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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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食事の観察 ~ それは最強の瞑想





協会の記事ではありません。
ポンタ丸さんのブログより紹介です。

心を洗う







食事の観察 ~ それは最強の瞑想

 

びっくりするほど智慧があらわれる(らしい!)

 

今回は「最強瞑想!食事の観察」をご紹介いたします。 

「食事の観察」のやりかた

  

「食事の観察」は瞑想ですので、やはりさまざまな条件がございます。

その条件を満たして観察することで【智慧】がド~ンとあらわれてまいります(とのことです)。

ですから、やるからには条件をきちんとまもって実践してまいりましょう。

 

条件

 

条件1: 食事(朝、昼、夜)からひとつをえらぶ(間食はNG)

条件2: 最低45分くらい時間をかける

条件3: その間、誰とも一言もしゃべらないようにする

条件4: 実況中継しながら食べる

 

ここで注意したいのが、「~しながら~する」ということはやらないということです。

例えば「箸をもちながら、口の中のものをかむ」というようなことはNGです。

 

ひとつずつ行為する(one by one)というのが「食事の観察」の肝になりますので、一コマを一コマを完璧に実況中継しながらおこなっていってください。

では、上の条件を理解したうえでやり方をみてまいりましょう。

  

続きはこの中
http://ponta-maru.com/saikyoumeisou-syojinokanstu/









心を洗う | 17:10:13 | トラックバック(0) | コメント(0)
#jtba「ブッダの特性・特色・特長」~ブッダの九徳~





協会のfbより紹介です。





#jtba「ブッダの特性・特色・特長」~ブッダの九徳~

Iti pi so bhagavā arahaṃ sammā sambuddho vijjā caraṇa sampanno sugato loka-vidū anuttaro purisa damma sārathi, satthā deva manussānaṃ buddho bhagavā’ti
【かの世尊は、阿羅漢であり、正自覚者であり、明行足であり、善逝であり、世間解であり、無上士であり、調御丈夫であり、天人師であり、覚者であり、世尊である】

