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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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再投稿です。〜お坊様に質問の部〜〜法話・ブッダの九徳についての解説の部〜
 




表示がうまく行かず読めない部分がありました。
元のホームページに行けるようにリンク貼り付けます。

https://sites.google.com/a/j-theravada.net/g-youth/home/situmonnhouwakairogu2011-12-11




再投稿です

Top‎ > ‎     紹介です

質問法話会ログ2011/12/11






質問法話会ログ2011/12/11

2011/12/11 PM14:30ゴータミー精舎1Fロビーにて
写真向かって左がワンギーサ師、右がヤサ師です。
この日は16人の参加者の皆さまと一緒にご法話を頂きました。

〜お坊様に質問の部〜

Q. わたしは子供の頃から見栄っ張りな性格で、時には嘘をついてしまうことさえあります。
仏教を学んでからは嘘をつかないように努めていますが、どうすればこのような悪癖を直すことができますか。

A. 誰でも見栄っ張りな性格はありますね。
嘘も日常生活では、見栄でつくことがありますね。
歳や体重を聞かれると、つい少なめに言ってしまう人もいます。
自分が思っている理想像に近いように言うようにして、
「自分はそうではありたくない」と思うと、嘘だと分かっていても、事実でないことを言ってしまうことがありますね。

人間は独りでは生きていられず、いつも周りに依存して生きていますので、
「周りに良く思われたい」という意識がいつもあり、嘘をついてしまうこともあります。

仏教的に言ったら「無我」ということを教えています。
固定した自分というものはなく、どんどん変っていて、他人に評価されたとしても、それは過去の自分です。
それでも、過去の自分を批判されると、すごく嫌な気持ちになりますね。

自分の生き方を自分自身で確信を持っていられるようになれば、
他人にどう評価されても気にしないでいられるようになります。

自分が見栄を張っていると思うと、直さなければいけないなと意識することもありますが、
自分の生き方に確信を持てるようになれば、そんなこともだんだん少なくなります。


善い行いをすれば善い結果が得られることが分かれば、生き方に自信を持てるようになります。
慈悲の冥想で、自分、周りの人々だけでなく、一切の生命の幸せを願っていれば、
それはどんな人にも批判できることではありません。

「自分は今見栄を張っているんだ」と自己観察すること、
そして慈悲の冥想で慈悲喜捨のこころを育てていけば、
見栄を張ることがバカバカしいことも分かってくると思います。


Q. 能力について
q1.能力は、俗世間の能力と出世間の能力に分類できますか?

a1. そうですね。
俗世間では、出世したい、評価されたいということを実現するための能力があります。
出世間の能力は、解脱した人の完成された能力と、覚りたいと思っている人の、未完成の能力があります。
八正道にも二つあります。正見を育てる能力と、既に正見をもっている人の能力があります。

q2.能力の成長を妨げるのは五蓋だと思いますが、逆に能力を育てるものはありますか。
a2.五蓋は、出世間の能力の成長を妨げます。
逆に能力を伸ばす要因は、先日配布された施本に載っている「七覚支」もそうですが、お釈迦さまが教えている修行方法はすべて出世間の能力を伸ばすものです。

※「三十七菩提分法」と言い、4・4・4・5・5・7・8の数字で覚えます。全て足すと37です。

・四念処(ヴィパッサナー冥想で観察するポイント。身…身体、受…感覚、心、法…こころの対象の4つ)
・四正勤(今までやっていた悪いことを辞める、今までやらなかった悪いことをやらない、今までやっていた善いことを続ける、今までやっていなかった善いことをやる)
・四神足(禅定を獲得できるための4つの修行方法)
・五根(信、精進、念、定、智慧)
・五力(同上、覚りに向かう能力)
  五根、五力の中身は同じですが、五力のほうがいわばレベルが上です。
  信があまり有り過ぎると、智慧を妨げる。また精進と定(禅定)のどちらかに傾きすぎると、もう片方があまり生まれない。バランスを取ることが大事です
・七覚支(念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、軽安覚支、定覚支、捨覚支 これ全部が覚りの要素。また、1つずつ育てていく。最初から定覚支、捨覚支に挑戦することはできない。
最初は念覚支を養成していく。そうするとひとりでに択法覚支、精進覚支へ進んでいく。最初の3つはヴィパッサナー冥想に欠かせない)
  大念処経で、念をそなえ、正知をそなえ…とこの3つが繰り返し述べられている。これらが育つと、冥想が楽になる。
  禅定が出来るようになると、ものごとのありのままの姿が良く観られるようになる。
・八正道
  セットでも大事で覚えることも大事ですが、正精進をしっかり実践すると、ひとりでに正念が、正念をしっかり実践すると、ひとりでに正定ができるようになります。
  施本「八正道大全」を読んでみてください。

