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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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#jtba「時間の正体①~時間とは、ただの観念~   1/2






協会のfbより紹介です。





#jtba「時間の正体①~時間とは、ただの観念~」

■時間は存在するか
 「時間がある」「時間がない」などのフレーズは、日常よく使います。この場合、時間とはどのような意味でしょうか。時間は、ある・なしで示されるものでしょうか。

 難しいことを考える必要はないのです。簡単に考えましょう。部屋が汚れている。掃除しなくてはいけない。そこで、「時間があるから掃除します」「時間がないから後回しにします」ということになります。時間がない、という場合は、別にやることがある、という意味です。

 時間がある、という場合は、他にやることはない、という意味です。やることがある、やることがない、という現実的な状況を表現するとき、時間という概念を使っているのです。時間という何かが別に存在している、ということではないのです。

 「時間は存在しない」と言っても、悪くないと思います。しかし我々の人生は、時間という化け物にひどく痛めつけられているのです。時間は、頭のなかで生まれる観念です。存在しない観念なので、「時間とは妄想概念である」と言っても構わないのです。

 暑さで困っている、寒くて困っている、病気で困っている、金がなくて困っている、などの考えの場合、話は現実的です。困っている状況をなくせます。金が なくて困っている人に金をあげれば、問題は解決します。時間がなくて困っている人に、時間というものはあげられません。それでも「時間をあげます」と言う でしょう。しかし、何もあげていないのです。ここで何が起きているのでしょうか。

 ある人に、何か仕事を頼んでいる。その人には、別にやることがあります。ですから、時間がないと言う。それで、その人が先にやるべき仕事をやり終えてか ら、自分が頼んだ仕事をしても構わないと思うのです。その気持ちを「時間をあげます」という言葉で表現します。結局は、時間があるのではなく、「行為があ る」ということになります。行為というものは、連続して一個ずつ行なうものであって、同時並行では行えないのです。

■無常と時間
 仏教でありのままの真理として教える項目のなかで、重大な概念は「無常」ということです。宇宙がある、世界がある、生命がいる、宇宙は有辺である・無辺である、などの考えは間違いだと、捨てているのです。存在のことを「無常」という一言にまとめるのです。

 我々が「ある」と思う一切の現象は、一時的で変化していくのです。或る現象に「ある」と言っても、次の瞬間に、その現象は変わっているのです。「ある」と言うためには、変わらないでいる必要があります。それはあり得ないのです。変わらないでいるものは、ないのです。

 ですから、「ある」という言葉は正しくないのです。であるならば、「ない」という言葉が正しいでしょうか。正しくないのです。「ない」とは言えないのです。ですから、有でも無でもなく、無常なのです。

 すべての現象は止まることなく変化し続けているので、人間の頭のなかで時間という観念が現れてしまったのです。地球は止まることなく回転します。一回転終えたところで、一日と思う。その一回転を時・分・秒などにわけてみる。根拠のない話です。

 一日とは24時間だと言っても、60時間だと言っても、構わないのです。一時間とは60分ではなく100分であると、一分は60秒ではなく100秒であ ると言っても、構わないのです。時間とは頭で計算するものだから、一日は100時間、一時間は500分、一分は100秒としておけば簡単だったのに。現代 世界は、原子時計という機械によって時間管理されているのです。

 原子時計は地球の回転に関係のない機械のようです。原子一個であっても、常に変化し続けているのです。その変化が起こる過程で原子が発する振動で、時間 を計算する。この話で、時間の本当の姿が観えてきます。時間とは「ある」ものではないのです。ものは変化するのです。その変化を数えるのです。時間は数学 以外の何でもありません。

 仏教は初めから、時間という概念を捨てたのです。無常という真理にもとづいて、物事を観たのです。人々は無常を発見していないのです。それでも、現象が変化することに気づくのです。その変化を時間という妄想概念で数えるのです。

■時間はトラブルのもと
 それで人間は、存在しない時間という観念が、存在するものだと勘違いしてしまったのです。時間を数える機械をつくってみたのです。その機械が人間を管理するようになったのです。人間は時計という機械の奴隷になったのです。人間の生き方は、時計が決めるのです。

