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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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#jtba「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)【98】妄想は諸悪の根元





協会のfbより紹介です。





#jtba「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)【98】妄想は諸悪の根元
釈迦尊の教え・あなたとの対話 疑問・質問・反論のページ 【98】妄想は諸悪の根元 (皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)
Q:悪いことを考えることは、実際に悪いことをするよりよけいに悪いと聞いたことがあるのですが、そうなのでしょうか
A:それはおっしゃる通りで、悪い思考の方が身体による悪行為より、ずっと罪が重いのです。例えば、「殴る」という行為を 100 とすると、殴ろうと思った罪が 80 で、殴る行為は 20 ぐらいのものです。「殴ってやりたい」と思うだけで、すでに 80 %の罪を犯しているのです。
Q:じゃあいっそ殴ってしまっても、あまり罪は変わらないということですか。
A:道徳的には、ちょっと罪が重くなるだけのことです。逆に、体だけの行為には罪はありません。例えば、歩いている時に知らずに虫を踏みつぶしてしまっても、気づかずにやったことだから罪にはなりません。虫を殺そうとわざと踏みつけたら、「殺生」という罪になるのです。何かの不注意で誰かにぶつかってケガをさせてしまっても、それは過失であって、「罪」とは言わないのです。
 ですから、思考・妄想というのはたいへん危険なものなのです。妄想というものは、一つ残らず罪になるのです。皆、「私は何も悪いことはしてないぞ」と胸を張ってますけど、けっこう妄想しているでしょう? それで、知らないうちに、ドンドン罪をため込んでいるのです。だから、たいへんなことですよ。「私は人を殴ったことはない」と言っても、何回「殴ってやりたい、殺してしまいたい」と思ったことがあるんですか。そういう一個、一個の妄想、それぞれが、罪になっているのです。
 原因をつくったら必ずそれに応じた結果が出ます。それは誰にもどうしようもないのです。止めることはできません。それが因果法則です。
 大事なのは、その事実を知ることです。「妄想するのは良くない」と言われても、ただうるさく思うだけで、本気で聞く気にはなりませんね。しかし、もしも本当に思考の恐ろしさを知ったならば、説教なんかされなくても、妄想する気にはなれません。「やはりこれはたいへんだ、本当に怖いんだ」とわかったら、自動的にこころが変わるのです。今の我々は事実が見えていない。だまされているというか、幻覚を見ている。事実を知った人が、たちまちしっかりするのです。
Q:「殴りたいけれど、殴ったらたいへんなことになる」とガマンするのが普通だと思うのですが、殴らなくても、ただ考えただけで、何か具体的に悪い結果がもたらされるのでしょうか
A:その辺りが、皆、わかってないところですね。実際はその通りなのです。
 「殴りたい」と思うのは、相手を憎んでいることでしょう。相手に怒っているのです。怒りは、それ自体が悪であって、罪です。怒りの感情が出たとたん、すぐにその結果があります。怒るとサーッと体中に猛毒が出るのです。それで自分の健康は、かなりダメージを受けます。敏感な人でないとわからないかもしれませんが、かなりのストレスなのです。だから悪結果を、即、自分が受けているのです。すでに自分を破壊しているのです。
 ふつうは、殴りたいと思うけれども殴りません。それは、殴ったらどうなるかと、その結果を怖れるからでしょう。殴ってしまったら、相手に殴り返されるかもしれない。訴えられるかもしれない。そういう社会的なダメージを受ける危険性があることを知っている。だから殴ろうとしないのです。しかし、皆、怒りの思考が自分自身を蝕むことは知りませんね。だからそこら辺で安全対策をとろうとはしないで、平気でいくらでも怒ってしまうのです。
 本当は、体の行為より思考の方が怖いのです。思考はどこまででも回転します。どんな方向にでも行くし、死ぬまでもち続けることができるのです。
Q:「身体に悪いから怒らない」というのは卑怯というか、臆病のように感じます。世の中には怒るべきこともあると思うのです。不正なことがあるのに、「怒らないといけないけれど、身体に悪いから放っておこう」というような感じでニコニコしているのは、弱虫の生き方ではないでしょうか。
A:確かに、「怒ると身体に悪い」というのでは、説明が足りません。怒りの害は、もっと、ずっと大きいのです。怒りの本当の問題は、こころが破壊されることです。怒ると、自分が達しないといけない位置に達することができなくなるのです。怒ると自分の生き方さえわからなくなってしまいます。怒ったらその時点で、もう、ろくでもない人間になっているのです。
