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八幡山 宝泉寺 (笛岡泰雲住職)の紹介です.
348
有(う)の辺際を知りし汝(なれ)
前際を断ち 後際(ごさい)断ち
現際も断ち 心解脱
再び生老(りんね)をうけざらん
(ダンマパダ 348 番) (和訳:江原通子)
348
未来を捨て 過去を捨て
存在のありさまを知り 現在も捨てる
一切より解放されし者に
ふたたび生老の流れはない
(ダンマパダ 348 番) (和訳:スマナサーラ長老)
● 今回のポイント (スマナサーラ長老)
・ 時間とは観念です
・ 変化を計るために時間という観念を作ったのです
・ 過去と将来は実在しないのです
・ 現在も瞬間の命です
・ 時間に囚われることで輪廻転生になります
🌗下弦の月坐禅会 6月16日(金)の夜7時~
〈 7月は22日(土)夜、🌑 新月の坐禅会の予定。 〉
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ■時間は存在するのか ==================================== 生きとし生けるものが、幸せでありますように。 | ||
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八幡山 宝泉寺 (笛岡泰雲住職)の紹介です
毎回、「 宗教法人 日本テーラワーダ仏教協会 」のホームページ
スマナサーラ長老の『パティパダー』巻頭法話集からご紹介です。
(協会のHP開設以来、管理人の1人として、ご説法ファイルを毎月追加させて戴いておりまして、
少しでも有縁の方々に再度ご覧戴きたいという願いもこめた、ご紹介リンクのつもりです。)
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名声の落とし穴
~ブッダは非難を名声に変える~
(2010年4月号のスマナサーラ長老、巻頭法話)
社会の名声を受けることが一概に喜ぶべきこととも言えないのは、必ず危険が伴うからです。お釈迦様の名声は、伝道活動を初めて間もないうちに広まりました。コーサラ国王もマガダ国王も仏教徒になり、富豪の商人たちも次から次へと仏教徒になっていったのです。何よりも大事なのは、当時インドで尊敬されていたエリートのバラモンの師匠たちが仏教徒になったことです。
一般人の間では、ブッダが若いうちに王位を捨てて出家したこと、目にも麗しい見事な姿であること、修行完成して覚りに達したと公に発表していたこと、確実に人を感動させる説法をすること、カースト差別を一切捨てて、皆に平等に接したこと、などが名声の理由でした。しかしエリートの立場から見れば、それより大事だったのはお釈迦様が説かれる真理であり、説法の内容だったのです。お釈迦様はいとも簡単にインドの宗教の世界で革命を起こしました。客観的に合理的に誰にも理解できるように真理を語ったのです。いままで宗教家は社会を捨てて森に隠れたり、苦行をおこなったり、一般人にできない様々な行をやっていました。宗教の中でもカースト差別は常識的でした。商人たち、またインテリの人々、常識的な社会人にとっては、宗教は煙たい存在だったのです。しかしブッダの説かれた真理は、社会人が理解して実践するものでした。お釈迦様は、あえてインテリの人々に呼びかけたのです。宗教哲学者にも呼びかけたのです。それで、誰もが教えの内容に惹かれてしまったのです。
このようにお釈迦様が一方的に名声を受けると、当然、いままで社会で尊敬されていた人々の立場が悪くなってしまいます。ブッダに対して異論を立てる、論争をふっかける能力も勇気もないし、仏教を理解して仏教徒になるほどの知識能力もなかった人々は、たいへん困っていたのです。註釈書に、他宗教の人々がお釈迦様の名声を貶めるために陰謀を企てたエピソードがあります。他宗教の行者たちは、お釈迦様の名声がなくなれば自分の立場が元に戻ると思ったのです。彼らは女性の行者たちが住まう行場を訪ね、スンダリーという名の女行者に「ひとつ助けてくれ」と頼んだのです。彼女から、何をすればよいのかと訊かれると、「君は仏教徒たちが説法を聴いて家に戻る時間をみはからって、祇園精舎に入りなさい。『こんな時間にどこにいくのか』と止められたら、『私がお釈迦様に会うのはこれからです』と答えることです。それから、朝、仏教徒たちが祇園精舎に行く時は、君はどこかに隠れていて、祇園精舎から出てきたような感じで戻りなさい。人々に訊かれたら、『釈尊と一緒にいて、いま帰るところだ』と答えなさい。一週間程度これを続けてくれれば、我々の宗教は大助かりです」と計画の指示を出したのです。
彼女は言われたとおりに午後、祇園精舎の方へ行って、そのまま誰にも見られないように行場に帰りました。朝、行場から祇園精舎の境内に入って、出て行ったのです。一週間経ったところで、あの男たちは酒や賭け事で生計を立てている人々にお金を払って、スンダリーを殺して遺体を祇園精舎の境内に隠すよう頼みました。それからその男たちは、「スンダリーを見なかったか」と祇園精舎に行く人々一人ひとりに訊いて、スンダリーがいなくなったことを国中に広めるように仕向けたのです。彼らが王様からスンダリーを探す権限を貰い、祇園精舎の境内を調べると、見事に遺体が見つかりました。彼らは竹でできた担架に遺体を載せると、「出家弟子たちがブッダの淫らな行為を隠すためにやったのではないか」と、批判を叫び始めました。比丘たちは人々から激しい非難を受け、托鉢にも出られなかったのです。アーナンダ尊者は「この国を離れましょう」とお釈迦様に頼みましたが、お釈迦様は、「非難を浴びている真っ最中、他の国に逃げたらさらに非難が増えるし、疑いを認めたことになります」と避難をすすめる提案を却下したのです。
