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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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お手伝い募集 6/17  ウインクあいち  12時集合   食事の御布施会 ありません


 
お手伝い募集

6/17「ウインクあいち(1208)」

  12時集合
  食事の御布施会 ありません

会場「ウインクあいち「1208」
12:30受付
13:00開始
    

メイン会場1208


17日(日) 一日集中冥想会+アビダンマ勉強会---   ウインクあいち    
              
 会場アクセス http://www.winc-aichi.jp/access/  







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お手伝い | 09:56:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
佐藤哲郎さんのフェイスブックより紹介です


佐藤哲郎さんのフェイスブックより紹介です




スマナサーラ長老の法話より(2012年5月5日 ゴータミー精舎法話と実践会Q&Aメモ)

作成: 佐藤 哲朗 日時: 2012年5月5日 14:50 ·

スマナサーラ長老の法話より(2012年5月5日 ゴータミー精舎法話と実践会Q&Aメモ)

 

Q渇愛はよくないというが、人生の目標・意欲は必要ではないかという疑問が起こる。渇愛と目標・意欲の関係について教えていただきたい。

 

A これは大切なポイントです。生命は生存欲で生きている。「生きていきたい」と意欲が起こると、そこに恐怖感と怒りが出てくる。生命は認識対象を敵・味方で 区別するのです。自分に有効だと思ったら好きになるし、害があると思ったら敵意を抱く。本当に害があるかどうかは分からないが。敵か味方かという見方を捨 てれば、蛾や虫もかわいくみえる。

 

何が私たちを生かしているのか? 神ではない。それは渇愛というのです。ブッ ダは渇愛を三種類に分けている。欲愛、有愛、非有愛です。人間には昆虫と違って、ものごとを考える能力がある。概念をつくってしまう。大したこと無い能 力。概念がなくても、他の生命はちゃんと判断して生きている。動物と違って、もっとややこしい世界を作る。存在欲を肯定するために、より安心して生きるた めに、いかに死を避けるために、ありとあらゆる工夫する。薬作ったり、家作ったり、飛行機作ったり。そんなのはシロモノで大したことないと思いますが。 だって、津波があっても野生動物は死なないでしょう、人間が死ぬんです。人間が自分を守ろうと築いた文明は、その目的に役立っているか分からないけど。

 

建 物をたてること、会社をつくって経営すること、商品開発すること、勉強すること、それらの中で希望・願望・ああなりたいこうなりたいということが人間社会 に出てくるのです。その根本を探したら何なのか? 私は科学者になりたい、画家になりたい、金を儲けて家族を幸せにしたい、表面的にはぜんぜん悪くない。 裏を観ると、見えるのは生存欲と恐怖感なんです。だからややこしい。勉強していい職についてまともな人間として行きたいというのは悪いことではないが、生命は全て生存欲の衝動で生きているという厳然たる事実がある。

 

我々 は夢を求めて頑張ってもトラブル続きです。人間は夢がないと元気が出てこない。夢が叶う確率は低い。人間社会は競争社会。動物と違ってお互い殺し合いして 共喰いして生きている。人間同士、やるかやられるかという世界です。人間に生まれたせいなのだから、私に文句言わないでください。この競争社会で生き延び なくてはいけない。その程度で、必要な量を知って、適当な夢や目標を作っても構わない。しかし自分が立てた夢や目標にしがみついて、「それこそが人生だ」 と思わないでください。それは生命共通の生存欲から発しているのです。原発と同じです。人間社会には電気は必要だが、こんな地震国でわざわざ活断層を探し て原発作るってどういうことか。結局、自分を守ろうとして、自分を破壊して殺して終わってしまう。それを考えたうえでの夢を持ったほうがいいのです。いつ でも好き勝手な夢を描いて追いかけるのではなくて、理性をつねに働かせる。

 

まず現状認識をしっかりしましょう。皆様は自分 のことしか考えてないのです。どんな夢も自分のことばかり。自分を助けてくれるから家族のことも考える。まず自分の幸せを優先する。自分が幸せになってか ら、親のことも嫌々考えてみる。だから、周りはそれを壊そうとするのです。といっても、人間を恨んではいけないのです。人間社会は共喰い社会だから。人間 の作った社会は、誰かが不幸になってその文誰かが幸福になる社会。誰かが不幸にならなくてはいけない世界というのは人間が作った世界の仕組みです。これも 生存欲と恐怖感という動物的衝動でつくったものでたいしたことない。

 

