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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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#jtba【ご案内】11/30(日)スマナサーラ長老『名古屋初期仏教デー』(日本ガイシフォーラム)





協会のfbより紹介です。





#jtba【ご案内】11/30(日)スマナサーラ長老『名古屋初期仏教デー』(日本ガイシフォーラム)

 名古屋で行われるスマナサーラ長老指導の「法話と冥想」の会です。午後1時半から始まります。法話・質疑応答ののち、初めての方にヴィパッサナー冥想の丁寧な指導がございます。※予約不要、どなたでも参加していただけます。お待ちしております!

日時:11月30日(日)13:30~19:30
会場:日本ガイシフォーラム 和室
〒457-0833 愛知県名古屋市南区東又兵ヱ町5-1-16
参加費:ご喜捨(参加当日、受付にお渡し下さい)

▼スケジュール
13:00 受付開始
13:30 お経・法話・質疑応答
15:30 休憩(15分程度)
15:45 初心者冥想指導
     各自冥想実践
19:00 お経・祝福
19:30 終了予定

●交通アクセス
http://www.nespa.or.jp/shisetsu/bunka/access.html

★「茶話会(親睦会)」のお知らせ
午前10時から、法友のみなさんの集いがあります。
※自由参加、昼食は各自ご用意ください。
 
 ヴィパッサナーの実践法は、とてもシンプルです。ただ、今の自分に気づく。そこに、深遠な世界が広がってくるのです。パーリ語でvi ヴィとは「ありのままに・明瞭に・客観的に」、passanâ パッサナーとは「観察する・観る・心の目で見る」という意味です。「今この瞬間の自分自身をよく観る」ということです。瞬間瞬間に起こる、思い込みやしが らみを理解できるvipassanâ ヴィパッサナーは、「気づきの瞑想」や「洞察の冥想」ともいえるでしょう。

 ヴィパッサナーは、一つの型にはまった瞑想法ではありません。特別な世界に到達したり、人と違う超越的な力を得るためのものではありません。また、なに かを信ずるという宗教でもなく、イデオロギーや主義でもありません。あらゆるとらわれや執着から生まれる悩み苦しみを離れ、苦を超える方法なのです。普通 の生き方と変わった行法ではなく、日常の生き方そのものに智慧の光を照らしてみることです。

 ヴィパッサナーは“今という瞬間に完全に注意を集中する”実践です。何をしていても、“今・ここの自分に気づいていく”こと。それがヴィパサナーです。自分を客観的に“よく観る”のです。

●東海ダンマサークル
http://toukaidhammam.blog72.fc2.com/
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
写真: #jtba【ご案内】11/30(日)スマナサーラ長老『名古屋初期仏教デー』(日本ガイシフォーラム)<br /><br /> 名古屋で行われるスマナサーラ長老指導の「法話と冥想」の会です。午後1時半から始まります。法話・質疑応答ののち、初めての方にヴィパッサナー冥想の丁寧な指導がございます。※予約不要、どなたでも参加していただけます。お待ちしております!<br /><br />日時:11月30日(日)13:30~19:30<br />会場:日本ガイシフォーラム 和室<br />〒457-0833 愛知県名古屋市南区東又兵ヱ町5-1-16<br />参加費:ご喜捨(参加当日、受付にお渡し下さい)<br /><br />▼スケジュール<br />13:00 受付開始<br />13:30 お経・法話・質疑応答<br />15:30 休憩(15分程度)<br />15:45 初心者冥想指導<br />     各自冥想実践<br />19:00 お経・祝福<br />19:30 終了予定<br /><br />●交通アクセス<br />http://www.nespa.or.jp/shisetsu/bunka/access.html<br /><br />★「茶話会(親睦会)」のお知らせ<br />午前10時から、法友のみなさんの集いがあります。<br />※自由参加、昼食は各自ご用意ください。<br /> <br /> ヴィパッサナーの実践法は、とてもシンプルです。ただ、今の自分に気づく。そこに、深遠な世界が広がってくるのです。パーリ語でvi ヴィとは「ありのままに・明瞭に・客観的に」、passanâ パッサナーとは「観察する・観る・心の目で見る」という意味です。「今この瞬間の自分自身をよく観る」ということです。瞬間瞬間に起こる、思い込みやしがらみを理解できるvipassanâ ヴィパッサナーは、「気づきの瞑想」や「洞察の冥想」ともいえるでしょう。<br /><br /> ヴィパッサナーは、一つの型にはまった瞑想法ではありません。特別な世界に到達したり、人と違う超越的な力を得るためのものではありません。また、なにかを信ずるという宗教でもなく、イデオロギーや主義でもありません。あらゆるとらわれや執着から生まれる悩み苦しみを離れ、苦を超える方法なのです。普通の生き方と変わった行法ではなく、日常の生き方そのものに智慧の光を照らしてみることです。<br /><br /> ヴィパッサナーは“今という瞬間に完全に注意を集中する”実践です。何をしていても、“今・ここの自分に気づいていく”こと。それがヴィパサナーです。自分を客観的に“よく観る”のです。<br /><br />●東海ダンマサークル<br />http://toukaidhammam.blog72.fc2.com/<br />♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪









facebook | 09:21:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
誓教寺 つきなみ 第188号




