2014-08-13 Wed
協会のfbより紹介です。
#jtba「人生の目標~人格向上が生きる道~」
生きるのに、目的や意味など存在しない。私たちはただ生きて、ただ死んでいく存在に過ぎない。確かに、これは事実です。しかし、これだけでは「どうやっ ていきていけばいいのか、わからない」という人が大勢います。やはり、何かしらの目標、生きる道しるべが欲しくなってしまうのでしょう。
そんなとき、私が唯一おすすめるのが「人格向上」とい目標です。自分はなぜ生きるのか。そんなことに迷ったら、とにかく「人格向上のために生きる」と決めてしまうのです。それは仕事も同じこと。「なぜ、この仕事をするのか」「どこに向かって働いているのか」など、そんな思いに支配されてしまうときは、「何もかも、人格向上」のためにやっているんだと思う。
これは、唯一おすすめできる生き方です。本書でも、人間はゼロで生まれてきて、いろんなことを学びながら成長していく、と何度となく述べました。生きる とは、学習の連続です。「できないことが、できるようになる」というところに達成感や喜びがあって、それを味わいながら、一歩一歩成長していく。
結局は、それが生きるということですから、精神的、人格的な面においても、「成長するんだ」「向上するんだ」ということを、生きる真ん中に置くといいで しょう。それ以外の「俗世間的プログラム」は、ついでにやればいいのです。たとえば、お金を稼いだり、自分のやりがいを満たしたり、人から評価されたりす るのは、すべて「ついで」の領域です。
人格向上をする傍らで、生きていくのに最低限のお金が稼げれば、それで充分です。仕事で評価される、出世する、自分のやりたい仕事に就くなど、すべては 「ついで」の出来事ですから、その「出来、不出来」に一喜一憂する必要はありません。仕事で評価されれば嬉しいでしょうが、あなたが本当に注力すべきポイ ントは、別のところにあります。その仕事をするなかで、いかに人格を向上させられるか。これがもっとも大切なのです。
そうやって考えていけば、「何を食べるか」「どんな服を着るか」「どんな物を持つか」など、ほとんどのことが重要でなくなります。
どんなに高級な料理を毎日食べたところで、人格がまったく向上しなければ、それはむなしい人生です。流行りの服を着て、周囲からうらやましがられたとし ても、大した意味はありません。立派な家に住み、高級な車に乗り、ブランド品ばかり持っていることに、どれほどの価値があると言うのでしょうか。
贅の限りを尽くし、周囲から羨望の目で見られたとしても、人生のメイン(人格向上)がまともに機能していなければ、まったく意味がないのです。
では、あなたは何をもって「目指すべき人格」とするのか、そこを、しっかりと考えてみてください。もちろん、「これが正解」という人格が決まっているわけではありませんし、「こんな人格を目指しなさい」と私が押しつけることもしません。
あなたは、あなたが目指す人格を定め、そこに向かって生きていくしかないのです。たとえば、私なら「ブッダの人格」を目指して生きています。それが私の生きる道です。
あなたにも「生きる道」を見つけて欲しいと思います。あなたが目指すべき人格。それが見つかってしまえば、あなたはただその道を歩いていけばいいだけです。
仕事がどうとか、生活レベルがどうとか、周囲の評価がどうとか、時代がどうとか、そんなものは関係ありません。現実には、あなたを取り巻く環境はめまぐ るしく変わっていくでしょうし、環境が変われば、どうしたってそれに対応していかなければなりません。それはもう、希望sるとかしないとか、納得がいくと かいかないとかいう話ではありません。とにかく、環境に対応するしかないのです。
しかし、あなたの心のなかに「目指すべき人格」という、太い柱が貫いていて「そこを目指す」という目的があるならば、それ以外の要素はすべて「ついで」に過ぎません。その時々に対応しながら、やっていけばいいのです。
誤解のないように言っておきますが、「ついで」だからと言って、手を抜いていいというわけではありません。そもそも仕事で手を抜くようでは、人格向上は望めませんし、あらゆる生物はその瞬間、瞬間を精一杯生きる義務を背負っています。
ただ、そこで何を得るのかと言えば、それは「人格向上」です。お金でも、評価でも、名誉でもありません。お金や評価など、人格向上に比べれば、些末なものです。ぜひ、この発想を胸に、自らの生き方を考え直してみてください。
●写真:岸良一郎
▼参考テキスト
つまずかない生き方
http://amzn.to/K9gXVq
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