 世の中では、いつでも「身体に良いか、身体に悪いか」ということばかり気にして、それだけしか考えていないでしょう。もっと大事なことがいくらでもあるのに、莫大なお金を身体のために使っているのです。だから、そんなに身体が大事なのであれば、怒りは身体に悪いということだけでも覚えて怒るのはやめてくださいということで、身体のことを言ったのです。怒りが身体にとって猛毒だということも事実です。しかし、何よりも問題なのは、怒りで人格が破壊されてしまうことです。
 それでも、怒って不正をなくすことができるのであれば怒ってもいいのですが、逆なのです。怒ると不正を正すことができなくなるのです。いくら怒っても、望む結果は出せません。ですから、たとえ世の中にどんな不正があったとしても、怒るのは正しい道ではないのです。
 世の中に不正があるならば、それについてよく理解して、どうすればいいのかという解決策を考えるべきです。落ち着いて、正しい提案をすることなのです。世の中にあるべき姿で正しく回転してほしいと思うなら、怒らないことです。世界を平和にしたければ、怒らないことです。「あいつが悪い、悪の枢軸だ」と相手を攻撃するのは間違いです。「仲良くやりましょう」という態度でいると、相手も言うことを聞いてくれるのです。
 怒りは自分のわがままから生まれます。「自分が正しい、相手が間違っている」と思うから怒るのです。「私は正しい。私の言うとおりにやりなさい」と強引に何かを押しつけることは、民主主義ではありません。世界で戦争を起こしている人々は、そういう「正義の味方」でしょう? その人々は、テロ組織よりも怖いのです。残虐に大勢の人々を殺戮するのです。
 怒ったら、やってはいけないことをやってしまうのです。例えば自分の子供が遊んでばかりいるとします。「この場合は怒らないといけない」と思って、親が怒って怒鳴る。それは、やってはいけないことなのです。なぜなら、結果として、子供はさらに勉強したくなくなってしまう。あるいは、まじめにやろうとしても、頭に入らなくなる。決して頭が悪い子ではないのに「勉強ができない子」というレッテルが貼られることになったならば、それは母親が望んだ結果じゃないでしょう? そのように、怒ると、逆効果になるのです。
 どんな理由があるにせよ、怒ったら悲しい結果になる。ひどい結果になる。自分が期待してない結果になる。必ず失敗する。負けるに決まっている。ですから、とにかく怒らないことです。社会の不正をドンドン増やしたければ、怒ってください。不正がない平等な世界であってほしいなら、怒らないことです。怒らずに智慧を働かせて対応するのです。そうすれば、問題は解決します。
Q:怒りを抑えないといけないということは、ガマンするということですか。
A:いえ、お釈迦さまの方法を使えば、ガマンにはならずに、きれいに感情を抑えられます。それがヴィパッサナーという、客観的に自分を観察するという方法です。おっしゃる通り、「怒ってはいけない」と言われてガマンをしたら、それがまたストレスになってしまいますね。しかし、ヴィパッサナーの方法を実践すると、怒りをガマンするという問題も穏やかに解決するし、その上に、こころが成長していくのです。
Q:長い間生きてきて、本当にたくさんの憎しみを人の何十倍も体験しているので、こころをきれいにするというのはもう間に合わないんじゃないかと思うのです。
A:それは妄想です。「人の何十倍も」などと、どうしてわかるのですか。他人のこころの中がわかるわけはないでしょう。「私はあの人より罪がある」とか、「私はあの人ほど罪を犯してない」とか、そんなことは言えたものではないのです。また、そんなことを考える必要もありません。すべてただの妄想で、本当に知っているわけではないのです。自分が見た一部から判断した推測にすぎません。金閣寺を見て、「日本は黄金の国だ」と言うようなものです。そんなことをいくら妄想しても、こころが汚れるばかりで、何の得もないのです。
 生命は皆同じなのです。だから、犬や猫でも、けなしてはいけません。今は犬として生きていても、輪廻の中で、自分よりすごい善行為をした可能性はいくらでもあります。生命は皆、平等なのです。
 人間の寿命は短いということは、お釈迦さまはよくご存じでした。ですから「一生懸命にがんばってください。すごくがんばれば二、三週間で成功できますよ」とおっしゃっています。仏教で、怒りは猛毒だとか、妄想は罪だとか、そういう怖い話をするのは解決方法を持っているからです。脅すためではありません。冥想実践という解決法がありますからがんばってください、ということなのです。
●photo1:Happy Anniversary Hawaii by U.S. Geological Survey〈flickr〉 ●photo2:Kilauea Lava Lake by U.S. Geological Survey〈flickr〉 ●photo3:Kilauea by Steve Ryan〈flickr〉 ◎引用ページURL http://www.j-theravada.net/qa/gimon98.html