協会の記事ではありません。
協力寺院の誓教寺より紹介です。

http://seikyoji.jp/tsukinami/tsukinami1.html





誓教寺報

   最新号ご紹介

つきなみ188

Sabbe sattā bhavantu
       sukhitattā.

常栄山 誓教寺

〒744-0042
山口県下松市切山 347
TEL.0833-46-1413
FAX.0833-46-3149

 

   つきなみ バックナンバー

       誓教寺 つきなみ 第187号 2014年10月

       誓教寺 つきなみ 第186号 2014年07月

       誓教寺 つきなみ 第185号 2014年04月

       誓教寺 つきなみ 第184号 2014年03月

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       誓教寺 つきなみ 第182号 2013年11月

        誓教寺 つきなみ 第181号 2013年07月

       誓教寺 つきなみ 第180号 2013年04月

       誓教寺 つきなみ 第179号 2013年03月

       誓教寺  つきなみ 第178号 2013年01月

       誓教寺  つきなみ 第177号 2012年11月

       誓教寺 つきなみ 第176号 2012年07・08月 

       誓教寺 つきなみ 第175号 2012年05・06月

       誓教寺 つきなみ 第174号 2012年04月

       誓教寺 つきなみ 第173号 2012年02・03月

       誓教寺 つきなみ 第172号 2012年01月

       誓教寺 つきなみ 第171号 2011年11・12月

       誓教寺 つきなみ 第170号 2011年09・10月

       誓教寺 つきなみ 第169号 2011年07・08月

       誓教寺 つきなみ 第168号 2011年05・06月

       誓教寺 つきなみ 第167号 2011年04月

       誓教寺 つきなみ 第166号 2011年03月

       誓教寺 つきなみ 第165号 2011年01・02月

       誓教寺 つきなみ 第164号 2010年12月

       誓教寺 つきなみ 第163号 2010年10・11月

       誓教寺 つきなみ 第162号 2010年09月

       誓教寺 つきなみ 第161号 2010年07・08月

       誓教寺 つきなみ 第160号 2010年05・06月

       誓教寺 つきなみ 第159号 2010年04月










誓教寺 | 18:14:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
#jtba【Ustream動画】11/23(日)スマナサーラ長老 法話





協会のfbより紹介です。





日本テーラワーダ仏教協会さんがリンクをシェアしました。

#jtba【Ustream動画】11/23(日)スマナサーラ長老 法話

本日、東京:ゴータミー精舎で行われましたスマナサーラ長老指導の「法話と実践会」の法話をUstreamでアップしました。どうぞ、ご覧になってみてください!

http://www.ustream.tv/recorded/55726413

♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪










お知らせ | 17:56:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
スマナサーラ長老は冒頭の説法で、「この一週間は生きることは放っておいて、生きるということはどういうことなのかをヴィパッサナーで観察実践してください」(私の記憶なので間違いあるかも?)ということでした。





協会の記事ではありません。
サークル仲間の一日一誤日記です。





葛原 良和さんが写真3枚を追加しました。

9日から昨日まで一週間、山口県の誓教寺さんが主催したヴィパッサナー合宿実践会に妻といっしょに参加した。

会場の山口県立由宇青少年自然の家は環境も施設も快適環境だった。
----瀬戸内海に浮かぶ島々のパノラマを一望できる岩国市 銭壷山頂の宿泊施設。----

このような公共施設を借りることが出来るのは、誓教寺さんの地域社会での活動が信頼されているからだと思った。

スマナサーラ長老は冒頭の説法で、「この一週間は生きることは放っておいて、生きるということはどういうことなのかをヴィパッサナーで観察実践してください」(私の記憶なので間違いあるかも?)ということでした。

残念ながら晩年からではあるが、仏教に出会い、師に出会い、修行環境を提供してくださる先輩方に出会い、夫婦で共に修行できることは有り難いことです。

この間、座禅中に頭の中にメロディが流れたのは一回だけだった(なぜかテナー・マドネス)。音楽妄想が出現するの回数が激減したのは修行が進んだからだと思い込みたいが、、、、
今日からまた相変わらずの仏教と音楽の又裂き修行がはじまる。。。

