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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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「身体の症状は緩和、心の病は完治」
 




協会の記事ではありません。
サークル仲間の所感です。
 <大仏とやっさんとやさしい教え>




9月24日 金沢 スマナサーラ長老講演
「身体の症状は緩和、心の病は完治」

石川県立音楽堂へ、スマナサーラ長老のお話を聞きに行って来ました。

「私は何を言うかわかりませんですから…」といつも通りに始まった講演。
難しそうなテーマでしたが、長老のお話はそれ以上に難しいような…聞く側(僕自身)の問題かな。

多くの人が、完全に健康でないと困ると思っている。
けれど、人は病気になるもので、病気と付き合って生きるしかない。
私たちは日々、壊れる身体を修復しながら生きているに過ぎない。

身体はとっても健康なのに、
その管理者である心が病んでいる人は、とても多い。
心が病むと、身体まで病んでしまう。
だから大馬鹿者である心の病をなくし、正しく修復させる必要がある。

人は現状維持を強く望むけれど、この世は無常なのだから、不変に執着すべきではない。
常に変化を受け入れなくてはいけない。病むこと、そして老いることを受け入れ、それを楽しむ。

心は、変化が理解できない、無常が理解できない。すべては瞬間瞬間変化していくものであり、固定されるものはない。変化を認め、変化に対して臨機応変に挑戦しながら、死へ向かう。

自我を捨て去れば、病という概念もなくなるかも。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 09:03:17 | トラックバック(0) | コメント(0)
2562年9月16日 マーヤーデーヴィ精舎
 








協会の記事ではありません。

サークル仲間の所感です。
 <大仏とやっさんとやさしい教え>




2562年9月16日 マーヤーデーヴィ精舎

『人生はお気楽に、やるべきことをやればいい。自分勝手に無謀なプログラムを作り上げ、その通りに事を進めようとするから無理が生じてしまうのです。自然の流れに従いながら、自分に課された義務を果たしていれば、それなりにうまくいくのです。結局「まぁまぁかな…」くらいでいいんです』

なんだか最近、いろいろと忙し過ぎて嫌になります。でもそんな忙しさは、自分自身が演出したものではないのかって疑たがってみました。忙しくない仕事は仕事じゃないって自分で決めつけてはいないか考えてみました。それは意味のない執着なのかも知れません。

『ユニコーンの角に執着する意味は、どこにもないのです。執着する対象そのものが、実は存在していないただの幻に過ぎないのです。その考えを捨て去れることで執着は消えてしまいます』

日々、勘違いしていることが、意外に多いと感じます。自分は正しいとする妄想がいつまでたっても消えません。これは由々しき問題です。

『世俗的道徳と仏教的道徳は違います。世俗的には、破壊をした ⇒ 仏に対して失礼なことをした ⇒ 地獄に落ちて苦しむ。でも仏教的には ⇒ 破壊した ⇒ (もともとダメな人だったんだから)今度はがんばりましょう、で終わり』

仏教はとてもやさしいです。
私は不善な行為をしてしまうものだから、不善をしないよう努め、善に励むこと。それだけです。

今回の法話もとっても楽しかったです。
そしてよく学べました。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 09:35:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
マーヤーデーヴィー精舎に行ってきました。
 





協会の記事ではありません。





マーヤーデーヴィー精舎に行ってきました。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 09:21:57 | トラックバック(0) | コメント(0)
あるがままの自分なんて意味がない。 あるがままとは自分を正当化すること。
 





協会の記事ではありません。

サークル仲間の所感です。
 <大仏とやっさんとやさしい教え>







週末、マーヤーデーヴィー精舎で、スマナサーラ長老の法話を拝聴しました。

あるがままの自分なんて意味がない。

あるがままとは自分を正当化すること。

自分を正当化していては進歩しない。

自分を否定せず、肯定せず、判断せず、

ただ観察し続けることが大切だ。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 16:39:51 | トラックバック(0) | コメント(0)
先週土曜日、クサラダンマ長老がインドネシアにご帰国されました。
 




