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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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パーニンヒ  チェー  ワノー  ナーッサ Pāṇimhi    ce     vaṇo    nāssa, 手に      もし    傷が   ないなら--------ブログ名 困った時はダンマパダ





ワンギーサ比丘のブログ     紹介です。

http://76263383.at.webry.info/






困った時はダンマパダ
ブログ名
困った時はダンマパダ
ブログ紹介
 ダンマパダという釈尊の詩集があります。これは智慧の詩集なのです。しかし、日本人にはまだあまり知られていません。そこで、少し でも多くの日本人にこの詩集を知ってもらいたいと思いこのブログを書くことにしました。タイトルの「困った時は・・・」は私が困った時はダンマパダを参考 にすると意味ですが、皆様にもきっと役に立つと思います。尚、ダンマパダの解説も書いてありますが、私の師匠であるスリランカのスマナサーラ大長老に教 わったことであります。しかし、誤りがあればそれは私の誤解によるものであります。(2008.11.15更新)

ご質問ご相談のある方は、次のメールアドレスにメール下さい。
vangiisa@j-theravada.net
できるかぎりご返事いたします。(2011.7.31)

  



ブログ 新着記事





タイトル 日 時
傷ないと 毒の中でも 大丈夫 悪ない人に 不幸は来ない(124)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/07/07 04:23
人々が 危険や毒を 避けるよう 不幸の原因 悪避けるべし(123)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る



2012/07/06 04:35
水滴が 水瓶満たす そのように 小さな善行 幸福招く(122)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る



2012/07/05 04:35
水滴が 水瓶満たす そのように 小さな悪行 幸福壊す(121)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る



2012/07/04 04:31
善業の 結果はなくとも 安心だ 善業熟せば 幸せいっぱい(120)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る



2012/07/03 04:28
悪業の 結果はなくとも 心配だ 悪業熟せば 不幸のどん底(119)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る



2012/07/02 04:24
善いことは 再三再四 繰り返せ 繰り返すなら 幸せになる(118)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る



2012/07/01 04:32








dhammapada | 10:05:18 | トラックバック(0) | コメント(0)
悪いこと 一度はしても 直ぐやめよ 繰り返すなら 不幸にナルンジャー!(117)




ワンギーサ比丘のブログ 紹介です。

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困った時はダンマパダ
ブログ名
困った時はダンマパダ
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 ダンマパダという釈尊の詩集があります。これは智慧の詩集なのです。しかし、日本人にはまだあまり知られていません。そこで、少し でも多くの日本人にこの詩集を知ってもらいたいと思いこのブログを書くことにしました。タイトルの「困った時は・・・」は私が困った時はダンマパダを参考 にすると意味ですが、皆様にもきっと役に立つと思います。尚、ダンマパダの解説も書いてありますが、私の師匠であるスリランカのスマナサーラ大長老に教 わったことであります。しかし、誤りがあればそれは私の誤解によるものであります。(2008.11.15更新)

ご質問ご相談のある方は、次のメールアドレスにメール下さい。
vangiisa@j-theravada.net
できるかぎりご返事いたします。(2011.7.31)

  



ブログ 新着記事

タイトル 日 時
悪いこと 一度はしても 直ぐやめよ 繰り返すなら 不幸にナルンジャー!(117)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/30 04:20
善いことは すぐにやること 今すぐに 急がなければ 悪がのさばる(116)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/29 04:27
百年も 真理知らずに 生きるより 真理知って 一日生きよ(115)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/28 04:49
百年も 涅槃知らずに 生きるより 涅槃知って 一日生きよ(114)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/27 04:34
百年も 生滅知らずに 生きるより 生滅知って 一日生きよ(113)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/26 04:32
不精進 怠けて百年 生きるより 精進励み 一日生きよ(112)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/25 04:24
智慧なく 愚かに百年 生きるより 智慧持ち 一日生きよ(111)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/24 04:28
道徳を 守らず百年 生きるより 道徳守って 一日生きよ(110)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/23 04:25
挨拶と 敬老心で 徳増える 寿命と美貌 楽とパワーだ(109)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/22 04:26
聖者への 礼拝質問 すぐれてる どんな供物や 儀礼儀式より(108)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/21 04:30
火の神へ 百年供養 するよりも 克己の人への 一回が優る(107)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/20 04:25
千金を 百年供養 するよりも 克己の人への 一回が優る(106)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/19 04:23
神々も 魔も梵天も この人の 克己の勝利 くつがえせない(105)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/18 04:28
自分自身に 打ち勝って 自分自身を 調えながら 行為する人(104)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/17 04:26
戦場で 百万人に 勝つよりも 一人の己に 打ち勝ちがたい(103)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/16 04:24







dhammapada | 10:37:59 | トラックバック(0) | コメント(0)
朝起きて 無益な詩歌 語るより 心静まる 一つの詩歌(102) -- 困った時はダンマパダ


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困った時はダンマパダ
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困った時はダンマパダ
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  ダンマパダという釈尊の詩集があります。これは智慧の詩集なのです。しかし、日本人にはまだあまり知られていません。そこで、少し でも多くの日本人にこの詩集を知ってもらいたいと思いこのブログを書くことにしました。タイトルの「困った時は・・・」は私が困った時はダンマパダを参考 にすると意味ですが、皆様にもきっと役に立つと思います。尚、ダンマパダの解説も書いてありますが、私の師匠であるスリランカのスマナサーラ大長老に教 わったことであります。しかし、誤りがあればそれは私の誤解によるものであります。(2008.11.15更新)

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朝起きて 無益な詩歌 語るより 心静まる 一つの詩歌(102)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/15 04:39
朝起きて 無益な詩歌 千よりも 心静まる 一つの詩歌(101)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/14 04:35
朝起きて 無益な言葉 千よりも 心静まる 一つの言葉(100)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/13 04:22
阿羅漢は 森や林を 楽しむよ 快を求めぬ 人々だから(99)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/12 04:32
阿羅漢の 住む所みな 楽土だよ 村であろうが 森であろうが(98)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/06/11 04:22
最上人 盲信せずに 無為を 知り法に従い 欲捨てにけり(97)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/10 04:27
阿羅漢の 心は静か 行いも 話す言葉も 穏やか静か(96)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/09 04:33
地のように 怒ることない 阿羅漢は 願うことなく 輪廻はしない(95)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/08 04:25
制御され 感覚静まる 阿羅漢を 煩悩ないと 神も羨む(94)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/07 04:35
飛ぶ鳥の 足跡解らぬ そのように 食に頼らぬ 心解らぬ(93)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/06 04:28
飛ぶ鳥の 足跡わからぬ そのように 蓄えぬ人の 心解らぬ(92)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/05 04:40
春になり 白鳥沼を 捨てるよう 念ある人は 執着捨てる(91)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/04 04:34
旅を終え 憂いを離れた 阿羅漢に 悩み苦しみは 存在しない(90)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/03 04:17
七覚支 心を育てる 修行法 執着捨てて 阿羅漢になる(89)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/02 04:31
賢者なら 黒い行為を 捨て去って 白い行為を 実践すべし(87)人里を 離れた所で 瞑想し 欲望捨て
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/06/01 04:25







dhammapada | 10:59:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
困った時はダンマパダ


