スマナサーラ長老が皆様の質問に答えます!
視聴者の皆様から届いた質問をスマナサーラ長老にお尋ねしました。生き方についての悩み、初期仏教への疑問など、長老にお聞きしたいことがある方はメール(info@j-theravada.net)または協会HPの質問BBSでお寄せください。以下、質問の目次です。
00:27 マーラさんのこと
05:19 『宝経』預流果と輪廻転生
08:15 『慈経』と出家の戒め
12:35 『慈経』因縁物語の解釈
20:25 「文化的バイアス」を避ける方法
25:12 怒りの解毒剤
聞き手:佐藤哲朗(日本テーラワーダ仏教協会編集局長)
https://www.youtube.com/watch?v=3gLlm-xtNZk
【法話】しあわせってなんですか?――人間は誰だって、幸福になる仕組みで生まれている[ダイジェスト版](スマナサーラ長老)
https://www.youtube.com/watch?v=u_ffDwH8uK4&feature=share
長いけどシャープですっきり明快な論考。必読です。
藤本 晃
日本仏教学界の縁起理解に見られる諸問題――宮崎哲弥『仏教論争――「縁起」から本質を問う』を読んで
2018年11月22日
うわっ!これ見落としてた。
長いけどシャープですっきり明快な論考。必読です。
協会の記事ではありません。
タコ焼きの話
昨日は家内とタコ焼きで忘年会をしました。関西でタコ焼きは家庭料理です。たいていの家庭にタコ焼き機があります。外で買うのより、だんぜん美味しいです。まず、我家のレシピを紹介します。
【タコ焼き粉100g・キャベツみじん切り・桜エビ・出汁醤油・紅ショウガ・水300㏄・卵1個・ゴマ油大さじ1杯】を最初に混ぜます。【タコ・青海苔・鰹節・九条ネギ】以外は全部最初に入れてしまいます。この方が簡単です。形成ができたら、最後にもう一度ゴマ油をさじでかけて、カリッと揚げ焼きします。ゴマ油を上手に使うと、香ばしさと触感がアップします。ソース味・だし醤油味・マヨポン…、三種類くらいのタレで味を変えて楽しみます。
タコ焼きは、困ったことにビールと合います。
まぁ、そんなわけで昨日は楽しく豊かな我家の忘年会でした。食材費は、約1000円です。
12月のはじめに長老から、「豊かさとは知足」「あるもので満足する」と教えて頂きました。生臭坊主で申し訳ないですが、私の豊かさはこんな感じです。二人とも、とうとう還暦を迎えました。いつ死んでもいいね…と笑顔で豊かに幸せな日々を生きています。
それはそうと、長老にお会いし最後の挨拶をしたときに、長老は私たち二人の目を見て、
『こころが安穏であればそれでいいのです』
とサラっと仰いました。この言葉があとあと効いてきています。朝の冥想で坐ったとき、『こころが安穏であればそれでいいのです』と。経を読んでいるとき、歩いているとき、妄想に気づいたとき…。
『こころが安穏であればそれでいいのです』と何度も何度も出てきます。
#jtba【報告】兵庫 12/16(日) 今年最後の「関西月例冥想会」が終了
昨日、今年最後の関西月例冥想会が行われました。ご参加。ご協力いただきました皆様、ありがとうございました。寒い日ではありましたが130名以上の方が参加され、初めて冥想会指導を受けられた方も15名以上ありました。お釈迦さまへのお供え、長老へ食事お布施の品々もたくさんで、また調理ご協力もありました。
昼過ぎからは雨が降り出し、終了時間が遅くなり、帰る頃には真っ暗でしたが、残って掃除や片づけをお手伝い下さった方もありました。ご協力、感謝いたします。今年も残りわずか、皆様良いお年をお迎えください。
年末年始の 2018年12月28日(金)~2019年1月6日(日)までは、マーヤーヤーデーヴィー精舎で第二回「一時出家修道会」が行われます。比丘サンガ・スマナサーラ長老が指導され、夕方には読経と法話が毎日ある予定です。一般の日帰り参加も可能です(※詳細は後日お知らせ)。この機会に、ぜひ皆様ご参加ください。
次回、関西月例冥想会は「新年 関西月例冥想会」として、2019年1月5日(土)13:30から法話(質疑応答)・祝福法要を行います。どなたでもご参加いただけますので、初詣にお越しください。※1/5は冥想指導はございません。
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
協会の記事ではありません。
『正見』=見解のないこと
2018年12月 安養寺みんなの仏教レポート
今年最後のみんなの仏教テーマは、『正見』でした。見と漢訳されているので、「見ること」と限定されがちですが、パーリ語では、サンマー・デッティsammā diṭṭhi と言います。デッティは、「見解・意見」のことです。そこで、まずは、「正しい見解」「正しい意見」「正しく見ること」「正しく聞くこと」「正しく対象に触れること」と理解されたらよいと思います。