協会の記事ではありません。

サークル仲間の所感です。
 <大仏とやっさんとやさしい教え>





先週土曜日、クサラダンマ長老がインドネシアにご帰国されました。事前に「見送りは不要」とお聞きしていたのですが、早起きをして関空へお見送りに行きました。たったひとりで来日されたので、同じようにひとり静かに日本を発ちたいという思いがクサラダンマ長老にはお有りになられたのかもしれませんが、親交が深かった人たちと一緒にお見送りさせて頂きました。

誰かと別れる際に、なんとなくフェードアウトするような離れ方もあります。でも僕は、大切な人とは直接サヨナラを交わしたいと思うのです。過去に、大切な人との別離を経験しました。彼は『今までありがとう』とわずかなメッセージを残しただけで、去っていきました。僕には伝えたいことがたくさんあったのですが、何も伝えることが出来ないままで、それが今でも残念に感じてならないのです。もっとも、彼が僕と同じ気持ちだったかはわからないことで、今はそれを知る術がありません。ただ、その時わずかにでも話すことが出来たのなら、きっと違う選択肢が作れていたはずだといつも考えてしまいます。

ともあれ、短い時間でしたが、日本を発たれるクサラダンマ長老にお目にかかれたことは、とても良かったと感じています。

昨日のお休みにスマナサーラ長老の本を読みました。

『ものごとを自分の思い通りに操れるなんてあり得ない、不可能なことだから苦しいのです。みんな不可能なことをやろうとして、精神的にすごい悩み苦しみに陥っているのです』

確かに。生きることの総体はドゥッカだということが、最近、少しだけどわかるような気がしてきています。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 11:17:31 | トラックバック(0) | コメント(0)
2月18日 東海ダンマサークル クサラダンマ長老法話会
 



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 <大仏とやっさんとやさしい教え>






2月18日 東海ダンマサークル クサラダンマ長老法話会

法話中に睡魔に襲われ、時々意識をなくしてしまう実に不謹慎な僕ではあるのですが、クサラダンマ長老の法話の素晴らしさはとてもよく理解しています。毎回、仏教とは何かをしっかりわからせてくれるクサラダンマ長老には、いつも感謝しています。

今回の法話の中心は、八正道の正見について。正見とは何か、わかっていたつもりでいたけれど、実はまったくわかっていなかったことに気が付かされました。

前々回は覚るとは何か、前回は冥想はなぜ行うのか、そして今回は仏教とは何かを教えて頂きました。それはあまりに深遠で、圧倒されてしまいました。

知るということはいつも楽しいことだと感じてきましたが、それがあまりに卓越した偉大なものであるとき、楽しいと感じるばかりでもないことに気付きます。今回の法話の後、自分の中で、これから仏教とどう向き合っていくのがいいのかという悩しい気持ちが湧いてきました。

ところで仏教では、将来のことは常に不確かでわからないことだけに願うべきではないと言われますが、このように正しく教えを頂ける機会がいつか失われてしまうことを想像すると、寂しい気持ちになってきます。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 09:19:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
いろんなお話をしている中で、カンポンさんのことを教えて頂きました。



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 <大仏とやっさんとやさしい教え>





週末、ちっちゃなわが家にお客様をお迎えしました。
いろんなお話をしている中で、カンポンさんのことを教えて頂きました。

どうしたらの残り少ない人生を意義あるものにできるでしょうか。最も大切なのはサティ(気づき)を保っていることです。今ここにいることに励むことです。すべての幸せは今ここにいることで感じられるものです。

過去というものは過ぎ去ってしまったもの。そして未来はまだやってきていません。過去を悔やむ時間はとてももったいないのです。今ここを私たちの中心にするのです。何かを失ってしまっても、失ったものを追い求めず、残っているものに目を向けることです。外側のものを失っても、内側の気づきを失わないこと、それは可能なことなのです。何かを失ったら、内側の気づきを育てていくのです。私たちは失ったものがあるとすぐにそこに心がとらわれていまいます。そうなると意気消沈して元気がなくなってしまいます。もし今、残っているものに焦点をむけたら勇気が生まれて、ここからどうしていこうかと発展的になっていくのです。

