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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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#jtba「愚かな味方」ジャータカ物語より





協会のfbより紹介です。





#jtba「愚かな味方」ジャータカ物語より

 その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、商業で生計を立てていました。そのとき、カーシ国のとある辺境の村に大勢の大工たちが住んでいました。※菩薩…前世 修行者であった釈尊のこと。

 その中の一人である禿頭の大工が木を切っているとき、一匹の蚊が、その銅鍋の底のような後頭にとまって、槍で突くように頭を嘴(くちばし)で刺しました。彼は自分のそばに坐っている息子に言いました。「おい、わしの頭を蚊が槍で突くように刺している。追い払っておくれ。」息子は、「父さん、辛抱していてくださいな。一撃でそいつを殺しますから」と言いました。

 菩薩は、自分の扱う商品を仕入れるためにこの村に着き、その大工の小屋に坐っていました。大工が息子に「おい、この蚊を追い払っておくれ」と言ったの は、丁度そのときでした。息子は、「父さん、追い払ってあげるよ」と、鋭利な大なたを振りあげ、父親の背後に立って、「蚊を打つよ」と、父親の頭を真二つ に割ってしまいました。大工は、即座に死んでしまいました。

 菩薩は、彼のそのしわざを見て、「(味方の愚か者よりは)たとえ仇敵であっても、賢明な者のほうがまだましである。何故ならばそういう者は、刑罰の恐れを理由にしてでも、人々を殺すことまではしないだろう」と考えて、つぎのような詩句を唱えました。

 浅はかな味方より余程
 思慮ある敵は優れたり
 蚊を殺そうとするこの白痴は
 父親の頭を切り裂く

 この詩句を唱えて菩薩は立ち去って行きました。大工は、親族たちによって、手厚く葬られました。

◆スマナサーラ長老のコメント「物語の教訓」
 人付き合いというものは、生きていく上で必ず必要です。人間関係さえ上手くいけば、幸福に生きられるということは明白な事実です。人付き合いの失敗は、 人生そのものの失敗です。人は誰でも多かれ少なかれ、他人との付き合いについてかなり苦心するのです。幼児たちから老人まで、他人との付き合い方は頭の痛 い問題です。ですからこれは一生涯の問題です。

 他の問題、たとえば仕事のことは、仕事に就く年齢に達したとき悩めばよいのです。それは子供と老人には関係がないのです。健康の問題は、病気を抱えてい る人々が気にするべきものです。教育の問題は、若者が注意すべきです。子育ての問題は、若い夫婦たちが取り組むべきものです。老夫婦たちにはその悩みはあ りません。

 このように考えると、人間に関わるこれらの問題というのは一生涯のものではなく、一時のことであると理解できます。人には次から次へと問題が現れます が、一つの問題を生涯引きずる必要はありません。その時どきに現れる問題を、その場でその時に解決していけばよいのです。

 しかし、人付き合い・人間関係という問題は、一生涯の問題です。解決しましたと軽々しく言って片づけることはできないのです。年齢と環境の変化ととも に、人間関係の形は変わっていきます。それに絶えず適応しないと、社会人として落ちこぼれるのです。幼稚園児たちの人間関係と、小学生の人間関係は同じで はありません。園児の時は友達がいっぱいいたのに、小学生になってから仲間に苛められて、ひとりぼっちになるケースもあるのです。それは、その子が年齢に よる状況の変化に適応できなかったということです。二十歳になった子供の暴力で親が悩むのは、両者ともに年齢の変化に適応できなくなっているからです。

 また、場所によっても人間関係は変わるのです。たとえば、会社で真面目に仕事をする立派なサラリーマンが、飲み屋で女性とトラブルを起こしてセクハラ罪 で訴えられるとします。この場合は、会社では立派な人間ですが、遊び場の人間関係での立ち居振る舞いがまずかったことになるのです。ですから、時と場に応 じて常に変化する人間関係に、我々は常に適応できるように心がけなくてはならないのです。

 家にいても学校・会社にいても、人間関係からは逃げられません。ひとりで山で遊んでいても、やりたい放題で遊ぶことは禁止なのです。社会のために自然を 守り汚さないことに、気をつけなくてはいけません。自然災害に遭遇して全財産を失って、避難生活をしていても、人間関係だけはついてきます。たとえ避難所 でも人間関係につまづいてしまったら大問題です。病院で死ぬ間際にあるときも、他人との関係だけはつきまとうのです。

 たくさん仲間がいたからといって、人間関係が上手とは言い切れません。逆に、ひとりでいるからといって、人間関係が下手だとは限りません。私たちはたく さん仲間を作ることで、人付き合いが上手だと自画自賛しますが、これはとても危険なことです。現代人はいとも簡単にこのポイントを見過ごし、不幸に陥って いるのです。このジャータカが、幸福に生きるために必要不可欠なこのポイントを物語っています。

 味方に言われたからといって無批判で何でもやる生き方は、正しくないのです。智恵のない味方は、失敗したところでそこに仲間も引きずろうとするのです。 たとえば日本国の味方がどこかで戦争を引き起こしたからといって、日本国民に何の関係もない国まで出かけて、戦争に参加して殺し合いをする必要はありませ ん。良い味方だと思うならば、戦争を引き起こすような愚かな行為をしないように相手を諭すべきです。

