お堂の月とススキ滅多に更新しないブログですみません。それなのに毎日、多くの方が当ブログを訪れて下さり、本当にありがとうございます。滅多に更新しないので、申し訳なくて、結構心は締め付けられる思いです(笑)
しかし、私には安定した収入があるわけではないので、いつも動きつづけなければ、すぐに生きて行けなくなります。従いまして、毎日毎日バタバタと動き回っているのです。130キロという体重といい、動き続けていることといい、マグロの様な人生なのです(笑)

しかしながら、人生の本業は修行をすること、ですから、皆様にも心の修行をして頂くために、今日は朝日カルチャーセンター湘南教室さんで前回の講義の時に使いましたプリントの一部をお読み頂こうと思い、ブログ更新を致します。


ヴィパッサナー瞑想入門

人生に迷ったら、いつもお釈迦様の教えに「答え」があります。

・道徳とは何かに迷ったら、五戒、があります。
不殺生(生き物を殺しません)、不偸盗(与えられていないものを取りません)、不邪淫(邪な性関係を持ちません)、不妄語(ウソをつきません)、不飲酒(酒や麻薬などを摂取しません)

・心の拠り所に迷ったら、「誰でも自らを島とし、自らをたよりとし、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとしない(春秋社 原始仏典 第二巻 ブッダ最後の旅)」、という教えを思い出すと落ち着きます。

私達にとっての師匠は常にお一人、お釈迦さまです。この日本には現在、多くの正しいお釈迦様の教えというものが乱立しています。どんな教えも仏教と勝手に呼ばれているのです。また、ヴィパッサナー瞑想と銘打っている講座も沢山あります。
しかし、それらを鵜呑みにする事なく、常にお釈迦様の教えに照らし合わせて、正しい教えを自らで判断して、自分の責任によって心を成長させなければならないのです。

他のものをよりどころとしない、とは、神仏・法力・祈祷・霊能力者・修験者・占い師・オーラ・スピリチュアル能力などなど、色々含まれます。見えないモノの洗脳を受け入れません、という事です。

仏道に対して、正しい努力をして、五戒によって自分を守って、悟りを目指すために自分を大切にして、瞬間・瞬間変化する自分を観察すると真理までも見えて来るのです。

・人生とは何かに迷ったら、諸行無常、一切皆苦、諸法無我の教えがあります。

川の流れの様に、私達の肉体も心も変化しています。これを無常と呼びます。
煩悩でさえも条件によってあらわれては消えるのですから、無常です。

生老病死の苦とは、毎日の変化は不安、老化は不満、病気も不安、死への恐怖のことです。
さらに、愛別離苦アイベツリク(愛する人との別れ・死別)、怨憎会苦オンゾウエク(嫌いな人・苦手な人とも会わなければならない事があります)、求不得苦 グフトック(求めているものが手に入らない苦しみもあります)、五蘊盛苦ゴウンジョウク(常に刺激を必要とするこの肉体は、苦しみをもたらすと言えるで しょう)を合わせて、四苦八苦といいます。これらの苦しみは、安心がなく、終わりもなく、助かる保証も約束もないのです。いつも不安定なので、それを苦と 呼びます。
さらに、肉体的な苦と、精神的な苦もあります。
呼吸、存在、空腹、渇き…、怒り、嫉妬、憎しみ、欲張り…など。

それで私達は、神仏に頼る、愛に頼る、法力に依存する、拝む、お守りを買う、不思議な力を得ようと修行をする、けがれをはらうための禊をする、など色々な方法を考え出して来ました(笑)私もそれを探して、色々な修行にのめり込みました。

しかし、どれ一つとして、生老病死を乗り越えさせてくれるモノはないのです。

もっといい方法があるはずだ、と思ってさまようのは、仕方がありません。これを無明と呼びます。お釈迦様でさえも、6年間も徹底的な苦行をされて、乗り越える方法を探されましたが、見つけることが出来ませんでした。
そして、苦行をやめて、無常・苦・無我の教えによって、生老病死を乗り越える方法を説かれたのです。
その教えを実体験する修行方法が、本日から実践して頂くヴィパッサナー瞑想です。

以上が、講義の時に使用したプリントの一部です。皆様が幸せになる事に少しでも役立てて頂けましたら、嬉しいです。

こうした講義の後に、瞑想実践をして頂くのが、朝日カルチャーセンター湘南教室さんでの瞑想講座です(この最後の一文はコマーシャルです(笑))。