非難されても反論しないで沈黙を守ることは、出家比丘たちの性格です。お釈迦様がそれを変えて、比丘たちに「非難されたら応答しなさい」と命じました。釈尊は非難に対して逆非難することを許したのではなく、次のような反論の言葉を教えてあげたのです。
「嘘つきは地獄に堕ちます。何かを犯して『私はやっていない』と言う人も同じです。人が卑しい行為をするならば、死後、卑しい結果を招きます。」
托鉢に出た比丘たちは、非難されると、ブッダの説かれたこの偈を唱えたのです。非難した人々は、何の反論もできずに黙ってしまいました。他人から根拠もなく非難される場合、何も間違いを犯していない人々が取るべき態度が、この偈の中に示されています。嘘つきは地獄に堕ちる、という場合は、決して「あの人々は地獄に堕ちる」という意味ではないのです。他人を非難してしないのです。自分であろうと他人であろうと、嘘つきは地獄に堕ちる、という意味です。「何か(罪)を犯して『私はやっていない』と言う人も同じです」という言葉も、他人を非難していないのです。「卑しい行為をするならば、死後、卑しい結果を招きます」という言葉で、ブッダが普遍的な真理を語ったのです。ブッダを非難した人々も、結局は否応なしに真理を知るはめになってしまいました。人々の頭に、「卑しい行為は卑しい結果を招く、と教えを説く人々が、あえて卑しい行為をするはずがない」という教えが入り込んだのです。
他宗教の行者たちは、お釈迦様に殺人罪の濡れ衣をかぶせるため、見事な計画を立てました。無数の証人を作ることで、だれにも気付かれず、「犯人はお釈迦様かその弟子だ」と皆が言うように仕向ける、心理学的な策略を練ったのです。現代でもここまで仕掛けをされたら、有罪になってしまうでしょう。
しかしお釈迦様が、真理に基づいて、心理学的な作戦に対して、心理学的に応戦したのです。一週間経つと、批判する人々は徐々に減って、静かになりました。コーサラ国の王様は仏教徒でしたが、政治家なのでブッダの肩をもつわけにはいきませんでした。
しかし、王様の心も、ブッダの心理学的な作戦で静かになりました。それで王様が諜報員に町を調べるように命じたところ、スンダリーを殺した下手人たちが、手に入った大金で酔っ払って自慢しているのを聴いたのです。「こんなに大金をくれたのに、依頼人には大した結果はなかったようだな」と。王様は陰謀の犯人を捕まえて、審判を下しました。たとえ他宗教でも、相手が修行者だったので死刑にはしませんでした。その代わり、罰として町中を歩きまわって、「スンダリー女行者を殺すように命じたのは私達です」と発表するように命じたのです。
これで事件は一件落着、と言えるところですが、…続き→ (日本テーラワーダ仏教協会ホームページ)→パティパダー巻頭法話(182)
パティパダー巻頭法話(182)
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協会の行事ではありません。
東海ダンマサークルの自主開催です。
11/10--- 宝珠院自主冥想会の案内
- 駐車場は西北側道路を挟んで10台ほどあります。
- 奥の広いところは20台ほどあります。
- 車止めに宝珠院の字が有るところです。
- 個人が借りているところもあるので注意願います。
宝珠院自主冥想会
ただし、急な用事が出来た時は、中止の
可能性はあります。
当日の朝にもう一度お確かめください。
だいたいの人数を知りたいので、出席したい人、
出席する人、出席するかもしれない人
下の を押してください。
もちろん、押してなくても参加できます。
思い込みとは、恐ろしいものですね。
2年もお世話になっていながら、お寺の名前読み方間違えていました。
ほうじゅいん ではなく ほうしゅういん でした。
宝珠院自主冥想会
住職のご好意によりダンマサークルが会場をお借りして
自主的に実施している冥想会です
参加注意事項---冥想指導長老がみえません ので
テーラワーダ長老の指導を一度でも受けた方に限ります
- 予約-------なし
- 会費------なし(各自でお賽銭をいれる)
場所-------宝珠院
住職-------多賀住職
時間-------13時~18時 - 13時------------日常読誦経典前半の読誦
- その後各自冥想
- 17時45分-------日常読誦経典後半の読誦
- 18時------------終了
- 出入り自由
- 使用部屋---正面右手入り口より右奥和室 ---
- ---正面右手入り口より左本堂 ------どちらかです
- 住所------名古屋市昭和区伊勝町2-9
- 地下鉄東山線本山駅4番出口徒歩15分
- 駐車場は西北側道路を挟んで10台ほどあります。
- 奥の広いところは20台ほどあります。
- 車止めに宝珠院の字が有るところです。
- 個人が借りているところもあるので注意願います。
追記----会場の都合で時間変更、中止などの時もあります
当日の朝出かける時にこのブログで確認してからお越しください
自主冥想会で会場を提供していただいている お寺です。
なかなか落ち着きますよ。
みなさんも一度遊びにきてください。
- 駐車場は西北側道路を挟んで10台ほどあります。
- 奥の広いところは20台ほどあります。
- 車止めに宝珠院の字が有るところです。
- 個人が借りているところもあるので注意願います。