~生きとし生けるものが幸せでありますように~










facebook | 16:02:18 | トラックバック(0) | コメント(0)
#jtba<ダンマパダ>千の言葉より、一つの実行





協会のfbより紹介です。






#jtba<ダンマパダ>千の言葉より、一つの実行

美しくあでやかな花でも、
香りのないものがあるように、
よく説かれたことばも、
実践しない人には実りをもたらさない。(dhp.51偈)

●photo:Flower Arrangement by mrhayata<flickr>
~生きとし生けるものが幸せでありますように~


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facebook | 13:59:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
宗教専門の老舗新聞「中外日報」2017/6/30号に「テーラワーダ仏教と日本(論 近代日本の宗教11)」を寄稿しました。






Tetsuro Satoのfbより紹介です。
一部の方失礼しました。 佐藤哲朗さんのfbにありました。





Tetsuro Sato

宗教専門の老舗新聞「中外日報」2017/6/30号に「テーラワーダ仏教と日本(論 近代日本の宗教11)」を寄稿しました。拙著『大アジア思想活劇』電書版のPRをしつつ、表題テーマについて概観してます。中外日報HPにもいずれ掲載されるかもしれません。


http://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2017/0630.html

画像に含まれている可能性があるもの:1人











facebook | 15:33:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
ブッダの冥想実践会 2017





アルボムッレ・スマナサーラ長老のファンページ
のfbより紹介です





心には計り知れない力あり、
なのに私の心は弱すぎる
講師 アルボムッレ・スマナサーラ長老

http://bmjsmys.wixsite.com/event




住吉武道館で行われる、スマナサーラ長老による講演と冥想指導

bmjsmys.wixsite.com









facebook | 14:56:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
サミーくんの下痢が収まって一安心。今日も長老にべったりでした




Tetsuro Satoのfbより紹介です。





Tetsuro Satoさんが写真をシェアしました。

来年の猫カレンダーでは長老プロフィール写真がこれになる予定 笑

画像に含まれている可能性があるもの:1人


Tetsuro Sato

サミーくんの下痢が収まって一安心。今日も長老にべったりでした。(最初の2枚は昨日の)このままお寺の子になるかい?









facebook | 11:55:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
日本テーラワーダ仏教協会 #jtba「最上の修行」(諸仏の教えより)





協会のfbより紹介です。





日本テーラワーダ仏教協会

#jtba「最上の修行」(諸仏の教えより)

忍耐・堪忍は最上の修行である。
涅槃は最高のものであると、仏陀たちは説きたもう。
他人を害する人は出家者ではない。
他人を悩ます人は「道の人」ではない。

●photo:P2110103 by Zengame<flickr>
▼引用テキスト「諸仏の教え」
http://www.j-theravada.net/pali/key-buddhanu1.html
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

画像に含まれている可能性があるもの:高層ビル、夜、空、屋外





HOME初期仏教の世界心を育てるキーワード集 →BUDDHÂNU SÂSANAM:パーリ経典 諸仏の教え
BUDDHÂNU SÂSANAM:パーリ経典 諸仏の教え

『Sabba pâpassa akaranam kusalassa upasampadâ
 Sacitta pariyodapanam etam buddhânu sâsanam』
 

 Sabba すべての pâpassa 悪いことを akaranam しないで
 kusalassa 善いことに upasampadâ 至ること。
 Sacitta 自分の心を pariyodapanam 洗う、清らかにする
 etam これは buddhânu 諸々の仏たちの sâsanam 教えです。

『悪いことをやめること。善いことに至ること。
 自分の心を清らかにすること。これらが諸仏の教えです。』

 善悪を指す言葉は仏教では二通りあります。ひとつはクサラ(kusala)・アクサラ(akusala)、もうひとつはプンニャ(puñña)・パーパ(pâpa)です。クサラとプンニャは善、アクサラとパーパは不善です。

 プンニャというのは宗教的な善い行為で「徳、功徳」という意味です。仏教では、功徳を積んだ人は確実にいい結果、幸福が得られると教えています。その反対のパーパという言葉は、もともと「捨てられる、否定される」という意味で、やってはいけないと決められている罪を指します。人を殺したり泥棒をしたり、パーパをすれば確実に悪い結果になります。仏教では、殺生、盗み、邪な行為、偽り、無駄話、悪口、二枚舌、貪欲、嗔恚、邪見の十悪がパーパとしてよく経典に出ています。そのなかでも最後の3つ、異常な欲と異常な怒りと邪見の3つが最も罪の重いパーパであるとされています。

 クサラというのは善行為といっても、「上手」「巧み」ということで、アクサラというのはその反対。つまり「へた」ということです。それくらい軽い意味なのです。巧みと言ってもすごく大胆な意味でもなくて、広い意味での善行為。幸福をもたらす行為がクサラで、不幸をもたらす行為はアクサラ。生き方がへただと不幸ですよ、というくらいの意味なのです。

 ですから、すべてのプンニャ(徳) はクサラ(巧みな行為) に含まれますが、すべてのクサラがプンニャではありません。たとえば勉強ができることはクサラですが、それによって来世も幸せになるとは限りません。ですからクサラとプンニャは全く違うわけではありませんし、完全にイコールというわけでもありません。プンニャはカルマとしていい結果が得られるくらいの力を持っている行為です。