写真は一週間ずっと晴天でおだやかだった瀬戸内の海と展望台への坂道。

葛原 良和さんの写真
葛原 良和さんの写真
葛原 良和さんの写真









一日一誤日記 | 10:45:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
朝日カルチャーセンター湘南教室さんで使用した資料の一部をこちらに転載致します。





協会の記事ではありません。
木下全雄  さんの ブログの紹介です





鬼の念仏像(三宝庵の秘仏)本日の朝日カルチャーセンター湘南教室さんで使用した資料の一部をこちらに転載致します。

宿題 「慈悲の冥想」

2週間連続で行います。1日でもサボったら、また1日目として始めて下さい。
1日1回、30分間、朝か晩に行う。または、1日2回、15分間ずつ、朝と晩に分けて行う。
布団の中でも、椅子に座ってでも、声を出しても出さなくても結構です。

 「慈悲の瞑想」     


私は幸せでありますように 

私の悩み苦しみがなくなりますように 

私の願いごとが叶えられますように 

私に悟りの光が現れますように 

私は幸せでありますように(三回唱えた後、心の中で繰り返し念じます)



私の親しい人々が幸せでありますように

私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい人々の願いごとが叶えられますように

私の親しい人々にも悟りの光が現れますように

私の親しい人々が幸せでありますように(三回唱えた後、繰り返し念じます)



生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(三回唱えた後、繰り返し念じます)



私の嫌いな人々も幸せでありますように

私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように

私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(三回唱えた後、繰り返し念じます)


仏教は、とにかく実践あるのみです。頑張って下さい。私も、師僧に何度も厳しく叱られながら、何とかやり遂げることが出来ました(笑)

人間は、なぜか自分が幸せでありますように、というのをためらう傾向があります。
でも、仏教では、私達は、幸せになっていいのです。
とは言っても、何でもかんでも願い事が叶う、という幸せは、単なる妄想です。
健康で、平和で、穏やかな人生を歩みたい、という気持ちは、恥ずかしいものではなく、大切に持っていて頂きたいものです。
自分の幸せを純粋に祈れるようになると、自分の周りの人々の幸せが自分の幸せに直結していることに気付きます。

さらに、身の回りのものを見回すと…。様々な生命のお陰で人生が回っていることに気付かされます。
それで、「生きとし生けるものが幸せでありますように」という祈りが生まれます。

初めは誰でも、写真の「鬼の念仏像」にあるように、慈悲の心が完全には育っていないので、慈悲の冥想をしても心がこもっていないものです。しかし、それでいいのです。2週間繰り返すと、鬼の右側の角が折れている様に、私達の自我の角が折れて来るのです。
私の嫌いな人の幸せや、私のことを嫌っている人の幸せまで祈るとなると、もう誰でも鬼の形相になるのです(笑)
しかし、それを2週間続けることで、私達の心にはしっかりと慈悲の心が育ちます。

嫌いな人に対しても、見えないところで幸せでいてくれたらいいや、嫌なことをされたのは過去であり今現在とは関係がないのだから不快な気持ちを思い出すのはやめよう、と、慈しみのある現実と向き合う心が生まれて来るのです。
私のことを嫌っている人に対しても、犬に噛まれても犬の足を噛み返さない様に、私はあなたに敵意は持ちません、という気持ちが生まれるのです。

さらに、慈悲の気持ちが育つと、私達の人生は矛盾だらけである、と見えて来ます。
生きとし生けるものの幸せを祈りながらも…
生き物を食べている…
私が仕事をすると、他の人の仕事がなくなる…
私が生きていると、限られた地球上の資源を使ってしまう…。

その様に慈悲の冥想を続けると、私達は、生き続けることに執着するのではなく、生き続けていることに執着しない様になるのです。

それは、もっと長生きしたい、ではありません。
長生きしたくない、早く死にたい、でもありません。

生きている間は、大切に生きよう、という感じです。

その人の心からは、余計な欲望も、個人の希望を叶える祈りも出て来ません。
占いに頼りますかねぇ?法力に依存しますかねぇ?超能力が人生に必要ですかねぇ?
慈悲の心が生まれるだけで、このどれもが実に馬鹿馬鹿しい依存であることが分かるのです。

生きとし生けるものが幸せでありますように、その実現のために私達の命は使うべきなのではないでしょうか?という生き方をしなければならないことが自分自身の力で見えて来るのです。









Be Happy! | 14:25:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
#jtba「豚に真珠」ジャータカ物語より





協会のfbより紹介です。





#jtba「豚に真珠」ジャータカ物語より

 昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンに生まれました。※菩薩…前世 修行者であった釈尊のこと。成長してタッカシラーで学問を修めた菩薩は出家して、ヒマラヤの行者になりました。ある時、日用品を得るためにバーラーナシー の街に下りてきた菩薩を王が見かけました。菩薩のすばらしい立ち居振る舞いに感心した王は、菩薩にお城に住んでもらうようにと頼み、菩薩はお城の御苑に滞 在することになりました。