ワンギーサさんのブログ 紹介です。
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困った時はダンマパダ
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困った時はダンマパダ
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  ダンマパダという釈尊の詩集があります。これは智慧の詩集なのです。しかし、日本人にはまだあまり知られていません。そこで、少し でも多くの日本人にこの詩集を知ってもらいたいと思いこのブログを書くことにしました。タイトルの「困った時は・・・」は私が困った時はダンマパダを参考 にすると意味ですが、皆様にもきっと役に立つと思います。尚、ダンマパダの解説も書いてありますが、私の師匠であるスリランカのスマナサーラ大長老に教 わったことであります。しかし、誤りがあればそれは私の誤解によるものであります。(2008.11.15更新)

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釈尊の 説かれた真理 守るなら 乗り越え渡たる 煩悩の河(86)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/31 04:34
煩悩の 大河を渡る 人わずか 多くはこちらで 悩み苦しむ(85)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/30 04:35
仏教徒 法に反して 望まない 子供と財産 権力などを(84)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/29 04:27
善人は 楽しみ求め しゃべらない 賢い人は 動揺しない(83)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/28 04:37
深ければ 湖清く 濁りない 仏法聞けば 心清らか(82)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/27 04:34
岩山は 風が吹いても 動かない 非難賞賛 何するものぞ(81)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/26 04:23
職人は 材料ととのえ 賢者は 心ととのえ 涅槃に至る(80)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/25 04:22
真理飲み 楽しむ人は 安楽だ 賢い人は 真理を楽しむ(79)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/24 04:24
悪い人 悪い友とは 付合うな 善い友達と 付合うように(78)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/23 04:28
忠告し 教えさとせば どうなるか 善人喜び 悪人嫌う(77)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/22 04:15
誤りを 指摘する人 宝物 近づくならば 善いことばかり(76)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/21 04:33
比丘たちは 利得を捨てて 涅槃取り 尊敬望まず 離れて学べ(75)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/20



dhammapada | 07:10:26 | トラックバック(0) | コメント(0)
困った時はダンマパダ 62-74



困った時はダンマパダ
ブログ名
困った時はダンマパダ
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 ダンマパダという釈尊の詩集があります。これは智慧の詩集なのです。しかし、日本人にはまだあまり知られていません。そこで、少し でも多くの日本人にこの詩集を知ってもらいたいと思いこのブログを書くことにしました。タイトルの「困った時は・・・」は私が困った時はダンマパダを参考 にすると意味ですが、皆様にもきっと役に立つと思います。尚、ダンマパダの解説も書いてありますが、私の師匠であるスリランカのスマナサーラ大長老に教 わったことであります。しかし、誤りがあればそれは私の誤解によるものであります。(2008.11.15更新)

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タイトル 日 時
何事も 我に従えと 威張る比丘 慢心増して 心を汚す(74)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

マメーワ  カタ     マンニャントゥ
Mameva   kata    maññantu,
私 が    為したと  思え

ギヒーパッバジター   ウボー
gihīpabbajitā       ubho;
在家も 出家も     両者は

マメーワーティワサー  アッス
Mamevātivasā       assu,
私だけに 強権が    ある

キッチャーキッチェース  キスミチ
kiccākiccesu        kismici;
種々の所作で       何事でも

イティ   バーラッサ  サンカッポー
Iti      bālassa     saṅkappo,
と言う   愚者の    思考と

イッチャー   マーノー   チャ     ワッダティ
icchā      māno    ca        vaḍḍhati.
欲求と    慢心は   ( そして)  増す

2012/05/19 04:31




尊敬と 権力願う 比丘たちは 修行を装い 供養を願う(73)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る


2012/05/18 04:31
愚か者 考えるならば 害ばかり 幸運と頭脳を 壊すこととなり(72)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る


2012/05/17 04:40
悪行為 すぐに結果が でなくとも 悪業として 付いて来るのだ(71)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る


2012/05/16 04:34
断食の 苦行をしても 価値はない 法を究めた 人たちよりも(70)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/15 04:30
愚か者 悪の結果が でるまでは 悪い行為を 蜜だと思う(69)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

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2012/05/14 04:18
善い人に 笑顔ができる ことになる その行為は 善い行為だよ(68)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る


2012/05/13 04:40
後悔し 涙を流す ことになる その行為は 善くない行為(67)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る


2012/05/12 04:27
愚か者 自分の敵が するように 自分に対して 行うものだ(66)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る


2012/05/11 04:33
賢者から 直ちに学ぶ 識者たち スープの味を 味わう舌だ(65)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/10 03:50
賢者から 何も学べぬ 愚か者 スープの味が 分からぬサジだ(64)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/09 04:29
愚か者 自分を愚かと 知るならば 彼は悟ったと 言うべきだろう(63)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る


2012/05/08 04:29
愚か者 子や財産で 苦悩する 自分も自分の ものではないのに(62)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る


2012/05/07



dhammapada | 10:01:09 | トラックバック(0) | コメント(0)
困った時はダンマパダ 47-61


修行者は 優れた人と 交際し 愚かな人とは 親交するな(61)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/06 04:26
眠れない 夜は長くて 正法を 知らない愚者の 輪廻は続く(60)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/05 04:27
大道に 捨てられた ごみ山に 香りうるわし ハス咲く如く(58)その如く 愚かな人の 間にあって 
大道に 捨てられた ごみ山に 香りうるわし ハス咲く如く(58) その如く 愚かな人の 間にあって ブッダの弟子は 光かがやく(59) ...続きを見る

2012/05/04 04:23
戒守り 不放逸により 悟った 人の行く道を 魔は見いだせず(57)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/03 04:18
花の香は 山を越えぬが 徳の香は 山越え空越え 天までとどく(56)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/02 04:29
香りよき 花はあれども 徳の香は すべてにまさり 最高ですよ(55)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/05/01 04:23
花の香は 風にしたがい 徳の香は 風に逆らい 四方にかおる (54)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/04/30 04:24
人として 生まれて死ぬ べきならば 善いこと多く するべきだろう(53)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/04/28 12:15
香りある 花があるように 実践ある ほとけの教えが 教えと言える(52)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/04/28 04:27
香りない 花があるように 実践ない ほとけの教えは 教えではない(51)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/04/27 04:27
他の人の あれやこれやを 言わないで 己の行為を 観察すべき(50)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/04/26 04:18
蜜蜂が 花を訪れ 去るように 聖者は村を 訪れ去りぬ(49)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

2012/04/25 04:27
花求め 不満の人を 死神は 思いのままに 支配するなり(48)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

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2012/04/24 04:27
花求め 執着ある人を 死神は 津波のように 連れさって行く(47)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

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2012/04/23 04:28







dhammapada | 06:20:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
39〜46困った時はダンマパダ の紹介です


困った時はダンマパダ の紹介です


この身体 泡のようだと 悟る人 悪魔の花を 断ち切るだろう(46)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/22 04:23
有学こそ 地上と地獄と 天界を 真理の言葉を 理解するのだ(45)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/21 04:24
誰がこの 地上と地獄と 天界を 花知るごとく 理解するのか(44)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/20 04:19
父母の 愛情よりも 良いことを 正しい心が 我にもたらす(43)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