 経典ではふつうはプンニャ(徳)よりもクサラ(巧み)という言葉をよく使います。なぜならあまりプンニャについてしゃべると、宗教的になりすぎるのです。仏教では宗教的な話はなるべく控えています。徳を積まなければいけない等と話しすぎると、すごく厳しくなってしまうのです。原理主義のようになればかえって問題が出てくることもあります。ですから、何をしてはいけないかということをどうしても教えないといけないときのみプンニャ・パーパという言葉が使われています。

 解脱に至るまでの行為はクサラです。人生を本当に巧みに運ぶ人は、解脱まで行ってしまうのです。クサラッサ ウパサンパダー(kusalassa upasampadâ)というのは「クサラに行って下さい、クサラに入ってください」ということです。ただ「悪いことをするなかれ、善いことをせよ」ということでもないのです。「悪いことをするなかれ」というのは、変なことはしないというだけのことでいいのですが、「善行為をしなさい」というのはポジティブに、進んで行為することを意味します。「巧みな生き方をしてください、巧みなシステムに入って進んでください」という意味です。

 この教えは命令形では述べられていません。「~するな、~しなさい」という言い方ではなく、「悪いことをしないこと。善い方向へ進むこと。自分の心を清らかにすること。それがブッダたちの教えですよ」とおっしゃっているのです。

 個人が自分で判断して、自己責任で正しい道を歩まなければなりません。お釈迦様がなさったのは、正しい道を提示することだけでした。

『Khantî paramam tapo titikkhâ  Nibbânam paramam vadanti Buddhâ』

 Khantî(カンティ) 平安と titikkhâ(ティッティカ) 忍耐は
 paramam(パラマン) 最高の  tapo(タポー)修行 である。
 Nibbqnam(ニッバーナン) 涅槃(もまた)  paramam(パラマン) 最高だと
 Buddhâ(ブッダー) 仏たちが  vadanti(ワダンティ) 説く。

  『平安な心と忍耐は最高の修行です。涅槃こそ最高だと諸々の仏たちは説きます。』

 カンティー(khantî)には忍耐という意味もありますが、「平安」という意味もあります。つまり、「落ち着いていること」です。いいことがあったからといって舞い上がることもなく、つらいことがあってもくよくよ気に病むこともなく、冷静に落ち着いていること。これはすごく気をつけて実行しなければならないことです。心はいいことがあったら、喜んで舞い上がってしまいます。悪いことがあったらすぐに落ち込んでしまいます。どんなことがあっても混乱せずに、静かな心の状態を守ることはなかなかできないことです。

 ティティッカー(titikkhâ)というのは「忍耐」です。人はさまざまな苦しみを味わいます。どうしても人生の中ではいいことよりは悪いことの方が多いのです。いくら悪いことに遭遇しても忍耐を持つことがティティッカーです。苦しいことは、予告なしに突然やってきます。自分は何も悪いことなどしていないのに、外からさまざまな災難が襲ってきます。すぐに「なぜ自分がこういう目にあわなければいけないのか」などと不平不満の心が膨らみます。そこで忍耐することが、ティッティッカーです。

 お釈迦さまは「その二つが最高の修行ですよ」とおっしゃっています。一般的な修行のイメージとは違うかもしれませんが、最高の修行というのはこういうことなのです。何日間も断食をしたり冬に滝に打たれる行などをして、わざと苦しんで忍耐の精神を育てなくてもかまいません。ふつうの生活の中で、いくらでも、平安な心を作らなくてはならない場面と忍耐をしなければならない場面が起こってきます。

 これは「修行とは何か」という問いに対する仏教の答です。仏教では信仰とか祈りなど、宗教的なこととは全く違うことを言います。『どんなものにも波立たない落ち着いた心』と『つらいことに対する忍耐をつくること』。いつの時代でも、どこにおいてでも、人は修行といえばこの二つだけやればいいのです。もしも修行がしたければ、まあこの二つだけやってみてください、とお釈迦さまはおっしゃっているのです。これはやってみるとかなりたいへんで、難しいのです。それに比べて、祈ったり、踊ったり、呪文を唱えたりすることはずいぶん簡単だと思います。けれどもそういうことは結局ただのごまかしにすぎないのではないでしょうか。

 カンティーティティッカーという、二つの実践によって得られる心の最高の状態が「涅槃」なのです。涅槃とは、すべての現象から心が自由な状態で、現象に触れても心が少しも波打たないことです。一切の現象から離れている心。その涅槃こそ、人間の到達するべき最高の境地ですよ、と仏たちはおっしゃっています。この二つの修行をがんばっていると、最高の境地である涅槃にまで何ということもなく行けるのです。