ではどうすればいいのか? 仏教の提案は「誰かに貢献してみてはどうですか?」ということです。夢や目標を持つならば、「誰かに貢献できる人間になってみよう」と決めること。自然を守ることでもいいんです。それには誰も反対しません。足を引っ張ることもしないし、何のことなく応援してくれるのです。気 持ちを貢献することにする。この人間社会で、自分が殺されてないだけでもめっけもの。殺し合い社会で、殺されてないだけで人類に感謝しないといけないんで すよ。世界の核兵器の数を考えたら……。またそれを振りかざしている国々の凶暴さを考えたら(北朝鮮のことではないですよ。皆さんが拝んでいる西洋の国の ことです)……。

 

誰か一人でも貢献しようと思うと、その人にあまりライバルは出てこないのです。協力者は出てきます。あま り足を引っ張られないのです。夢・目標を作るなら、渇愛と違った、貢献する方向の夢を作ったほうがいいと思います。若者が音楽をつくるなら、音楽を通じて 人々に安らぎをあたえましょう、元気になってもらいましょうと。そうすると人気が出ます。みんなの幸せを願うと売れます。みんな自分のことしか考えてない ところで、誰かが「あなたの幸せを願います」と歌ったら、みな飛びつきますよ。そうやって、何か貢献します、という気持ちで医者を目指すならば、勉強も身 につきます。勉強できるような気持ちになる。

 

これは、勉強する時の秘密でもあります。勉強しながら、「これがどのように人 類の役に立つのか?」という気持ちを入れておくと、内容をびしっと憶えていられる。夢と希望は渇愛です。しかし夢と希望なしに生きるのも難しい。夢と希望 を持つとみなライバルになって、足引っ張ろうとする。このジレンマ解決するためには、違う形の夢をつくる。それは、みなに貢献する夢をつくることなので す。

 

 

Q(質問というか自分の求道人生について語ったご年配の方の言葉を受けて)

 

A何か知りたければ生意気であったほうがいい。疑問があったらぶつけてきたほうがいい。自 分が知りたいことをビシッと質問しなさいというのがブッダの立場です。経典の四分の三くらいは誰かの質問に答える対話。一方的に喋る場合は、必ず相手は出 家弟子。在家相手の場合は相手の質問に答える。どんな質問が来るかわからないから、「自由に質問をしてください」ということは、ブッダにしかできない。「こ れは神の言葉だよ」と押し付けない。ブッダは調べなさい、考えなさい、疑問を出しなさいと、いうことで各人の命、・人生を大事にするんです。命に価値はな い、一切皆苦といいながら、とことん一人一人を尊重するんです。疑問があったら、ぶつけてみなさいよと。学校でも、子供にどんどん質問させると抜群に能力 が伸びます(能力のない教師にはできませんけど……)。

 

宗教は信仰するものです。信仰する自分の立場が低いんです。仏教はブッダの教えを自分で勉強して、納得して自分がやってみる。それで自分が幸せになる。な ぜやってみるのを嫌がるのか。幸福になりたいといいつつ、ブッダの言うことは嫌だと。世界の七割は神を信じているが、神様はおにぎり一個でもくれたことが あるのでしょうか? だれでも飢えている他人がいたらご飯あげますよ。それを神がくれたというのはどういうことか。(スリランカの子守唄のエピソード: 「あなたの飲んでるおっぱいは天使がくれたものよ」という本歌を「あなたが飲んでるおっぱいは、天使でも神でもなく、私(母)があげているのよ」と本当の ことを述べる替え歌にした女性歌手が話題を集めた)みな本当のことをいうのは嫌がる。聴きたくないのです。

 

渇愛があって、 生きていきたいと思う。しかし幸福に生きる方法には、みな反対するのです。必ず、自己破壊の方向に歩くんです。それが人間の生き方です。幸せになりたい目 的をつくって、それと反対の道を歩む。それをお釈迦さまは直している。それも「オレがブッダだ、言うことを聴け」ではなく、「私は教師です」と言ってい る。しかし形容詞は「偉大なる」師匠であると明言するのです。宗教家はみな神の言葉をかたる。ブッダはご自身を「神々と人間の教師である」という。神の言 葉をかたって人々を騙している人々に対して、「私はその神様の教師ですけど、なにか?」と大胆なことを宣言している。ブッダはそうやって、他の宗教をとこ とんバカにしているんです。

 

