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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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#‎jtba‬【新刊】スマナサーラ長老の初期仏教法話DVD『違うって素晴らしい』





協会のfbより紹介です。





‪#‎jtba‬【新刊】スマナサーラ長老の初期仏教法話DVD『違うって素晴らしい』

●V-251『違うって素晴らしい~こだわりをなくす智慧の道~』
 いつでも私たちは人と比較し、一喜一憂して生きています。同じということにこだわり、同じでない差を見つけては、お互いに貶し合って悩んでいるのです。しかし、それは無意味ではないでしょうか?生命はお互いに違っていて当然だ、というのが仏教の立場です。

 お釈迦様が説かれた経典からは、違うことは決して問題ではない、お互いの違いを認められることは素晴らしいことだ、心が広く・柔軟な証拠である、という メッセージを読み取れるのです。ひとそれぞれが個性を発揮させ、独創的に生きるための秘訣を仏陀の教えから学んでみましょう。

◆詳しくはこちら(カタログあり)
 http://www.j-theravada.net/bhavana_books/dvd/

▼購入方法について(一枚 2,160円、税込・送料無料[国内のみ])
・事務手続きの都合で、先入金とさせていただいております。
・郵便局の「払込取扱表」の通信欄に、ご希望のDVDの商品番号(V-251等)を記載して、合計金額を下記口座までお振込みください。
・送付先の住所は漏れ無くご記入下さいますようお願いいたします。
※国内のみ送料は無料です。

★郵便局から「払込取扱票」でお振込の場合
 口座番号:00120-5-763914
 名称:日本テーラワーダ仏教協会

★他行からのお振込みの場合
 ゆうちょ銀行:〇一九 店(ゼロイチキユウ店)
 当座:0763914
・事務局で入金を確認後、商品を発送いたします。
・通常、入金から7日~10日程度でお手元に届きます。
・ご不明の点は、info@j-theravada.net までメールでお問い合わせ下さい。

生きとし生けるものが幸せでありますように


日本テーラワーダ仏教協会が頒布する、スマナサーラ長老の法話DVD&CD-R目録(2015年5月版)です。以下のリンク先よりダウンロードしてください。
j-theravada.net









facebook | 11:14:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
#‎jtba‬「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)【105】 「今」と「ここ」①【105】 「今」と「ここ」②





協会のfbより紹介です。





日本テーラワーダ仏教協会さんの写真

‪#‎jtba‬「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)

【105】 「今」と「ここ」①
Q:私はなぜかいつも同じようなことで失敗し、もがいても、流れに任せてみても、その状況が悪くなるばかりです。人生には皆、乗り越えるべき試練があると聞いたことがありますが、これは私の試練なのでしょうか。それともそんなことは妄想でしょうか。

A:答えは後者ですね。「試練」なんか妄想です。「自分」という小さなスケールで考えるから、そんなことを考えるのです。宇宙を考えてみてください。何か 試練があって太陽が燃えているわけではないし、何か試練があって月が地球を廻っているわけでもないでしょう?「試練」などあるわけじゃないんです。

 人間として、自分の道は、いくらでも変えられます。といっても、すべては因果法則ですから、人間に翼が生えて空を飛べたということはあり得ません。因果法則の中で、がんばるならば、何でもできるものですよ。

 私たちがなぜ失敗するかというと、よけいなことを考えたり妄想したりして、やるべきことをやらないからです。妄想せずに、今、目の前にあることをやればいいのです。今、自分が、この瞬間に、この場所にいることから脱出することは、誰にもできません。

 ですから、この場所で、この時間にやるべきことをやる。それしかないのです。今この瞬間にやるべきことというのは、ずいぶん単純簡単です。そういう生き方をしたら、人生は全然失敗しません。

 失敗した人は、今やるべきことをせずに、何か別のことをしたのです。勘違いしたのです。なぜ勘違いしたのかというと、よけいな妄想をしたのです。高慢、怒り、欲、怠け、見栄など、あらゆる煩悩で、あれこれと妄想したから失敗したのです。

 「今、何をするべきか」と生きているならば、いつでも楽しく生きられます。誰からも批判されません。ちゃんとその場その場でやるべきことをやる人は、成功するし、よく役に立つ人だと評価されます。