 このパーリ語の仏陀を表す言葉は仏陀の九徳として知られているものです。しかし、日本訳の注では『仏の十徳でありまた十仏名として知られる』とあります。実は、十ではなく九徳なのです。
①Iti pi so bhagavā arahaṃ<かの世尊は、阿羅漢であり>  日本訳で「阿羅漢」というこの言葉は、特別な仏教用語ではありません。当時の一般的な冥想の世界を探検した宗教家たちが理想的な境地を表すために使っていた言葉なのです。冥想修行して完全な理想に至った人はみなアラハンと言う。それを仏教でも使って仏教的な定義をしているのです。
 宗教家、特に当時のインドの修行者たちはみんな正直者でした。ただ金のために、有名になるために、あるいは食べるために、宗教家を目指すようなニセ者はいなかったのです。ほとんどの人々は財産を捨てて、体ひとつで修行に出た人々なのですね。だからかなり正直で、誰も軽々しく「私はアラハンになりました」とは言わない。修行する、納得いかない、また修行をする、ずっとアラハンを目指して頑張っている。つまり普通は、修行中の人々は公言しないものなのです。
 お釈迦さまは真理を悟ったのだから「アラハンになりました」と言ったのですが、それで疑った人々もいるのです。「ものすごく長い間修行してきた大変な年寄りの仙人たちも自分がアラカンだと名乗っていないのだ。あなたは若いくせによく言う」というふうにお釈迦さまに詰問した人もあります。ということは、いかにこの言葉自体が大変な言葉かということです。それを堂々とお釈迦さまに使っている。いわゆる、完全に悟っているという意味なのです。
②次の言葉は、sammā sambuddho<正自覚者であり>  人類の中で、自分の力で完全に悟った初めての方という意味です。悟りを開けば誰でもブッダ、覚者と呼ばれますが、自力で悟った初めての独覚者という意味で、正自覚者というのです。
③vijjā caraṇa sampanno<明行足(明行具足者)であり>  日本語で「明行足」。この日本語はどういう意味か分かりませんね。一般的な意味は、「明」は「智慧」、「行」というのは「性格」なのです。智慧も性格も完成している。それも人間として必要なポイントなのです。
 世間には、頭はいいが性格が悪い人々がいるではないですか。一方、性格はいいが頭は駄目という人もいて、なかなか両方揃わない。それは世の中で普通にあることなのです。例えば、頭は悪くて判断能力は鈍いし何かやったら失敗する人は、性格でそれを補う。あまり激しいことは言わないし、みんなに親切にふるまったりして、人々から性格は立派だ、正直者だというふうにほめそやされる。でも何かあったら相談に乗ってくれるかというと、それは無理です。逆に頭のいい人々は乱暴でわがままでいい加減で、性格は悪い。そうすると人々は、あの人は頭はいいが性格はもうひとつだというふうに言う。完全な人というのは智慧も抜群に完成して、そのうえ性格も完成しているという意味なのです。
 本当の注釈はそれだけでは終わりません。明行具足というのは二、三時間かけても説明できないほど大変難しい仏教の専門用語なのです。注釈書ではお釈迦さまの「明」とは何か、「行」とは何かをはっきりと定義しています。お釈迦さまが身につけていた「行」というのは性格というよりも冥想の力なのです。大変な冥想の達人で、ありとあらゆる精神的能力を持っていたのです。それに付け加えて、智慧もありました。
 ここで皆さまの場合は、「智慧もあって、人格も完璧で正しい」という一般的な理解で十分だと思います。
④sugato<善逝であり>  スガトーは、「善逝」と訳しています。sugata は、注に「正しく行ったこと」とあります。gata というのは「行」。出家者ですから修行はもう完全に卒業しましたという意味なのです。お坊さんが経典を勉強する場合は、ものすごく厳密な専門的な注釈は別にあります。でも一般的な理解では、自分の仕事は完成しました、というぐらいの意味で結構です。
⑤次に、loka-vidū<世間解であり>  この伝統的な訳は、「世間解」。「解」というのは、理解している。「世間」というのは生命のことです。人々のこと、生命の問題はもう解いてしまっているのです。現代風に言えば、「命」という大きなテーマは何ですか、とみんな宗教の世界で探しているでしょう。「私は誰ですか」、「命って何ですか」、「死んだらどうなるのですか」、「なぜ生まれてきたのですか」、というふうにどんな宗教の世界でも扱う問題がありますね。神に創造された宗教でも、「死んだら地獄か天国に行く」とか、人間の問題を語るのです。
 ですからこの「世間解」というのも、もう生命という問題を解決した、人間の問題を解いてしまったという意味になります。パーリ語でもうひとつ、すべてのことは知っているという意味もあります。
⑥anuttaro purisa damma sārathi<無上士であり、調御丈夫であり>  これは、「無上士であり」ではなくて、「無上調御丈夫」と私たちは一緒に読みます。anuttaraというのは「偉大なる」。日本訳の「無上」は「この上ない」ということ。sārathiというのは「リーダー」という意味です。purisaの意味は「人々」。dammaというのは「調教」のことです。
 ブッダは我々の性格をたたき直して立派な人間にする調教師なのです。知らないことを教えてくれるだけでなく、弱みやゆがみだらけの情けない我々の人格をたたき直して立派な人間にしてみせる先生なのです。だから、お釈迦さまに勝る先生はいないという意味です。
 優しくみんなにニコニコ顔して性格のたたき直しはできるわけはないのです。イエス様はものすごく親切で優しい受難の方として描かれていますが、お釈迦さまは大人しく黙って自分一人でみんなの苦しみを受け入れるのではないのです。それは、お釈迦さまが失礼で乱暴だという意味ではありません。本当に人のことをものすごく心配していたのですが、心配したからこそみんなに怠けは認めない。お釈迦さまはこの上なく厳しい調教師でした。
⑦次に、satthā deva manussānaṃ<天人師であり>  「天人師」とあります。これは人間の先生と言うだけでなく、天にも先生だと限りなく威張ってしまう。「神々であろうが出てこい、教えてあげるのだ」と言うのです。
 何故そんなことを言いますかというと、宗教は人間がすごくレベルを低くして尊い神に祈るというのが、一般的な宗教の形でしょう。祈りというものは宗教には欠かせないものです。でも仏教には神ヘの祈りはありません。反対のことを言うのです。祈ってかなうならみんな祈ればいい。「金持ちになりたい、きれいになりたい、年をとりたくない、病気になりたくない、死にたくはない」等々祈ってなれるのだったら、そんなことはみんなやるのだと。ですから仏教は祈りの宗教ではないのです。
 そのお釈迦さまの特色、仏教の特色を言うために、神も入れなければいけないのです。「人間の師は、神に対して何者か。神のしもべですか、あるいは神の使者ですか」という問題が出てくるでしょう。それにきれいに答えるのです。「神も出てこい、教えてあげます」と。ここでほかの宗教と、お釈迦さまがこれから教えようとしている仏教の違いを明確にしているのです。
⑧buddho<覚者であり>  ブッダというのは「智慧の完成者」ということ。
⑨bhagavā<世尊であり>  バガヴァーというのは徳が高い人、尊敬に値する人です。日本訳で「世尊」であると書いています。このバガヴァーもインドの一般的な言葉です。宗教家に敬語を使う場合はいまだに、バガヴァーという言葉を使います。並の宗教家には使いません。例えば皆さまも知っているサイババさんのようにかなり人気のある大物にだけ使います。