 王は毎日のように菩薩を訪れ、菩薩から法を聞きました。菩薩は、「大王よ、王は四つの不正(好み・怒り・畏怖・無知によって公平に審判を行わないこと)を捨て、忍耐を育て、慈悲を完成し、優しさに満たして正しく国を治めるべきです」と、次の詩を唱えました。

 怒りなきよう、大地の主よ
 怒りなきよう、君子よ
 怒りに怒りを返さぬ王は、国中の尊敬を得る
 村、森、低地、高地、いづこでも、
 怒りなきよう、君子よ

 菩薩の法話を聞いて心を清められた王はたいへん喜び、豊かな村をお布施したいと申し出ました。しかし菩薩は断りました。

 そうするうちに十二年が経ちました。菩薩は「私は長居しすぎた。そろそろ旅に出よう」と思い立ち、庭師に「私は同じ所に長くいすぎた。しばらく国を旅して来ようと思う。王様によろしくお伝えください」と言い残し、お城を立ち去りました。

 菩薩はガンジス河の渡し場に来ました。渡し場にはアヴァーリヤ親爺という名の渡し守がいました。彼は愚か者であり、賢者の徳を理解せず、自らの利益を得 る方法も知りませんでした。アヴァーリヤ親爺はいつも、川を渡ろうとする人をまず向こう岸に渡してから賃料を要求していました。自分の要求する船賃を払わ ない人がいると罵って暴力をふるう渡し守は、自分もしょっちゅう殴られて、ケガが絶えませんでした。たくさん儲けるつもりの行いで、かえって彼の儲けは、 いつもわずかでした。
 
ここでお釈迦さまは、この状況を次の詩句で唱えられました。

 アヴァーリヤ親爺、ガンジス河の渡し守
 人を先に渡し、船賃を後に請う
 喧嘩は増えるが、財は増えず

 菩薩は渡し守に、向こう岸に舟を出すように頼みました。アヴァーリヤ親爺は、「お坊さんは船賃を払ってくれるのかい」と訊きました。菩薩は「財産をふや しふやす、道理を知り、真理を得る方法を教えよう」と答えました。渡し守は「きっと何かいいものをくれるに違いない」と思い、菩薩を舟に乗せて向こう岸に 連れて行きました。「では、船賃を払ってください」と渡し守が言うと、菩薩は「よかろう」と、財産を殖やす方法を次の詩句で唱えました。

 船頭よ、船賃は、
 岸に着く前に求むもの
 船に乗る時、降りし時
 人の気持ちは違うゆえ 

 渡し守は思いました。「これはただの忠告にすぎない。もっと何かくれるに違いない」と思いました。菩薩は「それが財産を殖やすための忠告だよ。

次に、道理を知り、真理を得る教えを説くから、よく聞きなさい」と、次の詩を唱えました。

 村、森、低地、高地、いづこでも、
 怒りなきよう、船頭よ

 菩薩は「これは道理を知り、真理を得る教えだよ」と告げました。愚かで鈍い渡し守は、その説法について考えることは何もせず、「お坊さん、まさかこれが 船賃じゃないだろうな」と怒って言いました。そして菩薩が「そうだ。これが船賃だ。船頭よ」と答えると、「ふざけるな! こんなものが何の役に立つんだ! 俺がほしいのはこんなものではない」と怒鳴りつけ、腹を立てて菩薩を押し倒し、顔や胸を殴りつけました。

 さて、お釈迦さまはここで、「比丘らよ、行者は王に法を説き、豊かな村を差し出された。同じ法を愚か者の船頭に説くと、殴られたのだ。教えは心ある人に説くべきものだ。ふさわしくない愚か者に説くべきではないのだよ」とおっしゃって、次の詩を唱えられました。

 王に説き、村を差し出されしその教え、
 同じ教えを船頭は、聞きて我を殴りたり

 渡し守が菩薩を殴っていると、渡し守の妻が昼のお弁当を運んできました。妻は二人を見て、「お前さん、この修行者は王様が帰依しておられるお方ですよ。 殴ったりしてはダメですよ」と驚いて止めました。渡し守はますます怒り、「お前は俺に指図するのか」と、妻まで殴り倒しました。お弁当は地面に落ちて散乱 し、妊娠していた妻は流産してしまいました。人々は渡し守を取り囲み、「人殺しの悪党め」と非難しながら縛り上げ、王のもとに連れて行きました。王は渡し 守に刑罰を与えました。