 心の平安と忍耐こそ何よりも大切な人間の道だということ。これは誰にも反対できません。他の宗教を信じている人でも、宗教など全く信じていない人でも、「これは間違いですよ」とは言えません。そういうところはお釈迦さまの言葉の本当に不思議なところです。簡単な言葉で、どんな人間にも否定できないことをおっしゃるのです。どんな時代のどんな人にも当てはまること。真理の言葉というのはこういう言葉なのです。

   『Na hi pabbajito parûpaghâti samano hoti param vihethayanto.
    Anûpavâdo anûpaghâto Pâtimokkhe ca samvaro,
    Mattaññutâ ca bhattasmim panthañ ca sayanâsanam,
    Adhicitte ca âyogo etam Buddhânu sâsanam.』

 pabbajito (パッバジトー) 出家者は  parûpaghâti (パルーパガーティ) 他を殺す者では
 Na hi (ナヒ) 決してない、 samano (サマノ) 沙門は  param (パラン) 他を
 vihethayanto (ヴィヘータヤントー) 加害する者、困らせる者に  
 hoti (ホーティ) + Na (ナ) ならない。
 Anûpavâdo (アヌパワードー) 非難しない anûpaghâto (アヌパガートー) 害を与えない。
 Pâtimokkhe (パーティモッケ) 出家の戒律を  samvaro (サンワロー) 守る。
 Mattaññutâ ca bhattasmim (マッタンヌターチャバッタスミン) 食事が適量で、
 panthañ (パンタン) 辺地を  sayanâsanam (サヤナーサナン) 臥所にすること。
 Adhicitte (アディチッテー) 超越した心に  âyogo (アーヨーゴー) 精勤すること。
 etam (エータン) これが  Buddhânu (ブッダーヌ) 諸仏の
 sâsanam (サーサナン) 教えです。

    『出家者は決して他人を殺せません。人に迷惑をかける者は沙門ではない。
    他人を非難することも害を与えることもない。
    出家の戒律を守り、食事は適量をとり、人と離れた静かなところに住む。
    超越した心を目指してがんばること。
    これが諸仏の教えです。』

 これらの偈(詩句)は出家者に対する言葉です。お釈迦さまはまず「出家者は生命に対してすばらしい慈しみの心を持って、人に迷惑をかけないようにやさしく行動しなければいけません」とおっしゃっています。不思議なことですが、戒律というのは何億とあるのに、ただこのことだけを守っても全部守ることになってしまうのです。すべての生命に親切にやさしく、わずかな迷惑もかけないようにするということだけで、山のようにある戒律を包摂してしまいます。

 たとえば「出家者は人に何かをお願いしてはいけない」という戒律があります。考えてみると、それは結局人に迷惑をかけることになるのです。出家者に何かをお願いされたら、誰でも断りにくいのです。宗教家というのはどこの国でもやはり尊敬される立場にいます。たとえ陰で悪口を言っている人でも、出家者に頼まれたらたいがい言うことを聞いてしまいます。そこで出家者は人に何かを頼んではいけないという戒律があるのですが、そういうことは「生命に迷惑をかけてはいけない」という言葉にまとめられてしまいます。そういうところはお釈迦さまの言葉の本当に不思議なところです。

 adhicitta(アディチッタ)とは禅定のことです。私たちは五官(眼耳鼻舌身)から入る情報だけに頼る次元の世界に閉じこめられています。人間に認識できるのは狭い範囲の情報で、思考も妄想も哲学も科学もすべてそれらの情報によって頭で組み立てたものに過ぎません。仏教では、その次元を超越した高いレベルの智慧が生じることを目指します。

 このお経の内容はお釈迦さまだけが語られたことではなくて、過去の六人の仏陀たちも皆語られたことだといいます。とても短い中に膨大な智慧がシンプルにまとめてあります。真理に目覚めた人だけが語ることのできる言葉です。

(スマナサーラ師の講義より編集/文責;早川瑞生)








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こころおだやかにニャるゆるねこ×ブッダの言葉 (インプレスカレンダー2018)





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来年のカレンダーはこちらになります。



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#jtba【新刊】スマナサーラ長老の初期仏教法話DVD『Judgement 審判』





協会のfbより紹介です。






自動代替テキストはありません。

日本テーラワーダ仏教協会

#jtba【新刊】スマナサーラ長老の初期仏教法話DVD『Judgement 審判』

●V-269『Judgement 審判』 ~相対性を発見しないと人は無明を破れない~
 5月7日に東京で開催されたウェーサーカ祭で説かれたスマナサーラ長老の法話集をお届けします。三宝礼拝法要の法話『釈尊の悟りと喜びの言葉』、仏道のアルファにしてオメガである「正見」を実践によって完成に導く道筋を語りつくした長編の記念法話『Judgement 審判~相対性を発見しないと人は無明を破れない~』、そして祝福読経(転法輪経)をDVD一枚に凝縮しました。今年一年の仏道修行の指針ともなるような素晴らしいメッセージです。ぜひご覧ください。(2017/05/07 なかのZERO小ホールにて収録)