▼引用テキスト 「沙門果経(2)」第1章 王様の質問

http://www.j-theravada.net/explain/syamonka-1.html

「沙門果経」(サンガ文庫) http://amzn.to/2er2ncm


~生きとし生けるものが幸せでありますように~










facebook | 17:08:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
『すべての生命に生きる権利が平等にあると認めることで、自分以外の生命も幸せであるようにと願うことが出来るのです』





協会の記事ではありません。
サークル仲間の所感です。
 <
大仏とやっさんとやさしい教え>





『すべての生命に生きる権利が平等にあると認めることで、自分以外の生命も幸せであるようにと願うことが出来るのです』

週末、東海ダンマサークルの初期仏教デーに参加しました。いつも通り前半はスマナサーラ長老のご法話。長老が質問を募られると「自我の強い人とはどのように接したら良いのでしょうか?」という問いがありました。

スマナサーラ長老は「常に人は他者を自分の思い通りに動かしたいという願望を持つけれど、そのような希望や期待は、悩みや苦しみを生じさせるだけのもの。それを手放すことで自らの内にある苦はなくなるのです」とおっしゃられました。確かに、誰もが他人を自分の思い通りに動かしたいと考えます。そして自分にとって都合の良い人間に変わって欲しいと願います。でも、他人が自分の都合になど合わせてはくれないものです。こうして冷静に言葉にすると、他人が自分の思い通りに動いてくれるなどあり得ないことだとわかりますが、普段の心はそう思わないから不思議です。

「生命はすべて対等に存在するものであると認識し慈しむこと」

これを目指さす必要があるのです。

ところで、スマナサーラ長老はよくゴキブリのお話をされます。今回のご法話の中でも、ゴキブリが登場しました。長老曰く、ゴキブリにも平等に生きる権利があると認めると、なぜか部屋からゴキブリがいなくなる。自ら消えるとか。

誰もが毛嫌いするゴキブリだけど、追いかけ回さず放っておくと、彼らはかなり面白い。昨年夏、我が家に3匹のゴキブリが暮らしていた。縄張りでもあるのか、廊下、台所、洗面場にそれぞれ1匹ずつ。廊下のゴキブリはいつものろのろと散歩したり、たたずんでいたりで、気をつけないと踏んでしまいそうになった。台所のは、食事中にテーブルに飛び乗られ、僕の手にぶつかったことがあって迷惑したけれど、それ以外は大人しかった。テーブルの上をすまして(たぶんそんな感じ)歩いていたときに、何かにつまずいて転びそうになったのを見て大笑いした。もう一匹はいつも洗面場とお風呂とを行ったり来たりしていた。