〜この中にはよく見てみると同じ意味の項目も含まれているので、厳密には37種類にはなりませんが、並べると37になります。

q3. 能力とは、因果法則を見分けられる力ですか?
a3. ありのままに見られる力、と言ったほうがいいと思います。
ありのままに見られれば、そこに因果法則があります。
どうしたらいいか?ということが、見れば分かるようになります。
ありのままに見られないことが、能力を発揮できない原因になっています。


Q. 疲れについて
「生きることは大変だ」とスマナサーラ長老はおっしゃっていますが、また「気楽に生きて下さい」ともおっしゃっています。
そのときすべきことをやっていれば疲れないのでしょうか。

A. 先の心配をすると、余計なことまでしなければならなくなるから疲れます。
疲れには二つあります。
肉体の疲れと、こころの疲れがあることを覚えておけばいいんですよ。
肉体を使うと、エネルギーが消費されて疲れます。
私たちは無駄なことを心配したり望んだりするから、心が疲れます。
今やることだけやればいいのに、余計なことまで悩む。
人によっては余計なことばかり考える「妄想の悪循環」に陥り、物事を解決できない状況で疲れてしまいます。

Q. 正精進をやれば疲れないでしょうか。
A. 無駄なことをしなくなるので、体が疲れた時ちょっと眠れば治るようになると思います。

Q. 疲れるのは、欲で動いているからでしょうか。
A. 私たちはこころの意欲によって行動しています。
活動すればエネルギーが減って、疲れていきます。

Q. 疲れたら休みますが、何もしなくても疲れが取れないように思います。
A. こころの疲れが取れていないのです。
素直にありのままを観ている状態が、一番安らげます。
とにかく受動観察をします。
肉体や感覚を観察するのですが、まずは何も自分が意図しないで観察します。
よく言われる例は鏡。
鏡は何かを映そうとはしていない。そのように観察していく。

Q. 仏教が目指す境地である覚りですが、今生で阿羅漢まで達することが出来るのは出家者だけであり、
在家は不還果までです。
それなのになぜスマナサーラ長老は在家にも「覚りを目指せ」というのでしょうか。
在家は何を目指して仏教を学んでいけばいいのでしょうか。

A. まず、長老は「覚りを目指せ」と言ってますでしょうか?
覚らなくても、仏教を学んで冥想などを実践すると、こころが成長して、より充実した生き方ができるようになります。
そういう修行をやっていけば、段々と覚りに向かう、ということを言っています。

覚りには、テーラワーダ仏教では4つの段階を言っています。
第一段階目の預流果という覚りもあります。
在家の人でも、真面目にやれば預流果に覚ることができます。

どの段階を目指すにしても、その人は充実した生き方ができるのではないでしょうか。

預流果を目指そうとしなくてもいいんです。
怒りや不必要な妄想をなくしていけばいいんです。
「覚りを目指そう」なんて、むしろ思わないほうがいいんです。
覚りが分からないのに覚りを目指したら、あの死刑囚をたくさん出した教団のように、変なことになってしまう可能性もあります。

質問が「阿羅漢にならなければダメ」という変な考え方になっています。
就職活動でも、この会社でなければダメといっても、入りたくなかった会社に入ることもある。
でも、そこで能力を発揮できれば良かったことになります。

Q.お釈迦さまが、自分を好きであれば自分を守るように、そのように一切の生命に慈しみの気持ちをもつようにとおっしゃっています。
慈経でも眠っているとき以外は慈悲の念をもつようにとありますが、
眠っている時はどのように自分を守ればいいのでしょうか。