世界の宗教が何をやっているのかというと、渇愛をさらに強化しているだけです。人 間に根拠のない罪悪感を植え付けて、その上で神には愛があるんだと。屁理屈ばかり。それでも人間は鵜呑みにする。それは渇愛に燃料を与えているからです (永遠の魂、天国)。怒りに燃料を与えているんです(異端者だ!異端者は殺せ!と。現在のイスラムの国々をみてください)。皆さんブッダの教えに違和感を かんじるかもしれませんが、これが自由への道、やすらぎの道なんです。自由に解放された生き方をお釈迦さまは推薦していますよ。ブッダの教えを実践して心 の邪魔者をなくすとものすごい能力を発揮します。しかしそれは生命のために使う、金儲けのために使うのではない。素晴しい世界が現れますよ。ブッダを偉大 なる師匠と認めて、人類が学ぶならば。

 

私はとにかく、みなさんにお釈迦さまを紹介したい。日本では仏教、仏教と言いながら、仏教はお釈迦さまの教えだと知らないんですね。日 蓮こそがブッダだとか、最近は「我こそはブッダの生まれ変わりだ」と言っている人までいる。(ブッダは2500年前に二度と生まれ変わらないと言ったの に。生まれ変わったならブッダは嘘つきだということ。だったら、いま言っていることも信頼出来ないでしょう。また、ブッダは魂はあり得ないといったのに、 生まれ変わったブッダという人は、人間に偉大なる魂があるんだと言っている。めちゃくちゃです。)

 

ちょっと理性があれば、そんな与太話にはさようならと言えるのに。宗教の話なんか、怖くないのに。仏教の世界は、すべての束縛から解放されて、すべての能力を発揮して堂々と生きていられる世界なんです。信仰は必要ない。実践すればいいんです。(たとえ実践しなくても、)学んだだけでも心はしっかりしますよ。ブッ ダには、誰もかなわないんだからね。日本では、増谷文雄先生や中村元先生、最近は片山一良先生など、たくさんの学者がパーリ経典を翻訳しているが、学問の 世界ではハンディが入る。翻訳ではパーリ語の生き生きとした意味が死んでしまうし、研究者の立場では、臨機応変に説法することはできない。学者の方々がで きないことを私はやっているんです。

 

ブッダの言葉は厳しいのです。脳にはパンチを浴びせる。目覚めるためには、ガツンと言わないと脳が回転してくれないんです。目覚めるためには、われわれの脳の働きを逆にしないといけない。そのために冥想があるのです。

 

 

Q慈悲の冥想に関して、私の嫌いな人々のところでひっかかる。嫌いな人々の願い事が叶えられますように、というと悪い奴らの願い事が……

 

A もっと冥想続けると、生命をみる見方が変わってくると思います。そこで疑問が消えると思います。願い事が、というのはすべての生命が幸福に生きていきたい と思っている、その願いです。道を間違っているのはその生命の間違いであって、虫だろうが人間だろうが、幸せに生きていきたいと願っているのです。それが 叶って欲しいのです。でないと死んでしまう。悪いことをしてしあわせになろうとしているのは勘違い。「こいつは嫌なやつだけど……」という気持ちで、 「(この人の)願いごとが叶いますように」と念じるのは、この人が幸せの道を歩んでほしいということ。殺人計画をしている他人に「願い事 が叶えられますように」と願うことは、「殺人が成功しますように」という意味ではない。その人は、殺人を犯すところまで苦しんでいるんです。その人が幸福 の道を歩んでくれますようにと、慈悲の気持ちで観ると、嫌いな人も可愛いと思えてしまうし、心配する気持ちも生まれるのです。

 

殺 人をしたいひとにとっての願いごとは、他人を殺すことではないんです。生命が本来願うべきことが叶えられますように。どうしても気になるならば、「嫌いな 人々も、本来願うべきことが叶えられますように」と変えてもいいんです。でも慈悲の冥想は完璧な冥想だから、そのままやっても何の問題も起きません。生命 が本来願うべきことというのは、たとえば、お腹が空いたらご飯を期待する。人間はただではご飯得られません。それは得て欲しいと。住む処、薬、着物な ど……生命が生きるために必要なものが得られますようにと。悪人はそれを得たくて、間違った道を歩んでいるのです。幼稚園の男の子が、友達にしたい女の子 をいじめてしまうようなもの。正しい方法がわからないんです。人間は時々、目的に達しようとして、それと反対の行動をしてしまうんです。

 

生 命が生きていくためには、基本的な願いごとが叶えられなくてはいけない。お腹が空いてご飯がなかったら、たいへんなことです。病気で倒れたのに治療を受け られないのは大変なこと。どんな生命でも、その基本的なことは揃って欲しい。そうやって大きなスケールで、「生命の願いごとが叶えられますように」と念じ るべきなんです。

 

 

Q「穏やかな気 持ちで生きたい」と思っている。なぜか周りに宗教関係の友達が多い。「杯にうつった月」ではなくて、「本物の月」を観たいと思った。そこで初期仏教にで あったが、本を閉じると実行できないジレンマ。心の安らぎを得るにはどうしたらいいか。出家しないといけないのか?