同じことを人から聞いたことがある。その方もゴキブリを追いかけることはしない人で「部屋のゴキブリは走らずいつもゆっくりと歩いている」と言っておられた。彼らは自分への殺意を感じないと、急ぐことなくのんびり行動するらしい。


画像に含まれている可能性があるもの:海、空、雲、鳥、屋外、自然、水









大仏とやっさんとやさしい教え | 09:38:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
スマナサーラ長老 ”さまざまな「日々是好日」経” 講義メモ





協会の記事ではありません。
nāgita
のnoteより紹介です。





スマナサーラ長老 ”さまざまな「日々是好日」経” 講義メモ

ひじる日々 スマナサーラ長老 法話メモ

“さまざまな「日々是好日」経”講義メモ

2014年01月23日
新宿朝日カルチャーセンター講義
スマナサーラ長老

 

■『「日々是好日」偈』

Atītaṃ nānvāgameyya, nappaṭikaṅkhe anāgataṃ;
Yadatītaṃ pahīnaṃ taṃ, appattañca anāgataṃ.
Paccuppannañca yo dhammaṃ, tattha tattha vipassati;
Asaṃhīraṃ asaṃkuppaṃ, taṃ vidvā manubrūhaye.

過去を追いゆくことなく また未来を願いゆくことなし
過去はすでに過ぎ去りしもの 未来は未だ来ぬものゆえに
現に存在している現象を その場その場で観察し
揺らぐ(執着する)ことなく動じることなく 智者はそを修するがよい

(以下後述)

 

■阿羅漢方の解説

サミッディ尊者のエピソード:パーリ経蔵の中部(マッジマ・ニカーヤ)には、131.Bhaddekaratta-suttaのほかに、登場キャラを変えた「日々是好日」偈に関する経典が3パターン(132.Ānanda­bhaddekaratta-sutta,133.Mahākaccāna­bhaddekaratta-sutta,134.Lomasa­kaṅgiya­bhaddekaratta-sutta)出てきます。なぜでしょうか? もしや、大事なので必ず憶えなさいという意味じゃないでしょうか? 因果法則に関する経典は繰り返しが大量で、3回どころじゃないありません。「日々是好日」偈はマッジマ・ニカーヤで四回も繰り返し取り上げられています。つまり、これはとても重要な経典(偈)なのです。今日は133 Mahākaccāna­bhaddekaratta-suttaを取り上げます。

 

■マハ―カッチャーナ「日々是好日」経(Mahākaccāna­bhaddekaratta-sutta)

早朝、沐浴中のサミッディ(Samiddhi)長老のところにある神が現れます。

神:「あなたは、「日々是好日」偈とその分析を憶えていますか?」
サミッディ長老:「知りません」 
神:「私も知りません。でもあなたは聴いて憶えておきなさい。解脱(精神の解放、自由)に達する教えですよ」

ここで「憶えておく」というのは、教えと一体になるくらい脳に叩き込むことです。だから繰り返し唱える。それで心がどんどん変わって解脱に達するのです。

サミッディ長老は、釈尊に偈を教えてもらいます。しかし、お釈迦さまは詳しい説明なしに帰ってしまいます。そこでサミッディ長老は、マハーカッチャーナ(Mahākaccāna)尊者に解説を頼むのです。

マハーカッチャーナ長老:「法主釈尊から直々教えを受け取っておいて、なぜ解説を頼まなかったのか?」
サミッディ長老:「でも尊者は釈尊にも認められている方ですから。もったいぶらずに解説してください。」

 

■過去を追いゆく とは?

ここから、マハ―カッチャーナ尊者が「日々是好日」偈について解説します。

「かつて私の眼はこのようなものであった。色(見られるもの)はこのようなものであった」と想います(妄想します)。

過去の眼と色(見たもの)についてあれこれ妄想するのです。

「彼の認識は愛欲(chandarāga)と繋がります。」

いくら過去を思い出しても、その時に比べていまの感覚は衰えています。だから過去の認識に対して愛欲(chandarāga)を感じてしまう。引っかかってしまう。昔は良かったなぁ、という気持ちが起きてしまうのです。