 

2012/04/19 04:21
敵のする 酷いことより 酷いこと 邪なる心が 我にもたらす(42)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/18 04:45
この身体 間もなく大地に 横たわる 意識を失い 丸太のように(41)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/17 04:28
この身体 壊れやすいと よく知って 智慧で戦い 心を守れ(40)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/16 04:14
煩悩と 心の迷いと 善悪捨てた 目覚めた人に 恐れはないよ(39)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/15 04:19




dhammapada | 06:15:45 | トラックバック(0) | コメント(0)
31-38 困った時はダンマパダ

困った時はダンマパダ の紹介です


不放逸を 楽しむ比丘は 放逸恐れ 大小煩悩 焼き尽くすべし(31)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る


アッパマーダラトー      ビック
Appamādarato     bhikkhu,
不放逸を楽しむ       比丘は

パマーデー   バヤダッスィ   ワー
pamāde    bhayadassi    vā;
放逸を     恐れと見る      または

サンヨージャナン    アヌン      トゥーラン
Saṃyojanaṃ      aṇuṃ     thūlaṃ,
結縛(煩悩)を      微細な   粗大な

ダハン    アッギーワ   ガッチャティ
ḍahaṃ   aggīva      gacchati.
焼いて  火ように      行く


不放逸を楽しむ、または放逸を恐れと見る比丘は
微細な煩悩も粗大な結縛(煩悩)も、火のように焼いて(涅槃)に行く。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200901/article_17.html
http://76263383.at.webry.info/200911/article_20.html


○一口メモ
一口メモと言いながら、だんだん説明が長くなっています。今回も長くなりそうです。

昔、比丘はブッダに瞑想方法を習うと、森に行って、悟るまで修行を続けたようです。しかし、この詩に述べられた比丘はどうしても阿羅漢果を得られないので、ブッダの所に戻ろうとしました。その途中で大きな山火事に遭ったのでした。禿山の頂上に上り、静かに坐りながら、山火事を眺めていました。山火事の火は大きな木や小さな草も区別なく焼き尽くしている様子を見て、自分も大きな煩悩も小さな煩悩はもことごとく焼き尽くすべきだと思いました。その時、ブッダは神通力でこの比丘の心の動きを察知して、その比丘の前に坐っているかのように現れて、この詩を唱え、説法されました。この説法の終わりに、この比丘は阿羅漢果を得た(悟った)ということです

この因縁物語は、昔の比丘の修行の様子を彷彿とさせるところがあり私は好きなのです。
また、この詩はブッダの、この比丘への励まし、応援なのです。ブッダの応援は凡人の応援と異なり、とてつもない力があると思いますが、凡人の応援でも、応援された人には大きな力になるものです。応援は慈悲の実践と共通の要素(慈悲喜捨)があると思います。私は努力している人を応援しようと思っています。皆さんもぜひ努力している人を応援してください。

もう一つの説明です。この詩に出てくる「結縛」とは仏教用語で、「結」とも言います。パーリ語ではサンヨージャナです。私たちを輪廻の世界に結びつけている軛(くびき)、煩悩で、次の10種類です。

1.有身見:「私」という概念が実体のあるものだと思い、肉体と心が自分のものだと誤解していること。
2.疑:仏法僧、因果法則、四正諦、八正道などを疑うこと。
3.戒禁取:無意味な苦行やあらゆる宗教儀式・儀礼。
4.愛欲:五欲に対する渇愛。
5.激怒:異常な怒り。
6.色貪:色界禅定に対する渇愛。
7.無色貪:無色界禅定に対する渇愛。
8.慢:自分を基準にして他者と比べる働き。驕り高ぶり。卑下。
9.掉挙(じょうこ):心が浮つき落ち着きがない。禅定を妨げるもの。
10.無明:すべての煩悩の大本。煩悩の親玉。

以上ですが、これらは十結とも言い、1から5までは五下分結、6から10までは五上分結といいます。

悟りの段階と十結の関係は次の通りです。
預流果:1、2,3、の煩悩がなくなります。
一来果:4から10の煩悩は残っていますが、預流果より薄まっています。
不還果:1から5の煩悩がなくなります。6から10の煩悩は残っています。
阿羅漢果:すべての煩悩がなくなります。


不放逸を 楽しむ比丘は 放逸恐れ 大小煩悩 焼き尽くすべし


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不放逸を 楽しむ比丘は 放逸恐れ 道を外れず 涅槃に近い(32)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

御しがたい 震える心を つかまえて 智慧ある人は 真直ぐにする(33)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

捨てられた 魚のように おびえる心 悪魔の世界を 離れるべきだ(34)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

止められぬ 速さで動く この心 制するならば 幸いもたらす(35)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

見えがたく 何ともつかめぬ この心 守ったならば 幸福になる(36)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

遠くにも 形を持たず ひとり行く 心制せば 自由になれる(37)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る


この心 確立すれば、仏教学び 浄心できて 智慧現れる(38)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る







dhammapada | 06:41:48 | トラックバック(1) | コメント(0)
21-30 ダンマパダ
ワンギーサさんのブログ 紹介です。
 http://76263383.at.webry.info/

困った時はダンマパダ

プロフィール

ブログ名
困った時はダンマパダ
ブログ紹介
 ダンマパダという釈尊の詩集があります。これは智慧の詩集なのです。しかし、日本人にはまだあまり知られていません。そこで、少しでも多くの日本人にこの詩集を知ってもらいたいと思いこのブログを書くことにしました。タイトルの「困った時は・・・」は私が困った時はダンマパダを参考にすると意味ですが、皆様にもきっと役に立つと思います。尚、ダンマパダの解説も書いてありますが、私の師匠であるスリランカのスマナサーラ大長老に教わったことであります。しかし、誤りがあればそれは私の誤解によるものであります。(2008.11.15更新)



気づきませんでしした。おかえりなさい
これから 楽しみが 一つ増えました。


人々は 不放逸を 称賛し 放逸な人を 非難するもの(30)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/06 04:29
速い馬 のろまの馬を 抜いて行く 不放逸の人と 放逸の人のようだ(29)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/05 08:15
放逸を 不放逸で なくす時 智慧ある憂い ない人となる(28)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る

 

2012/04/04 09:42
放逸に 耽るな、欲楽に 親しむな 不放逸な者は 安楽を得る(27)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/03 09:48
人々は 気づき忘れて 大騒ぎ 賢者は気づいて 静かに過ごす(26)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/02 09:34
奮起して 気づきによって 自制して 暴流に流れぬ 人格作れ(25)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/04/01 10:20
奮起して 善心保ち 慎重な 不放逸な人 名声高まる(24)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/03/31 09:26
瞑想し 常に努力し 最上の 安穏無碍なる 涅槃に触れる(23)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/03/30 09:59
このことを はっきり知って 賢者たち 気づきの境地を 喜び楽しむ(22)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る
2012/03/29 10:19
気づくこと これさえあれば 解脱する 気づきなければ 死んでるようだ(21)
阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。 ...続きを見る





dhammapada | 10:02:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
ダンマパダ 第24 渇愛の章 338


