協会の記事ではありません。
サークル仲間の所感です。
<大仏とやっさんとやさしい教え>
『すべての生命に生きる権利が平等にあると認めることで、自分以外の生命も幸せであるようにと願うことが出来るのです』
週末、東海ダンマサークルの初期仏教デーに参加しました。いつも通り前半はスマナサーラ長老のご法話。長老が質問を募られると「自我の強い人とはどのように接したら良いのでしょうか?」という問いがありました。
スマナサーラ長老は「常に人は他者を自分の思い通りに動かしたいという願望を持つけれど、そのような希望や期待は、悩みや苦しみを生じさせるだけのもの。それを手放すことで自らの内にある苦はなくなるのです」とおっしゃられました。確かに、誰もが他人を自分の思い通りに動かしたいと考えます。そして自分にとって都合の良い人間に変わって欲しいと願います。でも、他人が自分の都合になど合わせてはくれないものです。こうして冷静に言葉にすると、他人が自分の思い通りに動いてくれるなどあり得ないことだとわかりますが、普段の心はそう思わないから不思議です。
「生命はすべて対等に存在するものであると認識し慈しむこと」
これを目指さす必要があるのです。
ところで、スマナサーラ長老はよくゴキブリのお話をされます。今回のご法話の中でも、ゴキブリが登場しました。長老曰く、ゴキブリにも平等に生きる権利があると認めると、なぜか部屋からゴキブリがいなくなる。自ら消えるとか。
誰もが毛嫌いするゴキブリだけど、追いかけ回さず放っておくと、彼らはかなり面白い。昨年夏、我が家に3匹のゴキブリが暮らしていた。縄張りでもあるのか、廊下、台所、洗面場にそれぞれ1匹ずつ。廊下のゴキブリはいつものろのろと散歩したり、たたずんでいたりで、気をつけないと踏んでしまいそうになった。台所のは、食事中にテーブルに飛び乗られ、僕の手にぶつかったことがあって迷惑したけれど、それ以外は大人しかった。テーブルの上をすまして(たぶんそんな感じ)歩いていたときに、何かにつまずいて転びそうになったのを見て大笑いした。もう一匹はいつも洗面場とお風呂とを行ったり来たりしていた。
同じことを人から聞いたことがある。その方もゴキブリを追いかけることはしない人で「部屋のゴキブリは走らずいつもゆっくりと歩いている」と言っておられた。彼らは自分への殺意を感じないと、急ぐことなくのんびり行動するらしい。