 その生き方は、「今」と「ここ」という二言葉でまとめられますので、その二つをしっかりと覚えておいてください。それができれば、誰でもすごく簡単に生 きていけます。それは頭に叩き込むだけでは足りません。「生きる方法というのは、そういうことである」と、しっかり骨にまで刻み込んでおいてください。… つづく

●photo:catch by Tam Tam(flickr)
▼参考テキスト
【105】 「今」と「ここ」
http://www.j-theravada.net/qa/gimon105.html
生きとし生けるものが幸せでありますように







日本テーラワーダ仏教協会さんの写真

‪#‎jtba‬「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)

【105】 「今」と「ここ」②
Q:失敗した人は何をやるべきか勘違いしたのだということですが、勘違いしてしまう人は多いんじゃないかと思います。それを自分で気づくためには、どうすればいいでしょうか?

A:勘違いする人は、多いどころではありません。人は皆、全員が勘違いして生きています。だから世の中には、ろくなことがないでしょう? 我々だけでなく、いわゆる立派な人々、国民を支配して権力を握っている大物の政治家や、高名な学者たち、科学者たちも皆、失敗だらけです。勘違いしてない 人など、いるわけじゃないのです。だから勘違いしないというのは、そう簡単な問題ではありません。

 唯一の方法というのは、お釈迦さまの教えを実践することです。といっても、すごく難しいことではありません。さきほど言った、「今」と「ここ」ということ…いつでも過去や将来のことを妄想せずに、今やるべきことをやる。それだけです。

 それ以外の他のことを考える必要はないのです。知識も勉強もいりません。世の中にはいろんな知識がありますが、全部勘違いした人々の発見だから、正しく生きるための役には立たないのです。

 「正しく生きる」ということは、ある特定の人間の特権じゃありません。誰にでも実践できることでないと、正しい道とは言えないのです。世界には勉強する 機会がない人々もたくさんいます。「今、ここ」という時空関係の中で生きているというのは、普遍的な事実であって、その場その場でやるべきことをやるとい うのは、誰にでもできるのです。

 これは、例えば、朝目覚めて、起きるときには起きる、歯を磨くときには磨く、ご飯を食べるときには食べる、駅まで歩くときには歩く、それだけのことで、そんな大胆なことではないのです。

 ところが私たちには、その簡単なことがなかなかできないのです。皆、「今」に生きることをせず、時間がすぐにズレてしまうのです。皆さまも、しょっちゅ う過去や未来のことを妄想するでしょう? 実際のところは、我々に将来のことなど考えられるはずはないのです。過去のことは客観的な史実としては考えられますが、もう終わったのだから、過去のこと などはどうでもいいのです。

 時間がズレるということは、とんでもない無知な行為なのです。例えば一週間前に親しい人が死んだとする。今に生きてない人は、ずっとそのことに引っかかって、悩んで、悩んで、今の瞬間の自分の人生をダメにしてしまうのです。

 それは知性的な生き方ではありません。優しさでもありません。ただ自分のことが可愛いだけ。「すごく寂しい、たいへんだ、どうしていいかわからない」な ど、全部自分のことでしょう? とにかく、人間が考えることというのはろくなことじゃありません。ほとんどすべて感情的な妄想です。

Q:それは「妄想するな」ということですね?
A:「妄想するな」というよりは、「今やるべきことをやる」と、そのままで覚えておいてください。

 これは年寄りであろうが、子供であろうが、関係ない。病人でも同じことです。病気になって倒れた人が、やるべきことをやらなかったらどうなりますか。い つでもその時にやるべきことをやるんです。勘違いせず、失敗なしに生きるためには、「今」「ここ」という二つで生きることです。それは事実です。「私」と いうのも、ただの言葉だけだから、いりません。

Q:それは超越した智慧ということですか?
A:超越した智慧というのは、時空関係が変わるたびに「私」も変わっていくんだとわかることで、そのためには修行が必要です。ヴィパッサナー冥想は、そこを理解するためにやるのです。

 「変わらない私などいない。私の存在というのは時空関係で成り立ってる現象に過ぎない。時空関係は常に変わっていくのだから、私という存在もずーっと変 わっていく。私という主語を使う場合は、どの場所でどの時間における「私」かと言わないと成り立たない」と。「私」というのはそれなんです。魂でも仏性で もありません。