「認識が愛欲と繋がったので、《そこに》喜び・愛着(abhinandanā)をおぼえる。」

聖者は過去を忘れるということではありません。記憶に気持ち(感情)が入っているかどうかで、聖者と凡夫が分かれるのです。無執着の人は、過去のデータ・経験を思い出しても、それに伴う感情は起こらないのです。

「《そこに》愛着をおぼえるとは、過去を追いゆくことです。」

 過去の眼と色 → 愛欲
 愛欲 → 喜び・愛着
 喜び・愛着 → 過去を追う

以上のように、耳と声、鼻と香、舌と味、身体と触(硬さ・熱)、意と法(諸現象)の関係も説明します。

■過去を追わない とは?

眼耳鼻舌身意それぞれの識について思い出しても、それらに対する認識が愛欲と繋がらないのです。愛欲が無い場合は喜び・愛着もありません。過去の感情を蘇らせないのです。

 

■未来に期待する とは?

「未来、私の眼はこのように、色はこのようになることでしょう、と、未経験の、得ていないものを経験するために、得るために心を働かせるのです。」

「こころを働かせると、そのことについて喜び・感情が起こる。」

例:「マイホームを作るぞ」と思った時点でマイホームができたような気分に浸ることです。実行できるか否かは関係ありません。食べてないのに美味しく感じる、という話です。できるかどうかわからないことに欲・怒り・憎しみなどをつくって心が汚れるのです。

「喜び・愛着が起こるとは、未来に願いをかけることです。」

以上のように、耳と声、鼻と香、舌と味、身体と触(硬さ・熱)、意と法(諸現象)の関係も説明します。

過去や未来について感情をつくることで「いま」のこころが汚れるのです。いつでもダメージを受けるのは「いま」のこころです。そういう危険なカラクリについて説明しているのです。

■未来に期待しない とは?

「眼耳鼻舌身意が色声香味触法に触れて起ころうとする認識に対して、《このようになればよい》と期待しない、願わないことです。」

「(これから)○○します」はOKです。でも感情をつくらないこと。

 

■現在(の状態)に執着する とは?

「この眼、この色(見えるもの)は現在です。この現在に対して、認識が愛欲で汚れる(結ばれる・繋がる)。」

「愛欲に染まった認識はそこに喜び・愛着をおぼえる。愛着が起こるとは現在に執着することです。」

欲だけではなく、怒り・憎しみ・恨み・嫉妬なども同じ接着剤なのです。

以上のように、耳と声、鼻と香、舌と味、身体と触(硬さ・熱)、意と法(諸現象)の関係も説明します。

現在においても、六つのチャンネルで、あらゆる処から接着されるのです。

現在(の状態)に執着しない とは?

眼耳鼻舌身意と色声香味触法の関係という現在の現象に対して、こころは愛欲を作らない……。

現在に愛欲→喜び・愛着をつくっても、現在はすぐに消えてしまうものです。執着できないのです。(執着したら、)今を生きられないのです。

Asaṃhīraṃ asaṃkuppaṃ, taṃ vidvā manubrūhaye.
揺らぐ(執着する)ことなく動じることなく 智者はそを修するがよい

過去・未来・現在に執着をつくることなく、元気いっぱいに今を生きてみましょう、という教えです。

Ajjeva kiccaṃ ātappaṃ, ko jaññā maraṇaṃ suve;
今日こそ努め励むべきなり だれが明日の死を知ろう

これができると、頭がものすごく鋭くなります。

Na hi no saṅgaraṃ tena, mahāsenena maccunā.
されば死の大軍に 我ら煩うことなし

死の大軍:我々に死をもたらす原因は無数にあります。生きられる原因はほんのちょっとしかない。そういうわけで「死の大軍」というのです。

瞑想の言葉:「生は極めて不確かなもの。死だけが確実です。」確かなものとは、「私は瞬間瞬間、歳をとります、そして死にます」という事実だけです。

Evaṃ vihāriṃ ātāpiṃ, ahorattamatanditaṃ;
昼夜怠ることなく かのように住み、励む
Taṃ ve bhaddekarattoti, santo ācikkhate muni.
こはまさに「日々是好日」と 寂静者なる牟尼は説く