A.「自分を守る」には、自分のこころを守ることでもあります。
慈悲の実践以外にも悪いことをしないようにすること。
「悪いことをしない」というと消極的な表現のようですが、することは沢山あります。

眠っている時は許されているんだから、夢の中で悪いことが起きても文句は言われません(笑)
起きている時に慈しみの気持ちを持っていれば、眠っていても悪いこころが起こらないようになります。


〜法話・ブッダの九徳についての解説の部〜

※日常読誦経典を参照しながらこの説法を頂きました。

私達がお釈迦さまに礼拝して唱えているのは、こんな意味があるんですよということを説明します。
(1)阿羅漢:一切の煩悩を滅尽し、神々・人間の尊厳、供養を受けるに値する方
車輪に軸があり、スポークがある、このスポークを全て壊した存在。車輪は「輪廻」の喩えです。
供養を受けるに値する:お布施をするとすごい功徳がある。
一切の悪いことを隠さない。
だれも見ていなくても、全く悪いことをしない存在

(2)正自覚者:完全たる覚りを最初に覚って、その悟りへの道を他に教えられる方
自分で覚った方には二種類いらして、独覚と言って自分で覚るんだけど人を覚りに導けない方、それとお釈迦様のように人を覚りに導いた方がいらっしゃる。

(3)明行具足者:八種の智慧と15種の行「性格に関する徳」が備わっている方
ヴィッジャー:智慧
アラナ:行為、行動、性格
サンパンノー: 備わっている方
八種の智慧(八明): 八種類の神通力。無常、苦、無我を観ることが出来る智慧。他者を自分の思い通りにコントロール出来る智慧。空を飛んだり、地下に潜ったり、色々なものに変身したり出来る智慧。遠くの音や小さな声を聞くことが出来る智慧。他人の心を読むことが出来る智慧。自分のこととか他人の事とか、過去生を知ることが出来る智慧。普通肉眼で見えないような遠いところや、微小なものを観ることが出来る智慧。一切の煩悩を滅し尽くすことが出来る智慧。
15種の行「性格に関する徳」、お釈迦様の性格を表している:戒律をきちんと守ることが出来ること、貪欲や怒りの煩悩が生じないよう、六根を守ることが出来ること、食事において適量を知ることが出来ること(こんちん睡眠を防ぐ意味でも大切)、不眠の努力(全然眠らないということではなく、惰眠を貪らない)、仏法僧の三宝・因果律を信じている・納得している性格、悪事をすることを内心に恥じる・コントロールできること、悪事をすることを外部に恐れる性格、知識が多くの分野に及ぶ・偏りなく知識豊かな人であること、覚りを得る目的に向かって正しく努力する・悪を取り除く努力が出来る人(精進)、常に気づきがあること(念)、智慧がある・真理をきっちり観ることが出来ること、初禅〜第四禅を備えていること(←これで4項目) 以上で15

q. 「六根を守る」には私たちはどうすればいいのでしょうか?
a. 気づきを保つこと。ヴィパッサナー冥想指導のとおり音は「音」と観察して止めること。
 戒律も、足かせに感じる人もいますが、お酒を飲まないことも、結局は自分を守ることになります。
 仏教はすべて私たちの心を守ることだと思います。

(4)善逝:正しく涅槃に到達した/善く修行を完成した/正しく善い言葉を語る方
ス:正しい、善い
ガトー:行った、到達した
涅槃に到達した、ということ。よく修行を完成して、涅槃に向けて正しく歩んだ

我々は時々嘘をついたり、他人の不利益になることを話すこともありますが、お釈迦様は、たとえ相手が聞きたくないことであっても、相手の利益になることや、真実であることをお話しした。
心地よい言葉でなくても、真実であれば語ったといいます。
かりに真実であっても、利益がなければお話にはならなかった。相手の幸せにつながることでなければお話にならなかった。

q. 嘘をつかない、無駄話をしないといった戒めを守ろうとすると、一日中かなり無口でいたほうがいいように思いますが。
a. お釈迦様が話さないほうがいいとした項目(政治の話、ゴシップ等々)を見ると、仏教の話以外は殆ど話せなくなります。
 普段、会社勤めなどをしていると人間関係がある。
 頭の片隅に「人間関係を円滑に進めます」という意識、視点をおいて話せばいいと思います。
 とりとめもなく政治の話やゴシップを話すのではなく、自分を客観的にコントロールしてみてください。