パティパダー1月号巻頭法話 に合わせてみました

ワンギーサ比丘のブログ    困ったときはダンマパダ    の紹介です


困った時はダンマパダ

プロフィール

ブログ名
困った時はダンマパダ
ブログ紹介
 ダンマパダという釈尊の詩集があります。これは智慧の詩集なのです。しかし、日本人にはまだあまり知られていません。そこで、少しでも多くの日本人にこの詩集を知ってもらいたいと思いこのブログを書くことにしました。タイトルの「困った時は・・・」は私が困った時はダンマパダを参考にすると意味ですが、皆様にもきっと役に立つと思います。尚、ダンマパダの解説も書いてありますが、私の師匠であるスリランカのスマナサーラ大長老に教わったことであります。しかし、誤りがあればそれは私の誤解によるものであります。(2008.11.15更新)


338---渇愛に捕まった人々はわなにかかった兎のように震えてる

                                                                    <<   作成日時 : 2010/06/29 20:10   >>

ダンマパダ 第24 渇愛の章 338

ナモー    タッサ      バガワトー     アラハトー    サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生訳
 338.
根が傷つかず、堅固なら
樹は切られても、また育つ
渇愛の根も断たれなければ
この苦しみは何度も起こる

○日常語訳
 338.
根が安全で強固ならば
木が切られても再び成長するように
潜在する渇愛が根絶されない限り
この苦しみは何度も現われる

○子供のためのダンマパダ

目を赤くしてふるえてる
つかまったウサギのように
ほしいほしいと思う子は
もらえなければ悲しいし
もらえても、なくなるのが心配で
いつもいつもおびえてる

○ひと口メモ

338番
 昨日説明しました渇愛というものは、多くの植物のように枝や幹を切られても、根が残っていると再生するなかなかしぶといものなのです。私には渇愛がなくなったと思っても、心のどこかに潜んでいた渇愛は条件は整うとまた何度でも現れます。ですから、渇愛は根まで残らずなくさなければいけません。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

前回

338.渇愛の根の根絶がない限りこの苦しみはまた現われる
http://76263383.at.webry.info/200908/article_25.html


前々回

338.渇愛の根の根絶がない限りこの苦しみはまた現われる
http://76263383.at.webry.info/200810/article_16.html


○パーリ語原文

338.
ヤターピ     ムーレ   アヌパッダヴェー    ダルヘー
Yathāpi    mūle    anupaddave     daḷhe,
であれば     根が     安全で          強固で

チンノーピ       ルッコー   プナレーワ     ルーハティ
chinnopi      rukkho    punareva     rūhati;
切断されても   木が        再び ように   生長する

エーワンピ   タンハーヌサイェー     アヌーハテー
Evampi    taṇhānusaye      anūhate,
ならば    潜在する渇愛が       根絶されない

ニッバッタティー    ドゥッカミダン     プナップナン
nibbattatī      dukkhamidaṃ   punappunaṃ.
起こる          この苦が      再三再四


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

◎今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』バナーのクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。一日一回お願いします。

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dhammapada | 11:42:43 | トラックバック(0) | コメント(0)
ダンマパダ 第24 渇愛の章 334~337.


パティパダー12月号巻頭法話 に合わせてみました

ワンギーサ比丘のブログ

困ったときはダンマパダ    の紹介です



困った時はダンマパダ

プロフィール

ブログ名
困った時はダンマパダ
ブログ紹介
 ダンマパダという釈尊の詩集があります。これは智慧の詩集なのです。しかし、日本人にはまだあまり知られていません。そこで、少しでも多くの日本人にこの詩集を知ってもらいたいと思いこのブログを書くことにしました。タイトルの「困った時は・・・」は私が困った時はダンマパダを参考にすると意味ですが、皆様にもきっと役に立つと思います。尚、ダンマパダの解説も書いてありますが、私の師匠であるスリランカのスマナサーラ大長老に教わったことであります。しかし、誤りがあればそれは私の誤解によるものであります。(2008.11.15更新)




334~337.気づきのない行ないをする人にはつる草のように渇愛が増える

<<   作成日時 : 2010/06/28 21:52   >>

ダンマパダ 第24 渇愛の章 334~337.

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生訳

人もし放逸に行えば
蔓草の如く渇愛がます
林に果を求める猿の如く
かれはあちこち飛び回る

世に蔓延(はびこ)るこの野卑な
渇愛に征服されるならば
かれに憂いは増す
ビーラナ草が繁る如く

世に超えがたいこの野卑な
渇愛を征服するならば
かれより憂いは消え失せる
蓮より水滴が落ちる如く

そなたらに告ぐ、幸いあれ
ここに集まるそなたらは
渇愛の根をほれ、ビーラナ草を
ウシーラ根のために掘る如く
何度も悪魔に破れるなかれ
葦が流れに破れる如く



○日常語訳

気づきのない行ないをする人には
つる草のように渇愛が増える
彼は森で猿が果実を求めるように
この世あの世を輪廻する

この世に執着する卑しい渇愛が
彼を打ち負かすならば
雨が降った後のビーラナ草のように
彼の憂いは増える

しかし、この世で克服し難い卑しい渇愛に
彼が打ち勝つならば
ハスの葉の水滴のように
彼から憂いが消え失せる

我はここに集まった汝らに説く
汝らよ、幸福であれ
ビーラナ草の根のように
渇愛の根を掘り起こせ
汝らよ、アシが流されるように
繰り返し悪魔に破壊されるな


○子供のためのダンマパダ

ほしい、ほしいと言う子は
ほしい思いが大きくなって
ほしい思いで
お腹がふくれて苦しくなるよ

ほしい、ほしいと言う子は
赤ちゃんのようで格好悪い
ほしい思いに負けるなら
いつまでも赤ちゃんのようだ

ほしい、ほしいと言わない子は
少しで満足できる
不平、不満のない
かしい子供のようだ

皆さんが幸せになるように
皆さんに教えます
ちょっと見ただけで
ほしい、ほしいと思わぬように
持っているもので満足するように
心の強い、かしい子になり
幸せになりますよ



○ひと口メモ

 今回の詩から「渇愛の章」が始まります。渇愛とは、一般にはあまり使われない言葉ですが、重要な仏教用語です。意味は「のどが渇いて水を 求めるような貪りの心」です。釈尊がお悟りになって最初の説法をまとめた「転法輪経」があります。その中で、四聖諦が述べられています。第1が「苦の聖な る真理」、第2が「苦因の聖なる真理」、第3は「苦滅の聖なる真理」、第4は「苦滅に至る聖なる真理」です。この第2の苦の原因が渇愛なのです。この「渇愛 の章」を通じて渇愛が何か具体的に明らかになります。

 さて、この詩では渇愛の核心に触れる事柄が述べられます。すなわち、「気づきのない行いをする」と渇愛が増えると述べられています。渇愛は眼で好ましい と感じると生じます。耳で好ましいと感じると生じます。鼻で好ましいと感じると生じます。舌で好ましいと感じると生じます。身体で好ましいと感じると生じ ます。意で好ましいと感じられると生じます。ですから、気づきのない行いをすると、眼耳鼻舌身意に現れた渇愛に気づけないないので、渇愛が増えることにな るのです。苦の原因の渇愛が増えるので苦が増えることになります。