 ブッダは過去の話を終え、最後にもう一つ詩を唱えられました。

 食事は散らばり、妻は打たれ、
 胎児は死んで地面に流れた
 勝れた教えも、愚か者には、
 豚に真珠のようなもの

 お釈迦さまはつづけて法を説かれ、それを聞いた比丘は預流果の悟りを得ました。

●スマナサーラ長老「この物語の教訓」
 人生の成功とは、どういうことでしょうか。成功は、三つの事柄で成り立つものです。①富を得ること、②人格、③道徳です。

 ①の富を得ることだけは、誰でも知っています。富を得ただけで、成功者だと噂されるのです。しかし、金があっても、わがままで乱暴者で人格者でないならば、社会はその人をほめません。性格が悪く傲慢な人は、金持ちであっても尊敬されないのです。

 世界はほとんど金の信仰者なのだから金持ちがほめられるのは当たり前なのに、不正を働いて行いが悪い金持ちは批判される。その財産はほめる対象から外れます。世界は無意識的に、金よりも性格が大事だと感じているのです。

 この無意識的な感情は、真理なのです。人はそれを無視して、人生の成功は金を儲けることだと妄信している。子供たちに、若者に、金儲けだけを押し付けている。その結果として、社会の混乱、犯罪などが絶えないのです。

 成功の③番目は「道徳」です。道徳を守らないと、この世で裁かれる。それだけで事は済みません。死後も苦境に陥るのです。百年に満たずに生きて、死後地獄に落ちるならば、それまた成功の生き方とは言えません。

本当の成功者は、今生で幸福に生きて、死後も天界に生まれるのです。死後の天界の話には宗教や信仰が絡んでくるのでややこしいのですが、仏教は宗教や信仰に関係なく、人は死後天界に生まれると説いているのです。

 商売をして財産を儲けると同時に、人格者でいれば充分なのです。怒らず、奢らず、不正を働かず、皆と仲良く、謙虚で生活するならば、それが人格なので す。その人はこの世でも皆に尊敬される。死後は天界に生まれてますます幸福になる。人生の成功は、財産・人格・道徳の三脚で成り立つのです。

 このエピソードで出てくる船頭は、金持ちになりたいと思ってはいたが、その方法を知らなかったのです。今の世でも、ただ店を開いただけで客が殺到するわ けではありません。品物を作っただけで皆揃って買いに来るわけではないのです。資格があるだけで会社は人を雇いません。

 金が入る何か別の秘密があるみたいです。それは人の心なのです。デパートでも、子供たちに気持ちよく遊べる場を作ってあげれば、またそちらに子供たちを 楽しませることのできる人を雇っているならば、お母さんたちはそのデパートで買い物をするのです。デパートのおもちゃ売り場に子供の遊び場を設けても、子 供をダシにして親に要らないおもちゃを買わせるという欲がからんだカラクリが見え見えなので、商売繁盛にはなりません。子持ちの親は、そのデパートを避け るのです。人の心の働きは微妙です。「儲かりたい」という感情をむき出しにすると、客に逃げられる結果になるのです。

 船に乗る客の気持ちは、無事に川を渡ることです。その時は、船頭も船も有り難い存在です。その時に、船賃のことを話し合った方が良いのです。船頭が心優しく、明るい人なら、客はお礼をはずむことを惜しみません。

 しかし、向こうの岸に渡ってしまえば、客はいかに早く目的地に行くかという気持ちになるのです。もう船なんかはどうでも良くなるのです。私たちが飛行機に乗る時と飛行機から降りる時の気持ちを考えれば、よく分かるのです。

 さすがに電車も飛行機も、乗る前に料金を頂くのです。飛行機会社が、外国の空港に客を降ろしてから航空運賃を要求するならば、大変なことになると思います。支払いを断ったら法廷で闘うことになります。客もあれが悪かったこれが悪かったと文句を言うでしょう。

 商売をする場合は、客の心理状態を微妙に計算しなくてはならないのです。それは、客は泥棒だという意味ではありません。航空券を予約するときは、客は自 分好みの航空会社を選ぶ。値段も交渉する。外国旅行したい、楽しみたいと思っているから、大変喜んでお金を払うのです。仏教は昔から「船に乗る前に運賃の 交渉」の論理なのです。