 朝食・昼食・夕食などは身体の要求に合わせるのではなく、時計に合わせるのです。試験を受けるとき、全問正解する能力があっても、時計が邪魔するのです。時計が決めている時間内に答えなくてはいけないのです。頭がいいのに、試験で落第する人も、けっこういるのです。

 日本では抜群に学習能力ある子供たちが現れても、飛び級して大学入学することはできません。小六、中三、高三という十二年も、無駄に過ごさなくてはいけ ないのです。その子供の脳の無常は、他の子供より早いのです。自分の速さに社会が合わせてくれないから、学校で暴れて、問題児になるしかなくなるのです。

 仕事をするときも、家事をやるときも、開発などをするときも、時間が襲ってくるのです。時間がすべて管理しようとするのです。しかし、生の人間には、機械である時計の命令に忠実に生きることはできないのです。それで精神的な悩み苦しみが生じてくるのです。

 しかし、時計を無視することでも問題が起きます。勉強が終わってから、仕事に就いて働く。仕事が面白くなる。昇格を期待して頑張る。その人が女性だとし ましょう。明るく生きているからといって、無常からは逃げられません。身体の変化の過程で、ある時期までに結婚しなくてはいけません。子供を産める時期も あるのです。その期間に仕事に没頭していたので、結婚のチャンスも、子供を産むチャンスも逃してしまうのです。それで困ったり悩んだりするのです。それは 時計を無視したことの結果です。

 学校で勉強より遊ぶことに興味をいだいたら、まともな大人になるチャンスを逃してしまうのです。あとで後悔するのです。このような場合は、時計を無視し た結果だと言えるのです。実際は、時間が存在するのではなく、現象が絶えず変化するだけなのです。これらの人々は、変化を無視したのです。無常をないこと にしたのです。<つづく>

