2014-04-30 Wed
協会の記事ではありません。
サークル仲間の徒然日記です。
「紀州半島の旅」②-----吉田 牧生
韓国の海難事故の最中、紀伊半島の先端の大島にある「トルコ記
に行って、自分でも驚くほどに心に響くものを受けた。
1890年(明治23年)トルコの軍艦が熊野灘で遭難、犠牲者
この時,地元大島村(現串本町)の村人は早朝から現場に駆けつけ
挙げて救出活動を行い69名を救出。
凡そのことは知識では知っていたが記念館の下の断崖絶壁を覗き
、ここで村人総出で懸命の救出を行ったのかと引き込まれた。12
前の小さい島の暮らし。その中から惜しむことなく生存者の世話に
られた人々の一大社会貢献事業。
暮らしは貧しかっただろうけど なんと心のやさしい暖かい人を
る心の人たちだったことか。私は暫くその場で立ち竦んでしまった
イラン・イラク戦争のとき遠い日本国からの救援を待ちわびる2
名の日本人を突然空港に現れたトルコ機が救出していった。トルコ
たちは熊野灘の恩義は忘れず世界一の親日国として欠かさずこの記
に出向き友好の絆にしている。実にありがたい。
今月、毎日研で研鑽しているブッダの一日一話『社会に貢献でき
社会の役に立つ人は、必ず社会に助けられ、守られることになる。
はいわば「布施の法則」です』。
小さいことでいいからタダ働きをしようと身に沁みる。
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2014-04-27 Sun
東海ダンマサークルの自主勉強会の紹介です。
仏道修行の皆様へ
皆様如何お過ごしでしょうか、久しぶりに「経典自主勉強会」3月報告と4月の案内を申し上げます。
<3月勉強会の報告>
第一部13:00~15:00はスッタニパータ第五章についての文法解析>
9名の参加者がありました。今回の経典は
Khuddakanikāye<Suttanipātapāḷi<5. Pārāyanavaggo<4. Mettagūmāṇavapucchā
小部教<スッタニパータ経<第五章 彼岸へと至るもの<4.メッタグー学徒の問いの§1066,§1067ついてです。
今回から、先生でなく受講者各自による訳文発表という形を取っています。これは、関西の勉強会ではだいぶ前から行われていて、名古屋では初めての経験となりました。お二人の方が発表されましたが、苦心の跡が見受けられ感心させられました。次回は、私を含め三名の方の§1068~§1070の発表です。
3時からの
第二部15:00~17:00は経典勉強会 スッタニパータ第五章についての自由討論>
経典は、§1095と§1096で内容が濃かったので以下にその詳細を書きます。
トーディヤ学徒と世尊の問答形式のお経です。
トーディヤさんが世尊に問いかけました。
[1095] 「諸々の欲望が住みつくことなく、渇愛が見いだされることなく、しかして、まさにその。諸々の懐疑を越えた者には、どのような解脱が存在するのですか」
世尊が次のように答えられました。
[1096] 「諸々の欲望が住みつくことなく、渇愛が見いだされることなく、しかして、まさにその。諸々の懐疑を越えた者には、他の解脱は存在しません」
さて、トーディヤさんはどういうつもりでこの質問をしたのでしょうか?その問いに対して、世尊はちゃんと答えているのでしょうか? 説明を読む前に一度自身で考えて頂きたいのです。
つまり、トーディヤさんは、知識として解脱を知っていますが「それはどういうものですか?」と。良く我々もやってしまうことです。長老に「冥想いくらやっても妄想ばかりで....どうすればいいのでしょうか」と。聞くことがあります。それと同じような質問をしてしまっているのです。
それに対して、世尊は突き放すように答えているように思えます。しかし、完璧に答えているのですね。
つまり、世尊は「知識としては全て伝えました、これ以上他にありません。これから先は、知識で理解することは不可能です。自身で体験してみて下さい。」と。
ここから先生の説明になります。
・ 我々は普段どうしても、真理を知識で知って、その全てを知り納得したいという気持ちになってしまいます。
それは、普段、「疑」に覆われて確信を持てずにいるので、直ぐ知識で納得したがる癖が付いているのです。
「知的解決をしたい」と。しかし世尊は「それは無い。ただ解脱という言葉があるだけだ」と。逆に知的解釈、悟りの固定概念が解脱の邪魔をして覚れないという事態に陥ります。悟ろうとする気持ちは脇に置いておく。何故か、ゴールはないからです。はじめはゴールを目指して歩き始めますが、歩き始めたらゴールの概念は不要。
知識も同じ、悟ろうと修業を始める時は知識が必要だが、始めたら、知的概念は不要になる。
では、どうやって悟るのでしょうか?おうおうにして、我々は、「何年後には・・・・」と、時を掛けて悟ろうと考えてしまいますが、これは、いくら努力しても報われないということになります。
キーワードは「今。ここに」だからです。目標となるもの、概念はない。目標というこれからという時間を持ち込まない。
・ 次に、「疑」とは何か?という議論になりました。「因果法則に対する疑い」「真理に対する疑い」「普段自分に確信が持てない迷いの状態が疑」などの意見が出ました。