 以上の説明を踏まえて、この四つの詩のやさしい超訳を試みてみます。

おいしそうなかおりがするな
メロンが乗ったケーキだ、食べたいな
前の店には、夏用ファッション
心には欲しいエネルギーが増えているのに気がつかない
死ぬ間際まで、欲しい、欲しいと思っていると
欲しいエネルギーは身体は死んでも続く

欲しい、欲しいのエネルギーは
生きたい、生きたいのエネルギーと混じり
どんどん増えるが
欲しくてもすべては得られないのが現実
生きたくとも必ず死ぬので
悩み苦しみはどんどん増える

しかし、押さえ難い欲しいエネルギーに
打ち勝つならば
ハスの葉の上の小さな水玉がポロリと落ちるように
悩み苦しみがきれいに消える

お釈迦さまは集まった人々に
次のように教えました
皆さん、幸せになってください
雑草の根を掘り起こすように
欲しい欲しいの思い渇愛を
根から掘り起こしなさい
二度と渇愛が現れないように


 以上ですが、前回、前々回のこの詩に相当するブログ記事は6本になりますが、時間のあると時、是非お読み下さい。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

前回

*334.気づきなく果実求める猿のよう渇愛増やせば輪廻続ける
http://76263383.at.webry.info/200908/article_22.html

*335.336.執着の基の卑しき渇愛に打ち負かされて憂いが増える
http://76263383.at.webry.info/200908/article_23.html

*337.草の根を掘り起こして枯らすように渇愛抜いて幸福であれ
http://76263383.at.webry.info/200908/article_24.html

前々回

*334.気付きなく果実求める猿のよう渇愛増やせば輪廻続ける
http://76263383.at.webry.info/200810/article_13.html

*335.336.執着の基の卑しき渇愛に打ち負かされて憂いが増える
http://76263383.at.webry.info/200810/article_14.html

*337.草の根を掘り起こして枯らすように渇愛抜いて幸福であれ
http://76263383.at.webry.info/200810/article_15.html


○パーリ語原文

334.
マヌジャッサ    パマッタチャーリノー
Manujassa   pamattacārino,
人間の        放逸な 行いをする

タンハー   ワッダティ   マールワー ヴィヤ
taṇhā    vaḍḍhati   māluvā    viya;
渇愛は    増大する   つる草      のように

ソー   プラワティー フラーフラン
So    plavatī      hurāhuraṃ,
彼は   漂う        この世あの世を

パラミッチャンワ      ワナスミ      ワーナロー
phalamicchaṃva    vanasmi   vānaro.
果実を求めるように     森で       猿が

335.
ヤン  エーサー  サハテー    ジャンミー
Yaṃ  esā     sahate    jammī,
人を   この     打ち勝つ   卑しい

タンハー   ローケー   ヴィサッティカー
taṇhā    loke     visattikā;
渇愛が   世間に    執着して 

ソーカー  タッサ      パワッディンティ
Sokā     tassa   pavaḍḍhanti,
憂いが   彼らに   増大する

アビワッタンワ      ビーラナン
abhivaṭṭhaṃva      bīraṇaṃ.
雨が降った後のように ビーラナ草

336.
ヨー  チェータン   サハテー   ジャンミン
Yo   cetaṃ     sahate    jammiṃ,
人が  しかしこの  打勝つ      卑しい

タンハン     ローケー   ドゥラッチャヤン
taṇhaṃ   loke       duraccayaṃ;
渇愛を      この世で   征服しがたい

ソーカー  タンハー     パパタンティ
Sokā    tamhā    papatanti,
憂い     彼らから    消え失せる

ウダビンドゥワ   ポッカラー
udabinduva   pokkharā.
水滴のように     ハスの葉の

337.
タン     ヴォー  ワダーミ  バッダン        ヴォー
Taṃ    vo     vadāmi   bhaddaṃ    vo,
人々に 汝らに   説く        幸福であれ     汝らよ

ヤーワンテッタ     サマーガター
yāvantettha      samāgatā;
それだけ ここに   集まった人々

タンハーヤ    ムーラン  カナタ
Taṇhāya    mūlaṃ   khaṇatha,
渇愛の      根を      掘り起こせ

ウスィーラットーワ   ビーラナン
usīratthova       bīraṇaṃ;
根のように        ビーラナ草の

マー   ヴォー  ナランワ     ソートーワ
Mā     vo     naḷaṃva   sotova,
なかれ  汝らよ  葦の       流され ように

マーロー  バンジ    プナップナン
māro    bhañji    punappunaṃ.
悪魔が    破壊する   何度も


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

◎今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』バナーのクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。一日一回お願いします。

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331~33. 困ったときに友がいるのは幸福です

パティパダー11月号巻頭法話 に合わせてみました

ワンギーサ比丘のブログ
困ったときはダンマパダ より紹介です


ダンマパダ 第23 象の章 331,332,333

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生訳

有事に友があるのは楽しく
いかなることにも知足は楽しい
寿命の終わりに功徳は楽しく
あらゆる苦の捨断は楽しい

この世で母への奉仕は楽しく
父への奉仕もまた楽しい
この世で沙門への奉仕は楽しく
バラモンへの奉仕もまた楽しい

戒を保つは老いまで楽しく
信が確立するは楽しい
智慧を獲得するは楽しく
もろもろの悪をなさぬは楽しい



○日常語訳

困ったときに友がいるのは幸福です
どんなことにも満足するのは幸福です
命が終わるとき福徳のあるのは幸福です
一切の苦を捨てるのは幸福です

この世で母孝行できるのは幸福です
またこの世で父孝行できるのは幸福です
この世で出家者を敬うのは幸福です
またこの世で阿羅漢を敬うのは幸福です

老いるまで道徳を守るのは幸福です
確信が揺るがないのは幸福です
智慧を得るのは幸福です
悪いことをしないのは幸福です


○子供のためのダンマパダ

何が幸福なことか知っていますか?
良い友だちがいること
なんでも満足できること
お母さんの手伝いができること
お父さんのお世話ができること
先生を尊敬できること
お年寄りを大切にできること
道徳をまもること
智慧が増えること
悪いことをしないこと




○ひと口メモ

 前々回の「この詩から学ぶこと」に、お釈迦さまはこの三つの詩で12の幸福について述べられていますとと書き始めています。当時とその理解はあまり変わりないと思いますが、前々回の文章をコピーペーストしないで、改めて書いて見ます。

1.必要な生じたとき、友がいるのは幸福です。
 この場合、友とは善友です。昨日も述べましたが、善友と付き合うことは、仏教修行のすべてなのです。善友さえいれば、仏教修行は完成できるのです。人間として生まれて、仏教修行が完成する以上の幸福はないのです。仏教修行の完成とは涅槃にいたることです。お釈迦さまは「涅槃は最高である」と仰いました。(ダンマパダ184)

2.どんなことにも満足するのは幸福です。
 どんなことにも満足している心境とはどのようなものでしょうか。なかなか想像できないとは思いますが、その時は欲しいものが何もないでしょう。何か特別したいことはないのではないかと思います。いつも今に満足して、穏やかな気持ちでいるのでしょう。それは最高の幸福と言っていいのでしょうが、欲のある私からの感覚とは異なるものだと思います。しかし、自分(?)には満足していても、回りの人々には悩み苦しくがありますから、憐れみの気持ちはあるでしょう。どんなことにも満足している人の行いは憐れみからのものでしょう。

