ヤサ先生「仏教法話会」 ガイシ 第一和室
法話会(ヤサ比丘)
★「茶話会(親睦会)」のお知らせ
午前10時から法友のみなさんの集いがあります。
花まつりの説明打合せ11時からします。
※自由参加、昼食は各自ご用意ください。
*残念ながら 初心者冥想指導はありません
【お問い合わせ】 東海ダンマサークル
電話:090-7316-634
電話:090-2133-049
メール quiet-place.366
協会のfbより紹介です。
#jtba【ご紹介】新着 巻頭法話「ウェーサーカとは花まつり」前篇
●成功することが楽しい
五月はウェーサーカ祭の月になります。ウェーサーカ祭とは釈尊祝祭日です。お祭り好きな仏教徒にとっては最高にありがたいお祭りになります。仏暦は五月の満月から始まります。ウェーサーカとは、その月の名前です。
人間が何かの目的をめざして努力して、その目的に達したら、たいへんな喜びと充実感をかんじるのです。感激するのです。努力が実ることが、人間にとっては喜びなのです。努力しても結果が無く失敗したら、悲しみに陥るのです。ひとは努力するならば、結果が現れるまであきらめず精進するべきです。これはお釈迦様の言葉です。
●最高の成功を祝いましょう
輪廻転生する生命にとって最高の目的といえば、輪廻転生を脱出して解脱に達することになります。他のすべての目的の価値は、これ以下です。結果も一時的です。この世で最初に最高の目的に達したのはお釈迦様です。それからその方法をお釈迦様が我々に説かれたのです。ですから、お釈迦様の成道はすべての人間にとって最大の出来事になります。
お釈迦様の教えを実践しない・信頼しない人々が関係ないと思われるのは当然のことですが、仏教徒にとっては、お釈迦様の成道より優れた聖なる出来事はありません。ウェーサーカ祭は基本的に、成道を祝う法要なのです。俗世間的な祭りをするよりも、その記念日に皆、修行しようと励むのです。
それに加えて、お釈迦様の降誕も同じ日に祝うのです。それがお釈迦様にとって輪廻転生の最後の生まれだからです。この生まれで、無限の輪廻を終了するのです。ゴール・目的に達するのです。覚りをひらくという出来事が最高のゴールに達することであるならば、最後の挑戦に必要なすべての資格を揃えて菩薩として人間界に生まれることは、当然、最大の出来事です。覚りをひらいてから肉体の寿命が終わるまで、皆に真理を語りながら遊行の生活をなさったのです。
80歳になったところで、お釈迦様のお身体の機能は停止したのです。偉大なるお釈迦様の場合は、亡くなったとは言わないのです。般涅槃されたと言うのです。死という言葉は輪廻転生する一般の生命に使う単語です。ですからお釈迦様が亡くなられたことも、最終的なゴールなのです。
というわけで、南伝仏教ではウェーサーカ祭に降誕と成道と般涅槃という最大の出来事三つをまとめて祝うのです。仏教徒にとっては新年なので、皆に新年の挨拶もするのです。仏暦2558年になりました。お釈迦様の無量の慈しみの祝福が皆様にありますようにと誓願いたします。仏法僧に護られているという確信があれば、いかなる悩みも乗り越えて平安に過ごすことができるのです。
●花見の見方
いま五月のパティパダーの巻頭法話を書いているところです。しかし今日は、四月一日です。東京の桜は満開になっている日です。ゴータミー精舎の前に桜並木があります。満開でとても美しいです。
ふだんあまり人のいないこの細い緑道が、今日は多くの人々で賑わっているのです。みな花見を楽しんでいるのだと言うのは、表向きの話です。食べるものとお酒をたくさん持ってきて、ゴータミー精舎の前で飲んだり食べたりして遊んでいるようです。落ち着いておとなしく花を楽しむ様子は見えません。みなお互いに仲良く遊んで、興奮して楽しんでいることだけは確かです。花の美しさは後回しです。
私も顔をあげて桜並木を見ました。花が一斉に咲いていました。美しい光景でした。しかし、満開の日なのにチラチラと花びらが粉雪のように落ちているのです。地面を見ると散った桜の花びらでじゅうたんのようになっているのです。桜の花は力いっぱい咲いて、次に散って落ちるのです。
満開の花を見て楽しむべきか、粉雪のように落ちる花びらを見て楽しむべきか、という疑問が生じます。生を楽しむのでしょうか。それとも死を楽しむのでしょうか。疑問でしょう。つづく
●photo:Cherry Blossoms by Werwin15<flickr>
▼参考テキスト
「ウェーサーカとは花まつり」~花はこころを真理に目覚めさせる~
http://www.j-theravada.net/howa/howa231.html
~生きとし生けるものが幸せでありますように~