 このポイントだけは、ちょっと難しいかもしれません。そういうところはヴィパッサナーの実践で理解しないと、頭で理解しようとしても、無理だと思います。

 ヴィパッサナー冥想とは「私」とは何なのかと客観的に観察することです。すごく科学的な実践であって、神秘的なことではありません。だから冥想という言葉より、実践といった方がいいのです。

 あらゆる煩悩、悩みというものは、「自分がいるんだぞ」ということから現れます。人は時空関係を忘れているんです。今ここにいる「私」は、次の瞬間にはいない。だから「私」という実体があると思ってしがみつくのは無意味なのです。

 思考というのは、幻覚に過ぎない「私」というものでもって感情的に考えているでしょう? ですから人が正しく考えられるはずはないのです。何を考えても、その人は、今の時間にやるべきことをやってないという、それだけのことです。

Q:「実践」というのは、実験と考えてもいいですか?
A:実験というのは、ちょっと試してみる、トライアルということでしょう? 人生にトライアルする暇はありません。私がよく言うのは「人生にはリハーサルはない」ということです。人生は常に本番なのです。ですから、実験よりも「実践」という単語がぴったりです。

●photo:Connaught Road C Nighttime Traffic by See-ming Lee(flickr)
▼参考テキスト
【105】 「今」と「ここ」
http://www.j-theravada.net/qa/gimon105.html
生きとし生けるものが幸せでありますように










facebook | 15:06:51 | トラックバック(0) | コメント(0)
#‎jtba‬【法話】スマナサーラ長老「どのように生きるべきか?」





協会のfbより紹介です。





‪#‎jtba‬【法話】スマナサーラ長老「どのように生きるべきか?」

▼法話ダウンロード(約30分)
http://db1.voiceblog.jp/data/najiorepo/1178376947.mp3

Q:あることがきっかけで、自分に自信を失い、対人恐怖症のような状態になり、家族を恨むこともあった。改善しつつあるが、解決していくにはどうすればいいか?(2007/04/22 関西月例冥想会より)

●参考ページURL
β関西活動報告
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/340057.html

~生きとし生けるものが幸せでありますように~










facebook | 15:04:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
先ずは、「今、このように見えている」と観察することがやるべきことだと思った。





協会の記事ではありません。
サークル仲間の一日一誤日記です。





NHKでチャリダーという番組があり録画するようになった。
先週はペダルの漕ぎ方について、床にガムの食べかすがあり、それを剥がすようなつもりでペダルを引き上げる(私の記憶が間違っている可能性あり)というアドバイスがあった。
先日、試してみたらアララすごく楽でスムース、いつもの坂道もスイスイ登ってしまった。
ペダルは押すものと子どもの頃から思い込んでいたが、見事にひっくり返った。

思えば、自分の思い込み(これが正しいという決めてあるもの)と事実が正反対であったことが今までも数多くあった。

サックス奏法にしても上記のペダルの件と同じで、息を吹き込まなければ鳴らないと思っていたが、肺にある空気の圧力を制御(調御と言う方がぴったり)するということが理に副っていると意識するようになった。

「押すより引く」は自分が自分がという自我から身を守るありがたいキーワードかも知れない。

般若心経の中に「転倒夢想」という文字があったことも思い出した。
自分が自分がという衝動から見えてしまう世界(自己中心発想)は事実が逆さまに見えてしまう(だって、世界は私のためにあるわけない)。
その自分がつくり出した妄想世界にて私は生きていく羽目になっているのだ。

先ずは、「今、このように見えている」と観察することがやるべきことだと思った。










一日一誤日記 | 14:49:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
#‎jtba‬【法話】「心を育てる唯一の方法」~増支部経典より





協会のfbより紹介です。





‪#‎jtba‬【法話】「心を育てる唯一の方法」~増支部経典より

▼法話(118分)をダウンロード
http://www.j-theravada.net/…/2010_0420gotami_sutta_AN1_5.mp3

2010年4月20日にゴータミー精舎で開催されたスマナサーラ長老のパーリ経典講義より、増支部1集5.Paṇihitaacchavaggo[ http://tipitaka.org/romn/cscd/s0401m.mul4.xml ] 解説をお届けします。

『覚えておいて欲しいこと:心は繰り返し訓練することによって成長する。一回だけ何かしただけでモノになる、というわけではない。身体を鍛えることも、心がやっている。心が繰り返さないと身体も変わらない。』