 

A お釈迦さまはどちらかというと科学者、生命の科学者なんです。完全なる。釈尊は生命という尺度で見ている。(例:ヴァーセッタ経 人間は平等。ホモサピエ ンスの一種類)。人間の場合は行為だよと。人のものを盗む人は盗人であって、バラモンではない。煩悩なくなったら聖者だよと。男とか女とか出家とか在家と か関係ない。瞑想する人は人間であればOKなんです。でないと仏教は科学的にならない。私は年寄りだから、とかあり得ない。子供でもできますから。これは 人間に語っている。医学の薬、日本人だけに効く、ということはあり得ない。人間なら誰にでも効く。ブッダの冥想も同じ。実践すれば成功するに決まってい る。本人のやる気次第。やる気はおのおのの問題。出家とか形を取ったからといって何の特権もない。形を誇るのは科学ではない。ブッダは科学者がものごとも 観るように、「あなたは人間だろう」という教えです。瞑想は厳しい世界。しかし車の運転は本で学ぶんでしょうか? 教習所で怒られながら学ぶしかない。泳 ぎたければ泳ぎのプロから学ぶしかない。

 

欲をなくそう、怒りなくそう、渇愛なくそう、とか成り立たない。そこはプログラム があります。思考妄想をなくす。精密なことは理解能力それほどないから、教えられない。悟った人は原始脳に負けないから、がんこ。アリ一匹でも殺せない。 だったら私を殺して下さいと。それくらい頑固に道徳的な人間になる。心の回転を帰る。ちょっと無理をしないと成り立たない。

 

脳で説明する場合でも、成長には順番がある。こ ころの成長にも順番がある。それは当然のこと。怒りだけ無くしたいとか、欲だけ置いておきたいとか成り立たない。順番がある。まず、自我、私がいるんだ、 という実感にヒビを入れないと。そこからさらに瞑想して、感情が無くなっていく。自我を破ることは自分で踏ん張ってやらないといけない。自我は脳がつくる錯覚。生存欲を維持するために必要な錯覚。釈尊がおっしゃっているのは、その錯覚を破るプログラムです。智慧が現れれば、あとは自然に煩悩が消えていきます。ぶつかってくる人は早い。

 

修行できない「いいわけ」も、渇愛がつくるんです。悟 れるんだ、幸福になれるんだという希望だけは捨ててはいけない。できないはずはないんだと。(長老、スリランカで瞑想道場にこもっている僧侶から訊かれ た。日本のような環境で何もできないでしょうと。)仏教はパンダやトキみたいな存在になってはいけない。保護された特殊な環境でしか実践できないというこ とはない。ブッダというのはそんなちっぽけ教えですかね?

 

釈尊は初転法輪のあとで、比丘はすべての人間の幸福のために歩けと命じられたのです。それがどうして「道場に篭れ」ということになるのかと。(例:プンナさんへの教え。仏教の伝道者への心構え。なんの執着も持たない自分は布教に行った先で殺されたとしても幸せだと……)

 

あれだからできない、これだからできない、というのは言い訳なんです。世の中にはそういうものもあります。アメリカ行ったほうが英語は身につきますが、科学はそうではない。生命科学はそうではない。自分が生きているんだから、それで充分です。

 

誰でも覚れるというのは、ブッダの教えにのっとった答えです。覚れない人は、実践しない人です。または、自分の迷信・思考にしがみついている人(邪見者)です。自 分の固定観念、自分の思考は、ありのままを観察する仏教の修行には大きなハンディです。ですから、いつでも思考をペンディングにしてください。新しいデー タが入ったら、自分の思考は改良しますと決めて、最終結論にだけは達しないでください。それで邪見の問題は解決です。それぞれ自分の考えがある。ペンディ ングにしてください。それで瞑想実践は大丈夫です。瞑想でそれまでの思考はひとつひとつ捨てることになります。あとは、親殺したひととか、ブッダを傷つけ るとか、経典で「今生で覚れない」とされているのは、ふつうはあり得ないようなケースだけなのです。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~







ひとり言 | 07:47:44 | トラックバック(0) | コメント(0)