例えばはちみつがあったとします。それが半分こぼれてしまったとしましょう。こぼれたはちみちは気にしなくていいんです、まだ半分残ったはちみつがありますから。それをどう美味しく活かしていけるか、それを考えていきましょう。
(カンポンさんの「今日の一日一夜のいのち」から)

人生をしっかり見つめて「生きる」ことをされる方がいらっしゃって、そんな生き方は尊敬と憧れを抱かせてくれます。常にサティを保ち続ける人生というものが、簡単に出来るものではないと僕は知っています。だからカンポンさんのような生き方に深く感じいってしまうのでしょうね。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 13:22:59 | トラックバック(0) | コメント(0)
五戒を守るようにと考える人がいるけれど、実はそうではない。五戒は常に私たちを護ってくれている存在です。





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加納 康彦

五戒を守るようにと考える人がいるけれど、実はそうではない。五戒は常に私たちを護ってくれている存在です。

10月1日 東海ダンマサークル 名古屋初期仏教デーに参加しました。

スマナサーラ長老法話会メモ

・毎日、何かしらかの問題が生じるもので、それによって苦労するのは当たり前のこと。この当たり前の状態こそフツーの日常と認識して生活する。

・多くの人は、希望通りにならない人生を嘆き、幸せになりたいとか、成功したいと願うけれど、それは欲でしかない。

・もっとヤセたいと願っても、ヤセることはない。何もせずに願うだけで、何かが起こるということはない。

・心の中に存在する業は、生まれた瞬間に既にプログラムされている。但し、すべての行為が確定されているわけではなく、善行為は常に出来る。業は善悪両面で成り立っているけれど、悪を行わず、善を行い続けることで、悪業を封じ込め、善業を増やすことが出来る。だから善行為を行い続ける(業に投資する)ことに務める必要がある。

人は幸せになりたいと願う。幸せになりたいということは、今は幸せでない、つまり不幸にあるということ。でも不幸の中にいない人までもが、幸せになりたいと願う。幸せなのに、今に感謝するどころか、まだまだ幸せが足りない、もっともっとたくさんの幸せが欲しいと言い続ける。それはただの欲望でしかない。人間は、どこまでも欲に駆られる存在らしい。それは、人ごとではなく、自らを観察すると、やはり欲は多く存在する。内にある欲をしっかり観ることで、捨てる(減らす)ことを目指す。そのため、自分自身を正しく働かせることに努めなくてはならない。怠けずに、しっかりと。

たいへんなことです。










大仏とやっさんとやさしい教え | 13:09:26 | トラックバック(0) | コメント(0)
9月24日 東海ダンマサークル クサラダンマ長老法話会





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サークル仲間の所感です。
 <大仏とやっさんとやさしい教え>





9月24日 東海ダンマサークル クサラダンマ長老法話会

転法輪経の2回目。転法輪とは、真理の輪(法輪)を回し(転じ)始めるという説法です。この経典は、お釈迦さまが覚りを得て初めて説かれたもので、仏教の基礎的な項目が凝縮し、羅列されています。そのためか、クサラダンマ長老は、前回に続き経典の背景について詳しく説明をしてくれました。

サハンパティ梵天の勧請を受け入れた世尊は、自らが得た真理を理解できる人を探し始めます。

アーラーラ カーラーマならすぐに理解するだろう。
アーラーラ カーラーマは7日前に亡くなりました。
ウッダカ ラーマプッタならすぐに理解するだろう。
ウッダカ ラーマプッタ昨夜亡くなりました。

それならと、供に苦行を実践した五人の行者に伝えることにしようと、世尊は彼らがいるベナレスに向かわれました。途中、ウパカに出会い問われます。

あなたの師は誰ですか?