因果法則を正しく理解していたら、悪いことをやろうにもやれない。「これはやってはいけない」と考えて止めようとしても止められない。それは「今、ここに」でないから止められない。ただ、その状態を観察することがよい。
・ 物事を捉える時、既知のものには安心します。安心したがります。だから、知識で納得したがる。無常などの真理も既知のものとして捉えたがる。いや捉えている(現在進行形)。無常、無我、苦などの未知のものには恐怖を感じる。だから、真理が見えない。
・ 自分が眼耳鼻舌身だけだと感じたら、体験したら、恐怖感が生まれます。だから冥想できない。そこから逃げている。
以上、経典解釈の難しい話も先生が冗談まじりに笑いあり、新たな見識あり、ため息有りです。また、自分の経験から積極的に発言される方、ただ傾聴される方と色々ですが有意義な時間を共に過ごし互いの励ましと学びとなったひと時でした。
明後日になりますが。次回のスケジュールを案内します 。
<4月経典自主勉強会の案内>
日時:平成26年4月27日(日) 13:00~17:00
場所:刈谷市産業振興センター 304会議室
URL: http://www.city.kariya.lg.jp/shisetsu/sangyokeizai/sangyokoshinsenta/index.html
当日、玄関デジタル掲示板に「東海ダンマサークル」と表示あり。
交通:JR名古屋駅~刈谷駅(新快速17分)北口から南へ徒歩5分
車:駐車場(相生駐車場)が隣接。(参加者割引:半日で負担¥200)
内容
・第一部(13:00~15:00) パーリ語勉強会 スッタニパータ第五章についての文法解析
・第二部(15:00~17:00) 経典勉強会 スッタニパータ第五章についての自由討論
※第二部は、パーリ語の文法知識を必要としない学び合いの場です。気軽にご参加下さい。
(経典一行に隠された奥深い意味探求の場であり、正田先生が度々本質を突いた質問され、各自が熟考を繰り返し、事実は...眼から鱗の勉強会です。)
参加費:喜捨 (別途 会場費(¥1900/参加者数)を徴収いたします。)
備 考
・第二部のみの参加も可能です。
お問合せ:東海ダンマサークル自主勉強会 舟橋 dhamma758@gmail.com
三谷 mj888jp@ybb.ne.jp
一年の中で一番過ごしやすい季節です。屋外で瞑想などしたらいかがでしょうか?日々、 怠ることなく。
ではお待ちしております~ m(_ _)m
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
平成26年4月25日(金) 三谷
以上
MLホームページ: http://www.freeml.com/toukai-dhamma
2014-04-26 Sat
協会の fb より紹介です。
日本テーラワーダ仏教協会さんがリンクをシェアしました。
#jtba ★新刊 スマナサーラ長老(著)『日本の未来』(アイデアがあればグローバル化だって怖くない!)[新書] 821円 サンガ(2014/4/27) http://amzn.to/1tqWE82
日本人が気づいていない
「世界の目で見た日本」とは?
日本を熟知する初期仏教長老が、
その可能性をスリリングに語る!!
国際関係、政治経済、日本社会の未来を左右するさまざまな出来事――国民のあいだで議論されている現代日本の問題を、ブッダの智慧で解決するならば、どの ような答えがでるのでしょうか?「今」という瞬間をしっかりと生き、問題を解決するのが仏教の智慧。そして、智慧をもつことによって、将来について、憂え ることなく明確な見通しをもつこともできるのです。日本に三十年以上在住し、仏教を説き続けてきたスリランカ初期仏教長老が、「日本の明るい未来」を、明 快かつ大胆に描きだす!
ブッダの教えは、いつでも進歩主義。
日本人が自信をもって「明るい未来」を歩むための、
最先端の智慧から導かれる「日本発展計画」!
●開発において重要なことは、破壊をできるだけ小さく抑えた開発で作り進む「穏やかな輪廻転生のサイクル」。
●日本が諸外国と仲よくするために必要な外交術は、柔軟性と誠実さ、そして、いつでも自己判断して対処する能力。
●中国に対しては、「歴史ある先輩方」という姿勢で接すれば、よい関係を築ける。
●TPPに参加しても、参加しなくても、生き延びる秘訣はいつだって「新しいアイデア」。
●ライバル会社をつぶそうとは考えず、みんなが仲よく楽しく競争して儲かる商売は「仏教的な経済」。
●東京オリンピックは、日本が開催国として抜群の手腕を世界中にアピールする絶好のチャンス。
●本当の「おもてなし」とは「お互いの壁が消えること」。
●どんな政治システムであっても、正しいやり方をすれば、国民は幸せになれる。
●若者はもっとふざけて、遊んで、ハチャメチャやろう。はしゃぐチャンスがあれば、自殺なんかするわけがない。
【目次】
第1部 仏教の智慧で見る日本の行く先
第1章 未来を創る「今」が大事 第2章 現代日本の問題を乗り越える
第3章 日本の資質と可能性
第2部 日本の未来への問いと長老の答え
日本人が気づいていない
「世界の目で見た日本」とは?
日本を熟知する初期仏教長老が、
その可能性をスリリングに語る!!