●photo:Axe by Peter Murphy(flickr)
▼参考テキスト
「蚊を退治する話」
http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0401.html
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
写真: #jtba「愚かな味方」ジャータカ物語より<br /><br /> その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、商業で生計を立てていました。そのとき、カーシ国のとある辺境の村に大勢の大工たちが住んでいました。※菩薩…前世 修行者であった釈尊のこと。<br /><br /> その中の一人である禿頭の大工が木を切っているとき、一匹の蚊が、その銅鍋の底のような後頭にとまって、槍で突くように頭を嘴(くちばし)で刺しました。彼は自分のそばに坐っている息子に言いました。「おい、わしの頭を蚊が槍で突くように刺している。追い払っておくれ。」息子は、「父さん、辛抱していてくださいな。一撃でそいつを殺しますから」と言いました。<br /><br /> 菩薩は、自分の扱う商品を仕入れるためにこの村に着き、その大工の小屋に坐っていました。大工が息子に「おい、この蚊を追い払っておくれ」と言ったのは、丁度そのときでした。息子は、「父さん、追い払ってあげるよ」と、鋭利な大なたを振りあげ、父親の背後に立って、「蚊を打つよ」と、父親の頭を真二つに割ってしまいました。大工は、即座に死んでしまいました。<br /><br /> 菩薩は、彼のそのしわざを見て、「(味方の愚か者よりは)たとえ仇敵であっても、賢明な者のほうがまだましである。何故ならばそういう者は、刑罰の恐れを理由にしてでも、人々を殺すことまではしないだろう」と考えて、つぎのような詩句を唱えました。<br /><br /> 浅はかな味方より余程<br /> 思慮ある敵は優れたり<br /> 蚊を殺そうとするこの白痴は<br /> 父親の頭を切り裂く<br /><br /> この詩句を唱えて菩薩は立ち去って行きました。大工は、親族たちによって、手厚く葬られました。<br /><br />◆スマナサーラ長老のコメント「物語の教訓」<br /> 人付き合いというものは、生きていく上で必ず必要です。人間関係さえ上手くいけば、幸福に生きられるということは明白な事実です。人付き合いの失敗は、人生そのものの失敗です。人は誰でも多かれ少なかれ、他人との付き合いについてかなり苦心するのです。幼児たちから老人まで、他人との付き合い方は頭の痛い問題です。ですからこれは一生涯の問題です。<br /><br /> 他の問題、たとえば仕事のことは、仕事に就く年齢に達したとき悩めばよいのです。それは子供と老人には関係がないのです。健康の問題は、病気を抱えている人々が気にするべきものです。教育の問題は、若者が注意すべきです。子育ての問題は、若い夫婦たちが取り組むべきものです。老夫婦たちにはその悩みはありません。<br /><br /> このように考えると、人間に関わるこれらの問題というのは一生涯のものではなく、一時のことであると理解できます。人には次から次へと問題が現れますが、一つの問題を生涯引きずる必要はありません。その時どきに現れる問題を、その場でその時に解決していけばよいのです。<br /><br /> しかし、人付き合い・人間関係という問題は、一生涯の問題です。解決しましたと軽々しく言って片づけることはできないのです。年齢と環境の変化とともに、人間関係の形は変わっていきます。それに絶えず適応しないと、社会人として落ちこぼれるのです。幼稚園児たちの人間関係と、小学生の人間関係は同じではありません。園児の時は友達がいっぱいいたのに、小学生になってから仲間に苛められて、ひとりぼっちになるケースもあるのです。それは、その子が年齢による状況の変化に適応できなかったということです。二十歳になった子供の暴力で親が悩むのは、両者ともに年齢の変化に適応できなくなっているからです。<br /><br /> また、場所によっても人間関係は変わるのです。たとえば、会社で真面目に仕事をする立派なサラリーマンが、飲み屋で女性とトラブルを起こしてセクハラ罪で訴えられるとします。この場合は、会社では立派な人間ですが、遊び場の人間関係での立ち居振る舞いがまずかったことになるのです。ですから、時と場に応じて常に変化する人間関係に、我々は常に適応できるように心がけなくてはならないのです。<br /><br /> 家にいても学校・会社にいても、人間関係からは逃げられません。ひとりで山で遊んでいても、やりたい放題で遊ぶことは禁止なのです。社会のために自然を守り汚さないことに、気をつけなくてはいけません。自然災害に遭遇して全財産を失って、避難生活をしていても、人間関係だけはついてきます。たとえ避難所でも人間関係につまづいてしまったら大問題です。病院で死ぬ間際にあるときも、他人との関係だけはつきまとうのです。<br /><br /> たくさん仲間がいたからといって、人間関係が上手とは言い切れません。逆に、ひとりでいるからといって、人間関係が下手だとは限りません。私たちはたくさん仲間を作ることで、人付き合いが上手だと自画自賛しますが、これはとても危険なことです。現代人はいとも簡単にこのポイントを見過ごし、不幸に陥っているのです。このジャータカが、幸福に生きるために必要不可欠なこのポイントを物語っています。<br /><br /> 味方に言われたからといって無批判で何でもやる生き方は、正しくないのです。智恵のない味方は、失敗したところでそこに仲間も引きずろうとするのです。たとえば日本国の味方がどこかで戦争を引き起こしたからといって、日本国民に何の関係もない国まで出かけて、戦争に参加して殺し合いをする必要はありません。良い味方だと思うならば、戦争を引き起こすような愚かな行為をしないように相手を諭すべきです。<br /><br />●photo:Axe by Peter Murphy(flickr)<br />▼参考テキスト<br />「蚊を退治する話」<br />http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0401.html<br />♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪









facebook | 10:23:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
『結局は自分のことを何もしらない』『苦しみをなくすこと』2冊(サンガ)を合本した中国語版『所有的累都是心累』





協会のfbより紹介です。





#jtba スマナサーラ長老の著作『結局は自分のことを何もしらない』『苦しみをなくすこと』2冊(サンガ)を合本した中国語版『所有的累都是心累』(上海読客図書有限公司)が刊行されました。初版部数は10000部だそうです。





















写真: #jtba スマナサーラ長老の著作『結局は自分のことを何もしらない』『苦しみをなくすこと』2冊(サンガ)を合本した中国語版『所有的累都是心累』(上海読客図書有限公司)が刊行されました。初版部数は10000部だそうです。









facebook | 16:02:46 | トラックバック(0) | コメント(0)
ヴィパッサナーとは、明確に観察する、という意味です。






協会の記事ではありません。
木下全雄  さんの ブログの紹介です





今日も更新する事が特にありませんので、以前に朝日カルチャーセンター湘南教室さんで使用しました講義用プリントをここに公開させて頂きます。

皆様の修行のお役に立ちます事を祈っております。

ヴィパッサナーとは、明確に観察する、という意味です。
何を観察しますか?

肉体は「不浄」である、と観察しましょう。仏教用語では、この肉体は「九穴の糞袋(くけつのくそぶくろ)」と呼びます。目2、鼻2、耳2、口1、尿道口1、肛門1、の九つの穴からは、クソと名の付くものが流れ出ています。
目クソ、鼻クソ、耳クソ、痰、嘔吐物、大小便、と、毛穴という毛穴からも老廃物が流れ出て来ます。この「不浄」なものに、私達は執着するべきでしょうか?

感覚は「苦」である、と観察しましょう。ドンドン楽になる事があるならば、人間はそれをやめられなくなります。あらゆる感覚は「苦」である、という教えが一切皆苦です。感覚は不安定であり、苦しみに至り、不満が生ずるものです。
この「苦」に至るものに、私達は執着するべきでしょうか?

心の働きは「無常」である、と観察しましょう。記憶、認識機能、感覚、何かをしたいと思う衝動、これらは全て瞬間・瞬間変化しています。貪瞋痴(とんじん ち)と呼ばれる、欲・怒り・愚かさといった煩悩も、条件によって現れたり消えたりするのです。煩悩即菩提と言い切るためには、この煩悩でさえも無常であ る、という事が分からなければなりません。
この「無常」なるものに、私達は執着できるのでしょうか?

あらゆる事物は「無我」である、と観察しましょう。あらゆるものは変化します。安定していません。実体というものはなく、形・性質は、光のスピードで変化しています。条件によって組み立てられて、機能を持っているのですが、条件が変わると、全く違うものになるのです。
この「無我」なるものに、私達は執着できるのでしょうか?

これらのものを一つ一つ観察する事も大切ですが、ヴィパッサナー瞑想実践をすれば、これら全ての執着を、いとも簡単に、いつの間にか、いつも完璧に乗り越えることが出来ています。

ヴィパッサナー瞑想実践とは、実況中継をすること、でしたよね。
主観を入れず、客観的に、自分の感覚を実況中継するのです。善悪の判断は要りません。
そうすることで、主観から生まれるあらゆる価値観と執着を乗り越えます。苦を理解し、かつ乗り越えます。無常を理解し、無常を体験します。私という変わら ないモノさえも成り立たないことに気付き、理解し、体験します。妄想がなくなり、現実を生きることが出来るようになります。

砂糖と塩の分子構造の違いが分かったとしても、砂糖と塩の味の違いを理解したことにはなりません。砂糖と塩の違いは、なめれば一発で分かります。
ヴィパッサナー瞑想実践をすれば、現実と非現実の違いを理解し、無常を体験し、無我を体験することが出来るのです。
さぁ、それでは今日の瞑想実践を始めましょう。

こうした講義の後に、瞑想実践をして頂くのが朝日カルチャーセンター湘南教室さんでの瞑想講座です。この最後の一文は再びコマーシャルです。お誘い合わせの上、ご参加下さい(笑)。 .