わたしは一切を知る全知者であり、解脱者であり、涅槃を確立した。わたしに師はいない。わたしは阿羅漢であり、天人師であり、正自覚者である。

それから五人の行者に出会い、自らの修行が完成したことを告げられました。問答の末、五人の行者は世尊を信頼し、世尊から教えを受けることになったのです。世尊は、五人の行者に二つの極端(修行)について説かれるのでした。

二つの極端とは、
1 感覚器官がもたらす喜びとそれに執着すること
感覚の喜びを求める行為は、食べる、眠る、交尾するだけの下等な動物と一緒で、貪欲さを増し、好き嫌いを増し、貪瞋痴を増す。

2 苦行は聖なる行為ではなく、覚りに繋がる行為でもない
覚りに繋がらない行為は、真の利益をもたらさず意味がない。

修行に必要なのは、まず決意すること。
そして、戒定慧(三学)の進歩があるか。

要は戒定慧。
戒 シーラ 戒律を守る
定 サマーディ 瞑想によって集中力を養う
慧 パンニャ 智慧を育てる

ところで法話を聞かせて頂くと、ときに自分の考えの誤りに気付かされることがあります。苦行に対して、僕は誤りがありました。お釈迦さまは、苦行は下等なもの、劣ったものとはおっしゃれてはいなくて、単に覚りに繋がらないとされているだけでした。こうしたことを知るうえで、比丘の法話は、欠かせないものです。


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大仏とやっさんとやさしい教え | 13:30:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
9月16日 マーヤーデーヴィー精舎に行ってきました。 スマナサーラ長老の法話メモです。





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 <大仏とやっさんとやさしい教え>





9月16日 マーヤーデーヴィー精舎に行ってきました。
スマナサーラ長老の法話メモです。

1 誰かに渡すためのメモではなくても、誰かに話しかけるための言葉ではなくても(独り言でも)、いつも知性が必要だ。何かの拍子に、他人にメモを見られても、独り言を聞かれたとしても、恥ずかしくない美しい言葉を、常に使っていなくてはいけない。

2 いつもハッピーでいること。明るく、楽しくいること。自分がハッピーでいるなら、人に対して問題は起こさないし、起きもしない。

3 人は善いことも悪いこともする。そして人は、善いことと悪いことの判断(区別)をつけられる。その判断に従って行動をするのであれば、自ずとどういう行動をとることが必要なのかがわかる。

4 世界を見るのなら、山のふもとではなく、山の頂に立つべきだ。山のふもとでは、世界を見ているつもりにはなれるけれど、正しく見ることはできない。

5 (業について) 感情が汚れると、心が汚れる。そして業が汚れる。だから、感情はいつも正しくコントロールしなくてはいけない。また、余りに幸福であったり、余りに成功してしまうと、人はつい調子にのってしまう。そんなふうに調子にのることでも、業は汚れ出し、それによって不幸が生まれ出す。

善い一日でした。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 15:30:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
すべては縁によって成り立っている





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 <大仏とやっさんとやさしい教え>





すべては縁によって成り立っている

何年も会っていなかった知人と久しぶりに会った。
待ち合わせた喫茶店での第一声が「老けたなぁ〜」だった(¬_¬)

確かに歳はとった。時間の経過とともに見た目は変わっていく。そして最近は、老けることに抗う気持ちがなくなっている。歳を重ねなければ気付けないことはとても多くあって、それを知ると、歳をとることは悪いことではなくなる。だからなのか、見た目も歳相応でいいと思えてしまう。

先日の法話会で、クサラダンマ長老が「すべてのものは縁によって成り立っている」とおっしゃられた。言葉ではわかっても、心底理解するのは難しいことだと思う。

若い頃は、縁を自分の都合で引き寄せようと無理をした。でも、人とすれ違ってしまったり、思い通りにならないことはとても多くあって、仕方がないことと考えられるようになった。この仕方がないということは、諦めるということとは違う。単純に縁がなかったということ。このことがわかるようになった。

こんなこと、大したことではないのだろうけれど…、でも、気付けたことにうれしさを感じるのです。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 16:04:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
8月27日 クサラダンマ長老 法話会





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 <大仏とやっさんとやさしい教え>





8月27日 クサラダンマ長老 法話会

「日本の社会において一般的ではないテーラーワーダの教えを学び実践していくことは、大きな挑戦だと言えます。仏教の根本的な考え方は、日本社会に根付いていないし、また現状を見る限り、これからも根付くとは考えにくいでしょう」