◆詳しくはこちら(カタログあり)
 http://www.j-theravada.net/bhavana_books/dvd/

▼購入方法について(2,160円、税込・送料無料[国内のみ])
・事務手続きの都合で、先入金とさせていただいております。
・郵便局の「払込取扱表」の通信欄に、ご希望のDVDの商品番号(V-269等)を記載して、合計金額を下記口座までお振込みください。
・送付先の住所は漏れ無くご記入下さいますようお願いいたします。
※国内のみ送料は無料です。

★郵便局から「払込取扱票」でお振込の場合
 口座番号:00120-5-763914
 名称:日本テーラワーダ仏教協会

★他行からのお振込みの場合
 ゆうちょ銀行:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
 当座:0763914

・事務局で入金を確認後、商品を発送いたします。
・通常、入金から7日~10日程度でお手元に届きます。
・ご不明の点は、info@j-theravada.net までメールでお問い合わせ下さい。

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新刊情報:スマナサーラ長老『ためない生き方 ネガティブな心を上手に消す智慧』SB新書





教会のfbより紹介です。





#jtba 新刊情報:スマナサーラ長老『ためない生き方 ネガティブな心を上手に消す智慧』SB新書

見本が届きました。

「手放せば、あなたは変わりはじめる
  モノと心のためこみが生む”感情の毒”から自由になる智慧」

画像に含まれている可能性があるもの:1人、スマイル













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#jtba【ご案内】大阪 7/16(日)スマナサーラ長老 2017年度「ブッダの冥想実践会」予約受付開始





協会のfbより紹介です。





画像に含まれている可能性があるもの:1人、テキスト
日本テーラワーダ仏教協会

#jtba【ご案内】大阪 7/16(日)スマナサーラ長老 2017年度「ブッダの冥想実践会」予約受付開始

スマナサーラ長老指導<2017年度 ブッダの冥想実践会>
『心には計り知れない力あり、なのに私の心は弱すぎる』

 例年開催されている「ブッダの冥想実践会」が、今年も7月16日(日)住吉武道館 2階において開かれます。午前中は『心には計り知れない力あり、なのに私の心は弱すぎる』というタイトルで講演が行われます。どのような法話か聞けるか、是非お楽しみに!昼食休憩などを挟んで午後は冥想実践会です。まったく冥想をしたことのない初めての方にも、ヴィパッサナー冥想の丁寧な指導があります。定員は300名、参加費500円です。ブッダが発見した真理の教え・心を育てるヴィパッサナー冥想に出会えるよい機会です。友人、知人お誘いあわせの上、奮ってご参加ください。
 
 参加には予約が必要です。予約はオンラインで協会HPから、または下記にある申込ページURLより、5月26日(金)から7月7日(金)まで受け付けます。どうぞ、お早めにお申し込みください。皆様のご参加、お待ちしてます!

日時:7月16日(日)9:30~18:30
会場:住吉武道館 2階(住吉大社境内)
住所:大阪市住吉区住吉2丁目9番89号

■予約申込ページURL 
 http://bmjsmys.wixsite.com/event

■参加費 500円
■定員 300名(先着順受付、予約制)

■予約申込 受付期間 5月26日(金)~7月7日(金)
 *予約はオンラインでお申込みください。
(※今回、電話予約は受付けておりません)
 *交通手段は鉄道など公共交通機関をご利用ください。
 *座布団が用意できませんので、各自座布団をご用意ください。 
 *昼食は各自ご用意ください。
 *会場となる住吉武道館、また、住吉大社へのお問い合わせはご遠慮ください。

■問い合わせ先
 アラナ精舎 072-427-6614

~生きとし生けるものが幸せでありますように~










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#jtba【案内】東京 6/25(日)『2017年 (宗)日本テーラワーダ仏教協会 総会』





協会のfbより紹介です。





日本テーラワーダ仏教協会さんがイベントを追加しました。

#jtba【案内】東京 6/25(日)『2017年 (宗)日本テーラワーダ仏教協会 総会』

 年に一度の『宗教法人 日本テーラワーダ仏教協会 総会』が、6月25日(日)東京 ゴータミー精舎にて開催されます。協会会員 各位のご参加をお待ちしています。午後2時~4時(予定)

◆総会への参加資格:日本テーラワーダ仏教協会 会員(現在)

 2016年度における当協会の各地での活動報告や、決算・予算報告、今後の活動にいての方針報告、その他、自由討論などがございます。スマナサーラ長老のご挨拶も予定しております。会員の皆様は、ぜひご参加下さい。終了後は、懇親会がございます。各地で活動してる方々とも、ぜひ交流をはかってみてください。