これが聖者の生き方です。
こころに感情が生まれないから、自由・安穏なのです。

 

■補足

「日々是好日」偈について、釈尊の説明は《自我の錯覚でひっかかるなかれ》という「哲学的」な解説でした。マハーカッチャーナ尊者の説明は《認識する時にひっかかるなかれ》という認識論的な解説になっています。尊者の解説について、釈尊も後でそのとおりと認めました。仏教では両方から説明しますが、後者の説明が多いのです。結局は「認識」ですからね。

こころが動じない(asaṃkuppaṃ)とは、「こころが汚れない」ということです。認識によって、常にこころは揺らいでいる=汚れている=感情をつくっているのです。区別は知識能力によるものです。差別は感情が入っています。(英語だとどちらもdiscriminate という単語を使うので困ってしまいます。)

仕事に対して「興奮しない」とは、「しっかりやっている」ということなのです。動じない、揺らがない、というのは素晴らしいことです。(終わり)

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~










ひとり言 | 10:47:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
1/22---スマナサーラ長老『名古屋初期仏教デー』(日本ガイシフォーラム)






 1/22  名古屋初期仏教デー
 
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日本ガイシホーラム 】    和室   スマナサーラ長老

13:00-----------受付開始
13:30-----------開始  前半経典読誦・法話・質疑応答
15:30前後-------休憩15分程度
15:45-----------初心者冥想指導<途中休憩無し> 
            
     各自冥想実践
19:00
~19:30----------後半経典読誦(7ページ)+
          祝福のお経授受  
       後 
終了予定 (都合によります)。

【参加費】
ご喜捨 (参加当日、受付にお渡し下さい)

(地図)

日本ガイシフォーラム 交通アクセス

http://www.nespa.or.jp/shisetsu/bunka/access.html

 ------------------------------------------

 茶話会(親睦会)※自由参加---和室
 法友のみなさまとの交流会です
ぜひご参加ください
 10:00-----開場(開始)---和室
 ※昼食は各自ご用意下さい

--------------------------------------------------
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行事予定 | 11:33:57 | トラックバック(0) | コメント(0)
#jtba「調和と幸福」





協会のfbより紹介です。





画像に含まれている可能性があるもの:4人、、スマイル、立ってる(複数の人)、子供、屋外

日本テーラワーダ仏教協会

#jtba「調和と幸福」

 一人の行動ということが、全体に影響を与えるのです。それは、地球全体にも通じるのです。一人が勉強すること、挨拶すること、微笑むこと、それが社会全体の調和を守っていくのです。自分という一人の行動がとても大切な価値を持つのだとわかれば、やる気が出てくるでしょう。

 生きるとは、互いに協力しあうことで成り立っているのです。「お互いさま」なのです。生きることは他人の世話になることであり、自分も人の役に立っていることです。そこがはっきりわかっていれば、成功をおさめることができます。

●photo:Burmese children by Theis Kofoed Hjorth<flickr>

▼参考テキスト
「ブッダの教え一日一話」今を生きる366の智慧 (PHP文庫)
http://amzn.to/2heHvrq

~生きとし生けるものが幸せでありますように~









facebook | 13:25:10 | トラックバック(0) | コメント(0)
1・2・3・4・5・6月 行事予定----変更確定20170125現在





2017-1月
  8日<日> ヤサ先生「仏教法話会」
       初心者冥想指導も始まりました。
     日本ガイシフォーラム 第一和室  午前午後+延長<17時までに退場>
        食事御布施会 

食事御布施写真1   10時から11時までに集合 
11:15~12:00  (11:30までが準備時間です。
   11:30頃よりお食事を始めていただきます。) 
         【場所】 日本ガイシフォーラム 和室



1/22 
 
名古屋初期仏教デー (スマナサーラ長老)--
  初めて冥想会へ参加される方へのご案内-  日本ガイシフォーラム




自主冥想会>in刈谷 

平成29年1月の予定
        1月15日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)

  1月29日 日曜日 9時~18時(一日冥想会






2017-2月  
名古屋初期仏教デー は無し

 
ヤサ先生「仏教法話会」 
-無し決定--変更確定20170108


自主冥想会>in刈谷 02

    2月12日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)

