」
https://goo.gl/kGq44G
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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拙僧が投稿した『お施餓鬼・慈悲の心育む』




協会の記事ではありません。
吉水 秀樹  安養寺住職 のfbより紹介です。


  「お施餓鬼」とブッダの教え  吉水秀樹

 拙僧が投稿した『お施餓鬼・慈悲の心育む』が、今日、8月12日の地方新聞投稿欄に掲示されました。

★投稿の原文
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 お施餓鬼  住職 吉水秀樹59歳
 お盆の季節に多くの仏教徒が行う祭事に「お施餓鬼」があります。「お施餓鬼」は、現代風に言えば「幽霊供養」です。私は若い頃「こんな非科学的な迷信行事は廃止したらいいのに!」と思っていました。しかし、今ではこれほど、道理に適った平和な仏教行事はないように思っています。お施餓鬼の本質は、目に見えない生命や小さな哀れな生命に自分の持っているものを与える実践です。儀式の中で「水向け」という作法をします。他の生命に水を与えるという意味です。経には、私たち人間にとってはコップ一杯の水でも、微生物にとっては大海の如くである。水向けの作法をすることは、彼らにとっては天に龍が舞う洪水嵐の如くであると説かれています。先日、寺の土間に一匹のちりめんじゃこが落ちていました。二三日経って気づいたら、何十匹ものアリが集っていました。私たちにとっては、小さなじゃこですが、アリにとってはクジラ程の獲物です。アリとじゃこを葉ですくって庭に置きました。お施餓鬼の真意は、私たち一人の持つ力は目に見えない生命にとっては、とてつもない威力と影響力が実際にあることを思い知り、自分以外の生命に対する慈しみのこころを育てることです。すべての生きとし生けるものが幸せでありますように。

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 テーラワーダ仏教を学んでいる人や、日本の坊さんでも、日本で広く行われている仏教行事の「お施餓鬼」の源流が慈しみの実践、慈悲喜捨の精神に基づいていることをご存知ない方も多いのではないでしょうか? 私自身も若い頃は、最も迷信じみた仏教行事だと思い違いをしていました。
 日本の仏教では、浄土真宗以外の大方の寺院がこの行事を盛んに勤めています。お盆に行われることが多く、先祖供養という大義の元に奉修されているのですが、スマナサーラ長老や誓教寺の藤本和尚さんの著書のなかでも、その源流がブッダの説かれた慈悲喜捨の精神に基づいていることが紹介されています。

 私は初期仏教を学び、ヴィパッサナー冥想を実践するようになってはじめてその本来の意義を理解するようになり、如法に奉修するようになりました。今では、8月16日の「お施餓鬼」の日には、100人以上の檀信徒がその本筋「慈しみの実践」として、お施餓鬼に参加されるようになりました。

 施餓鬼会の宣疏には、「夫れ龍は一の鱗蟲なるすら、尚蹄涔の少水を得ば、能く之を六虚に散じて以て洪流と為す。」と漢文で書かれてあります。この部分の意味をわかりやすく言えば「たとえ、水向け作法で用いるようなわずかな水であっても、その慈悲の行為は目に見えない生命や、肉体を持たない生命にとっては、龍が天に舞い、諸天で洪水嵐が起こるほどの力を持っている」と言った内容です。

 また、経の五如来の部分には漢文で、
★除慳貪業福智円満=欲と怒りを除いて、智慧を育てる
★破醜形円満相好 =醜い姿を整った形に変化させる
★灌法心身令受快楽=浄らかな水の力で喜びを与え、楽を得る
★咽喉広大飲食受用=喉を大きくして食べ物が食べられ満足を得る
★恐怖悉除離餓鬼趣=根源にある恐怖心をすべて除いて、昇天させる
 …とあり、一見仰々しい内容に思えますがよく読めば、他の哀れな生命に対して慈しみのこころで接して、慈悲喜捨の実践をするといった内容です。