有意義な総会となりますよう、皆さまのご協力よろしくお願い申し上げます。
三宝のご加護がありますように

~生きとし生けるものが幸せでありますように~









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#jtba「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)【44】慈悲の冥想





協会のfbより紹介です。





#jtba「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)【44】慈悲の冥想
釈迦尊の教え・あなたとの対話 疑問・質問・反論のページ 【44】慈悲の冥想 (皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)
Q:ヴィパッサナー冥想と一緒に慈悲の冥想もするように言われていますが、互いにまったく関係のない冥想方法のように思われます。生きとし生けるものすべての幸せを願うことと、生きることを『苦』だと思って解脱を目指すことは、正反対の行為だと思えますが。
A:確かに表面的に見ると、そのように思えてしまいます。しかし人のこころの本質を知り尽くしたお釈迦さまが、この両方を実践してくださいと教えられましたので、やるしかないのではないでしょうか。多くの人々にとって、純粋にヴィパッサナーだけというのは、入りにくい実践方法なのです。真理の世界もそれほど簡単に理解できないものです。それでも困難のなか、無理して努力を続けると、人格的には大変かたくなになってしまいます。解脱ができるかできないかという疑問も出てきます。まわりの人々に対しても、協調性がなくなります。それが、本人にも他人にも迷惑にもなるし、ストレスにもなります。このことが修行に大変な邪魔なのです。
 そんなときに慈悲の冥想を実践すると、社会と抜群の協調性が生まれて、物事がスムーズに運ぶようになります。それは努力を実らせるためにも、欠かせない条件です。慈悲の実践に支えられたヴィパッサナー修行は、成功するはずです。まわりもその人のことを、親切な人だと思って協力的になります。本人も軽やかな気持ちで修行できます。
Q:ヴィパッサナー冥想だけでも精一杯ですので、なんとか慈悲の冥想を免除してもらう方法はないものでしょうか
A:安心してください。あります。そもそも仏教の冥想は、人格完成を目的にしているものだと理解してもよいと思います。慈悲の冥想によって得るべき人格がすでに備わっているならば、慈悲の実践に時間を費やす必要はないのです。それはどのような人格でしょうか。
 ものごとを考えたり判断したり、また行動したりする場合に、『私』という概念がまったくなく、『我々』『皆』という尺度を使う人です。他人のためになるものであるならば、いとも簡単に自分は引き下がる人。引き下がるときも、自分が損してもそれを気にしない。他人に「あなたはそんなことをしたら、損するよ」と言ってさとされても、「皆にとっていい結果になったのですから、ありがたいことでしょう」と答えるような性格の人です。すべての生命が平等であることを徹底的に理解し、それを実際の人生のなかでも実践している人。
 すべての生命は、表面的には楽しんでいるように見えますが、皆苦労して生きていることをよく理解している人。他人に対して、どのように援助しても、どのように協力してあげて一時的に幸せになっても、徳を積んで死後、どんな天界に生まれたとしても、人々の生きる苦しみは終わらないのだと理解する人です。解脱するしか、どんな問題にも最終的な解決方法がないと理解している人です。
Q:そうなると、免除どころか結局は慈悲の実践は、どうしてもやらなくちゃいけないことになるでしょう。
A:今まで説明した人格は、非常にまれだと私も思います。過去世で修行した経験があるならば、今世では生まれついて、このような人格者になれます。性格がそこまで進んでいない人々は、慈悲の冥想実践でその部分を補うことになります。
Q:ではこの2つの実践の、密接な関係について知りたいのですが。
A:実践の方法から見ると、慈悲とヴィパッサナーは背中合わせになって、逆方向を向いているように見えます。慈悲の冥想はすべての生命の幸福を願うことで、『生』を認めています。ヴィパッサナーは個人の解脱を目指して、『生』を脱出しようとしています。
 しかし慈悲の冥想実践の中身を少々考えてみてください。まず自分が幸せであるように念じて、「個が幸福に生きていきたい」という当たり前の事実を確認します。次に、自分に関係ある人々もまったく同じ気持ちでいることを理解し、確認します。そこで、我々が、幸せに生きていきたいという立場になります。『個』に限っていた理解が、『我々』という次元まで大きくなったのです。
 次に、我々だけではなく、いかなる生命でも幸福に生きていきたいということを理解し、確認します。結果として「幸せになりたいのは誰ですか」と聞くならば、「私ですよ」という答えではなくて「一切の生命ですよ」という答えになります。『個』の次元が『我々』に成長し、次に『一切の生命』という次元で見られるようになります。
 この過程ではこころのなかで、何が起こるのでしょう。自我という意識が揺らぎはじめ、一切の生命の次元になると、自我という意識が成り立たなくなります。
 さらに努力します。わざと嫌いな人のことも、自分が嫌われている人のことも思い浮かべて「その人々も幸せでありますように」と念じるでしょう。
 『嫌い』『嫌われている』という2つの概念は、結局は自分の主観です。他人のことを嫌う人は、自分が幸せになりたいのに相手が邪魔だと勘違いしているだけです。あるいは、他人のことを嫌うことで、自分が幸せになるのだと誤解しているかもしれません。それが誤解とわかると、嫌いな人のことも、嫌われている人のことも、「かわいそうではないか」「本当に幸せになってほしい」と思えるようになるのです。
 人のことを嫌いだと思うあなたは、幸福ですか? 楽しいですか? また自分が嫌われていると思うと、幸福ですか? 楽しいですか? ただ自分の主観で、悩んでいるだけでしょう。その無知な思考には、簡単に気付くことができます。蛇が嫌い、虫が嫌い、ゴキブリが嫌いなどと思うと苦しくなるのは、そのように思う人でしょう。
 こちらが勝手に蛇が嫌いだと思っても、蛇には何ができるのでしょうか。ゴキブリが蝶々の形になればよいのでしょうか。それぞれの生命に、それぞれの生き方があるのではないでしょうか。誰かを嫌いと思うことさえも、身勝手で、他の生命を見下すことになります。嫌いな人に対しても行う慈悲の冥想実践で、今まで説明した智恵が自然に湧いてきます。自分の生き方と一体になります。その結果として、こころの底から、いかなる生命に対しても、ほんのわずかな差別感さえも消えてしまいます。
 自と他の区別がなくなるのです。これは実践する人のこころの展開です。いわゆる『私』『私』という自我意識の消滅です。その展開が起きたならば、それがヴィパッサナー実践で得られる悟りの最初の段階 (sotāpatti)の境地の玄関です。すべてが無常だと気付くだけで、初期段階の悟りが開けます。
 慈悲の冥想実践とヴィパッサナー実践は背中合わせで進めていくように思えますが、道は輪になっています。どこかで顔を合わせなくてはいけないのです。
Q:道が輪になっているならば、とりあえず今のうちは、慈悲を省いてもよいのでは?
A:こころと遊ぶのは難しいのです。「私は今日から怒りませんよ」と決めたからといって、こころに怒りが生まれないと思いますか。「あなたは次、いつ、奥さんを怒鳴りますか」と聞かれて、答えられますか。
 純粋にヴィパッサナーのみで悟りを開くためには、高いレベルの智恵が必要です。社会関係を気にしないで修行だけすることになると、かなり苦労をしなくてはならないのです。悟りに成功してもしなくても、人は死ぬまで生きていなくてはならないのです。最終的には解脱を得て、輪廻を脱出できるかもしれませんが、それまでは、緩やかな社会関係もできなくて、苦労しなくてはいけないのです。悟っても悟らなくても、生きているのです。
 生きることは、皆に支えられているから成り立つのです。借りばかりで感謝の気持ちもない人格は、どうかなあ、と私は思います。仏典によると、悟りを開いてからも、慈悲の冥想は実践されたようです。どうせ生きることになっているならば、一瞬でも苦労しないで生きることがよいでしょう。慈悲はそのためです。
●photo:Coral at Jarvis Island National Wildlife Refuge by U.S. Fish and Wildlife Service Headquarters〈flickr〉