    2月26日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)





2017-3月  
名古屋初期仏教デー は無し 

 5
日<日> 
ヤサ先生「仏教法話会」 
--決定 20161011
      初心者冥想指導も始まりました。
     日本ガイシフォーラム 第一和室  午前午後+延長<17時までに退場>

        食事御布施会 

食事御布施写真1  10時から11時までに集合 
11:15~12:00  (11:30までが準備時間です。
   11:30頃よりお食事を始めていただきます。) 
         【場所】 日本ガイシフォーラム 和室





自主冥想会>in刈谷
3月の予定
・ 3月12日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)
・ 3月19日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)予備日
・ 3月26日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)





4月
04/02 
『花まつり』名古屋初期仏教デー
 
 名古屋初期仏教デー (スマナサーラ長老)--
  初めて冥想会へ参加される方へのご案内-  日本ガイシフォーラム




 4/23日<日>
ヤサ先生「仏教法話会」-ガイシ20161224現在
      初心者冥想指導も始まりました。
     日本ガイシフォーラム 第一和室  午前午後+延長<17時までに退場>
        食事御布施会 

食事御布施写真1   10時から11時までに集合 
    11:15~12:00  (11:30までが準備時間です。
   11:30頃よりお食事を始めていただきます。) 
         【場所】 日本ガイシフォーラム 和室



自主冥想会>in刈谷
4月の予定
・ 4月 9日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)予備日
・ 4月16日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)
・ 4月30日 日曜日 9時~18時(一日冥想会)






5月14日<日>ヤサ先生「仏教法話会」 --確定20161205
       初心者冥想指導も始まりました。
     日本ガイシフォーラム 第一和室  午前午後+延長<17時までに退場>
        食事御布施会 

食事御布施写真1   10時から11時までに集合 
    11:15~12:00  (11:30までが準備時間です。
   11:30頃よりお食事を始めていただきます。) 
         【場所】 日本ガイシフォーラム 和室






6月
04->18->11日<日>ヤサ先生「仏教法話会」 
--
変更確定20170108--再度変更確定20170119
       初心者冥想指導も始まりました。
     日本ガイシフォーラム 注-第1和室  午前午後+延長<17時までに退場>
        食事御布施会 

食事御布施写真1   10時から11時までに集合 
    11:15~12:00  (11:30までが準備時間です。
   11:30頃よりお食事を始めていただきます。) 
         【場所】 日本ガイシフォーラム 和室










行事予定 | 16:55:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
配信URLが変更になりました。下記からご覧ください。2017年1月18日(水)19時?





配信URLが変更になりました。下記からご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=bq5i81MEm8c
2017年1月18日(水)19時?





みなさま

お世話になっております。

【LIVE配信予告】慶應SDMヒューマンラボ公開講座
スマナサーラ長老×前野隆司先生対談「心とは何か?幸せに生きるとはどういうことか?」
2017年1月18日(水)
19時?

配信URLが変更になりました。下記からご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=bq5i81MEm8c









お知らせ | 08:39:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
慶應SDMヒューマンラボ公開講座 スマナサーラ長老×前野隆司対談 live





協会のfbより紹介です。





日本テーラワーダ仏教協会


#jtba 【LIVE配信予告】慶應SDMヒューマンラボ公開講座 スマナサーラ長老×前野隆司先生対談「心とは何か? 幸せに生きるとはどういうことか?」2017年1月18日19時より下記URLにて配信開始予定です。(20時30分まで)ぜひご覧ください。

スマナサーラ長老は上座部仏教の僧侶として活躍されています。前野隆司は学者の立場から心の哲学や幸福学を追求しています。…

2017年1月18日19時より下記URLにて配信開始予定です。(20時30分まで)ぜひご覧ください。









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#jtba 『日めくりブッダの教え』アプリAndroid版に続きiOS版もリリース






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#jtba 『日めくりブッダの教え』アプリAndroid版に続きiOS版もリリースされました。

スマナサーラ長老の仏教格言&しりあがり寿先生のイラストによる「日めくりカレンダー」アプリです。目覚ましアラーム付き。

〔Android版〕〔iOS版〕配信中!