国際関係、政治経済、日本社会の未来を左右するさまざまな出来事――国民のあいだで議論されている現代日本の問題を、ブッダの智慧で解決するならば、どの ような答えがでるのでしょうか?「今」という瞬間をしっかりと生き、問題を解決するのが仏教の智慧。そして、智慧をもつことによって、将来について、憂え ることなく明確な見通しをもつこともできるのです。日本に三十年以上在住し、仏教を説き続けてきたスリランカ初期仏教長老が、「日本の明るい未来」を、明 快かつ大胆に描きだす!
ブッダの教えは、いつでも進歩主義。
日本人が自信をもって「明るい未来」を歩むための、
最先端の智慧から導かれる「日本発展計画」!
●開発において重要なことは、破壊をできるだけ小さく抑えた開発で作り進む「穏やかな輪廻転生のサイクル」。
●日本が諸外国と仲よくするために必要な外交術は、柔軟性と誠実さ、そして、いつでも自己判断して対処する能力。
●中国に対しては、「歴史ある先輩方」という姿勢で接すれば、よい関係を築ける。
●TPPに参加しても、参加しなくても、生き延びる秘訣はいつだって「新しいアイデア」。
●ライバル会社をつぶそうとは考えず、みんなが仲よく楽しく競争して儲かる商売は「仏教的な経済」。
●東京オリンピックは、日本が開催国として抜群の手腕を世界中にアピールする絶好のチャンス。
●本当の「おもてなし」とは「お互いの壁が消えること」。
●どんな政治システムであっても、正しいやり方をすれば、国民は幸せになれる。
●若者はもっとふざけて、遊んで、ハチャメチャやろう。はしゃぐチャンスがあれば、自殺なんかするわけがない。
【目次】
第1部 仏教の智慧で見る日本の行く先
第1章 未来を創る「今」が大事 第2章 現代日本の問題を乗り越える
第3章 日本の資質と可能性
第2部 日本の未来への問いと長老の答え

2014-04-25 Fri
協会のfbより紹介です。
日本テーラワーダ仏教協会
#jtba「心の扉を開く~ユーモアの三要素~」
〇本物の知識人はユーモアのある人格者
――日々の暮らしの中で、ユーモアや笑顔の大切さは、どんなところにあるのでしょうか。
スマナサーラ長老(以下省略)
朗らかに笑うと清々しい気持ちになって、心が開かれますでしょう? だいたい人間というのは、明るく楽しいことに心の窓を開くものです。つらく苦しいときには心は堅く閉ざして厳重にガードしていますが、ユーモアは、このガードを緩めます。笑いは緊張をほぐします。
私の個人的な経験でいうと、本物の知識人は必ず冗談を言います。圧倒的な知識の持ち主で人格豊かな人は、話す内容がユーモアばかりなんです。若いころ に、百科事典を丸ごと覚えるくらい知識にある有名なお坊さんのご説法を聞いたことがあります。顔を見るだけで楽しい方で、とても人気のあるお坊さんでし た。講堂の中も外も大勢の人びとがぎゅうぎゅう詰めで、みんな、説法の始めから終わりまで、もう笑うわ笑うわ、大爆笑の連続でした。言葉遣いは優しくて分 かりやすいんですよ。ところが、中身は実に勉強になる教えなんです。私たちはゲラゲラ笑って聞きながら、その教えを石に彫るように覚えました。楽しいこと があると、人間の脳も活性化するんです。
お釈迦さまというのは、知識人中の知識人で、完全無欠の人格者であるブッダですから、そのユーモアもすばらしい。したがって、ユーモアに満ちたお釈迦さまの教えが、私たちの心に深く刻まれるわけなんです。
――お釈迦さまの代表的なユーモアをご紹介ください。
誹謗中傷のおもてなし、というエピソードがあります。あるとき、一人のバラモンがお釈迦さまの教えに感動して出家したのですが、彼の親友のバラモンがそ のことを怒り、お釈迦さまに面と向かって罵ったのです。お釈迦さまは黙ったまま、彼の誹謗中傷をひととおり聞き、それから質問しました。
「あなたは、家にお客さんを招いて美味しいご馳走でおもてなしすることがあるでしょう?」バラモンが「そういうこともあるが、それがどうかしたのか?」と応えると、お釈迦さまは、こう言いました。
「ご馳走をたくさん用意したのに、お客さんが来なかった場合、あなたはそのご馳走をどうしますか?」バラモンは「私と妻と子どもたちで食べる」と応えました。
するとお釈迦さまはニコニコして言いました。「先ほど、あなたは誹謗中傷によって私をもてなそうとしました。しかし残念ながら、私はあなたのおもてなしを受けません。ですから、その誹謗中傷は、あなたと奥さんとお子さんたちで受けることになりますね」
〇お釈迦さまのユーモアの三要素
――相手の怒りに対して怒りで対応しない。相手の考え方に基づいて、相手の過ちに気づかせる。そういうユーモアが感じられるエピソードですね。
それがお釈迦さまなんです。お釈迦さまのユーモアには三つの要素があります。①品格がある ②役に立つ ③教えがある。この三つです。ひと言でいうな ら、上品でためになっていい人間になれる、というのがお釈迦さまのユーモアです。お釈迦さまは相手に応じて法を説きました。つまり、相手が納得できるよう に分かりやすくしゃべるという教育方法です。もちろん、私たちもこのエピソードから人生の教えを学ぶことができます。
――人格が豊かになればユーモアが身に付きますか。
逆ですね。ユーモアを心がけることによって、人格が豊かになっていくんです。まずは、笑うことです。笑えば楽しくなり、人生が好転していきます。ユーモアを持って笑える人が、りっぱな人格者になります。