今回のクサラダンマ長老の法話は転法輪経です。

「今から2026年前、お釈迦さまは五人の比丘を相手に教えを説かれました。それが転法輪経です。この経典は五人の比丘を覚りへと導きました。そのためこの経典は論理的な解説がなされるようになってしまいましたが、本来はヴィッパサナーなど実践的側面から理解すべき経典なのです」

仏教について学びを得ようとした時、まず中道や四聖諦、八正道などの言葉に触れることになります。そうしたものが語られているのが転法輪経です。だからでしょうか、この経典を読むとワクワクしてしまいます。

ワクワクしながら読む経典なんて、あまりに貴重だと僕は感じるのです。

具体的な経典の解説を前に、どのような状況下でお釈迦さまは覚りを得られたのかというお話をクサラダンマ長老はされました。察するにこの経典はそうした背景からしっかりと学んでいかなければ、理解するのが難しいのでしょう。転法輪経の第一回目の法話はガイダンスのみで終了してしまいました。

それでも最後に、八正道について教えて頂きました。

八正道は、戒を守り、冥想を行い、法を聴くことで進んでいく。全てをしっかり修めていくことは容易なことではないでしょうけれど、怠けずしっかり歩んでいきたいものです。

次回法話が楽しみです。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 17:16:01 | トラックバック(0) | コメント(0)
『働く、働く、働く。それだけになっていないか?





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『働く、働く、働く。それだけになっていないか? こころの成長を無視して、日常の雑務にのみ追われ続けていないか? 今際の際にそのことに気が付いてもすでに遅い。人生の終焉にすべてを簡潔に知ろうとすることは無理なこと。老いてからでは難しい』

今年の雑記帳の最初にページ。
クサラダンマ長老の法話会でのお話です。

もう7月、今年も折り返し。
日々起こるいろんなことで忙しく、時間はあまりに早く過ぎ去って、人も物も、これほどに変化するのかと驚く毎日です。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 13:56:29 | トラックバック(0) | コメント(0)
今回のスマナサーラ長老の法話では、人の持つ本質についての解説が多くありました。





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 <大仏とやっさんとやさしい教え>





18日 マーヤデーヴィ精舎 スマナサーラ長老の法話会に行ってきました。

最近の社会風潮では、コメントは当たり障りのないものにするということになっていて、例えその内容が現実とかけ離れても、実現不可能であっても、事実や真実を正しく表現するよりも、誰からも指摘を受けない理想的なものでなくてはならず、また感想を求められた際には、何も感じることがなくても「素晴らしい」と言い、何もする気がなくても「そのように行動していこうと思います」などと言うことが「大切」なことのようです。それは大人の社会に必要不可欠な「空気を読む」ことであり、大切な儀礼だと考える人が多いからかもしれませんが、そんな言葉遊びは面白くも楽しくもないし、何よりそれに付き合う時間がとても惜しいと僕は思ってしまいます。でも稀に、そうした下らないコメントを一切発しない人がいて、そんな人の話はストレートで気持ちがいいといつも感じてしまうのです。

今回のスマナサーラ長老の法話では、人の持つ本質についての解説が多くありました。

すべての生き物は自分勝手でわがままなもの。人は、自己の都合を他者に押し付けながら生きていて、誰しも「私が(都合よく)生きるために、あなた(他者)の生き方を管理したい」という思いを持っている。でも、「わたしはなたではないし、あなたもわたしではない」。

人は他の生命をいじめたいと考える。いじめは存在欲の現れで、いじめがなくならなることはあり得ない。だから、いじめをなくそうと叫ぶのではなく、他者の命の尊厳どのようにしたら守れるかを考えるべきだ。

存在する意義は挑戦することから生じるものであり、敗けることは死を意味する。最終的に人は必ず死ぬのだから、必ず敗ける。但し、敗けるのだから、挑戦することに意味はないと逃げ出すことはしてはいけない。死の瞬間まで、挑戦し戦い続けなければならない。