3.命があるとき、福徳があるのは幸福です。
 福徳のある人の来世は必ず幸福です。安心して死ぬことができます。死ぬことに恐怖はありません。これが因果法則、業の法則です。これも幸福です。

4. 一切の苦を捨てるのは幸福です
 苦は煩悩によって起こることなのです。一切の苦を捨てるとは一切の煩悩を捨てることです。一切の煩悩を捨てることで、涅槃に到達するのです。ですから一切の苦を捨てることで、涅槃に到達することができ、最高の幸福に至るのです。

5.この世で母孝行できるのは幸福です
6.またこの世で父孝行できるのは幸福です
 親孝行については、ダンマパダ324番のダナパーラ象の詩で述べました。御両親が亡くなれた方は、この世ではこれからの孝行はできませんが、善行為を行って供養することはできます。
 親孝行は、子供に道徳教育をする重要な項目です。子供は親を見て道徳を覚えます。親は自分が親孝行をすること(親を敬うことが基本)によって、子供に親孝行を示すべきだと思います。

7.この世で出家者を敬うのは幸福です
 お釈迦さまの作られたサンガの比丘は、自ら修行して、教えを守り、伝えることを仕事としています。しかし、多くの比丘はまだ修行中です。まだまだ欠点や誤りがあるでしょう。しかし、在家の人以上の多くの戒律を自分に科して、修行に励んでいるのです。ですから、比丘に問題があれば注意することも必要です。しかし、お釈迦さまの教えを先頭に立って実践している人たちですから、その点を尊敬して、供養すれば、自分自身の修行の励みにもなります。比丘を敬うとうことは一人の比丘を敬うことではないのです。サンガを敬うことです。一人の比丘に問題があれば、在家の方でも修行仲間として、お互いに助言しながら、修行に励むべきなのです。

8. またこの世で阿羅漢を敬うのは幸福です
 このことは本当に幸せなことです。2600年近く仏教が正しく伝えられているのは、阿羅漢様のおかげなのです。阿羅漢様がおられなかったら、仏教は正しく伝わっていないと思います。仏教の真髄は出世間のことがら、人間の智慧を超えた智慧ですから、阿羅漢様以外には正しく、次の世代に伝えられません。阿羅漢様には感謝しきれません。
 しかし、だれが阿羅漢かということは、凡夫は判断できません。人々は勝ってにあの人は阿羅漢だと言っても、その判断はたいてい間違っています。人々は外見や噂そのような振りをする人にだまされます。ですが、本当に阿羅漢様に会えて、奉仕できればこれほど幸せなことはないでしょう。

9.老いるまで道徳を守るのは幸福です。
10.確信が揺るがないのは幸福です
11.智慧を得るのは幸福です
12.悪いことをしないのは幸福です

 9.から12.までまとめて説明します。今日はスマナサーラ長老の瞑想指導がゴータミー精舎で行われました。その中で、長老はある人の「業について質問」に次のように答えられました。「私たちは無限の過去から、現在も無数の行為を行って来ました。ですから、それらの行為によって業を蓄積しています。業には悪い業と善い業があります。悪い業は不幸になる業です。善い業は幸福になる業です。無数の業がありますけど、それらの業は条件が整わなければ結果が現れずに消えてしまうということもあるのです。それは例えば、銀行に悪い業の預金と善い業の預金をしているようなもので、パスワードで業を引き出すのです。欲や怒り嫉妬、落ち込み、自我などのパスワードを使うと、悪い業が引き出され、その人は不幸になります。逆に、慈、悲、喜、捨のパスワードを使うと、善い業が引き出され、そのパスワードを使った人は幸福になるというようなものです。ですから、業の理論を知らなくと、善行為をすれば、善い業が引き出され幸福になるということです。」

 老いるまで道徳をまもることも、確信が揺らがないことも、智慧を得ることも、悪いことをしないことも、すべて善行為です。ですから、これらは善いパスワードなのです。善い業が引き出され、その人は幸福になるのです。

 以上の詩で「第23 象の章」を終ります。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*友がいる満足してる徳がある苦悩なければ幸福という
http://76263383.at.webry.info/200908/article_21.html


*善友満足福徳捨苦 孝行敬出家阿羅漢 道徳確信智慧不悪行
http://76263383.at.webry.info/200810/article_12.html


○パーリ語原文

331.
アッタンヒ    ジャータンヒ  スカー     サハーヤー
Atthamhi    jātamhi     sukhā   sahāyā,
必要な時    生じた時     幸福だ   友

トゥッティー スカー    ヤー  イタリータレーナ
tuṭṭhī      sukhā   yā    itarītarena;
満足は    幸福だ    こと   どんなことでも

プンニャン   スカー    ジーヴィタサンカヤンヒ
Puññaṃ   sukhaṃ  jīvitasaṅkhayamhi,
福徳は     幸福だ     命が尽きる時に

サッバッサ      ドゥッカッサ    スカー    パハーナン
sabbassa   dukkhassa  sukhaṃ   pahānaṃ.
すべての       苦の         幸福だ    捨てること

332.
スカー   マテッヤター     ローケー
Sukhā   matteyyatā     loke,
幸福だ   母を敬うことは   この世で

アトー  ペッテッヤター    スカー
atho   petteyyatā       sukhā;
また    父を敬うことは   幸福だ

スカー   サーマンニャター     ローケー
Sukhā   sāmaññatā      loke,
幸福だ   沙門を敬うことは    この世で 

アトー  ブラフマンニャター      スッカー
atho   brahmaññatā      sukhā.
また    阿羅漢を敬うことは    幸福だ

333.
スカン    ヤーワ  ジャラー スィーラン
Sukhaṃ  yāva   jarā     sīlaṃ,
幸福だ    まで    老年      戒を守ることは

スカー     サッダー  パティッティター
sukhā   saddhā   patiṭṭhitā;
幸福だ     確信が   確立している

スコー   パンニャーヤ    パティラーボー
Sukho   paññāya     paṭilābho,
幸福だ   智慧を        得ることは 
 
パーパーナン     アカラナン       スカン
pāpānaṃ     akaraṇaṃ      sukhaṃ.
諸悪を            為さないことは  幸福だ


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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dhammapada | 11:47:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
328~330.林中の象のように悪をすることなく求めること少なく独り歩め
10月の巻頭法話にあわせて見ました。