↓アプリ紹介ページ
http://www.samgha.co.jp/apri/himekuri.buddha.html
↓FBサポートページ
https://www.facebook.com/himekuri.buddha/










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1/15(日)ヤサ長老による初心者冥想指導会が開催されました





静岡ダンマサークル準備会
ヤサ長老の初心者冥想指導会の報告





1/15(日)ヤサ長老による初心者冥想指導会が開催されました。総勢17名と盛況な会となりました。ヤサ長老の指導で慈悲の冥想、手の上げ下げの感覚を感じる、ストップモーション、立つ冥想、歩く冥想、座る冥想等が、適宜質疑応答を交えながら行われ、大変有意義な、実践の機会になりました。

慣れない冥想実践に疲れた表情の方もいらっしゃいましたが、長老よりそれも含めて、学びの深い法話を下さいました。ヤサ長老、またいらして下さると良いですよね。

今後の会の予定です。
2/19(日)13~16時(浜松福祉交流センター第一講習室)浜松集いの会、自主実践会(座談会+自主冥想)会費500円

3/26(日)13~16時半(静岡市民文化会館第三会議室)静岡集いの会、自主勉強会 会費1500円(予定)

是非ご参加下さい。三宝のご加護がありますように。

画像に含まれている可能性があるもの:木、植物、屋外、自然









ヤサ先生 | 10:08:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
この本は、亡くなった人への対応を学ぶに最適です。   『餓鬼事経』パーリ仏典経蔵小部第7経





協会の記事ではありません。
サークル仲間の所感です。
 <
大仏とやっさんとやさしい教え>





「私は仏教徒です」と言うと、とても信心深く、先祖供養をしっかりして、お正月やお盆のお墓参りは欠かさないというイメージを持たれます。

「お墓参りは寒い(暑い)から面倒で嫌だなぁ」などと発言すると、仏教徒なのにどうして、とばかりに不思議がられます。さらに「自分のお墓は要らない」と言って、また不思議がられます。普通は「死んだらきちんと墓に入れて下さい」と考えるものらしい。

先祖供養なんてものは、もともと儒教思想で仏教とは関係ないし、お墓だってそこに先祖の方々や亡くなった家族がいるわけでもないだろうにと、僕は思うのです。墓地を見て居心地が良さそうだとは感じられないし、そんなところに「死んだらいれて欲しい」とは僕は絶対に思わない。むしろそこにいてくれと言われることは罰ゲームのようだと考えてしまうのです (^^;)

生きていると多くのしがらみが生じて、自分の好き勝手には出来ないもの。だから、死んだ後くらい好きにしたい。それなのにお葬式で「私たちを見守っていて下さい」などと勝手に呼びかけられたら、きっと僕は「嫌だ!」と叫んでしまう。死んでからは天界へ行って遊び呆けるのが僕の予定で、だから他人のことなどかまってはいられない (^o^)V 
もっとも我が家ではこれが夫婦の共通認識になので、たぶんお嫁さんは「見守って欲しい」とは言わない。それ以前にそんなことを期待する訳がないのです。

死者に対する考え方は、生まれた時から少しずつ刷り込まれていくもので、なんとなく家族や社会で受け継がれていくようです。死んだらどうなるとか、死んだ人はどこに行くのかと漠然と考えることは誰でもあることでしょうけれど、その答えは自らの内にあるものではないので自問するより、むしろしっかりと教わり学んだほうがいいと考えるのです。

『死という誰にでも起こる事実を、愛する人の死だからと悲しんだり、憎い敵の死だからと喜んだり、他人の死だからと無関心になったり、自分の死だからと恐れおののいたりせず、「誰にでもかならず起こることだ」とありのままに堂々と受け入れること』
藤本 晃著「餓鬼事経 死者たちの物語」

この本は、亡くなった人への対応を学ぶに最適です。                   

『餓鬼事経』パーリ仏典経蔵小部第7経

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大仏とやっさんとやさしい教え | 09:59:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
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