生きることは挑戦し続けること、それなのに挑戦することから逃げたいと人は考える。苦が生じても、苦も命であるのだから、意識をしっかり保ち、苦を感じ取り、生きるを選択をする必要がある。壊れる身体と心の関係を正しく保ち、執着を捨て去れば、気持ちよくこの世界を離れることが出来る。

「幸福になりましょう!」と言ったところで、人は幸福になれるはずはない。幸福だけではなく、いろんな希望を抱いたとしても、それを実現させる方法を知らない限り、希望が実現することは、まずない。楽しく幸福に生きたければ、幸福に生きる方法をしっかり学び、実践しなくてはならない。

それがお釈さまの教えなのです。

こんなことを書いていると、とても宗教っぽいけれど、スマナサーら長老はいつも「仏教は宗教ではない」とおっしゃられます。宗教ではなく、正しく生きる手法なのですね。今回、長老は法話の中で、中部経典からエピソードをお話になられたのですが、それがどの経典なのか僕にはわからなくて、ちょっと残念でした。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 08:20:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
6月11日 東海ダンマサークルのヤサ長老の法話会に行ってきました。今回は中部経典24「中継車経」です。





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 <大仏とやっさんとやさしい教え>





6月11日 東海ダンマサークルのヤサ長老の法話会に行ってきました。今回は中部経典24「中継車経」です。

この経典は、世尊が問う尊敬に値する比丘の十項目についてと、そこから続くサーリプッタ尊者とプンナマンターニプッタ尊者の会話からなる七清浄の教えです。三学に4つの項目
を加えた七清浄は、涅槃を成就させる要素を、交代しながら人を目的地に送る七つの車(中継車)に例えた経典でした。

冒頭、世尊の問いです。

「比丘たちよ、生地において、いったい誰が梵行比丘たちの間でつぎのようなものとして尊敬されていますか、すなわち…
自ら少欲にして、少欲の話を比丘たちにしている者である(少欲)。
自ら知足にして、知足の話を比丘たちにしている者である(知足)。
自ら遠離にして、遠離の話を比丘たちにしている者である(遠離)。
自ら交際をせず、不交際の話を比丘たちにしている者である(不衆会)。
自精進努力をし、精進努力の話を比丘たちにしている者である(精進)。
自ら戒を成就し、戒成就の話を比丘たちにしている者である(戒)。
自ら定を成就し、定成就の話を比丘たちにしている者である(定)。
自ら慧を成就し、慧成就の話を比丘たちにしている者である(慧)。
自ら解脱を成就し、解脱成就の話を比丘たちにしている者である(解脱)。
自ら解脱智見を成就し、解脱智見成就の話を比丘たちにしている者である(解脱智見)。 
と」

ヤサ長老の法話は、主題の三学と七清浄の解説から始まりました。

三学  仏教修行をするものが必ず修めなくてはならない三つのステップ
戒学(悪を止め善を修する道徳)
定学(寂静の中にあって精神を統一し雑念を払う集中力)
慧学(煩悩を断ち真の姿を見極める智慧)

七清浄(しちしょうじょう) 三学を完全にし、涅槃を成就させるもの
1 戒清浄  戒の汚れがないこと 定のために戒を護り続ける
2 心清浄  心の汚れのないこと 定が生じるまでの心修習
3 見清浄  汚れのない見 
4 度疑清浄  汚れのない智で疑惑を超える因となる 正見
5 道非道智見清浄  道か道でないかを見て知る汚れのない智
6 行道智見清浄  進む道を知り見る汚れのない智   
7 智見清浄  汚れのない智見

執着のない完全な涅槃を目指しながらも、執着を生んでしまう危険性は生じてしまう。だから正しく進むため、冥想が必要ということなのですね。

お経を読むのは楽しいことだけど、そこに記されていることをどれほど理解できているのかは、いつも疑問に感じます。だからこそ、法話を頂ける機会はとても大切で、嬉しいもの。ただ、僕の頭にはいつも難しい。

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大仏とやっさんとやさしい教え | 09:49:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
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