そのようなユーモアは、学ぶことで身に付きます。ユーモアは理性で学ぶものです。理性で学ぶことが仏教の基本です。理性ぬきで何かを信じることなど、仏 教ではありえません。仏教は、「行為が結果を出す」と説きます。音楽家になりたい人が音楽を学ぶように、人格者になりたいならユーモアを学ぶべきです。 「人格者になりたい」と言いながら、怒り、嫉妬、憎しみだけが増長する生き方を続けるならば、決して人格者にはなれませんよ。ユーモアを心がけることが先 ですね。
仏教で説く「無常」とは、物事が瞬間瞬間に変化する状態をいいます。例えば、川は一瞬一瞬、水の流れが変化します。永遠に変化し続けます。同じ川はその 瞬間ごとに一度きりしか見られない。でもね、瞬間ごとの川にいちいち名前を付けると大変なことになりますから、世間では便宜上、「荒川」とか「隅田川」と かの名前を付けるんです。
しかし、お分かりのように、無常とは瞬間瞬間が新しいということでしょう? そして、新しいものって、おもしろいでしょう? 人は、おもしろければ笑います。
――なるほど、諸行無常という教えがユーモアにつながるわけですね。
心身が柔軟であれば、無常という瞬間瞬間の変化に対応できます。新しいものに対応しておもしろく感じ、ユーモアを持って笑うことができます。仏教語の 「軽安(きょうあん)」とは、とことん柔軟になるという意味です。どの方向にでもぐにゃぐにゃ曲げられるような柔軟さ、これが軽安で、心と体に最も楽な状 態なんです。善い行為を行なう前ぶれとして、軽安の状態が出てくるんです。
〇仏教のユーモアは慈しみ
――笑顔は善い行為のスタートにつながるんですね。
はい。ですから皆さん、いつでも笑うよう心がけましょう。堅苦しい話をするときにまず冗談を言えば、全体の緊張がほぐれます。人と人が仲良しになるため にも、必要なのは、ユーモアです。あなたが笑うと世界も笑うんです。世界が暗く見えるとき、きっとあなたは笑っていないんです。笑顔になって心に灯りがと もれば何でも明るく見えます。ただし人を侮辱するユーモアはいけません。例えば、ライバルを倒して「ざまみろ」と笑うのはダメです。
仏教のユーモアには慈しみ、慈悲があります。慈悲が自分の心を開き、相手の心の扉も開き、そこにつながりが生まれてコミュニケーションが成り立つんで す。慈悲の行為は人間を幸福にする、善い行為です。仏教のユーモアはおもしろさを発見する修行なんです。ポイントは「世の中に、おもしろくないものは存在 しない」ということです。
▼参考テキスト
「やくしん」2012年7月号
スマナサーラ長老インタビュー記事「あなたが笑えば世界も笑う」より
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
〇本物の知識人はユーモアのある人格者
――日々の暮らしの中で、ユーモアや笑顔の大切さは、どんなところにあるのでしょうか。
スマナサーラ長老(以下省略)
朗らかに笑うと清々しい気持ちになって、心が開かれますでしょう? だいたい人間というのは、明るく楽しいことに心の窓を開くものです。つらく苦しいときには心は堅く閉ざして厳重にガードしていますが、ユーモアは、このガードを緩めます。笑いは緊張をほぐします。
私の個人的な経験でいうと、本物の知識人は必ず冗談を言います。圧倒的な知識の持ち主で人格豊かな人は、話す内容がユーモアばかりなんです。若いころ に、百科事典を丸ごと覚えるくらい知識にある有名なお坊さんのご説法を聞いたことがあります。顔を見るだけで楽しい方で、とても人気のあるお坊さんでし た。講堂の中も外も大勢の人びとがぎゅうぎゅう詰めで、みんな、説法の始めから終わりまで、もう笑うわ笑うわ、大爆笑の連続でした。言葉遣いは優しくて分 かりやすいんですよ。ところが、中身は実に勉強になる教えなんです。私たちはゲラゲラ笑って聞きながら、その教えを石に彫るように覚えました。楽しいこと があると、人間の脳も活性化するんです。
お釈迦さまというのは、知識人中の知識人で、完全無欠の人格者であるブッダですから、そのユーモアもすばらしい。したがって、ユーモアに満ちたお釈迦さまの教えが、私たちの心に深く刻まれるわけなんです。
――お釈迦さまの代表的なユーモアをご紹介ください。
誹謗中傷のおもてなし、というエピソードがあります。あるとき、一人のバラモンがお釈迦さまの教えに感動して出家したのですが、彼の親友のバラモンがそ のことを怒り、お釈迦さまに面と向かって罵ったのです。お釈迦さまは黙ったまま、彼の誹謗中傷をひととおり聞き、それから質問しました。
「あなたは、家にお客さんを招いて美味しいご馳走でおもてなしすることがあるでしょう?」バラモンが「そういうこともあるが、それがどうかしたのか?」と応えると、お釈迦さまは、こう言いました。
「ご馳走をたくさん用意したのに、お客さんが来なかった場合、あなたはそのご馳走をどうしますか?」バラモンは「私と妻と子どもたちで食べる」と応えました。
するとお釈迦さまはニコニコして言いました。「先ほど、あなたは誹謗中傷によって私をもてなそうとしました。しかし残念ながら、私はあなたのおもてなしを受けません。ですから、その誹謗中傷は、あなたと奥さんとお子さんたちで受けることになりますね」
〇お釈迦さまのユーモアの三要素
