協会の記事ではありません。
サークル仲間の所感です。
<大仏とやっさんとやさしい教え>
アルボムッレ・スマナサーラ著 『ブッダの幸福論』
「この(自らの)人生に意味はない」と言うと、多くの人がしれを人生を悲観した者の言葉だと捉えると思う。そして自分自身の人生には深遠な意味があると考えようとする。でも仏教ではそのようには考えないものらしい。
『人生に生きる意味があるかないかということは、人間が考えることではありません。もし生まれた意味があるならば、それは私たちが真っ先に知っているはずです。調べても調べてもみつからないのが「生きる意味」なのです』とスマナサーラ長老は言われます。
「私は何で生きているのだろう?」と自らに問うことは誰にでもあることかもしれませんが、その問い自体が何の意味も有しない。今、こうして生きているし、 これからも生き続ける。その中で生きる意味を探しても、それはただ不毛なことに過ぎない。それよりも大切なことは他にある。
『ほんとうに問題にすべきなのは、私たちはどのように生きるべきか、ということです。生きる意味を探しているうちに時間がなくなって、肝心の「生きること」ができなくなってしまいます』
そう、今この瞬間に何をすべきかを考えなければならない。スマナサーラ長老の本はいつも難しさがない。示してくれている「してはいけないこと」(五戒)と 「しなければならないこと」(四摂事)はとてもわかりやすく理解しやすい。但し、いくら理解しても実践しなければ意味はない。そこが難しい。