●photo:Buddha by Ed Schipul(flickr)
▼参考テキスト
ジャータカ「豚に真珠」物語
http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0506.html
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
写真: #jtba「豚に真珠」ジャータカ物語より<br /><br /> 昔々、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていた頃、菩薩はバラモンに生まれました。※菩薩…前世 修行者であった釈尊のこと。成長してタッカシラーで学問を修めた菩薩は出家して、ヒマラヤの行者になりました。ある時、日用品を得るためにバーラーナシーの街に下りてきた菩薩を王が見かけました。菩薩のすばらしい立ち居振る舞いに感心した王は、菩薩にお城に住んでもらうようにと頼み、菩薩はお城の御苑に滞在することになりました。<br /><br /> 王は毎日のように菩薩を訪れ、菩薩から法を聞きました。菩薩は、「大王よ、王は四つの不正(好み・怒り・畏怖・無知によって公平に審判を行わないこと)を捨て、忍耐を育て、慈悲を完成し、優しさに満たして正しく国を治めるべきです」と、次の詩を唱えました。<br /><br /> 怒りなきよう、大地の主よ<br /> 怒りなきよう、君子よ<br /> 怒りに怒りを返さぬ王は、国中の尊敬を得る<br /> 村、森、低地、高地、いづこでも、<br /> 怒りなきよう、君子よ<br /><br /> 菩薩の法話を聞いて心を清められた王はたいへん喜び、豊かな村をお布施したいと申し出ました。しかし菩薩は断りました。<br /><br /> そうするうちに十二年が経ちました。菩薩は「私は長居しすぎた。そろそろ旅に出よう」と思い立ち、庭師に「私は同じ所に長くいすぎた。しばらく国を旅して来ようと思う。王様によろしくお伝えください」と言い残し、お城を立ち去りました。<br /><br /> 菩薩はガンジス河の渡し場に来ました。渡し場にはアヴァーリヤ親爺という名の渡し守がいました。彼は愚か者であり、賢者の徳を理解せず、自らの利益を得る方法も知りませんでした。アヴァーリヤ親爺はいつも、川を渡ろうとする人をまず向こう岸に渡してから賃料を要求していました。自分の要求する船賃を払わない人がいると罵って暴力をふるう渡し守は、自分もしょっちゅう殴られて、ケガが絶えませんでした。たくさん儲けるつもりの行いで、かえって彼の儲けは、いつもわずかでした。<br /> <br />ここでお釈迦さまは、この状況を次の詩句で唱えられました。<br /><br /> アヴァーリヤ親爺、ガンジス河の渡し守<br /> 人を先に渡し、船賃を後に請う<br /> 喧嘩は増えるが、財は増えず<br /><br /> 菩薩は渡し守に、向こう岸に舟を出すように頼みました。アヴァーリヤ親爺は、「お坊さんは船賃を払ってくれるのかい」と訊きました。菩薩は「財産をふやしふやす、道理を知り、真理を得る方法を教えよう」と答えました。渡し守は「きっと何かいいものをくれるに違いない」と思い、菩薩を舟に乗せて向こう岸に連れて行きました。「では、船賃を払ってください」と渡し守が言うと、菩薩は「よかろう」と、財産を殖やす方法を次の詩句で唱えました。<br /><br /> 船頭よ、船賃は、<br /> 岸に着く前に求むもの<br /> 船に乗る時、降りし時<br /> 人の気持ちは違うゆえ <br /><br /> 渡し守は思いました。「これはただの忠告にすぎない。もっと何かくれるに違いない」と思いました。菩薩は「それが財産を殖やすための忠告だよ。<br /><br />次に、道理を知り、真理を得る教えを説くから、よく聞きなさい」と、次の詩を唱えました。<br /><br /> 村、森、低地、高地、いづこでも、<br /> 怒りなきよう、船頭よ<br /><br /> 菩薩は「これは道理を知り、真理を得る教えだよ」と告げました。愚かで鈍い渡し守は、その説法について考えることは何もせず、「お坊さん、まさかこれが船賃じゃないだろうな」と怒って言いました。そして菩薩が「そうだ。これが船賃だ。船頭よ」と答えると、「ふざけるな! こんなものが何の役に立つんだ! 俺がほしいのはこんなものではない」と怒鳴りつけ、腹を立てて菩薩を押し倒し、顔や胸を殴りつけました。<br /><br /> さて、お釈迦さまはここで、「比丘らよ、行者は王に法を説き、豊かな村を差し出された。同じ法を愚か者の船頭に説くと、殴られたのだ。教えは心ある人に説くべきものだ。ふさわしくない愚か者に説くべきではないのだよ」とおっしゃって、次の詩を唱えられました。<br /><br /> 王に説き、村を差し出されしその教え、<br /> 同じ教えを船頭は、聞きて我を殴りたり<br /><br /> 渡し守が菩薩を殴っていると、渡し守の妻が昼のお弁当を運んできました。妻は二人を見て、「お前さん、この修行者は王様が帰依しておられるお方ですよ。殴ったりしてはダメですよ」と驚いて止めました。渡し守はますます怒り、「お前は俺に指図するのか」と、妻まで殴り倒しました。