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

j-theravada.net









facebook | 11:35:11 | トラックバック(0) | コメント(0)
#‎jtba‬「戒め」





協会のfbより紹介です。





‪#‎jtba‬「戒め」

他人は自分の主観にとりつかれ、しがみつき、捨てられないでいるが、
我々は自分の主観にとらわれず、しがみつくことなく、
簡単に捨てられるようにと戒めましょう。
(「戒め」44偈より)

"http://gotami.j-theravada.net/sallekhasutta_pp68-83.pdf
『日常読誦経典』p68-83 日本テーラワーダ仏教協会(pdf)

http://www.j-theravada.net/dhamma/Sallekha-sutta_all.pdf
『Sallekha-sutta(サッレーカ・スッタ)戒め ~「自己」の取扱説明書~ 』和訳・解説A.スマナサーラ(PDF)

生きとし生けるものが幸せでありますように

日本テーラワーダ仏教協会さんの写真









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#jtba 施本PDF『偉大なる人の思考 Mahā purisa vitakka』





協会のfbより紹介です。





施本PDF『偉大なる人の思考 Mahā purisa vitakka』(1.82MB)をダウンロード

 

『偉大なる人の思考 Mahā purisa vitakka』は、2008年2月19日に兵庫県三田市でテーラワーダ仏教寺院(現マーヤーデーヴィー精舎)が着工されたことを記念して刊行された約120頁の施本です。編集は誓教寺坊守の藤本竜子さん。漢訳経典『佛遺教経』にも登場する八大人覚(八つの偉大なる人の思考)について、スマナサーラ長老が解説されています。少欲、知足、遠離、精進、気づき、禅定、智慧、不戯論(パパンチャを破る)、という八項目に、お釈迦様の教えとその達せられた境地のエッセンスが凝縮されています。PDFファイルをダウンロードしてご自由にお読み下さい。

 

※このPDFファイルの商用利用や他サイトでの再配布、改変は固くお断りいたします。

※目次にある「喜捨ご芳名」は割愛しました。

 

偉大なる人の偉大なる安らぎ

さて、お釈迦様がこの経典を語ることになったのは、こんないきさつからでした。お釈迦様の義理の兄弟でもあるアヌルッダ尊者がたまたまひとりでいる時に、自分の人生を観察してみました。自分が王家を出て、今森の中にひとりぼっちで出家生活をしています。しかしなんの悔いも苦しみもない。宮殿の贅沢がなにひとつもないのに、けたちがいの安らぎと喜びを感じている。そこで考えたのです。「この、安らぎって何なのか」と。

 

王子として宮殿にいた時とまるっきり違う生き方です。大勢の人々に囲まれて、護衛に守られているのではなく、今、孤独に生きている。ごちそうの代わりに托鉢して貧しい人々からもらったご飯を少々食べている。住むところは立派な家ではなく、森の中です。なのに、偉大なる安らぎがある。恐怖も不安も苦しみもない生き方をしている。私は偉大なる生活をしている。普通に生活していた時と比較すると、比べものにならない尊い生活を自分はしていると。なんとなくそういう思考になっちゃったのです。

 

人の幸不幸は、その人の思考次第です。アヌルッダ大阿羅漢が、今、偉大なる安らぎを感じているというならば、一般人とは違った「偉大なる思考」を持っているはずなのです。そこで、アヌルッダ大阿羅漢は「自分の思考と俗世間の思考は何が違いますか」と考えてみました。

 

すると七つの項目が思い浮かびました。それをお釈迦様に報告したところ、お釈迦様は「すばらしい」とおっしゃって、それを認めました。そしてさらに、偉大なる人の七種類の思考にお釈迦様がもうひとつの思考を足しました。その後、お釈迦様が『偉大なる人の思考』というタイトルでこの八つの項目を紹介して、説法したのです

 

仏教の自己紹介

この八つの項目に、「仏教とは何か」がコンパクトに語られているのです。世間のすべての思考、普通の人間の生き方と比較してみると、仏教がいかに尊いのか、いかにすぐれているのか、いかに超越しているのか、ということの説明なのです。くだけた言葉で言うならば、仏教の自慢話なのです。

 