ワンギーサさんのブログより拝借

困った時はダンマパダ

http://76263383.at.webry.info/201006/article_26.html


328~330.林中の象のように悪をすることなく求めること少なく独り歩め

<<   作成日時 : 2010/06/26 21:33   >>


ダンマパダ 第23 象の章 328,329,330

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生訳

聡明にして共に行い
善く住む慧者を友に得たなら
あらゆる危難を克服し
喜び、念もて、かれと行くべし

聡明にして共に行い
善く住む慧者を友に得ぬなら
王が領土を捨てる如く
森象の如く独り行くべし

愚者には友の資格なし
独りで行く方がよい
諸悪をなさず、泰然として
森象の如く独り行くべし



○日常語訳

もしも正しい生活している賢明な
友を得るならば共に歩め
それで一切の困難を克服して
心にかなう気付きある生活ができる

もしも正しい生活している賢明な
友を得られないならば
征服した王国を捨てる王のように
林中の象のように一人歩め

愚か者と付き合うよりは
独り歩む方が良い
林中の象のように悪をすることなく
求めること少なく独り歩め


○子供のためのダンマパダ

友だちや動物に親切で
うそをつかない友ならば
大切な友として
仲良くするように

友だちや動物をいじめ
うそをつく友ならば
さける友として
付き合わないように

いじわるでうそをつく友と
付き合うよりは
独りで遊び
独りで勉強する方がよい


○ひと口メモ

 お釈迦さまはたびたび善友の重要性について述べておられます。今回の詩も、賢明な友が得られるならば、共に歩めと教えています。「それで一切の困難を克服して、心にかなう気付きある生活ができる」のです。つまり、それで八正道を実践でき、修行を完成できるのです。

 そのほか有名なお話しを一つを紹介しましょう。中村元訳「神々との対話 サンユッタ・ニカーヤ」(岩波文庫)191ページ。

 「そのとき、修行僧アーナンダが、私(釈尊)のところに近づいて来ました。近づいてから・・・
私(釈尊)に次のように申しました。『・・・善き友のあること、善き仲間のいること、善き人々に囲まれていることは、清浄行の半ばに近い」と。
 このように言われたので、私(釈尊)は・・・次のように言いました。『アーナンダよ。そうではない。そうではない。善き友をもつこと、善き仲間のいるこ と、善き人々に囲まれていることは、清浄行の全体である。善き友である修行僧については、このことを期待することができる。善き友、善き仲間、善き人々に 取り囲まれている修行僧ならば、八正道を修めることができるであろう。そうして八正道を盛んならしめるであろう。・・・』と」

 釈尊は善き友と親しくすることは、「仏教修行の全体である」とまで言われるのです。その根拠は「八正道を修めることが出来るであろ」と述べられています。

 次の詩では、不幸にして、「もしも正しい生活している賢明な、友を得られないならば」どうするのかが述べられています。回りに正しい生活をしない、愚か友ばかりであれば、それらの人々から離れた方がよいのです。昨日、一昨日に述べましたように、心は栄養(エネルギー)を必要としています。回りに善いエネルギーがなく、悪いエネルギーばかりであれば、心は悪いエネルギーを取り込んで、心は悪に染まるのです。悪い心はその人を不幸にするのです。悪に染まった心はその人を最悪の結果(地獄)に導くのです。それはなんとしても避けなけれいけません。大人も子供も同じです。悪に導く友は避けた方が安全なのです。

 誤解してほしくないことは、これらの詩でお釈迦さまは孤独を勧めていると思わないで下さい。そのように誤解して、回りにが善友はいないと勝ってに判断して、引きこもっているのが格好いいなどと思わないで下さい。以前、スマナサーラ長老が「スッタニパータの『犀の角』という経にあこがれて、『犀の角のようにただ独り歩め』と孤独が格好いいと思っている人がいるがそれは間違いだ。」と仰っていました。お釈迦さまは善友と付き合うことが一番大切だと仰っておられるのです。最高の善友のお釈迦さまはおられませんが、お釈迦さまの教えを守り伝えているサンガがあります。サンガは善友の集団です。現在、私たちはその気になれば、サンガの比丘たちを善友にすることができるのです。ですから、善友はいないと決めないで下さい。善友と付き合ってください。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*賢明な友を得るならそれにより心にかなう生き方できる
http://76263383.at.webry.info/200908/article_20.html

*賢い友が得られないならば独りで歩め象のように
http://76263383.at.webry.info/200810/article_11.html
 

○パーリ語原文

328.
サチェー ラベータ ニパカン サハーヤン
Sace    labhetha  nipakaṃ   sahāyaṃ,
もし    得る    賢い     友を
サッディン チャラン サードゥヴィハーリディーラン
saddhiṃ   caraṃ   sādhuvihāridhīraṃ;
共に    行う    正しく生活する賢者を
アビブッヤ  サッバーニ パリッサヤーニ
Abhibhuyya  sabbāni    parissayāni,
克服する   一切の    困難を
チャレッヤ   テーナッタマノー  サティーマー
careyya     tenattamano      satīmā.
送れるだろう それで心にかなう  念のある
329.
ノー チェー ラベータ ニパカン サハーヤン
No   ce    labhetha  nipakaṃ  sahāyaṃ,
ない もし   得る    賢い    友を
サッディン チャラン サードゥヴィハーリディーラン
saddhiṃ   caraṃ   sādhuvihāridhīraṃ;
共に     行う   正しい生活する賢者を
ラージャーワ ラッタン ヴィジタン パハーヤ
Rājāva     raṭṭhaṃ  vijitaṃ    pahāya,
王のように  王国を  征服した  捨てて
エーコー チャレー マータンガランニェーワ ナーゴー
eko     care     mātaṅgaraññeva      nāgo.
独り    行け    林中の象 ように     象
330.
エーカッサ チャリタン セッヨー
Ekassa    caritaṃ   seyyo,
独りの    歩みが  より善い   
ナッティ バーレー サハーヤター
natthi   bāle      sahāyatā;
ない   愚者との   親交は
エーコー チャレー ナ  チャ パーパーニ カイラー
Eko     care    na   ca   pāpāni     kayirā,
独り    行け   ない 又   諸悪を    なせ
アッポッスッコー マータンガランニェーワ ナーゴー
appossukko     mātaṅgaraññeva      nāgo.
少欲として     林中の象 ように     象


〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

◎今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』バナーのクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。一日一回お願いします。

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dhammapada | 10:40:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
自力で這い上がるべき 生きるという泥沼

9月号の 巻頭法話 
自力で這い上がるべき 生きるという泥沼
に合わせてみました



困った時はダンマパダワンギーサさんのブログより紹介




327.難所から自分を引き上げよ、泥沼に沈んだ象のように

<<   作成日時 : 2010/06/25 15:51   >>

ダンマパダ 第23 象の章 327

ナモー  タッサ   バガワトー  アラハトー   サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

○片山一良先生訳

不放逸(ふほういつ)を楽しむ者たれ  自己の心を護り続けよ
泥に沈んだ象の如く            自己を難処より救え



○日常語訳

不放逸を楽しめ         
自分の心を守れ
難所(執着)から抜け出せ    
泥沼に沈んだ象のように


○子供のためのダンマパダ

年老いた巨象は         
たいこの音を聞き
元気をだして           
泥沼から抜け出たゾー



○ひと口メモ

 今回は物語から始めます。若い時は大変強い象がいました。しかし、年をとって弱くなりました。その象が水場に行った時に泥沼にはまって、そこから抜けられなくなりました。それを聞いた王様は象を助けるために象使いを水場に送りました。象使いたちは戦闘用の太鼓を打ち鳴らしました。その老象はその音を聞き、奮い立ち、昔の血が全身に 蘇ったように力強く足を踏み出し、見事に泥沼から脱出したのでした。