 有名な「生飯偈」(サバゲ)=「汝等鬼神衆 我今施汝供 此食徧十方 一切鬼神供」の意味は、「他の哀れな生命、目に見えない生命、肉体のない生命に対し、私は今あなた方に施しの供養をします。願わくは、この食事をもろもろの世界へ行き渡らせ、餓鬼にも,神々にも、すべての生きとし生けるものへ捧げ供養いたします。」という内容です。

☆餓鬼を視覚的に対象化すると、六道絵図にあるような姿になりますが、もともと餓鬼には肉体はありません。だから幽霊のような存在なのです。つまり、その本質は「満たされない」という執拗な悪感情です。今、この世に生きている人の中でも、「満たされない」という思いのある人のこころは、欲望と怒りのエネルギーが蔓延していて、その姿が餓鬼道に他なりません。

 私は、毎年このお盆の時期になると、一人の日本仏教の坊さんとして、何か世間に訴えたい気持ちになり新聞に投稿します。自慢話ではないのですが、一年に一回しか投稿しないのですが実に採用率は、ほぼ100%です。タイムリーなのと本心で書いているからだと思っています。去年は「お霊膳」について書きました。
私は本当のところ、若い日本の坊さんたちにこそ、この記事を読んでもらいたいです。そして、仏弟子である自分自身を狭い教義から解放する。住職を縛る法門から解放すること。迷信じみた儀式や儀礼を超えて、一人の名もない仏教者として、ブッダの道を真っ直ぐに歩んで欲しいと願っています。               吉水秀樹 三拝 




 



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東海ダンマサークル#テスト
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未分類 | 18:20:32
03/04-- クサラダンマ長老 「仏教法話会」 -----残念 突然ですが 最後の法話会です。







残念 突然ですが 最後の法話会です。

03/04--
 
クサラダンマ長老 「仏教法話会」

 日本ガイシフォーラム 注-第1和室午後+延長
<17時までに退場> 
終了時間未定です。 遅くなるかも?


+食事御布施会


法話のテーマが、『転法輪経』
法話は数回にわたるとも聞きました.





★「茶話会(親睦会)」のお知らせ
午前10時から
法友のみなさんの集いがあります。
※自由参加、昼食は各自ご用意ください。





        食事御布施会 

食事御布施写真1
10時から11時までに集合 
11:15~12:00 
 (11:30までが準備時間です。 
           11:30頃よりお食事を始めていただきます。) 
         【場所】
日本ガイシフォーラム

【食事御布施会の紹介】 
今 回より勉強会の時、食事のお布施をさせていただくことになりました。 テーラワーダの国では、2550年前から今迄変わらず、在家がサンガの皆様の食を支えてきました。 東海ダンマサークルでも、みんなで持ち寄ったお弁当の中から、ひと匙の食事を差し上げたいと思います。 遠くから、お釈迦様の教えを伝えに来て下 さるお坊様を、この一口のお布施が支えるのです。  とても意義のある行為です。 どうぞ皆さんも食事のお布施にご参加ください。 なぜかとても元気になれます。 しあわせな気分になります。 卵焼き一切れ、おむすび一つでかまいません。 皆さんでサンガの命をつなぎましょう。 お布施という善行為を体験してみてください。






      法話会(クサラダンマ長老)  説明【内容】

①講師:クサラダンマ長老

法話のテーマが、『転法輪経』
法話は数回にわたるとも聞きました.


②内容:法話会+食事のお布施

③開催場所:日本ガイシフォーラム

④時間:13001700 退場17時

④参加費:喜捨

⑥初心者冥想指導はありません

※英語での法話となる為、通訳を介しての 法話会となります。






【お問い合わせ】 東海ダンマサークル 
     電話:
090-8079-6361  船橋壯吉
 メール sajipura@lake.ocn.ne.jp <佐治正幸>







転法輪経

1 このように私は聞きました。ある時世尊はべナレスの昔仙人が降りてきたところであると伝えられた鹿野苑(ろくやおん)において住んでおられました。そこで世尊は五人の比丘に説かれました。