――相手の怒りに対して怒りで対応しない。相手の考え方に基づいて、相手の過ちに気づかせる。そういうユーモアが感じられるエピソードですね。
それがお釈迦さまなんです。お釈迦さまのユーモアには三つの要素があります。①品格がある ②役に立つ ③教えがある。この三つです。ひと言でいうな ら、上品でためになっていい人間になれる、というのがお釈迦さまのユーモアです。お釈迦さまは相手に応じて法を説きました。つまり、相手が納得できるよう に分かりやすくしゃべるという教育方法です。もちろん、私たちもこのエピソードから人生の教えを学ぶことができます。
――人格が豊かになればユーモアが身に付きますか。
逆ですね。ユーモアを心がけることによって、人格が豊かになっていくんです。まずは、笑うことです。笑えば楽しくなり、人生が好転していきます。ユーモアを持って笑える人が、りっぱな人格者になります。
そのようなユーモアは、学ぶことで身に付きます。ユーモアは理性で学ぶものです。理性で学ぶことが仏教の基本です。理性ぬきで何かを信じることなど、仏 教ではありえません。仏教は、「行為が結果を出す」と説きます。音楽家になりたい人が音楽を学ぶように、人格者になりたいならユーモアを学ぶべきです。 「人格者になりたい」と言いながら、怒り、嫉妬、憎しみだけが増長する生き方を続けるならば、決して人格者にはなれませんよ。ユーモアを心がけることが先 ですね。
仏教で説く「無常」とは、物事が瞬間瞬間に変化する状態をいいます。例えば、川は一瞬一瞬、水の流れが変化します。永遠に変化し続けます。同じ川はその 瞬間ごとに一度きりしか見られない。でもね、瞬間ごとの川にいちいち名前を付けると大変なことになりますから、世間では便宜上、「荒川」とか「隅田川」と かの名前を付けるんです。
しかし、お分かりのように、無常とは瞬間瞬間が新しいということでしょう? そして、新しいものって、おもしろいでしょう? 人は、おもしろければ笑います。
――なるほど、諸行無常という教えがユーモアにつながるわけですね。
心身が柔軟であれば、無常という瞬間瞬間の変化に対応できます。新しいものに対応しておもしろく感じ、ユーモアを持って笑うことができます。仏教語の 「軽安(きょうあん)」とは、とことん柔軟になるという意味です。どの方向にでもぐにゃぐにゃ曲げられるような柔軟さ、これが軽安で、心と体に最も楽な状 態なんです。善い行為を行なう前ぶれとして、軽安の状態が出てくるんです。
〇仏教のユーモアは慈しみ
――笑顔は善い行為のスタートにつながるんですね。
はい。ですから皆さん、いつでも笑うよう心がけましょう。堅苦しい話をするときにまず冗談を言えば、全体の緊張がほぐれます。人と人が仲良しになるため にも、必要なのは、ユーモアです。あなたが笑うと世界も笑うんです。世界が暗く見えるとき、きっとあなたは笑っていないんです。笑顔になって心に灯りがと もれば何でも明るく見えます。ただし人を侮辱するユーモアはいけません。例えば、ライバルを倒して「ざまみろ」と笑うのはダメです。
仏教のユーモアには慈しみ、慈悲があります。慈悲が自分の心を開き、相手の心の扉も開き、そこにつながりが生まれてコミュニケーションが成り立つんで す。慈悲の行為は人間を幸福にする、善い行為です。仏教のユーモアはおもしろさを発見する修行なんです。ポイントは「世の中に、おもしろくないものは存在 しない」ということです。
▼参考テキスト
「やくしん」2012年7月号
スマナサーラ長老インタビュー記事「あなたが笑えば世界も笑う」より
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
2014-04-24 Thu
協会のリンク先みんなの寺 天野和公さんのfb より 紹介です。
プロフィール

「みんなの寺」坊守(寺嫁)。
【誕生日でした】
学び直し、結び直し。
今年はそんな感じで過ぎていきそうな予感です。
2月、長男が生死の境をさまよい。重い障害が残るかもしれない、と言われて。
36年分の価値観やら何やらが、全てぶっ飛びました。目に映る世界は全く異質なものになりました。
この子が治るなら、もう何もいらない。全部いらない。そう思いました。
オカルト話で恐縮ですが、夫はいろんなことを「予感」します。
見ようと思って見るのではなく、ふとした時に感じるらしいです。とくに、出会いや別れに関することが多いかもしれません。
そんな夫が、ずっと心に秘めてきた「予感」がありました。
双子のうち、どちらかは分からないけど。きっと彼らは、同じように大きくはならない。
そんなバカなことありっこない、気の迷いだ、と夫は頭でずっと否定してきました。でも、打ち消しても打ち消してもその不吉なビジョンは繰り返し湧きました。
長男が救急車で運ばれる、ほんの一週間前にも。だから長男が倒れたとき、夫は死を覚悟しました。ついにそのときが来てしまった、と。
けれども。どんな善業の異熟がどう働いたのか分かりませんが。
長男はこの世に命を繋ぎました。まだ、生きる縁がありました。
このことに、どういう意味があるのか。私になにを教えてくれているのか。思いをめぐらせました。
お釈迦さまは、障害の有無や、貧富や、美醜や、出自を幸せの条件に挙げていない。心と行いの正しい人が幸せになる、と言っている。
だから、この子は幸せに生きられる。