q. ある人に真実を話すように求められるが、真実を話せば相手が怒っていることが分かっている。そのときはつい嘘をついてしまう。
 それで心が汚れてしまう。
 相手が怒ると分かっていても、戒を守った方がいいのでしょうか。
a. 真実だと分かっていても、「足が短いですね」などと言ってもしょうがない。
 慈しみの実践
 裁判で真実を述べなければならない時に、相手がヤクザだとちゅうちょする。
 具体的な事例に向き合った時にどのような言葉を話すかを決めるために、ヴィパッサナー冥想で瞬間の智慧を開発しています。
 ヴィパッサナー冥想は、私達を幸せに導くものであり、智慧を開発するもの。
 そうでないと、何かあった時にいつまでもお坊様に依存するというのは違うと思いますしね。

q. 結局、仏教は何を目指しているんですか?五戒を守らない人とのつきあいを避けると苛められます。
a. 幸せを目指すんですね。究極の幸せは涅槃ですが、やわらかく言うと幸せを目指すことですね。
 無限に老・病・死を繰り返しても意味が無いんじゃないということもあり、究極のターゲットとして涅槃を目指しているんですね。
 仏教にはいろんな智慧を開発する技術がありますから(慈悲の冥想など)、取り組んでみて、周りの反応を見てみてください。

(5)世間解(1.宇宙2.衆生3.諸行という3つの世界を知り尽くした方)
1.宇宙空間の世界(あらゆる生命が生活する世界)
2.一切の生命
3.宇宙や生命が変化している世界
〜簡単に言うと、我々が生きている世界ですね。
お釈迦様は我々が生きている世界の問題を解いた。

(6)無上の調御丈夫(人々を指導することにおいては無上の能力を持つ方)
ミャンマーや大乗仏教で、「アヌッタロー」で分けて十徳と数えるケースがあります。
アヌッタローで「この上ない」、プリサ「人々」、ダンマdamma「調教する、訓練する」、サーラティ「リーダー、導く人、運転手」

(7)天人師:人間、超次元的存在
サッター:先生
デーワ:神々
マヌッサーナン:人々

(8)覚者
煩悩をすべて滅している方

(9)世尊:全ての福徳を備えた方
六つの福徳を備えた方と言われています。
自分に従わせる徳、涅槃・出世間の道が分かり人を導くことが出来る徳、
名声・良い評判、吉祥・見るからに違う存在(仏旗の五色はお釈迦様が覚った時のオーラの色)、
期待通りに全てを成就することが出来る徳、物事を成し遂げるために努力精進できる徳

お釈迦様と教えがなければ、私たちは苦しみを脱する方法が分からなかった。
仏像そのものには意味が無い、パワースポットでもないし、何か願いを叶えてくれるわけでもないですが、
ブッダの九徳の意味をかみしめて、感謝の気持ちをもって礼拝してみてはと思います。

Q. 「徳」の意味は?能力でしょうか。
A. 英語だとメリット。「いいこと」(悪いことじゃなく)と理解してもらってもいいと思います。
私たちは功徳を積んで、マイルを貯めるようにいいことを貯めてますよね。善いエネルギーのような感じ。

「損得」という観点で、お金を求める人もいれば、充実感のある生き方を求める人もいます。
程度の低い目的ではなく、高級な目的に対しての損得を考えると、ブッダの九徳が理解しやすいと思います。

現代日本人には「徳」という概念があまり無いので、何だろうと思ってしまうことがある。
生命には業があり、行為に結果があります。
善い結果を生む、幸せになるためのエネルギーというふうに考えてみてはどうでしょうか。

徳を積むと冥想がやりやすくなったり、集中力が高まってきたりします。

物質エネルギーは分けると減りますが、こころのエネルギーは、分けるとどんどん増えていくという性質を持っています。
お釈迦様の徳を理解すれば、私たちのこころの善いエネルギーも高まっていきます。成長の糧になります。


〜ログは以上です〜

生きとし生けるものが幸せでありますように






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