2 比丘たちよ、これら二つの極端は出家者のなすべきことではない。二つの極端とは欲における卑俗な、凡欲な、聖者の行うものではない、利益を伴わない娯楽に執着し耽けること、及び苦しい聖者の行うものでない利益を伴わない肉体を苦しめる苦行に努めることである。比丘たちよ、如来はこれら二つの極端に従わず中道をよく覚えられた。(中道は智慧の)眼を生じさせ智慧を生じさせるもので、寂滅、勝智、正覚、涅槃に導くものである。

3 如来によって、よく覚えられたかの中道「(智慧の)眼を生じさせ、智慧を生じさせ、寂滅、勝智、正覚、涅槃に導くものである」とは何であるか。それは八つの聖なる道である。即ち正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。比丘たちよ、これが如来によって覚られた中道であって、眼を 生じさせ、智慧を正じさせ寂滅、勝智、正覚、涅槃び導くものである。

4 比丘たちよ 、これが苦の聖なる真理である 。生も苦である。老も苦である。病も苦である。死も苦である。心配、悲泣、苦しみ、憂い、苦悩も苦である。嫌いなものと結ばれるのも苦である。愛するものと結ばれないのも苦である。求めて得られないのも苦である。要するに五つの固執される集まり(五固執蘊)は苦である。

5 比丘たちよ、これが苦因の聖なる真理である。これは再生を起こし、歓楽愛着を伴い、ここかしこで歓楽する渇愛である。この渇愛とは何であるか。五欲の渇愛(常見を伴う)存在への渇愛、(断見を伴う)虚無への渇愛である。

6 比丘たちよ、これが苦滅の聖なる真理である。これはかの渇愛の完全な離貧、滅、捨棄、捨離、解放、無執着である。

7 比丘たちよ、これが苦滅に至る道の聖なる真理である。これは八つの聖なる道である。即ち、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正精進、正念、正定である。

8 比丘たちよ、「これが苦の聖なる真理である」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じたのである。

9 比丘たちよ、「その苦 の 聖なる真理遍知されねばならない」と以前は聞いたことのない諸法 に おいて私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

10 比丘たちよ、「その苦の聖なる真理は編知された」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。
11
比丘たちよ、「これが苦因の聖なる真理である」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

12 比丘たちよ、「その苦因の聖なる真理は捨断せられるべきである」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

13 比丘 たちよ、「その苦因の聖なる真理は捨断された」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

14 比丘たちよ、「これが苦滅の聖なる真理である」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

15 比丘たちよ、「その苦滅の聖なる真理は覚られるべきである」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

16 比丘たちよ、「その苦滅 の聖なる真理は覚られた」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

17 比丘たちよ、「これが苦滅に至る道の聖なる真理である」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

18 比丘たちよ、「その苦滅に到る道の聖なる真理は修習されねばならない」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

19 比丘たちよ、「その苦滅に到る道の聖なる真理は修習された」と以前には聞いたことのない諸法において私に(智慧の)眼が生じ、智が生じ、慧が生じ、明が生じ、光明が生じたのである。

20 比丘たちよ、これら四つの聖なる真理において、このように三転十二行相のあるがままの智見が、私に清浄とならなかった間は、比丘たちよ、天、魔、梵天と倶なる(天の)世界、沙門、婆羅門、王、人々の人間界において、私は無上の正覚者をよく覚ったとは自称しなかった。

21 比丘たちよ、これら四つの聖なる真理において、このように三転十二行相のあるがままの智見が、私に清浄となったのであるから、比丘たちよ、天、魔、梵天と倶なる(天の)世界、沙門、婆羅門、王、人々の人間界において、私は無上の正覚者をよく覚ったとは自称したのである。私の(阿羅漢果の)解脱は壊れることはない。これが最後の生であり、今や再び生を享けることのない智見が私に生じた。世尊はこれを説かれました。満足した五比丘は世尊の教説を心から喜んで受けました。

22 この説教が説かれているうちに、尊者コンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものである」と遠塵(埃のない)離垢(汚れのない)の法眼が生じたのでした。

続く...........







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