生きるのに、目的や意味など存在しない。私たちはただ生きて、ただ死んでいく存在に過ぎない。確かに、これは事実です。しかし、これだけでは「どうやっ ていきていけばいいのか、わからない」という人が大勢います。やはり、何かしらの目標、生きる道しるべが欲しくなってしまうのでしょう。
そんなとき、私が唯一おすすめるのが「人格向上」とい目標です。自分はなぜ生きるのか。そんなことに迷ったら、とにかく「人格向上のために生きる」と決めてしまうのです。それは仕事も同じこと。「なぜ、この仕事をするのか」「どこに向かって働いているのか」など、そんな思いに支配されてしまうときは、「何もかも、人格向上」のためにやっているんだと思う。
これは、唯一おすすめできる生き方です。本書でも、人間はゼロで生まれてきて、いろんなことを学びながら成長していく、と何度となく述べました。生きる とは、学習の連続です。「できないことが、できるようになる」というところに達成感や喜びがあって、それを味わいながら、一歩一歩成長していく。
結局は、それが生きるということですから、精神的、人格的な面においても、「成長するんだ」「向上するんだ」ということを、生きる真ん中に置くといいで しょう。それ以外の「俗世間的プログラム」は、ついでにやればいいのです。たとえば、お金を稼いだり、自分のやりがいを満たしたり、人から評価されたりす るのは、すべて「ついで」の領域です。
人格向上をする傍らで、生きていくのに最低限のお金が稼げれば、それで充分です。仕事で評価される、出世する、自分のやりたい仕事に就くなど、すべては 「ついで」の出来事ですから、その「出来、不出来」に一喜一憂する必要はありません。仕事で評価されれば嬉しいでしょうが、あなたが本当に注力すべきポイ ントは、別のところにあります。その仕事をするなかで、いかに人格を向上させられるか。これがもっとも大切なのです。
そうやって考えていけば、「何を食べるか」「どんな服を着るか」「どんな物を持つか」など、ほとんどのことが重要でなくなります。
どんなに高級な料理を毎日食べたところで、人格がまったく向上しなければ、それはむなしい人生です。流行りの服を着て、周囲からうらやましがられたとし ても、大した意味はありません。立派な家に住み、高級な車に乗り、ブランド品ばかり持っていることに、どれほどの価値があると言うのでしょうか。
贅の限りを尽くし、周囲から羨望の目で見られたとしても、人生のメイン(人格向上)がまともに機能していなければ、まったく意味がないのです。
では、あなたは何をもって「目指すべき人格」とするのか、そこを、しっかりと考えてみてください。もちろん、「これが正解」という人格が決まっているわけではありませんし、「こんな人格を目指しなさい」と私が押しつけることもしません。
あなたは、あなたが目指す人格を定め、そこに向かって生きていくしかないのです。たとえば、私なら「ブッダの人格」を目指して生きています。それが私の生きる道です。
あなたにも「生きる道」を見つけて欲しいと思います。あなたが目指すべき人格。それが見つかってしまえば、あなたはただその道を歩いていけばいいだけです。
仕事がどうとか、生活レベルがどうとか、周囲の評価がどうとか、時代がどうとか、そんなものは関係ありません。現実には、あなたを取り巻く環境はめまぐ るしく変わっていくでしょうし、環境が変われば、どうしたってそれに対応していかなければなりません。それはもう、希望sるとかしないとか、納得がいくと かいかないとかいう話ではありません。とにかく、環境に対応するしかないのです。
しかし、あなたの心のなかに「目指すべき人格」という、太い柱が貫いていて「そこを目指す」という目的があるならば、それ以外の要素はすべて「ついで」に過ぎません。その時々に対応しながら、やっていけばいいのです。
誤解のないように言っておきますが、「ついで」だからと言って、手を抜いていいというわけではありません。そもそも仕事で手を抜くようでは、人格向上は望めませんし、あらゆる生物はその瞬間、瞬間を精一杯生きる義務を背負っています。
ただ、そこで何を得るのかと言えば、それは「人格向上」です。お金でも、評価でも、名誉でもありません。お金や評価など、人格向上に比べれば、些末なものです。ぜひ、この発想を胸に、自らの生き方を考え直してみてください。
●写真:岸良一郎
▼参考テキスト
つまずかない生き方
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♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪

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