今日も更新する事が特にありませんので、以前に朝日カルチャーセンター湘南教室さんで使用しました講義用プリントをここに公開させて頂きます。<br /><br />皆様の修行のお役に立ちます事を祈っております。<br /><br />ヴィパッサナーとは、明確に観察する、という意味です。<br />何を観察しますか?<br /><br />肉体は「不浄」である、と観察しましょう。仏教用語では、この肉体は「九穴の糞袋(くけつのくそぶくろ)」と呼びます。目2、鼻2、耳2、口1、尿道口1、肛門1、の九つの穴からは、クソと名の付くものが流れ出ています。<br />目クソ、鼻クソ、耳クソ、痰、嘔吐物、大小便、と、毛穴という毛穴からも老廃物が流れ出て来ます。この「不浄」なものに、私達は執着するべきでしょうか?<br /><br />感覚は「苦」である、と観察しましょう。ドンドン楽になる事があるならば、人間はそれをやめられなくなります。あらゆる感覚は「苦」である、という教えが一切皆苦です。感覚は不安定であり、苦しみに至り、不満が生ずるものです。<br />この「苦」に至るものに、私達は執着するべきでしょうか?<br /><br />心の働きは「無常」である、と観察しましょう。記憶、認識機能、感覚、何かをしたいと思う衝動、これらは全て瞬間・瞬間変化しています。貪瞋痴(とんじんち)と呼ばれる、欲・怒り・愚かさといった煩悩も、条件によって現れたり消えたりするのです。煩悩即菩提と言い切るためには、この煩悩でさえも無常である、という事が分からなければなりません。<br />この「無常」なるものに、私達は執着できるのでしょうか?<br /><br />あらゆる事物は「無我」である、と観察しましょう。あらゆるものは変化します。安定していません。実体というものはなく、形・性質は、光のスピードで変化しています。条件によって組み立てられて、機能を持っているのですが、条件が変わると、全く違うものになるのです。<br />この「無我」なるものに、私達は執着できるのでしょうか?<br /><br />これらのものを一つ一つ観察する事も大切ですが、ヴィパッサナー瞑想実践をすれば、これら全ての執着を、いとも簡単に、いつの間にか、いつも完璧に乗り越えることが出来ています。<br /><br />ヴィパッサナー瞑想実践とは、実況中継をすること、でしたよね。<br />主観を入れず、客観的に、自分の感覚を実況中継するのです。善悪の判断は要りません。<br />そうすることで、主観から生まれるあらゆる価値観と執着を乗り越えます。苦を理解し、かつ乗り越えます。無常を理解し、無常を体験します。私という変わらないモノさえも成り立たないことに気付き、理解し、体験します。妄想がなくなり、現実を生きることが出来るようになります。<br /><br />砂糖と塩の分子構造の違いが分かったとしても、砂糖と塩の味の違いを理解したことにはなりません。砂糖と塩の違いは、なめれば一発で分かります。<br />ヴィパッサナー瞑想実践をすれば、現実と非現実の違いを理解し、無常を体験し、無我を体験することが出来るのです。<br />さぁ、それでは今日の瞑想実践を始めましょう。<br /><br />こうした講義の後に、瞑想実践をして頂くのが朝日カルチャーセンター湘南教室さんでの瞑想講座です。この最後の一文は再びコマーシャルです。お誘い合わせの上、ご参加下さい(笑)。 .










Be Happy! | 17:06:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
「だらしなくて情けない人間」---徒然日記





協会の記事ではありません。
サークル仲間の徒然日記です。




吉田 牧生 -------徒然日記
「だらしなくて情けない人間」

 昨日のテーマは「自分はろくでもない・ブッダの教え
一日一語」で出し合った。その中に「だらしなくて情けない人間
であるという認識でいないと、人間はどんどんと傲慢になってい
って、平気で他の権利や命を奪います」というのはきつかった。

 軽く読んでいたらそらそうですねと頷いたものの、やっぱりそ
んなに自分はだらしなくは生きていない、そこそこやっていると
いう思いがあった。

 そんなに言われるほどだらしなくはない。そう思いたいし、思っ
ている。しかし「だらしなくて情けない自分だと認識する」のが今
を生きる智慧ですよ。とある。

 そう言ってもらっているのに自分の心に抵抗がある。ろくでなし
♪は昔カラオケでもやったが、情けない自分となると面白くない。

 この夏に読んだ「バカの理由」を開い
てみると、バカ(無智)は生命の基本です。とある。頭で読んで
いても心は受け入れていないんだ。よし成長してやるぞという
意欲を強くする。










徒然日記 | 09:14:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)





協会のホームページから紹介です。





「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)
Sabbe satta bhavantu sukhitatta
HOME「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)→【1】 日常生活の中での冥想の仕方 1
釈迦尊の教え・あなたとの対話 疑問・質問・反論のページ

Q: 今月からしばらく、ヴィパッサナー冥想に関する質問をさせていただきたいと思います。まず家にいるときや、普段の生活の中でする冥想について教えてください。

A:
 どんなことでもいいですから、自分でやっていることを確認してください。それがもう、ヴィパッサナー冥想なのです。皿を洗っているときも、料理を作って いるときも、食べているときでもおフロに入っているときでも、いつでもできるのです。皿を洗うときに、冥想会でやるようなおなかの膨らみ縮みの確認をする のではなく、「皿を取ります、洗います、拭きます、置きます」 といったように、その時自分がやっている行動を、心のなかで確認するのです。普段やっていることを2度確認することです。それをやって、いくらか慣れてい かないと、そこから進むことは難しいのです。

Q: 冥想会で座ったり歩いたりという冥想を実践することとは別に、そのような日常の 「確認」 を続けることには、どのような意味があるのでしょうか。

A:
 我々が生きている幻想的な世界を破って、真理の境地に至るために、その方法が必要です。日常の冥想というのは、自分がやっているもろもろのことを、本当 にきちんとやっているのかという確認をすることがポイントです。ですから、それができるようになると、我々人間は実際のところ何をしているのかというとこ ろまで進めるようになりますが、最初はそこまで考えなくてもいいのです。
 皿を取って、洗って、置きます、というようにやってみればいいのです。それまでのように、普通に確認せずに仕事をしている途中で試しに確認してみる、普段のように仕事を進めながら、確認をしてみてください。そうすると、何か差がでてくるかどうか、自分でわかるはずです。
それが上手にできるかどうかということだけがポイントであって、その時点で、皆さんがどれほど悩んでいるかとか苦しんでいるかとか、性格がしっかりしてい ないかとか、そういうことは関係ありません。ただ、単純に見える確認作業でさえ、性格がしっかりしていなければできないのです。

Q: 確認をしながら仕事をしようとしても、いろいろなことを考えてしまって、すぐに確認を忘れてしまいます。

A:
 そうなのです。ずいぶん偉いことを毎日やっているように思っていますが、水一杯飲むことがあなたにできますか、と聞きたいのです。大した仕事ではないの ですから、水一杯飲むということを、きちんと言葉で確認しながらやってみてください。性格ができ上がっていない人にはできないのです。頭があっちへ行った りこっちへ行ったり、早く飲んでしまったり必要以上ににゆっくり飲んでしまったり、うまくはできないのです。そういう簡単な、歩くこと、座ること、横にな ること、掃除や洗濯をすること、会社に行くこと、仕事をすること、そういう毎日やっている普通のことをきちんと確認できれば、注意して行うことができれ ば、もうそれだけで立派な人間になるのです。2-3週間くらいはかかりますが、試しにやってみてください。
 電車で立っているときなど、いろいろなくだらない雑念を全部心のなかから取り除いて、「立っています、立っています」 「見てます、見てます」 「聞こえています、聞こえています」 というふうに現実にある事実だけを確認するのです。座席があれば座ってもいいし、座ったら目を閉じてもいいし、閉じなくてもいいのですが、体の揺れ、電車 の音、あるいは呼吸でもいい、頭の中でつくりだす妄想ではなく、実際にある何かを確認していくのです。