辛かった入院生活。それを、何度も、何度も確認しました。
私たちは仏教徒です。
自分が作った業の結果を、未来の自分が受け取る。そのことを固く信じています。
だから、いまをきちんと生きよう。そう励ましあいました。
長男が退院した後、同じお菓子を3つ買えることが、こんなにも幸せなのかと思いました。それでも日常に慣れれば、不満も、愚痴も出てくる。どうしようもない私です。本当に未熟で、修行が足りません。
『苦しみ悩む世の中に 苦しみ悩まず安楽に生きよう。
苦しみ悩む人々の中に 苦しみ悩まず安楽に住もう。』
私は、私自身を。そしてこの世で家族の縁を結んだ4人を、安楽に生かすことができますように。
学び直し、結び直し。
今年はそんな感じで過ぎていきそうな予感です。
2月、長男が生死の境をさまよい。重い障害が残るかもしれない、と言われて。
36年分の価値観やら何やらが、全てぶっ飛びました。目に映る世界は全く異質なものになりました。
この子が治るなら、もう何もいらない。全部いらない。そう思いました。
オカルト話で恐縮ですが、夫はいろんなことを「予感」します。
見ようと思って見るのではなく、ふとした時に感じるらしいです。とくに、出会いや別れに関することが多いかもしれません。
そんな夫が、ずっと心に秘めてきた「予感」がありました。
双子のうち、どちらかは分からないけど。きっと彼らは、同じように大きくはならない。
そんなバカなことありっこない、気の迷いだ、と夫は頭でずっと否定してきました。でも、打ち消しても打ち消してもその不吉なビジョンは繰り返し湧きました。
長男が救急車で運ばれる、ほんの一週間前にも。だから長男が倒れたとき、夫は死を覚悟しました。ついにそのときが来てしまった、と。
けれども。どんな善業の異熟がどう働いたのか分かりませんが。
長男はこの世に命を繋ぎました。まだ、生きる縁がありました。
このことに、どういう意味があるのか。私になにを教えてくれているのか。思いをめぐらせました。
お釈迦さまは、障害の有無や、貧富や、美醜や、出自を幸せの条件に挙げていない。心と行いの正しい人が幸せになる、と言っている。
だから、この子は幸せに生きられる。
辛かった入院生活。それを、何度も、何度も確認しました。
私たちは仏教徒です。
自分が作った業の結果を、未来の自分が受け取る。そのことを固く信じています。
だから、いまをきちんと生きよう。そう励ましあいました。
長男が退院した後、同じお菓子を3つ買えることが、こんなにも幸せなのかと思いました。それでも日常に慣れれば、不満も、愚痴も出てくる。どうしようもない私です。本当に未熟で、修行が足りません。
『苦しみ悩む世の中に 苦しみ悩まず安楽に生きよう。
苦しみ悩む人々の中に 苦しみ悩まず安楽に住もう。』
私は、私自身を。そしてこの世で家族の縁を結んだ4人を、安楽に生かすことができますように。
2014-04-23 Wed
2014-04-20ヤサ先生 勉強会 37菩提分法
七覚支の部分で ウ・コーサッラ西澤長老の講義説明の話が出たので
探して見ました。


小さい方をクリックすると読めます。
2011年アビダンマ基礎講座
第1章 摂心分別~第3章 摂雑分別
【講師】ウ・コーサッラ西澤長老
第14回 第7章(前) 2012年3月17日
No.1 時間01:06:28
No.2 時間00:57:59
No.3 時間01:12:22第15回 第7章(後) 2012年4月28日
ここの49分30秒から⇒No.1 時間01:29:20
No.2 時間01:32:16
2014-04-21 Mon
協会の記事ではありません。
誓教寺のホームページより紹介です 。
誓教寺報
最新号ご紹介 |
2014-04-20 Sun
4月20日(日)
ヤサ先生「仏教経典勉強+質疑応答法話会」
残念ながら 初心者冥想指導は ありません
●産業振興センター/603会議室
会場12:45
開始 13:15~ 終了 16:50 退室 17:00
< ★「茶話会(親睦会)」のお知らせ >
午前10時から、法友のみなさんの集いがあります。
※自由参加、昼食は各自ご用意ください。
産業振興センター/601会議室
会場 刈谷産業振興センター
https://www.city.kariya.lg.jp/shisetsu/sangyokeizai/sangyokoshinsenta/
名古屋駅からJRで約20分と交通アクセスに恵まれた環境にあり、コンベンションセンターとしてあいおいホール(展示場)、小ホール、12名から176名までの大小会議室など充実した施設を備えています。
所在地
〒448-0027
刈谷市相生町1丁目1番地6
電話:0566-28-0555
sanshin@toshikyo.jp
駐車 は東の隣接 相生駐車場をご利用ください。
https://www.city.kariya.lg.jp/shisetsu/sangyokeizai/asochusyajo/index.html割引があります。 スタッフにお申し出ください。
駐車場から会場に行くのに、わかりにくいです。
近くのどなたかに お聞きになることをおすすめします。
詳細は相生駐車場にお尋ねください。(30分100円、電話:0566-23-9800)】




2014-04-19 Sat
協会の fb より紹介です。
日本テーラワーダ仏教協会
#jtba「困った個性を直す~損を得に変える“ひらめき”~」