お弁当は地面に落ちて散乱し、妊娠していた妻は流産してしまいました。人々は渡し守を取り囲み、「人殺しの悪党め」と非難しながら縛り上げ、王のもとに連れて行きました。王は渡し守に刑罰を与えました。<br /><br /> ブッダは過去の話を終え、最後にもう一つ詩を唱えられました。<br /><br /> 食事は散らばり、妻は打たれ、<br /> 胎児は死んで地面に流れた<br /> 勝れた教えも、愚か者には、<br /> 豚に真珠のようなもの<br /><br /> お釈迦さまはつづけて法を説かれ、それを聞いた比丘は預流果の悟りを得ました。<br /><br />●スマナサーラ長老「この物語の教訓」<br /> 人生の成功とは、どういうことでしょうか。成功は、三つの事柄で成り立つものです。①富を得ること、②人格、③道徳です。<br /><br /> ①の富を得ることだけは、誰でも知っています。富を得ただけで、成功者だと噂されるのです。しかし、金があっても、わがままで乱暴者で人格者でないならば、社会はその人をほめません。性格が悪く傲慢な人は、金持ちであっても尊敬されないのです。<br /><br /> 世界はほとんど金の信仰者なのだから金持ちがほめられるのは当たり前なのに、不正を働いて行いが悪い金持ちは批判される。その財産はほめる対象から外れます。世界は無意識的に、金よりも性格が大事だと感じているのです。<br /><br /> この無意識的な感情は、真理なのです。人はそれを無視して、人生の成功は金を儲けることだと妄信している。子供たちに、若者に、金儲けだけを押し付けている。その結果として、社会の混乱、犯罪などが絶えないのです。<br /><br /> 成功の③番目は「道徳」です。道徳を守らないと、この世で裁かれる。それだけで事は済みません。死後も苦境に陥るのです。百年に満たずに生きて、死後地獄に落ちるならば、それまた成功の生き方とは言えません。<br /><br /> 本当の成功者は、今生で幸福に生きて、死後も天界に生まれるのです。死後の天界の話には宗教や信仰が絡んでくるのでややこしいのですが、仏教は宗教や信仰に関係なく、人は死後天界に生まれると説いているのです。<br /><br /> 商売をして財産を儲けると同時に、人格者でいれば充分なのです。怒らず、奢らず、不正を働かず、皆と仲良く、謙虚で生活するならば、それが人格なのです。その人はこの世でも皆に尊敬される。死後は天界に生まれてますます幸福になる。人生の成功は、財産・人格・道徳の三脚で成り立つのです。<br /><br /> このエピソードで出てくる船頭は、金持ちになりたいと思ってはいたが、その方法を知らなかったのです。今の世でも、ただ店を開いただけで客が殺到するわけではありません。品物を作っただけで皆揃って買いに来るわけではないのです。資格があるだけで会社は人を雇いません。<br /><br /> 金が入る何か別の秘密があるみたいです。それは人の心なのです。デパートでも、子供たちに気持ちよく遊べる場を作ってあげれば、またそちらに子供たちを楽しませることのできる人を雇っているならば、お母さんたちはそのデパートで買い物をするのです。デパートのおもちゃ売り場に子供の遊び場を設けても、子供をダシにして親に要らないおもちゃを買わせるという欲がからんだカラクリが見え見えなので、商売繁盛にはなりません。子持ちの親は、そのデパートを避けるのです。人の心の働きは微妙です。「儲かりたい」という感情をむき出しにすると、客に逃げられる結果になるのです。<br /><br /> 船に乗る客の気持ちは、無事に川を渡ることです。その時は、船頭も船も有り難い存在です。その時に、船賃のことを話し合った方が良いのです。船頭が心優しく、明るい人なら、客はお礼をはずむことを惜しみません。<br /><br /> しかし、向こうの岸に渡ってしまえば、客はいかに早く目的地に行くかという気持ちになるのです。もう船なんかはどうでも良くなるのです。私たちが飛行機に乗る時と飛行機から降りる時の気持ちを考えれば、よく分かるのです。<br /><br /> さすがに電車も飛行機も、乗る前に料金を頂くのです。飛行機会社が、外国の空港に客を降ろしてから航空運賃を要求するならば、大変なことになると思います。支払いを断ったら法廷で闘うことになります。客もあれが悪かったこれが悪かったと文句を言うでしょう。<br /><br /> 商売をする場合は、客の心理状態を微妙に計算しなくてはならないのです。それは、客は泥棒だという意味ではありません。航空券を予約するときは、客は自分好みの航空会社を選ぶ。値段も交渉する。外国旅行したい、楽しみたいと思っているから、大変喜んでお金を払うのです。仏教は昔から「船に乗る前に運賃の交渉」の論理なのです。<br /><br />●photo:Buddha by Ed Schipul(flickr)<br />▼参考テキスト<br />ジャータカ「豚に真珠」物語<br />http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0506.html<br />♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪









facebook | 10:15:25 | トラックバック(0) | コメント(0)




協会のホームページより紹介です。





スマナサーラ長老最新刊:仏教は宗教ではない/「ないものねだり」をしない生き方/無知の壁
仏教は宗教ではない~お釈迦様が教えた完成された科学~ (合冊版)
アルボムッレ スマナサーラ イケダ ハヤト
Evolving
「宗教」「仏教」の疑問から「自我」「死生」まで、イケダハヤト氏がスマナサーラ長老へ直球インタビュー。kindle版で先行出版され話題になった2冊を1冊にまとめた特別編






「ないものねだり」をしない生き方アルボムッレ・スマナサーラ
こう書房
あなたの悩みが「成長できる有意義なないもねだり」なのか、「無益で無駄なないものねだり」なのかを考えてみてください。そうやって切り分けるだけでも、あなたの思考は整理され、少なからずすっきりした気持ちを取り戻せるはずです。



無知の壁 (サンガ新書 62)
養老孟司 アルボムッレ・スマナサーラ 釈徹宗
サンガ
解剖学者と初期仏教長老が実践する「自分」をはずして、楽に生きるための智















未分類 | 09:28:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
法話会(ヤサ長老)日時11月09日 (日), 13:00 ~ 16:30<退室17:00>
 





★「茶話会(親睦会)」のお知らせ
午前10時から、
日本ガイシフォーラム
で法友のみなさんの集いがあります。
※自由参加、昼食は各自ご用意ください。






      法話会(ヤサ比丘)

日時11月09日 (日), 13:00 ~ 16:30<退室17:00>

場所〒457-0833 愛知県名古屋市南区東又兵ヱ町5-1-16 
                  日本ガイシフォーラム(和室) (地図)

     
開始時間に注意


説明【内容】 ヤサ先生を講師に迎えて、法話を聞く会です。
  *残念ながら 初心者冥想指導はありません

【講師】         ヤサ長老
【会場】 
日本ガイシフォーラム和室
            〒457-0833 愛知県名古屋市南区東又兵ヱ町5-1-16 <交通アクセス>
            ●JRご利用の方 東海道本線「笠寺」駅(かさでら) 徒歩3分 
            ●名鉄ご利用の方 名鉄本線「本笠寺」駅(もとかさでら)徒歩15分


【お問い合わせ】 東海ダンマサークル 
     電話:090-7316-6349(葛原)
     電話:090-2133-0495(吉田)
メール quiet-place.366@be.wakwak.com








ヤサ先生 | 16:32:51 | トラックバック(0) | コメント(0)
そもそも、私、がないという…。




協会の記事ではありません。
木下全雄  さんの ブログの紹介です




<11月4日>
他人様の生き方にちょっかいを出さない生き方をしたい、と思います。

理性により洗脳を打ち破ること、今の瞬間を生きること、慈悲の心を育てること、それは伝えて行きたいけれど、それを押し付けることは「ちょっかい」であると思います。

仏教はすごい!
でも押し売りはしてはいけない。

<11月5日>
なぜ過去にとらわれるのか?
なぜ未来を心配するのか?
なぜ生きることを迷うのか?

自我を張らずに、生きとし生けるもののために今出来ることと真剣に向き合って生きる。
それ以外に我々が歩むべき道があると言うのか?

そのシンプルライフを見失った人のために、仏教がある、のだと思う。



私、がいるから、生きる苦しみが生まれる。
私、がいるから、年老いる苦しみが生まれる。
私、がいるから、病の苦しみが生まれる。
私、がいるから、死の恐怖が生まれる。

私、がいるから、私の財産、私の家族、私への侮辱、私の名誉、私の体、私の健康が生まれる。
それに伴い悩み苦しみが生まれる。

それが嫌で、悩みから解放されたくて、祈ってみる。
権力を集めてみる。
仲間を作ってみる。
召使いを作ってみる。
不思議な力を信じてみる。

でもダメだ。私達の手から、次々と幸せがこぼれ落ちて行くようだ。

仏教の教えに耳を傾けてみると…

そもそも、私、がないという…。

無常であるがゆえに、あらゆるものが刻々と変化しているがゆえに、私の体も私の心も瞬間瞬間変化しているがゆえに、私、がないという。

私がないなら、あらゆる悩み苦しみから、解放されるのではなかろうか?
私がないことを、修行を通じて体験してみようではないか?

そんな度胸が「私」には必要だ。








Be Happy! | 09:19:00 | トラックバック(0) | コメント(0)

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