しかし、自慢話は根拠のないホラ話か、きちんと根拠がある事実の発表か、というところがポイントなのです。ホラ吹きの自慢なら批判されますが、事実の発表ならば他人に批判されることはありません。ひとが尊い境地に達したことを、他人が聞いて驚くのです。それから、「自分も頑張らなくてはいけない」と思うのです。

 

そういうことで、『偉大なる人の思考』は仏教の世界では朝晩唱える経典なのです。唱えることで、仏道に励むために、自分自身を奮い立たせてもらう。「我々は暗いことをやっているのではない。普通の俗人には想像もできない尊いことをやっています」と自分自身の修行の糧とする。精進するため、励むためのエネルギーとして使うのです。(本文より)

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

 

※施本は刊行の趣旨に賛同された人々のご喜捨で制作されています。次回刊行に向けてご協力頂ければ幸いです。【協会のお布施窓口】










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#‎jtba‬「不満の発見」





協会のfbより紹介です。





‪#‎jtba‬「不満の発見」

しあわせを探す前に、「なぜこんなにもしあわせになりたいんだろう?」「何か不満でもあるのだろうか?」と、自分に問いかけてほしいのです。自分が見えて くると、具体的に「私なら、これでいいんじゃないか」という発見ができるかもしれないし、より普遍的に「人間ならどういうふうに生きるべきか」という発見 ができるかもしれません。

●photo:Dissatisfied faces - P1030400.JPG(flickr)
▼参考テキスト
迷いを断つ「生きる論」(PHP研究所)
http://www.amazon.co.jp/…/45697085…/jtheravada-22/ref=nosim/
生きとし生けるものが幸せでありますように

日本テーラワーダ仏教協会さんの写真









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【104】 供養は福を呼ぶ Q: テーラワーダ仏教では、亡くなった人への供養 というのはどのようにするのでしょうか。





協会のfbより紹介です。





#jtba「ブッダの智慧で答えます」(Q&A)【104】 供養は福を呼ぶ



釈迦尊の教え・あなたとの対話 疑問・質問・反論のページ 

【104】 供養は福を呼ぶ

 

Q: テーラワーダ仏教では、亡くなった人への供養 というのはどのようにするのでしょうか。

A: 供 養には基本的な法則があります。まず、それを覚えておいてください。供養とは、亡くなった人に自分の徳を供与することです。お布施したり、冥想したり、人 助けをしたり、ボランティア活動したりなど、自分が何か善行為をして、それによって得られた善いエネルギーを回向するのです。徳というのは、幸福になるた めのエネルギーです。供養とは、亡くなった方に幸せになるためのエネルギーを与えるということなのです。

 

例えば、今日は亡 くなった両親のために供養しようと思って、どこかの施設に行く。そこで一日中ボランティアをして、「今日は両親の供養のためにがんばりました。両親が幸せ でありますように」と念じれば、立派な供養になります。お墓に酒を供えたりするよりも、おいしいものを一人暮らしのお年寄りにごちそうしてあげて、その行 為を回向するのです。それがテーラワーダの供養のし方で、自分が徳を積まないと回向はできません。

 

Q: 自分が何か善いことをしたなと思ったら、 自動的 に徳が相手に届きますか。

A: 自 動的には届きません。相手にあげる必要があり ます。そこはお金と同じようなものです。いくら自分にお金があっても、「これを誰々にあげます。どうぞ使っ てください」と言わないと、あげたことにはならないでしょう。そのように、自分が善いことをして、「この功徳を誰々にあげます」という気持ちを作るので す。あるいはちゃんと言葉で言う。その方が、もっとしっかりします。

 

Q: それは独り言というか、言葉に出すということですか。

A: いくらか正式的にした方が、しっかりします。回向の文↓(※註)を 唱えるのはそういうわけです。自分が善いことをした瞬間に、例えば亡くなったおじいさんを思い出して、「私は善いことをしました。その功徳によっておじい さんも幸せでありますように」と思えば、それだけでもおじいさんへの回向にはなります。でも、もっとしっかり回向したければ、仏壇でも写真でもいいから、 亡くなった人を思い出せる場所で坐って、気持ちを整えて回向の文を唱える。そうすると、回向が正式に設定されます。やはりきちんと回向した方が、相手に届 きやすいのです。

 