~生きとし生けるものが幸せでありますように~









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#jtba ウェーサーカ祭@なかのZERO小ホール午後の部3 祝福読経(途中から)のライブ中継録画を公開しています。 #wesak #vesak





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日本テーラワーダ仏教協会さんがライブ動画を作成しました。

#jtba ウェーサーカ祭@なかのZERO小ホール午後の部3 祝福読経(途中から)のライブ中継録画を公開しています。 #wesak #vesak

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満足に達した生命はいるのでしょうか?(短縮版)





協会のfbより紹介です。






仏紀2561年(西暦2017年)ウェーサーカ祭に関する協会の諸行事は盛会のうちにすべて終了しました。ご協力・ご参加いただいた皆様にこころより感謝申し上げます。5月7日(日)なかのZERO小ホールで上映された記念スライドショー『満足に達した生命はいるのでしょうか?』(短縮版)をyoutubeで公開しましたので、ぜひご覧ください。










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#jtba【報告】4/29(土・祝) 釈尊祝祭日『関西ウェーサーカ祭』




協会のfbより紹介です。





日本テーラワーダ仏教協会さんが写真7件を追加しました。

#jtba【報告】4/29(土・祝) 釈尊祝祭日『関西ウェーサーカ祭』

 4/29~5/4と連日続きました「関西ウェーサーカ祭」「関西月例冥想会」「宿泊仏教実践会」が、無事終了いたしました。皆様にご協力いただいたお陰です。有り難うございました!

三宝のご加護がありますように

~生きとし生けるものが幸せでありますように~


画像に含まれている可能性があるもの:5人、座ってる(複数の人)、キャンドル、テーブル、室内







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