 その様子を見ていた比丘たちは仏陀にその報告をしました。仏陀はその比丘たちに、「気付いていることを楽しみ、自分の心を守りなさい。そして、泥 沼にはまった象が、奮い立ち、全力を出して泥沼から抜け出るように、自分自身の執着から脱出しなさい。」と説法されました。この説法を聞いてこの比丘たちは阿羅漢果の悟りを得たということです。

 ここで泥沼にたとえられた執着とは何か?前々回のブログ記事に書きました。
 執着を理解するために、四種類に分けています。
1.欲に対する執着です。欲しいと思うとどうしても欲しいと思い、あきらめることができない。
2.見解に対する執着は変わらない魂があるなどという邪見に対する執着です。
3.戒禁に対する執着は無意味な修行や宗教儀式に対する執着です。
4、我語に対する執着は自分の説に固執することです。
 これらは確かに、捨てるこたが難しいようです。しかし、八正道を実践することで克服することができると述べられています。やはり八正道は解脱し、涅槃に達するための王道なのです。

 この詩のはじめの言葉「不放逸(アッパマーダ)」については、前回のブログ記事で書きました。不放逸は「怠けない」と訳されることもありますが、「気付きを怠らない」ということです。時々気付いているというのでは駄目なのです。自分の心に気付いていないとき、どんな欲や怒りや愚かさが心に現れるか分からないからです。下記の315番の詩に述べられているように「 瞬時も見逃すな」ということが必要なのです。
 
内外を守られた 辺境の街のように
自分の心を守れ 瞬時も見逃すな
見逃した者たちは 地獄に引き渡され悲しむ (315)

 しかし、常に、念(気付き、サティ)を忘れないことはなかなか困難な課題です。歩く瞑想、座る瞑想を繰り返し実践し、習慣化し、念(気付き、サティ)を楽しむ境地になることです。はじめは困難ですが、繰り返し実践すれば、だんだん 不放逸を楽しむことが分かってくると思います。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*不放逸で自分の心よく守れ心の沼から抜け出すように
http://76263383.at.webry.info/200908/article_19.html

* 気付きを楽しみ心を守れ 執着捨てて解脱せよ
http://76263383.at.webry.info/200810/article_10.html


○パーリ語原文

327.
アッパマーダラター   ホータ
Appamādaratā      hotha,
不放逸を楽しむことで   あれ

サチッタマヌラッカタ
sacittamanurakkhatha;
自分の心を守れ

ドゥッガー   ウッダラタッ ターナン
Duggā     uddharath'   attānaṃ,
難路から   引き上げよ   自分を

パンケー  サンノーワ    クンジャロー
paṅke    sannova      kuñjaro.
汚泥に   沈んだ ように  象の
 

〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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~~~~~お 知 ら せ~~~~~

◎今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』バナーのクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。一日一回お願いします。

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dhammapada | 09:27:43 | トラックバック(0) | コメント(0)
326.昔はこの心はさまよっていた心の望むように、好きなように

8月号の 巻頭法話に合わせてみました


困った時はダンマパダワンギーサさんのブログより紹介



326.昔はこの心はさまよっていた心の望むように、好きなように
http://76263383.at.webry.info/201006/article_24.html

<<   作成日時 : 2010/06/24 20:42   >>

ダンマパダ 第23 象の章 326

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo   tassa   bhagavato   arahato    sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


○片山一良先生訳

この心は以前には、求めるままに
欲するところへ、楽に従いさすらった
今やそれを私は、正しく制御す
鉤持つ人の、暴れる象に対する如く



○日常語訳

昔はこの心はさまよっていた
心の望むように、好きなように
今こそ私は心を完全に従わせる
象使いが狂暴な象を従わすように


○子供ためのダンマパダ

心は赤ちゃんみたいに
何もわかってないみたいだから
ほしいよぉ、やだよぉ、とか言ったら
そんなのだめだよ、ちがうでしょ、
って、ちゃんと善いこと
教えてあげようね。(あすかさん作)


○ひと口メモ

 この詩の解釈は、「昔は心(感情)のままに生きてきたが、今からは私は心を制御する、象使いが象を制御するように」という意思の表明です。この意思がなければ仏道修行は成り立たないのです。前々回に、一遍上人は法句経(ダンマパダ)でこの詩を読んでいたか問題にしましたが、仏道修行者はこの意思は当然あるのです。

 現状の自分が心(感情)のままに生きていることについて、生命は栄養(エネルギー)によって維持管理しているという観点から少し考えてみます。

 生命は心と身体から構成されています。この心と身体にそれぞれに栄養(エネルギー)が必要なのです。心に必要な栄養(エネルギー)は、触と意思と識です。(昨日のブログで説明しました。)
身体に必要は栄養(エネルギー)は物質的な食物です。生命は生きるために常にこのような栄養を求めています。しかし、心の栄養が必要なのか、身体の栄養が必要なのか明確な自覚がありません。人間が何か物質的食物を食べてるとき、それは単に物質的栄養を取り入れるだけでなく、眼、鼻、舌などで物質的栄養の色や香や味などから心の栄養も取り入れて、身体を満足させるだけでなく心も満足させているのです。

 そのような事実がありますから、例えば、さびしいなどの心が栄養(エネルギー)不足を感じると、身体は栄養(エネルギー)不足でなくとも、何かを食べて、心の不満足エネルギーを補なおうとするのです。それが欲求不満の時、間食するなどの現象です。しかし、その事実をよく理解していれば、さびしいと感じても、間食しないで、瞑想をする。瞑想は心に巨大な善いエネルギーを注入しているのです。あるいは、「生きとし生けるものは幸せでありますように」と称えて、心に慈悲のエネルギーで満たせばよいのです。それで心は栄養(エネルギー)で満たされ、満足します。

 心を正しく制御するとは、心に善い栄養(エネルギー)と注入することなのです。心を制御しないで、思いのままにまかせると、心は、ただ外部の刺激に反応して、欲や怒りや愚かさなどの感情で栄養(エネルギー)を補給してしまいます。これが従来に生き方だったのです。


○前回までのこの詩に関するブログ記事

*いにしへは心のままにしたがいぬ今は心よ我にしたがえ(一遍上人)
http://76263383.at.webry.info/200908/article_18.html

*いにしへは心のままにしたがいぬ 今は心よ我にしたがえ(一遍上人)
http://76263383.at.webry.info/200810/article_9.html
 

○パーリ語原文

326.

イダン  プレー  チッタマチャーリ  チャーリカン
Idaṃ   pure    cittamacāri     cārikaṃ,
この   以前は   心は 行った   徘徊を 

イェーニッチャカン   ヤッタカーマン  ヤタースカン
yenicchakaṃ      yatthakāmaṃ   yathāsukhaṃ;
所へ 欲救の      好きなように    楽なように

タダッジャハン   ニッガヘッサーミ   ヨーニソー
Tadajjahaṃ    niggahessāmi    yoniso,
今こそ 私は    抑制しよう       根本的に

ハッティッパビンナン   ヴヤー  アンクサッガホー
hatthippabhinnaṃ    viya     aṅkusaggaho.
狂暴になった象を     ように   象師



〇詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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dhammapada | 08:31:11 | トラックバック(0) | コメント(0)
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