回向というのは、死んだ人ではなくても、生きている人にすることもできます。自分が善いことをして、「喜んでください」と回向の言葉を唱える。それで相手が回向を受け取ったなら、回向が成立します。

 

Q: 生きている人に回向するというのは、どういうことですか。

A: まず徳ということを理解しておきましょう。「善いことをすると功徳が積める」と言いますが、その「功徳」というのは、「こころの喜び」のことです。善いことをしたら、こころで喜びや充実感を感じるでしょう?  その喜びの気持ち自体が功徳なのです。

 

そ れで、誰かが人を助けたり、こころを育てたりしているのを見ると、他の人のこころも喜ぶことがありますね。「あの人は善いことをしているなあ」とうれしく なる。そうやって人の善行為を認めて喜ぶと、その人にもその幸福な力が入るのです。それは自分の徳を相手にも与えたことになるのです。善い行いをした人 は、善い結果を得る権利を持っています。それを誰かに分け与えることが回向なのです。分け与えるというのは、自分の善い行いを相手に報告して、相手にも共 に喜んでもらうということです。それで相手も幸せになりますので、徳を与えたことになるのです。回向を受け取るということも、人の善い行為を喜ぶ優しい気 持ちだから、善行為になります。

 

Q: ふだん回向する時は、回向の文を唱えればいいですか。

A: それでいいのですが、自分がやった善行為のリス トはそのつど変わるでしょうから、そこら辺は適切に変えたらいいでしょう。

 

Q: そのつど、きちんと、実際の行為に合わせて、唱える言葉を変えた方がいいですか。

A: そうですね。皆で唱えるときは、決まった文言で、皆で揃って唱えればいいですが、自分一人で唱える時は、自分が行った善行為をそこに入れて唱えるといいと思います。

 

Q: 回向しても、相手が受け取らなかったら、その回向はムダになりますか。

A: 「死んだ両親に回向しても受け取ってくれないかもしれないから回向なんかやめようかな」と思うなら、そんなことを思うこと自体が悪いのです。たとえ相手が受け取らなくても、生きている我々は、精一杯回向しなくてはならないのです。

 

ス リランカで、例えば、「お布施して、亡くなった祖母に回向したいのですが、ちゃんと祖母に届きますか」と訊く人がいたら、「あんたはケチだ」とかなり叱ら れます。「それでは回向になりません」と。「あんたはそんなにもケチですか。ではなぜお布施するのですか。こちらも忙しいのだから迷惑だ」と。「回向をす るなら、すべての親戚たちや、回向を受けたい生命皆に、無制限に回向しなさい。その方があなたのこころはすごく大きくなりますよ」と。

 

回向する時は、極端に太っ腹になるのです。ちゃんとその人に届いているのだろうかなどということは考えないのです。日本語の回向の文でも、「神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師、云々、生きとし生けるもの」と、一切の生命に回向しています。

 

た だ実際は、我々が神々に回向しても、神々はそんなことにはほとんど気づきません。神々はすでに天界で幸せにいるのだから、回向してもらう必要もないので す。回向を特に真剣に求めているのは、餓鬼道にいる生命です。餓鬼道というのも非常に大きな生命世界で、こころのランクによってたくさんの次元の世界があ ります。その中に、いつでも「何かいただきたい」という思いでいる餓鬼世界があります。人間は、死んでから、その世界に堕ちることもけっこうあります。先 祖の誰かがそちらにいたならば、「何かもらいたい」と待ちかまえているのです。その世界の生命は誰かに回向してもらわない限り、そこから脱出できません。 だから熱心に回向を期待しているのです。

 

限りない輪廻の中で、私たちの過去というのは余りにも長いのです。だから親戚の数 は半端じゃありません。親戚には二種類います。いわゆる今の自分の家族の代々の先祖としての親戚と、自分が輪廻転生した中での親戚です。どちらも莫大な数 です。そういうわけで、皆に回向したら、両親や祖父母に届くか届かないかはともかく、親戚の誰かには届きます。

 

たいがいの 人は自分の先祖を供養しますから、その徳は親戚しか受けられません。だからそこを心配して、我々は、「誰でも受け取ってください。生命は皆、幸せになって ください」と回向するのです。それも慈しみの行為なんです。本当に神々や餓鬼なんかいるのだろうかとか、それはどうでもいいのです。それよりも、自分が善 いことをして、その幸福を制限を付けずに、すべての生命に配るということ自体が、すごく高度な善行為になります。その気持ち自体がとても優れているので す。だから、せっかく人間に生まれて仏教に巡り会っていっぱい功徳が積めるようになれたのだから、ケチケチせずに思う存分回向することを奨めているので す。

