協会の記事ではありません。
ポンタ丸さんのブログより紹介です。
心を洗う

自分の『怠け心』と向きあう~だるまさんとにらめっこ
人は理由をつけて怠けたがる
私は『グレて』怠けておりました
前回の【『仏教なんでもセンター』落慶法要の裏話】で書きましたように、私はしばらくグレておりました( ̄^ ̄)
それでブログを更新する気もおこらず漫然とした日々を送っていたのでございます。
そんなわたくしの日々の日課は「だるまさんとにらめっこ」。
「なんじゃ~、それ?」と思われました?
これはどういうことかと申しますと『仏教なんでもセンター』落慶法要の記念として【『怠け』を克服する】という施本をいただいたのですが、その施本の表紙にだるまさんのイラストが載っているのです。
関連記事:『仏教なんでもセンター』落慶法要の裏話
この施本をいただいたときには「わ~♡、わたしにぴったりの本。怠けを克服できるよう精進しないと~♪」と思っていたのです。
本当にそう思っていたのです。
がっ
ひとたびグレてしまうと、わたくしの『決意』なんてものはあって無きようなもの。
そう、それは例えるなら「砂浜につくったお城」。
潮が満ちて、波をかぶるとあっという間に姿かたちを留めなくなってしまうような脆いものなのでございました・・・( ノД`)ヨヨヨ
そのように心がグレテしまったとき(折れてしまったとき)というのは「やらないといけない」という気持ちはもちろんあるのですが、「やりたくない」という気持ちのほうが強くて、結局怠けてしまい後悔するという日々を送ることになります。
仕事中は「よし、今日こそブログ書くぞ~!」と思うのですが、帰宅すると「疲れた~、やっぱやめた~」となってしまうのですね。
しかし、自分がやらなきゃと思っていることをやらないというのは、ものすごく心に葛藤が生じます。
「やらなきゃ~」
「でも、やりたくない」
「でも、やっぱりやらなきゃ~」
「でも、やっぱりやりたくない」
そういう心の会話が延々と続くわけです。
それならさっさとやれよと思われることでしょう。
わたくしもそう思いました。
しかし、心がグレてしまったときというのは、そういう一般論は通じなくなります。
そのような弱くなってしまった心に、いただいた施本はわたくしにとって【魔除けのお札】のようなものでございました。
これはわたくしが【魔】で、【魔除けのお札】である施本にふれることができないという意味です(^◇^;)
テーブルの上においてある施本の【『怠け』を克服する】という題字とだるまさんのイラストを見ると、「怠けたらあか~ん」という心と「いやっ!やっぱりやりたくない!」と反発心との壮絶なせめぎあいが始まるのでございました。
施本とにらめっこしながら「これではいかん!」という気持ちに押されて、施本を手に取って読み始めると、『怠けの定義』という箇所で「ぎゃっ!!!」と叫んで本を閉じてしまうのでした。
怠けの定義:
「怠け」とは、自分がやるべきことをやらずにさぼること
なんだかんだと言い訳しながらさぼっていることを自覚している身には、的確すぎるこの言葉は心につきささります。
弱い!
弱すぎる私の心。
心の復活には少し時間がかかる
とはいうものの、『時間』というのはやはり偉大なものでして、そうこうしているうちに、次第に立ち直ってくるものでございます。
心がグレてしたったとき(折れてしまったとき)というのは、心のエネルギーが減ってしまっている状態なので、チャージするのに時間がかかってしまうものなんですね~。
そういう時は、エネルギーが減った状態になっているので+α(プラスアルファ)なことができません。
例えば、仕事や家事はなんとかこなせるけど、それ以外はすることができないんです。
そんなときは+α(プラスアルファ)なことはしないで、とりあえず仕事や家事だけはやるようにしようと開き直ると、そのうち浮上ポイントがやってまいります。
※かかる時間は個人差やおかれた環境に左右されるとは思いますが。
人間生きていれば、そういうときもあるもんです。
わたくしポンタ丸なんぞはコッテコテの【凡夫】ですから、自慢じゃありませんが、たびたびこういう状況に陥ります。
しかし【悟り】を開いたあかつきには『怠け心と闘う』という無駄な努力をしなくてもよくなるはずです。
ですので、【凡夫】なわたくしはこういうことがあっても、いやあるからこそ瞑想しながら少しずつでも心を向上させるよう精進しようと思っておるのです、はい(-ω-`*)
しかし、無駄な努力をしたくないから精進するという考えそのものがすでに【凡夫】という笑えない事実(^◇^;)
結論
心がグレてしまったときは、過度に心に無理をさせると悪化してしまいますが、適度に無理をさせないと日々グータラとすごしてしまい後悔してしまいます。
浮上点を探しながら、あーだこーだと言いながらも体を動かすように意識したほうがいいですね( `^ω^)=3
みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/協会の記事ではありません。
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心を洗う

瞑想~それは眠気との闘い
ずっと眠気と闘ってきた
今も眠気と闘っている
先日、私がいつもお世話になっている誓教寺で2泊3日の女性限定の瞑想ミニ合宿が行われました(詳しくは誓教寺のHPでどうぞ)。
私は仕事の都合で2日しか参加できませんでしたが、やはり瞑想はできるだけ長時間したほうがいいので、こういう機会があるときは、できるだけ時間をつくって参加するようにしています。
【どうやって生きていったらいいかわからない~そんなときは】で最後に少し書きましたが、瞑想すると様々な「気づき」が起こります。
続きはここの中
http://ponta-maru.com/meisou-nemuke-tatakai/協会の記事ではありません。
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心を洗う

「慈しみ」のネットワークにつながる~「優しさ」が自分を守るということ
【慈悲は奇跡】を実感する
「慈しみ」のネットワークにつながって生きること
漠然とした「不安感」にさいなまされることなく生きる方法は他にもあります。
それは「慈しみ」のネットワークにつながって生きることです。
去年の11月に誓教寺の「瞑想実践会」に参加した時に、スマナサーラ長老が「慈しみのネットワーク」についての法話をされたので、ここで簡単にご紹介させていただきます。
今の時代、インターネットで各自のパソコンはつながって、どんな情報も得ることができますし、反対にいろんな情報を発信することができます。
ものすごく便利です。
パソコンもインターネットにつなぐことで、簡単にアップデートできますし、誰で簡単に操作することができるうえ、情報も簡単に手に入ります。
続きはこの中
http://ponta-maru.com/jihi-kiseki-network/
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心を洗う
食事の観察 ~ それは最強の瞑想
びっくりするほど智慧があらわれる(らしい!)
今回は「最強瞑想!食事の観察」をご紹介いたします。
「食事の観察」のやりかた
「食事の観察」は瞑想ですので、やはりさまざまな条件がございます。
その条件を満たして観察することで【智慧】がド~ンとあらわれてまいります(とのことです)。
ですから、やるからには条件をきちんとまもって実践してまいりましょう。
条件
条件1: 食事(朝、昼、夜)からひとつをえらぶ(間食はNG)
条件2: 最低45分くらい時間をかける
条件3: その間、誰とも一言もしゃべらないようにする
条件4: 実況中継しながら食べる
ここで注意したいのが、「~しながら~する」ということはやらないということです。
例えば「箸をもちながら、口の中のものをかむ」というようなことはNGです。
ひとつずつ行為する(one by one)というのが「食事の観察」の肝になりますので、一コマを一コマを完璧に実況中継しながらおこなっていってください。
では、上の条件を理解したうえでやり方をみてまいりましょう。
続きはこの中
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