社会の中で、人はさまざまな人間関係を結んでいます。家族の中での人間関係、会社でのそれ、地域やプライベートな場面でのかかわり…など、人と人とのつ ながりは複雑多岐にわたっています。そうした人間関係は、前世から結ぶべく決まっていたのかそうか、それは私にもよくわかりませんが、一つ言えることは、 どんな人との間に人間関係を結び、それがどのような形になるのかは、一人ひとりの「個性」に負うところが大きい、ということです。
生 まれたばかりの赤ちゃんにも個性はあります。人は誰ものが個性を持って生まれてくるのです。よく笑う子がいて、よく泣く子がいる、騒がしい子もいれば、お となしい子もいる。一人として個性的でない赤ちゃんはいません。その個性に最初に気づくのは、当然ながら親です。「個性は大切にして育てる」というのが親 の一般的な思いでしょうが、成長してくるにつれて問題が生じることがあるかもしれません。
「とにかく乱暴。今日も〇〇ちゃんを叩いて…。なんですぐに手を出すのだろう?」といったケースです。乱暴に限らず、おとなしすぎる、だらしがない、少 しもじっとしていない…など親から見て困った個性はいくつもあるでしょう。そこは親の責任です。子どもが自立するまでの間、親が守っていく間に、困った個 性は直せばいいのです。個性は持って生まれたものだから、いくら親だからといっても、どうにもならないだろう、と考えるのは間違っています。
仏教には「無常」という言葉があります。この世のあらゆるものは、とどまることなく変化している、という意味です。個性も同じ。持って生まれたものが生 涯そのままであるということはありません。親がかかわることによって子どもの個性は変えられるのです。もちろん、かかわり方はケース・バイ・ケースですか ら、親自身が探していくしかないわけですが、子どもをしっかり見守っていれば、必ずその糸口は見えてきます。
子どもの困った個性に気づき、それをかかわりの中で変えて、社会で問題なく生きていけるようにするのは、親の重要な役割だといっていいでしょう。それを しないのは、親の責任放棄ですし、社会に出たときの子どもに損を背負わせることにもなるということを肝に銘じておいてください。
自立してからは、自分で自分の個性を変えていくことが大事です。個性は放っておけば変わるものではなく、みずからが意図的に、あるいは計画的に変えてい くべきものです。あまりに引っ込み思案だから、人間関係がうまく築けない、臆病で他人の心に入っていくのが怖い、おしゃべりすぎて他人から敬遠されてしま う…。いい人間関係をつくる上で損になる個性はさまざまにありそうです。
しかし、そうした個性に気づいてはいても、「今さらどうにもならない」と考える人が、案外多いのではないでしょうか。そこにとどまっているから、一歩も 踏み出せない。個性を変えることに取り組めないのです。自分の性格や気性といったものは、「無常」だということを忘れないでください。
引っ込み思案の殻に閉じこもっていないで、ちょっと勇気を出してそれを破ってみる。すると、一気に展望が開け、人づきあいが楽しくなる、といったことは 少なくありません。臆病心に少し風穴を開けたら、他人のやさしさに触れることができた、おしゃべりを我慢したら、かえって周囲から声をかけられるように なった、ということもおおいにあり得ることなのです。
いい人間関係を築くためには、自分を変えるちょっとした勇気が必要です。そんな自分の変化が契機となって、周囲の見方も、引っ込み思案が慎ましやかさに、臆病が慎重さに、おしゃべりが陽気な話し上手に、変わっていく。まさしく「損」が「得」に転じるのです。
●イラスト:笛岡法子(宝泉寺HPより)
▼参考テキスト
ブッダが教える損する人生、得する人生~幸せに「一人勝ち」なんてない~ http://amzn.to/1bQ5TZu
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
社会の中で、人はさまざまな人間関係を結んでいます。家族の中での人間関係、会社でのそれ、地域やプライベートな場面でのかかわり…など、人と人とのつ ながりは複雑多岐にわたっています。そうした人間関係は、前世から結ぶべく決まっていたのかそうか、それは私にもよくわかりませんが、一つ言えることは、 どんな人との間に人間関係を結び、それがどのような形になるのかは、一人ひとりの「個性」に負うところが大きい、ということです。
生 まれたばかりの赤ちゃんにも個性はあります。人は誰ものが個性を持って生まれてくるのです。よく笑う子がいて、よく泣く子がいる、騒がしい子もいれば、お となしい子もいる。一人として個性的でない赤ちゃんはいません。その個性に最初に気づくのは、当然ながら親です。「個性は大切にして育てる」というのが親 の一般的な思いでしょうが、成長してくるにつれて問題が生じることがあるかもしれません。
「とにかく乱暴。今日も〇〇ちゃんを叩いて…。なんですぐに手を出すのだろう?」といったケースです。乱暴に限らず、おとなしすぎる、だらしがない、少 しもじっとしていない…など親から見て困った個性はいくつもあるでしょう。そこは親の責任です。子どもが自立するまでの間、親が守っていく間に、困った個 性は直せばいいのです。個性は持って生まれたものだから、いくら親だからといっても、どうにもならないだろう、と考えるのは間違っています。