○イラスト:髙橋優子
▼参考テキスト
心を打ちのめす時間~執着がなければ苦しみもなし~
http://www.j-theravada.net/howa/howa211.html
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
写真: #jtba「時間の正体①~時間とは、ただの観念~」<br /><br />■時間は存在するか<br /> 「時間がある」「時間がない」などのフレーズは、日常よく使います。この場合、時間とはどのような意味でしょうか。時間は、ある・なしで示されるものでしょうか。<br /><br /> 難しいことを考える必要はないのです。簡単に考えましょう。部屋が汚れている。掃除しなくてはいけない。そこで、「時間があるから掃除します」「時間がないから後回しにします」ということになります。時間がない、という場合は、別にやることがある、という意味です。<br /><br /> 時間がある、という場合は、他にやることはない、という意味です。やることがある、やることがない、という現実的な状況を表現するとき、時間という概念を使っているのです。時間という何かが別に存在している、ということではないのです。<br /><br /> 「時間は存在しない」と言っても、悪くないと思います。しかし我々の人生は、時間という化け物にひどく痛めつけられているのです。時間は、頭のなかで生まれる観念です。存在しない観念なので、「時間とは妄想概念である」と言っても構わないのです。<br /><br /> 暑さで困っている、寒くて困っている、病気で困っている、金がなくて困っている、などの考えの場合、話は現実的です。困っている状況をなくせます。金がなくて困っている人に金をあげれば、問題は解決します。時間がなくて困っている人に、時間というものはあげられません。それでも「時間をあげます」と言うでしょう。しかし、何もあげていないのです。ここで何が起きているのでしょうか。<br /><br /> ある人に、何か仕事を頼んでいる。その人には、別にやることがあります。ですから、時間がないと言う。それで、その人が先にやるべき仕事をやり終えてから、自分が頼んだ仕事をしても構わないと思うのです。その気持ちを「時間をあげます」という言葉で表現します。結局は、時間があるのではなく、「行為がある」ということになります。行為というものは、連続して一個ずつ行なうものであって、同時並行では行えないのです。<br /><br />■無常と時間<br /> 仏教でありのままの真理として教える項目のなかで、重大な概念は「無常」ということです。宇宙がある、世界がある、生命がいる、宇宙は有辺である・無辺である、などの考えは間違いだと、捨てているのです。存在のことを「無常」という一言にまとめるのです。<br /><br /> 我々が「ある」と思う一切の現象は、一時的で変化していくのです。或る現象に「ある」と言っても、次の瞬間に、その現象は変わっているのです。「ある」と言うためには、変わらないでいる必要があります。それはあり得ないのです。変わらないでいるものは、ないのです。<br /><br /> ですから、「ある」という言葉は正しくないのです。であるならば、「ない」という言葉が正しいでしょうか。正しくないのです。「ない」とは言えないのです。ですから、有でも無でもなく、無常なのです。<br /><br /> すべての現象は止まることなく変化し続けているので、人間の頭のなかで時間という観念が現れてしまったのです。地球は止まることなく回転します。一回転終えたところで、一日と思う。その一回転を時・分・秒などにわけてみる。根拠のない話です。<br /><br /> 一日とは24時間だと言っても、60時間だと言っても、構わないのです。一時間とは60分ではなく100分であると、一分は60秒ではなく100秒であると言っても、構わないのです。時間とは頭で計算するものだから、一日は100時間、一時間は500分、一分は100秒としておけば簡単だったのに。現代世界は、原子時計という機械によって時間管理されているのです。<br /><br /> 原子時計は地球の回転に関係のない機械のようです。原子一個であっても、常に変化し続けているのです。その変化が起こる過程で原子が発する振動で、時間を計算する。この話で、時間の本当の姿が観えてきます。時間とは「ある」ものではないのです。ものは変化するのです。その変化を数えるのです。時間は数学以外の何でもありません。<br /><br /> 仏教は初めから、時間という概念を捨てたのです。無常という真理にもとづいて、物事を観たのです。人々は無常を発見していないのです。それでも、現象が変化することに気づくのです。その変化を時間という妄想概念で数えるのです。<br /><br />■時間はトラブルのもと<br /> それで人間は、存在しない時間という観念が、存在するものだと勘違いしてしまったのです。時間を数える機械をつくってみたのです。その機械が人間を管理するようになったのです。人間は時計という機械の奴隷になったのです。人間の生き方は、時計が決めるのです。<br /><br /> 朝食・昼食・夕食などは身体の要求に合わせるのではなく、時計に合わせるのです。試験を受けるとき、全問正解する能力があっても、時計が邪魔するのです。時計が決めている時間内に答えなくてはいけないのです。頭がいいのに、試験で落第する人も、けっこういるのです。<br /><br /> 日本では抜群に学習能力ある子供たちが現れても、飛び級して大学入学することはできません。小六、中三、高三という十二年も、無駄に過ごさなくてはいけないのです。その子供の脳の無常は、他の子供より早いのです。自分の速さに社会が合わせてくれないから、学校で暴れて、問題児になるしかなくなるのです。<br /><br /> 仕事をするときも、家事をやるときも、開発などをするときも、時間が襲ってくるのです。時間がすべて管理しようとするのです。しかし、生の人間には、機械である時計の命令に忠実に生きることはできないのです。それで精神的な悩み苦しみが生じてくるのです。<br /><br /> しかし、時計を無視することでも問題が起きます。勉強が終わってから、仕事に就いて働く。仕事が面白くなる。昇格を期待して頑張る。その人が女性だとしましょう。明るく生きているからといって、無常からは逃げられません。身体の変化の過程で、ある時期までに結婚しなくてはいけません。子供を産める時期もあるのです。その期間に仕事に没頭していたので、結婚のチャンスも、子供を産むチャンスも逃してしまうのです。それで困ったり悩んだりするのです。それは時計を無視したことの結果です。<br /><br /> 学校で勉強より遊ぶことに興味をいだいたら、まともな大人になるチャンスを逃してしまうのです。あとで後悔するのです。このような場合は、時計を無視した結果だと言えるのです。実際は、時間が存在するのではなく、現象が絶えず変化するだけなのです。これらの人々は、変化を無視したのです。無常をないことにしたのです。<つづく><br /><br />○イラスト:髙橋優子<br />▼参考テキスト<br />心を打ちのめす時間~執着がなければ苦しみもなし~<br />http://www.j-theravada.net/howa/howa211.html<br />♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪









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