Q: たとえば「電車の音が聞こえる」というふうに確認すればいいのですか。

A:
 何かの音という風な確認ではなく、ただ、耳に触れるものとしてだけ 「音」 を確認するようにします。音というものは耳に触れるだけのものなのです。
それがカラスの声か、人間の声か、さらには騒々しいとか心地よい音だとか判断するのは、我々の脳細胞です。脳細胞には関係なく、「音です、音です」 あるいは 「聞いています、聞いています」 とじーっとその音を観る、それが、ヴィパッサナー冥想なのです。
ヴィパッサナー冥想にならないのは、こういう理由でその音が鳴っているのだなどと考えるときなのです。

Q: 脳細胞を働かせて、脳細胞に何かを考えさせてはいけないということでしょうか。

A:
 人間は大体、考えるのが好きですね。考えるのをやめてくださいというと怖がるのです。人間でなくなってしまうような気がして怖いのです。でも本当に 「考えない」 ことは危険なことでしょうか。考えないと本当に馬鹿になってしまうのでしょうか。試しに 「考えない」 ようにしてみてください。
発見できるはずです。何も考えないで、ただ行動しているだけの人は、ものすごく智慧があって、ものごとをわかっている、落ち着いた素晴らしい人間であることを。

 少しわかりやすい例でいいますと、仕事中、頭を痛め続けて考えても全く仕事がはかどらない、けれども頭をリラックスさせて、気持を楽にした瞬間に 仕事がうまく進み出す、そんなことはまれなことではありません。つまり、人間の成長を大きく邪魔するのは 「妄想」 であると言えます。
我々の全ての悩み、苦しみは、「妄想」 と 「価値判断」 から生まれてくるのです。

Q: しかし、何かを見たとき、聞いたとき、何かに出会ったとき、判断しないということはできないのではないでしょうか。

A:
 私がよく言うのは、人が私に 「ばかやろう」 と言った、それで私が怒った、それは当り前だと思ってしまいますが、当り前ではないのです。なぜなら、その人の言葉 「ばかやろう」 はただの音であるのに、「自分がけなされた→失礼なやつだ→言うべきではない」 と私が解釈したから怒ったわけです。解釈をしなければ怒らないはずです。
「その人がしゃべっている」 と、事実だけ確認すべきなのです。その人が私をけなしているかどうかは、私にはわかりません。
正しい人なら、怒る前に、「ちょっとごめんなさい、あなたはどういう気持でその言葉をしゃべっているのですか」 と聞くのです。それでその人が、「わたしはあなたをとことんけなしたいのだ」 と言ったら、じゃあ怒りましょう、ということではありません。ただ言いたいのは、自分の頭の中の勝手な解釈で、怒ることが当然だと思っている、それは違うということです。

(みなさんからのご質問等をスマナサーラ長老にお聞きし、PATIPADÂ 編集部でまとめました)










協会 更新情報 | 10:41:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
 喜(Muditaa―ムディター)から始まる幸福論





協会の記事ではありません。協会のリンク先です。

Sabbe satta bhavantu sukhitatta  の紹介です

生きとし生けるものが幸せでありますように







 精神の栄養剤


  ムディター(Muditaa)とは、精神を成長させる栄養剤です。この栄養剤は外から取り入れるものではありません。心がつくりだすものです。少々訓練さ えしておけば、ムディターという栄養剤はいくらでもつくれます。成長に必要な栄養に困っていなければ、人が成長するのは当たり前の話でしょう。 

 どんなものにも何らかの副作用があるのは当然です。しかし、例外もあるのです。身体を健康に保って成長させるために、私たちは栄養に富んだ食べものを食 べています。しかしこの食べものが持つ副作用によって、身体が成長するとともに、壊れていったり、病気になったりもします。一部の人間は、ハイになるため に痲薬を服用します。結果は早いですが、危険性はあまりにも大きいのです。

 しかし脳と身体を刺激して活発にするために、脳は脳の中で痲薬に似た化学物質をつくります。そちらに副作用はありません。身体を治して活発にしてくれる だけです。「脳はデータを処理して身体を管理するだけでなく、薬を製造することも行なっている」と聞いたことがあります。脳がつくる薬には、危険な副作用 はないのです。自分の身体にぴったり適合する薬なのです。

 このように説明したのは、ムディターは心がつくりだす栄養剤なので、心が成長するためにぴったり適合する薬である、ということを理解していただくためで す。要するに、ムディターはあればあるほどよいものなのです。これから、ムディターとはどのようなものか、どのようにムディターを製造するのかを考えてい きましょう。

 まず、ムディターとは何なのかと理解しましょう。ムディターとは「喜び」という意味です。喜びなら、知っていますね。それはどうでしょうかと疑問です。 みんな喜びの意味を知っているならば、悩んだり苦しんだり失敗したり後悔したりして人生にダメージを与えないでしょう。人はだれでも、大成功を収めること でしょう。私たちが知っている喜びと、心の栄養剤である喜びは、もしかすると少々違うのかもしれません。似ているところはありますが同じではない、と理解 したほうがよいのです。ムディターを学ぶ前に、ムディターの敵について学んでみましょう。

つづきはこの中










Sabbe satta | 09:13:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
#jtba「ダメな自分」というエゴ





協会のfbより紹介です。





#jtba「ダメな自分」というエゴ

 エゴを捨てるなんてできっこないと、決めてかかってはいけません。また、怒りのコントロール術だけを知りたいなんて、甘いことを言ってもいけません。とにかく挑戦すること。そうやって人は成長しなくてはいけないのです。

 まず、「自分は偉い」というエゴを捨てましょう。そのためには「私は何者でもない。大したものではない」と考えることです。また、「自分はダメだ」というエゴも捨てましょう。「私は大物だ」と思うのと同様に、「私には才能がない」と思うのも、エゴの一種です。

 「私には能力がないのに、あの人にはいろんな才能がある」と考えると、嫉妬の感情が生まれます。自分に特別な能力がないことが嫌だから、相手に怒りを覚えるわけです。でも、あなたが才能に満ちあるれていなければならない理由はどこにもありません。

 それから、「負けず嫌い」というエゴも捨てましょう。「誰にも負けたくない」と思って他人と戦うことは、仏教的には間違っています。ただし、「自分に負けてたまるか」と思う気持ちは、正しい負けず嫌いです。

 あなたが何かの問題に対し、真剣に取り組まずに失敗してしまったとします。そんなとき「自分の怠け心に二度と負けないようにしよう」と考えるのは、自分を戒めているのであってエゴではありません。

 エゴを捨てると、人には怒りの感情の代わりに理性が育ってきます。理性的な人は、自分がいかに“外の世界”の力を借りながら生きているかわかっているので、その世界に対して何か役立つことに、自分の能力を使おうとします。

 たとえばそれは、地球温暖化の防止活動かもしれませんし、公園の清掃活動かもしれません。規模の大小を問わず、自分のやれることを自分のやれる範囲で行うのです。

 すると、充実感が湧き起こってきます。これは人にとっての本当の喜びです。物事が「思い通り」にいくときに感じる喜びと違って、行為がうまくういくかどうかは関係ありません。大切なのは、「役に立つ人間になろうとすること」そのものなのです。

▼参考テキスト
COURRiER Japon(クーリエ ジャポン)2014年09月号
「怒り」を捨てて生きるスリランカ初期仏教の智慧
http://amzn.to/WHEO4o
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪

写真: #jtba「ダメな自分」というエゴ<br /><br /> エゴを捨てるなんてできっこないと、決めてかかってはいけません。また、怒りのコントロール術だけを知りたいなんて、甘いことを言ってもいけません。とにかく挑戦すること。そうやって人は成長しなくてはいけないのです。<br /><br /> まず、「自分は偉い」というエゴを捨てましょう。そのためには「私は何者でもない。大したものではない」と考えることです。また、「自分はダメだ」というエゴも捨てましょう。「私は大物だ」と思うのと同様に、「私には才能がない」と思うのも、エゴの一種です。<br /><br /> 「私には能力がないのに、あの人にはいろんな才能がある」と考えると、嫉妬の感情が生まれます。自分に特別な能力がないことが嫌だから、相手に怒りを覚えるわけです。でも、あなたが才能に満ちあるれていなければならない理由はどこにもありません。<br /><br /> それから、「負けず嫌い」というエゴも捨てましょう。「誰にも負けたくない」と思って他人と戦うことは、仏教的には間違っています。ただし、「自分に負けてたまるか」と思う気持ちは、正しい負けず嫌いです。<br /><br /> あなたが何かの問題に対し、真剣に取り組まずに失敗してしまったとします。そんなとき「自分の怠け心に二度と負けないようにしよう」と考えるのは、自分を戒めているのであってエゴではありません。<br /><br /> エゴを捨てると、人には怒りの感情の代わりに理性が育ってきます。理性的な人は、自分がいかに“外の世界”の力を借りながら生きているかわかっているので、その世界に対して何か役立つことに、自分の能力を使おうとします。<br /><br /> たとえばそれは、地球温暖化の防止活動かもしれませんし、公園の清掃活動かもしれません。規模の大小を問わず、自分のやれることを自分のやれる範囲で行うのです。<br /><br /> すると、充実感が湧き起こってきます。これは人にとっての本当の喜びです。物事が「思い通り」にいくときに感じる喜びと違って、行為がうまくういくかどうかは関係ありません。大切なのは、「役に立つ人間になろうとすること」そのものなのです。<br /><br />▼参考テキスト<br />COURRiER Japon(クーリエ ジャポン)2014年09月号<br />「怒り」を捨てて生きるスリランカ初期仏教の智慧<br />http://amzn.to/WHEO4o<br />♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪









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#jtba【NEW】「社会で賞賛されるべき人格」ジャータカ物語より





協会のfbより紹介です。





#jtba【NEW】「社会で賞賛されるべき人格」ジャータカ物語より

 昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は北国の馬商人の家に生まれました。※菩薩…前世 修行者であった釈尊のこと。

 バーラーナシーの近くの村には一軒の大きな屋敷がありました。かつて富豪であった家は、今は落ちぶれ、たった一人残された老婆がぽつんと住んでいまし た。ある馬商人が五百頭の馬を連れてバーラーナシーへ向かう途中、老婆の邸宅で宿を借りました。ちょうどその夜、シンドゥ産の純血種の雌 馬が産気づき、一頭の仔馬が生まれました。二、三日して馬商人がそこを発とうとすると、老婆は、「この仔馬をどうぞ私にくださいな。宿代は安くしますか ら」と頼みました。生まれたばかりの仔馬の世話から解放される馬商人にとっても悪い話ではなく、老婆はその仔馬をもらい受けました。老婆は仔馬をわが子の ようにかわいがり、糠を混ぜた料理や、残飯や、草などを与えて育てました。

 ある時、菩薩も、五百頭の馬を連れてバーラーナシーに旅立ちました。そして、旅の途中、老婆の屋敷で宿を借りることにしました。ところがシンドゥ産の仔 馬の匂いをかぎつけた馬たちが、屋敷の中に入ろうとしません。その様子を見た菩薩は、「おばあさん、この家にも馬がいるでしょう?」と老婆に訊きました。 老婆は「はい。一頭だけいます。わが子のようにかわいがって育てていますよ」と答えました。「その馬はどこですか」「さあ、どこかに散歩に行ったのでしょ う」「いつ帰ってきますか」「あれは適当な時になったら帰ってくるでしょう」。

 菩薩は自分の馬たちを外につなぎ、この家の仔馬が帰ってくるのを待ちました。シンドゥ産の仔馬は適当な頃に帰ってきました。菩薩は仔馬の特徴を見て、こ の馬は驚くほどの値打ちがあるすばらしい名馬だと知りました。菩薩は「この馬の価値は、はかりしれない。宿の老婆に代価を払い、この馬をもらい受けよう」 と決めました。シンドゥ産の仔馬が家に入ると、他の馬たちも家に入りました。

 菩薩は二、三日その家に泊まって馬たちを休ませ、出発する時になって、「おばあさん、十分な代価を払いますから、この馬をゆずってください」と老婆に申 し出ました。「あなた、それは無理ですよ。わが子を売ることはできません」と、老婆は断りました。「おばあさん、あの馬に何を食べさせていますか」「糠を 混ぜた料理や残飯や草を食べさせて育てていますよ」「おばあさん、私がこの馬を手に入れたならば、馬にとって最上のものを食べさせて、最高の生活をさせま す。厩には天幕を張り、絨毯を敷いて育てます」「あなた様の所にいた方が、あの子の幸福になるのなら、どうぞあの子を連れて行ってください」。

 菩薩は仔馬の、四本の足、しっぽ、頭、の六カ所それぞれに千金ずつのお金を包み、新しい高価な衣服も添えて、老婆に渡しました。老婆はその服を着て仔馬 の前に立ちました。仔馬は老婆と別れることを察して涙を流しました。老婆は仔馬の背中を優しくなぜて、「私は十分な養育費をもらったのですよ。お前は行き なさい、わが子よ」と言いました。それを聞いて、仔馬は、菩薩と一緒に家を出ました。

 菩薩は仔馬のために、馬にとっての最高の食事を用意しました。しかし、「この馬が自分の値打ちを知っているかどうか試してみよう」と考えて、糠を混ぜた 料理や残飯を、仔馬の飼い葉桶に入れました。シンドゥ産の仔馬は、一口も食べませんでした。菩薩は詩で仔馬にたずねました。

 君のご飯は残飯や、糠を混ぜたものと聞く
 いつもの食事を、なぜ食べぬのか?仔馬よ

仔馬も詩で答えました。

 大バラモンよ、私の値打ちを知らぬなら
 糠の料理で十分だ
 あなたは私の値打ちを知る
 あなたの糠飯を、私は食わぬ

 菩薩はそれを聞いて満足し、「君を試そうと思ったのだ。悪く思うな」と言って、最上の食事を食べさせました。菩薩は馬たちを王の所に連れて行きました。 そして、片方に五百頭の馬をつなぎ、片方に立派な天蓋と絨毯のついた天幕を張り、シンドゥ産の馬一頭だけを中に入れました。

 王は、「なぜこの馬だけ特別待遇なのか」と訊きました。菩薩は「大王様、このシンドゥ産の馬は独りでおいておかないと、他の馬が逃げてしまうのです」と 答えました。王は「この馬の速さを見よう」と言いました。菩薩が「ではご覧ください」とシンドゥ産の馬を走らせると、あまりの速さに、城の庭園全体に馬の 姿が隙間なく見えるほどでした。誰一人として、ちゃんと目で追える者はいません。次に、馬のお腹に赤い布を付けて走らせると、赤い布だけがグルグルと廻っ ているように見えるのでした。庭園の蓮池の上を走らせると、水面の上をを飛び、蹄の先さえも濡らさず、蓮の葉一枚も池に沈めません。

 このようなすばらしい能力を見せた後、菩薩は馬から下りて手を差し出しました。馬は、四本の足を揃えて、菩薩の手の上に立ちました。菩薩は、「大王様、この馬が本気を出せば、海の周りを走っても、間に合わないほどなのです」と言いました。