 

Q: テーラワーダの国でも、お盆のように、特に供養する日はありますか。

A: もちろん両親の命日などにお布施したりすることもありますが、我々は、基本的に、毎日回向します。回向は決してマイナスにはなりません。少なくとも自分にとっては必ずプラスになります。自分が善行為をしないと回向できないのですからね。

 

だ から回向というのも、結局、お釈迦さまが人々に善行為を勧めているのです。人間は、ずっと貪瞋痴で生きていたら、堕落することに決まっている。しかし、 皆、せっかく人間になったのに、善行為だけは、なかなかやろうとしないのです。それでも少なくとも、自分の親しい亡くなった人のことは気になるでしょう。 だったら、そのことを思ってでも善行為をしなさい、と。

 

人間というのは、「善行為」と聞くと、何か言い訳して、やらないこ とにするのです。それが普通の人間の生き方です。「今の時代では」とか、「仕事が忙しい」とか、「家族の面倒を見ないと」とかね。それで結局、そればっか りの人生になってしまうのです。それではあまりにも悲しいし、あまりにも虚しいでしょう。

 

一生善行為などしない人でも、お母さんの命日ぐらいは善いことをする気になるでしょう?  他の日は悪事ばっかりやっていても、たとえその一日だけでも善いことをしてほしいのです。悪事ばっかりで生きるというのは、あまりにも人間として残酷な状態なのです。

 

自 分が善いことをして、それを回向したから自分の徳が減ったということにはならないのだからね。回向すること自体も善行為だから、徳が増えるのです。あげれ ばあげるほど増えるということになります。回向すると、こころは大きくなります。自分が人に幸せを与えているのだから。限りなく広く、生きとし生けるもの すべてに回向したならば、こころはギリギリまで大きなこころになります。人のことを恨んだり、憎んだり、自我を張ったりすることは、回向をまじめにやる と、できなくなるのです。

 

Q: 功徳の中の一番の功徳というと、やはり真理を 知るということですか。

A: そ うです。こころを清らかにすること。だから一番高い功徳を積む行為はヴィパッサナー冥想です。これはもう比べられないほどの功徳になります。お釈迦さま は、「ほんの瞬間だけでも今に気づいてみてください。それは何よりの功徳だよ」とおっしゃっています。慈悲の冥想も同じことで、一分間だけでも生命に対す る慈しみが生まれたら、すばらしい功徳になるのです。

 

Q: 回向の文で「慈悲の冥想とヴィパッサナーによって得られたこの功徳を…」と唱える時に、いつも違和感があります。「自分はちゃんとヴィパッサナーができてないのに…」と、欺瞞的な気がするんです。

A: だ から欺瞞にならないようにしようとすることが、自分の修行になるでしょう。そこでがんばらなければいけない。やはり供養することは、何よりもまず自分のた めになるのです。自分がしっかりするのです。今言ったように、欺瞞的にならないようにまじめにがんばろうと思うだけで、自分にはすごく善い結果が出てくる のです。自分を育てようとする人であれば、そこは何とかしようとするはずです。しかし、自分を育てる気持ちがなくて、イライラしてやめたということになっ たら、そこで止まってしまいます。そうならないように、そこをがんばって、自分を育てるチャンスにしてください。

 

(※ 註)回向の文『佛法僧の三宝に礼拝帰依し、戒を守り、慈悲の冥想とヴィパッサナーによって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をは じめとし、一切の生きとし生けるものに回向いたします。この功徳によってすべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。そして解脱が得られますよ うに』

 

(皆さんからの質問を、スマナサーラ長老にお聞きしました)(編集 早川瑞生)










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関西月例冥想会---▼9月21日(月・祝)スケジュール







Mayadevi office    お知らせ






 兵庫県三田市で行われますスマナサーラ長老による法話と冥想の会。午前中は質疑応答形式による法話、午後からヴィパッサナー冥想が初めての方にも丁寧な冥想指導がございます(経験者は各自実践)。※昼食は各自ご用意ください。どうぞご参加ください!