仏教には「無常」という言葉があります。この世のあらゆるものは、とどまることなく変化している、という意味です。個性も同じ。持って生まれたものが生 涯そのままであるということはありません。親がかかわることによって子どもの個性は変えられるのです。もちろん、かかわり方はケース・バイ・ケースですか ら、親自身が探していくしかないわけですが、子どもをしっかり見守っていれば、必ずその糸口は見えてきます。
子どもの困った個性に気づき、それをかかわりの中で変えて、社会で問題なく生きていけるようにするのは、親の重要な役割だといっていいでしょう。それを しないのは、親の責任放棄ですし、社会に出たときの子どもに損を背負わせることにもなるということを肝に銘じておいてください。
自立してからは、自分で自分の個性を変えていくことが大事です。個性は放っておけば変わるものではなく、みずからが意図的に、あるいは計画的に変えてい くべきものです。あまりに引っ込み思案だから、人間関係がうまく築けない、臆病で他人の心に入っていくのが怖い、おしゃべりすぎて他人から敬遠されてしま う…。いい人間関係をつくる上で損になる個性はさまざまにありそうです。
しかし、そうした個性に気づいてはいても、「今さらどうにもならない」と考える人が、案外多いのではないでしょうか。そこにとどまっているから、一歩も 踏み出せない。個性を変えることに取り組めないのです。自分の性格や気性といったものは、「無常」だということを忘れないでください。
引っ込み思案の殻に閉じこもっていないで、ちょっと勇気を出してそれを破ってみる。すると、一気に展望が開け、人づきあいが楽しくなる、といったことは 少なくありません。臆病心に少し風穴を開けたら、他人のやさしさに触れることができた、おしゃべりを我慢したら、かえって周囲から声をかけられるように なった、ということもおおいにあり得ることなのです。
いい人間関係を築くためには、自分を変えるちょっとした勇気が必要です。そんな自分の変化が契機となって、周囲の見方も、引っ込み思案が慎ましやかさに、臆病が慎重さに、おしゃべりが陽気な話し上手に、変わっていく。まさしく「損」が「得」に転じるのです。
●イラスト:笛岡法子(宝泉寺HPより)
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♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
2014-04-18 Fri
協会の ワンギーサ比丘のブログの紹介です。
困った時はダンマパダ、スッタニパータで悟りを開く
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ブログ 新着記事
タイトル | 日 時 |
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平安を 獲得するため 努力する 私に悪魔が 近づいてきて<425>及び<426> ○少年少女のためのスッタニパータ425.426. ・・・ やさしい言葉で 近づいてくる人は 怪しいと思った方が いいかもしれない。 ...続きを見る | 2014/04/18 04:23 |
欲望に 苦があることに 気が付いて 離欲のための 努力を喜ぶ<424> ○少年少女のためのスッタニパータ424. ・・・ 悟られる前のブッダを 菩薩といいます。 菩薩は王様の申し出をことわって 出家の決意と理由を述べます。 ...続きを見る | 2014/04/17 04:10 |
姓は太陽 種族はシャーキヤ そこから出家 欲は求めぬ<423> ○少年少女のためのスッタニパータ423. ・・・ 日本人も太陽の末裔ですから お釈迦様と同じですね。 もっとその教えを 学んでみましょう。 ...続きを見る | 2014/04/16 07:49 |
ヒマラヤの ふもとに国が ありますが 富と勇気を 具えています<422> ○少年少女のためのスッタニパータ422. ・・・ ヒマラヤ山脈のふもとに、 シャカ族の国がありました。 その地方は作物が豊かにみのり 人々は勤勉で勇気がありました。 ...続きを見る | 2014/04/15 05:02 |
象群を 先頭にする 軍の王 「財を与えよう 問に答えよ」と<421> ○少年少女のためのスッタニパータ421. ・・・ マガダ国のビンビサーラ王は 高貴な比丘が気に入って どんな財物も与えると言いました。 そして、生まれは何処かと聞きました。 ...続きを見る | 2014/04/14 04:08 |
王様は 着席すると 喜んで 挨拶交わし 話し始めた<419>及び<420> ○少年少女のためのスッタニパータ417.418. ・・・ あなたたちは この時のお釈迦様より若い。 夢や希望もありますが、 それだけ、 悩み苦しみもあるのです。 ...続きを見る | 2014/04/13 04:25 |
王様は 使者の言葉を 聞くとすぐ 立派な車で 山へと向かった<417>及び<418> ○少年少女のためのスッタニパータ417.418. ・・・ 友達になりたい人が いるならば 君はどんなところでも 会に行くでしょう。 王様も同じです。 ...続きを見る | 2014/04/12 04:01 |