 王はたいそう満足し、菩薩に国の半分を与え、シンドゥ産の仔馬を国の吉祥馬にしました。馬は王の寵愛を受けただけでなく、王から尊敬もされました。シン ドゥ産の馬の厩は王の寝室のようであり、床は四種類の香料で磨かれ、壁は香草や花で飾られました。上には金の星を散りばめた天蓋があり、四方には立派な幕 が張り巡らされました。厩には常に香油の灯りが灯され、便所には黄金の便器がおかれました。そして毎日、王が食べるような食事ばかりが与えられました。

 この馬が来て以来、全インドの主権がこの国に集まりました。王は、菩薩の教えに従って善政を行い、死後、天に生まれました。

◆スマナサーラ長老のコメント「物語の教訓」
 物語に出てくるシンドゥ産の馬は、仏教が推薦している「社会で賞賛されるべき人格」を代表しています。彼にまず見える性格は、育てやすいことです。自分 を飼ってくれたお母さんから与えられた食べ物を文句一つ言わず食べ、外へ出て自由に食べたり走ったりして、一人で自分の能力を向上させていたのです。お母 さんが馬のことを何も知らないからといって、馬がバカで大きくなった訳ではないのです。

 それに比べて、人間は違います。たいがい「親が無知だから自分は無知になった」とか「親の躾が悪かったから自分が性格の悪い人間になった」とか、何でも かんでも親のせいにしようとする恩知らずなのです。生まれてきて親の資格を問う人間こそ、人間としての失格者なのです。ほとんどの親は、生まれてきた子を 精一杯苦労して育てるのです。子供に、親に想像できないほどの才能や能力があれば、それを自分自身の力で磨き上げて、親にも恩返ししなくてはいけないので す。「親のせいで良い人間になれなかった」と言うのは、元々良い人間になれる能力のない人間の言い訳なのです。

 この物語のお母さんも、自分の子(仔馬)が自分には想像できないほど価値のある馬だと知った時点で、子供の将来を邪魔せずに、世に出してあげたのです。母にも仔にも別れは悲しかったかもしれませんが、仕方がないのです。世に出すことこそが、やるべき行為なのです。

 シンドゥヴァ馬は、自分が何者か、どれぐらいの価値のある存在かと知っている。しかし、そんなことは何も知らないお母さんにはわがままはいわない。威張 らない。しかし他の馬たちは、彼が住む厩に入ることさえも恐縮に感じる。菩薩の馬商人に飼われた時、シンドゥヴァ馬は自分の格にあった接し方を期待した。 なぜなら菩薩は自分の価値を知っているとわかったからです。粗末に扱うことは認めないプライドを持っていたのです。

 人間も自分の能力の程を知っていた方がよいのではないかと思われる。何の能力もないのに能力を見せる虎の威を借りる生き方は、社会に対して多大な迷惑です。能力があるにも関わらずそれに気づいてないことも大変な損失です。本人にも社会にもです。

 それぞれの人間は、自分にどこまで能力があるのかと気づいていた方がいいに決まっているのです。

 しかし、それはどこまで伸ばせるかと知っていなければ、また問題になります。ある人は見栄を出して余計なことまでしてしまい、持っている能力も台無しに する。そういうケースもあれば、伸ばせる能力があるのに現在の状態で自己満足に陥って、堕落する人々もいる。したがって、中道は大事でしょうね。

 人格のある人は、育てた親や教えてくれた方々に対しては、自分がいくらその人々を乗り越えても謙虚でいるのです。しかし、他人にこき使われるような弱い人間ではないのです。謙虚でいるべきところとプライドを守るべきところを、よく区別判断して生きるのです。

●photo by:kelsey_lovefusionphoto
▼参考テキスト
シンドゥ産の仔馬物語
http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0505.html
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪

写真: #jtba【NEW】「社会で賞賛されるべき人格」ジャータカ物語より<br /><br /> 昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩は北国の馬商人の家に生まれました。※菩薩…前世 修行者であった釈尊のこと。<br /><br /> バーラーナシーの近くの村には一軒の大きな屋敷がありました。かつて富豪であった家は、今は落ちぶれ、たった一人残された老婆がぽつんと住んでいました。ある馬商人が五百頭の馬を連れてバーラーナシーへ向かう途中、老婆の邸宅で宿を借りました。ちょうどその夜、シンドゥ産の純血種の雌馬が産気づき、一頭の仔馬が生まれました。二、三日して馬商人がそこを発とうとすると、老婆は、「この仔馬をどうぞ私にくださいな。宿代は安くしますから」と頼みました。生まれたばかりの仔馬の世話から解放される馬商人にとっても悪い話ではなく、老婆はその仔馬をもらい受けました。老婆は仔馬をわが子のようにかわいがり、糠を混ぜた料理や、残飯や、草などを与えて育てました。<br /><br /> ある時、菩薩も、五百頭の馬を連れてバーラーナシーに旅立ちました。そして、旅の途中、老婆の屋敷で宿を借りることにしました。ところがシンドゥ産の仔馬の匂いをかぎつけた馬たちが、屋敷の中に入ろうとしません。その様子を見た菩薩は、「おばあさん、この家にも馬がいるでしょう?」と老婆に訊きました。老婆は「はい。一頭だけいます。わが子のようにかわいがって育てていますよ」と答えました。「その馬はどこですか」「さあ、どこかに散歩に行ったのでしょう」「いつ帰ってきますか」「あれは適当な時になったら帰ってくるでしょう」。<br /><br /> 菩薩は自分の馬たちを外につなぎ、この家の仔馬が帰ってくるのを待ちました。シンドゥ産の仔馬は適当な頃に帰ってきました。菩薩は仔馬の特徴を見て、この馬は驚くほどの値打ちがあるすばらしい名馬だと知りました。菩薩は「この馬の価値は、はかりしれない。宿の老婆に代価を払い、この馬をもらい受けよう」と決めました。シンドゥ産の仔馬が家に入ると、他の馬たちも家に入りました。<br /><br /> 菩薩は二、三日その家に泊まって馬たちを休ませ、出発する時になって、「おばあさん、十分な代価を払いますから、この馬をゆずってください」と老婆に申し出ました。「あなた、それは無理ですよ。わが子を売ることはできません」と、老婆は断りました。「おばあさん、あの馬に何を食べさせていますか」「糠を混ぜた料理や残飯や草を食べさせて育てていますよ」「おばあさん、私がこの馬を手に入れたならば、馬にとって最上のものを食べさせて、最高の生活をさせます。厩には天幕を張り、絨毯を敷いて育てます」「あなた様の所にいた方が、あの子の幸福になるのなら、どうぞあの子を連れて行ってください」。<br /><br /> 菩薩は仔馬の、四本の足、しっぽ、頭、の六カ所それぞれに千金ずつのお金を包み、新しい高価な衣服も添えて、老婆に渡しました。老婆はその服を着て仔馬の前に立ちました。仔馬は老婆と別れることを察して涙を流しました。老婆は仔馬の背中を優しくなぜて、「私は十分な養育費をもらったのですよ。お前は行きなさい、わが子よ」と言いました。それを聞いて、仔馬は、菩薩と一緒に家を出ました。<br /><br /> 菩薩は仔馬のために、馬にとっての最高の食事を用意しました。しかし、「この馬が自分の値打ちを知っているかどうか試してみよう」と考えて、糠を混ぜた料理や残飯を、仔馬の飼い葉桶に入れました。シンドゥ産の仔馬は、一口も食べませんでした。菩薩は詩で仔馬にたずねました。<br /><br /> 君のご飯は残飯や、糠を混ぜたものと聞く<br /> いつもの食事を、なぜ食べぬのか?仔馬よ<br /><br />仔馬も詩で答えました。<br /><br /> 大バラモンよ、私の値打ちを知らぬなら<br /> 糠の料理で十分だ<br /> あなたは私の値打ちを知る<br /> あなたの糠飯を、私は食わぬ<br /><br /> 菩薩はそれを聞いて満足し、「君を試そうと思ったのだ。悪く思うな」と言って、最上の食事を食べさせました。菩薩は馬たちを王の所に連れて行きました。そして、片方に五百頭の馬をつなぎ、片方に立派な天蓋と絨毯のついた天幕を張り、シンドゥ産の馬一頭だけを中に入れました。<br /><br /> 王は、「なぜこの馬だけ特別待遇なのか」と訊きました。菩薩は「大王様、このシンドゥ産の馬は独りでおいておかないと、他の馬が逃げてしまうのです」と答えました。王は「この馬の速さを見よう」と言いました。菩薩が「ではご覧ください」とシンドゥ産の馬を走らせると、あまりの速さに、城の庭園全体に馬の姿が隙間なく見えるほどでした。誰一人として、ちゃんと目で追える者はいません。次に、馬のお腹に赤い布を付けて走らせると、赤い布だけがグルグルと廻っているように見えるのでした。庭園の蓮池の上を走らせると、水面の上をを飛び、蹄の先さえも濡らさず、蓮の葉一枚も池に沈めません。<br /><br /> このようなすばらしい能力を見せた後、菩薩は馬から下りて手を差し出しました。馬は、四本の足を揃えて、菩薩の手の上に立ちました。菩薩は、「大王様、この馬が本気を出せば、海の周りを走っても、間に合わないほどなのです」と言いました。<br /><br /> 王はたいそう満足し、菩薩に国の半分を与え、シンドゥ産の仔馬を国の吉祥馬にしました。馬は王の寵愛を受けただけでなく、王から尊敬もされました。シンドゥ産の馬の厩は王の寝室のようであり、床は四種類の香料で磨かれ、壁は香草や花で飾られました。上には金の星を散りばめた天蓋があり、四方には立派な幕が張り巡らされました。厩には常に香油の灯りが灯され、便所には黄金の便器がおかれました。そして毎日、王が食べるような食事ばかりが与えられました。<br /><br /> この馬が来て以来、全インドの主権がこの国に集まりました。王は、菩薩の教えに従って善政を行い、死後、天に生まれました。<br /><br />◆スマナサーラ長老のコメント「物語の教訓」<br /> 物語に出てくるシンドゥ産の馬は、仏教が推薦している「社会で賞賛されるべき人格」を代表しています。彼にまず見える性格は、育てやすいことです。自分を飼ってくれたお母さんから与えられた食べ物を文句一つ言わず食べ、外へ出て自由に食べたり走ったりして、一人で自分の能力を向上させていたのです。お母さんが馬のことを何も知らないからといって、馬がバカで大きくなった訳ではないのです。<br /><br /> それに比べて、人間は違います。たいがい「親が無知だから自分は無知になった」とか「親の躾が悪かったから自分が性格の悪い人間になった」とか、何でもかんでも親のせいにしようとする恩知らずなのです。生まれてきて親の資格を問う人間こそ、人間としての失格者なのです。ほとんどの親は、生まれてきた子を精一杯苦労して育てるのです。子供に、親に想像できないほどの才能や能力があれば、それを自分自身の力で磨き上げて、親にも恩返ししなくてはいけないのです。「親のせいで良い人間になれなかった」と言うのは、元々良い人間になれる能力のない人間の言い訳なのです。<br /><br /> この物語のお母さんも、自分の子(仔馬)が自分には想像できないほど価値のある馬だと知った時点で、子供の将来を邪魔せずに、世に出してあげたのです。母にも仔にも別れは悲しかったかもしれませんが、仕方がないのです。世に出すことこそが、やるべき行為なのです。<br /><br /> シンドゥヴァ馬は、自分が何者か、どれぐらいの価値のある存在かと知っている。しかし、そんなことは何も知らないお母さんにはわがままはいわない。威張らない。しかし他の馬たちは、彼が住む厩に入ることさえも恐縮に感じる。菩薩の馬商人に飼われた時、シンドゥヴァ馬は自分の格にあった接し方を期待した。なぜなら菩薩は自分の価値を知っているとわかったからです。粗末に扱うことは認めないプライドを持っていたのです。<br /><br /> 人間も自分の能力の程を知っていた方がよいのではないかと思われる。何の能力もないのに能力を見せる虎の威を借りる生き方は、社会に対して多大な迷惑です。能力があるにも関わらずそれに気づいてないことも大変な損失です。本人にも社会にもです。<br /><br /> それぞれの人間は、自分にどこまで能力があるのかと気づいていた方がいいに決まっているのです。<br /><br /> しかし、それはどこまで伸ばせるかと知っていなければ、また問題になります。ある人は見栄を出して余計なことまでしてしまい、持っている能力も台無しにする。そういうケースもあれば、伸ばせる能力があるのに現在の状態で自己満足に陥って、堕落する人々もいる。したがって、中道は大事でしょうね。<br /><br /> 人格のある人は、育てた親や教えてくれた方々に対しては、自分がいくらその人々を乗り越えても謙虚でいるのです。しかし、他人にこき使われるような弱い人間ではないのです。謙虚でいるべきところとプライドを守るべきところを、よく区別判断して生きるのです。<br /><br />●photo by:kelsey_lovefusionphoto<br />▼参考テキスト<br />シンドゥ産の仔馬物語<br />http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0505.html<br />♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪









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9/6(土)スマナサーラ長老《初期仏教 公開講座》Web予約 受付中





協会のfbより紹介です。





日本テーラワーダ仏教協会
#jtba【再掲】9/6(土)スマナサーラ長老《初期仏教 公開講座》Web予約 受付中

『なぜブッダを念じると幸福になるのか?~覚者の徳を学ぶ意味~』
 http://kokucheese.com/event/index/198591/
 日時:9月6日(土) 18:30~21:00
 講師:アルボムッレ・スマナサーラ長老
 会場:東京 なかのZARO小ホール
 参加費:ご喜捨(お気持ち)
 
 仏教徒が毎日となえる経文に「ブッダの九徳」があります。お釈迦様の偉大なる徳を九つにまとめたフレーズで、パーリ経典の至るところに出てきます。これ は一見、" 神の様々な名前 " を列挙する他宗教の習慣と似ているようです。「心の科学」と強調される初期仏教ですが、ブッダの九徳は例外的な信仰セクションなのでしょうか? あまりにも身近な経典文句に込められた意味について、あらためて学んでみましょう。

 みなさま、どうぞお気軽にご参加ください。お待ちしております!

♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪

写真: #jtba【再掲】9/6(土)スマナサーラ長老《初期仏教 公開講座》Web予約 受付中<br /><br />『なぜブッダを念じると幸福になるのか?~覚者の徳を学ぶ意味~』 <br /> http://kokucheese.com/event/index/198591/<br /> 日時:9月6日(土) 18:30~21:00<br /> 講師:アルボムッレ・スマナサーラ長老 <br /> 会場:東京 なかのZARO小ホール <br /> 参加費:ご喜捨(お気持ち) <br />  <br /> 仏教徒が毎日となえる経文に「ブッダの九徳」があります。お釈迦様の偉大なる徳を九つにまとめたフレーズで、パーリ経典の至るところに出てきます。これは一見、" 神の様々な名前 " を列挙する他宗教の習慣と似ているようです。「心の科学」と強調される初期仏教ですが、ブッダの九徳は例外的な信仰セクションなのでしょうか? あまりにも身近な経典文句に込められた意味について、あらためて学んでみましょう。 <br /><br /> みなさま、どうぞお気軽にご参加ください。お待ちしております!<br /><br />♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪









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9・10・11・12月 行事予定






9月

07日(日)   ヤサ先生「仏教法話会」  
    
 場所  ・時間:13:00~17:00
 場所    刈谷産業振興センター 301会議室(30人) 13:00-17:00  
   残念ながら 初心者冥想指導は ありません
  < ★「茶話会(親睦会)」のお知らせ >
   午前10時から、法友のみなさんの集いがあります。
   ※自由参加、昼食は各自ご用意ください。

          刈谷産業振興センター 503会議室(16人)

13日(土) 自主冥想会イン刈谷

14日(日)  日曜自主冥想会---宝珠院 
         
使用部屋---正面右手入り口より左--本堂(夏)
     使用部屋---正面右手入り口より右奥--和室(冬)

20日(土) 自主冥想会イン刈谷

21日(日)  名古屋初期仏教デー (スマナサーラ長老)-
             初めて冥想会へ参加される方へのご案内-
       【日本ガイシフォーラム】   和室 
                           《時間》13:30~19:30
    http://www.nespa.or.jp/shisetsu/bunka/access.html

  < ★「茶話会(親睦会)」のお知らせ >
   午前10時から、法友のみなさんの集いがあります。
   ※自由参加、昼食は各自ご用意ください。


  【お問い合わせ】 東海ダンマサークル 
      電話:090-7316-6349(葛原---クズハラ)
      電話:090-2133-0495(吉田---ヨシダ)
      メール quiet-place.366@be.wakwak.com


27日(土) 自主冥想会イン刈谷

28(日) 「経典自主勉強会」
  ・日時:2014年9月28日(日曜日)13:00~16:30
  場所:名古屋市南生涯学習センター 第1集会室
第一部(13:00~15:00)パーリ語勉強会 スッタニパータ第五章についての文法解析
第二部(15:00~16:30/17:00)経典勉強会 スッタニパータ第五章についての自由討論

28日(日)  日曜自主冥想会---宝珠院 
         
使用部屋---正面右手入り口より左--本堂(夏)
     使用部屋---正面右手入り口より右奥--和室(冬)



・9月13日(土)15:00~22:00
・9月20日(土)15:00~22:00
・9月27日(土)15:00~22:00



10月
   今月は ありません   名古屋初期仏教デー (スマナサーラ長老)

05日
(日)  ヤサ先生「仏教法話会」  
      
日本ガイシホーラム  和室  ・時間:13:00~16:30 
   残念ながら 初心者冥想指導は ありません

  < ★「茶話会(親睦会)」のお知らせ >
   午前10時から、法友のみなさんの集いがあります。
   ※自由参加、昼食は各自ご用意ください。


12(日)  日曜自主冥想会---宝珠院 
         
使用部屋---正面右手入り口より左--本堂(夏)
     使用部屋---正面右手入り口より右奥--和室(冬)
              ※13時まで法事有
19(日)  日曜自主冥想会---宝珠院 
         
使用部屋---正面右手入り口より左--本堂(夏)
     使用部屋---正面右手入り口より右奥--和室(冬)
26日(日) 「経典自主勉強会」
      名古屋市南生涯学習センター  第一集会室




未定(日) 「経典自主勉強会」
               中生涯学習センター 第一和室  午後1時~4時30分
               南生涯学習センター 第一集会室




11月

02日 未定
 
09日(日)  ヤサ先生「仏教法話会」  
  仮予約   
日本ガイシホーラム  和室  
・時間:13:00~16:30 
   残念ながら 初心者冥想指導は ありません

  < ★「茶話会(親睦会)」のお知らせ >
   午前10時から、法友のみなさんの集いがあります。
   ※自由参加、昼食は各自ご用意ください。

16日
  未定
23(日) (日) 「経典自主勉強会」
     南生涯学習センター第一集会室
     13:00〜16:30

30日(日)名古屋初期仏教デー (スマナサーラ長老)-
             初めて冥想会へ参加される方へのご案内-
       【日本ガイシフォーラム】   和室 
                           《時間》13:30~19:30
    http://www.nespa.or.jp/shisetsu/bunka/access.html

  < ★「茶話会(親睦会)」のお知らせ >
   午前10時から、法友のみなさんの集いがあります。
   ※自由参加、昼食は各自ご用意ください。


  【お問い合わせ】 東海ダンマサークル 
      電話:090-7316-6349(葛原---クズハラ)
      電話:090-2133-0495(吉田---ヨシダ)
      メール quiet-place.366@be.wakwak.com





未定(日)  日曜自主冥想会---宝珠院 
         
使用部屋---正面右手入り口より左--本堂(夏)
     使用部屋---正面右手入り口より右奥--和室(冬)
未定(日) 「経典自主勉強会」
               中生涯学習センター 第一和室  午後1時~4時30分
               南生涯学習センター 第一集会室
名古屋初期仏教デー (スマナサーラ長老)-
        ガイシ会場確定 延長12:30+ポーター
日(日)   ヤサ先生「仏教法話会」  
    
 場所<仮 >  ・時間:13:00~17:00
  残念ながら 初心者冥想指導は ありません

  < ★「茶話会(親睦会)」のお知らせ >
   午前10時から、法友のみなさんの集いがあります。
   ※自由参加、昼食は各自ご用意ください。




12月  名古屋初期仏教デー (スマナサーラ長老)- 無し

07日 未定
14日 未定
21日 未定
28日 未定




未定
(日)  日曜自主冥想会---宝珠院 
         
使用部屋---正面右手入り口より左--本堂(夏)
     使用部屋---正面右手入り口より右奥--和室(冬)
未定(日) 「経典自主勉強会」
               中生涯学習センター 第一和室  午後1時~4時30分
               南生涯学習センター 第一集会室
           日(日)   ヤサ先生「仏教法話会」  
    
 場所<仮 >  ・時間:13:00~17:00
 
   残念ながら 初心者冥想指導は ありません
  < ★「茶話会(親睦会)」のお知らせ >
   午前10時から、法友のみなさんの集いがあります。
   ※自由参加、昼食は各自ご用意ください。






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つぶやき「人類の天然記念物指定」と「人類の特別天然記念物指定の絶滅危惧種」についての考察





協会の記事ではありません。
木下全雄  さんの ブログの紹介です






これは、つぶやきです。ツイッターが出来ないので、こちらにつぶやかせて下さい。私個人的な感想・妄想なので、怒ったり、真剣に反論を送ってきたりしないで下さい(笑)

道を歩いていても、電車に乗っても、「かっこ好い人・きれいな人」は、世の中に、結構いらっしゃいます。
「スタイルが良い人」も、私から見ると、結構沢山いらっしゃいます。

次は、ある程度親しくなってから判明する事ですが、「性格が明るい人・優しい人」も、まぁ、結構沢山いらっしゃいます。

すごくわがままで、威張りくさって、どうしようもない人間、というのは、少ないのです。

しかし、これからが不思議なのですが、「理性的な仏教を学ぼうと思って下さる人」はどうか、と言うと、これが、めちゃくちゃ少ない極少数派なのです。「人 類の天然記念物」に指定した方が良いのではないか、と思うくらいです(笑)お釈迦様の教えの本をどんどん読んでいる、お釈迦様の教えの法話をよく聞いてい る、そんな方も「人類の天然記念物」です。


さらに、仏教を実践して下さる人は、もっと少なくなります。実践している方は、私から見ると「人類の特別天然記念物指定の絶滅危惧種」です!

正しい仏教を学び、さらに冥想実践をしているようで実際のところは、「心が成長していない場合」、「冥想中にいつも寝ている場合」、「自分のなすべき本来 の仕事はおろそかにしている場合」、などは、かなりおしく、もう一歩踏み込んで頂きたい感じです。まぁ、それでも「人類の天然記念物」には指定したいとこ ろです(笑)だって、やっぱり人間の中では、珍しいんだもん(笑)









Be Happy! | 11:30:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
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