▼9月21日(月・祝)スケジュール
 09:30 お経・質疑応答&法話
 11:30 お釈迦様へ食事のお供え・お昼休憩
 13:20 初めての方へ冥想指導・各自冥想
 18:30 終了
※予約・申込みなく、どなたでも参加していただけます。
※参加費:ご喜捨(お気持ち)
 
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生きとし生けるものが幸せでありますように










Māyādevī Vihāra blog | 11:09:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
慈しみの随念





ひじる日々  のブログより紹介です。






慈しみの随念



慈しみの随念

 

私は、
怨みなく生きてゆこう。
怒りなく生きてゆこう。
悩みなく生きてゆこう。
心から楽しく生きてゆこう。

――こう私が願うように、
私の親しい人々・生命も、
身近にいる人々・生命も、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

これまで出会った人々・生命も、
まだ出会っていない人々・生命も、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

私の苦手な人々・生命も、
私の邪魔をする人々・生命も、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

あまねく全ての人々・生命が、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

誰もが自分を大切にして生きられますように。
すべての生命が善業に導かれ、
苦しみから解き放たれますように。

神霊たち、
人間たち、
祖霊たち、
動物たち、
地獄のものたち、
女性、
男性、
聖なるもの、
俗なるもの、
皆ことごとく、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

誰もが自分を大切にして生きられますように。
すべての生命が善業に導かれ、
苦しみから解き放たれますように。

地に棲まう生命、
水に棲まう生命、
空に棲まう生命、
虚空(こくう)に棲まう生命、
皆ことごとく、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

私の、
前に棲まう生命、
右に棲まう生命、
後ろに棲まう生命、
左に棲まう生命、
上空に棲まう生命、
地下に棲まう生命、
その他の方角に棲まう生命、
皆ことごとく、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

誰もが自分を大切にして生きられますように。
すべての生命が善業に導かれ、
苦しみから解き放たれますように。

動きまわる生命、
じっとしている生命、
長寿の生命、
短命の生命、
大きな生命、
小さな生命、
太った生命、
痩せた生命、
身体の長い生命、
寸詰まりの生命
微細な生命、
粗大な生命、
見ることのできる生命、
見ることのできない生命、
遠くにいる生命、
近くにいる生命、
すでに生まれた生命、
これから生まれる生命、
皆ことごとく、
怨みなく生きてほしい。
怒りなく生きてほしい。
悩みなく生きてほしい。
心から楽しく生きてほしい。

誰もが自分を大切にして生きられますように。
すべての生命が善業に導かれ、
苦しみから解き放たれますように。

生きとし生けるものが、
しあわせでありますように。
生きとし生けるものが、
しあわせでありますように。
生きとし生けるものが、
しあわせでありますように。

Sabbe sattā bhavantu sukhitattā
(サッベー サッター バワントゥ スキタッター)
一切衆生が真咲くあらんことを

パーリ語で つくられた慈しみの随念(慈悲の瞑想)の言葉を意訳して、日本語の文脈に移してわかりやすいように編集してみました。声に出しても、黙読でも、どちらでも よいので、対象を思い浮かべながら、ゆっくりとこの文章を唱えてみてください。終わったら、「この慈しみの随念(ずいねん)の功徳を先祖と一切衆生に回向(えこう)いたします。この功徳によって、生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。そして涅槃に達せられますように。」と回向まですると、なおよいと思います。心の安らぎを経験できると思います。










ひとり言 | 11:01:21 | トラックバック(0) | コメント(0)
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いつもお世話になっております。

 最新号パティパダー9月号はお手元に届きましたでしょうか? 7月号に「ひろば」
欄への投稿の呼びかけがありました。最新号では静岡の会員の方が投稿されていま
す。それから精舎便りでも関西の会員の方の体験談も載っております。ぜひ目を通し
てみてください!

 引き続き会員の方へ投稿は募集しております。日常生活の中で人間関係・仕事・考
え方・ものの見方・生き方などなど、これまでの自分の人生でお釈迦様の教えに出会
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て文章にしてみることで、自分自身の頭の整理にもなりますし、各地の皆さんへの励
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 文章を書くのが苦手という方でも、こちらで編集などお手伝いもさせていただきま
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Māyādevī Vihāra blog | 13:11:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
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