水野辞書にはわざわざ「特に謬見(ビュウケン)」と書いてあります。謬見は「間違った見解」のことです。つまり、見解そのものが「誤見」であることが暗示されています。
正見は八正道の一番目の項目ですが、一番目におかれている
のも偶然ではありません。そもそも対象に触れることで因縁が始まるので、すべての仏道修行(冥想)の根本と言えます。
また、八正道は、四諦=「苦・集・滅・道」の道諦のことであり、すなわち中道マッジマーパティパダーmajjhimâ patipadâです。仏道を歩む、こころを育てる、修行するとは、八正道の実践に違いありません。
長老方が「八正道」や「正見」という言葉を使わずに、写真の本のように、
『8マインドフル・ステップ』
『心を整える8つの脳開発プログラム』
『ブッダが教えた幸せの実践』
と表現されているのも注目して下さい。おそらく、仏教用語として従来の固定観念で見て欲しくないという願いがあると私は感じます。長老方がすでに、優れた解説をされているので、ここでは私のまとめだけを書きます。普段の法話で一般の人にカードを使って説いています。
普段の生活で、何かを見たり、聞いたり、対象に触れて自分の意見・見解が生まれた瞬間に、気づいて念ずべきことです。
☆見たことが事実ではない
☆聞いたことが事実ではない
☆考えたことが事実ではない
◎自分の考えは、どこまでいって自分の考えであって、
自分の考えが真理(真実・事実)になることはない
以上の理を日常の暮らしに常に気づいて念ずることが正見の実践だと思います。
スマナサーラ長老は、著書に正見を以下のようにまとめられています。
★鵜呑みにする癖をやめる
★データを調べて判断する
★客観・主観とも、意見を決めつけない
★達した判断を定着させない
グナラタナ長老は以下のように説かれました。
★原因と結果を理解すること
★四つの真理、「苦しみ」「苦しみの原因」「苦しみの滅尽」「苦しみを滅する道」を理解すること
八正道は正見がすべてに通じる入口であり、他の項目も仏道実践者には日常に現れてきます。それは正しい、見方・思考・言葉・行動・仕事・精進・気づき・集中として現れます。
#jtba「悪の親玉」~鋭い観察が無明を破る~ #仏教 #Buddhism #スマナサーラ長老 #無明 #観察 #渇愛 #存在 #無智
Avijjā(アヴィッジャー)は「無明」と訳されます。「明りがないから暗い」という意味ではありません。ありのままに現実を発見していない状況が無明なのです。ありのままの状況とは、真理です。真理を知らないことが、無明です。ですから、無明を「無智」と訳すこともできます。細胞たちは生きていきたいがために必死です。暇はありません。
ありのままの状況はどうなっているのかと調べるのではなく、心に入るデータをフィルターにかけて、存在欲を支えてくれるか、存在欲を邪魔するか、という二つに振り分けます。言葉を換えれば、心は二種類の色眼鏡を通して世界を知ろうとしているのです。これは、ありのままに観察することではありません。すべての生命がこのように生きているから、「すべての生命に無明がある」と言わなくてはいけないのです。
人間は知識なしに生きていられない存在です。しかし知識があるからと言って、無明がないと自慢することはできません。超がつくほどの知識人も、無明に覆われているのです。ありのままに世界を観察すると、「すべての現象は無常である」と発見します。その発見によってのみ、存在欲が成り立たないとわかる。それで渇愛が消えるのです。
ものごとをありのままに観察しないことが無明です。生命が「生きる」という終わりなき戦いを少々やめて、ものごとを客観的に観察しない限り、無明を破ることはできません。知識を得ても、その結果、無明が強くなるのです。知識がない場合も、無明が強くなります。ブッダが語る真理を知識で学ぶならば、生命には無明があると発見することができます。その無明をなくすためには、ありのままに観察することに励まなくてはいけません。無明があるから、三種類の渇愛(五欲・存在欲・破壊欲〔非存在欲〕)が現れるのです。
Photo by Maria Badasian on Unsplash
▼参考テキスト
新書「ブッダの瞑想と脳科学」
https://goo.gl/i7zWeY
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
協会の記事ではありません。
『別時冥想と作法』
「別時冥想」って言葉は、私の作った言葉ではありません。昔から日本仏教では「別時念仏」など、「別時」という仏教用語があります。仏教者にとって、本来修行は生きることそのもので、四六時中こころを育てるのがブッダの冥想です。しかし、世俗に暮らす私たちは、出家比丘のそのような生き方がし難いので、時を区切ってこころを育てます。それが、別時の意味です。そうなので、皆さんが日々実践されている「歩く冥想」「坐る冥想」も座禅もみんな「別時冥想」なのです。
私はこの意識はとても大切だと考えています。それは、ダラダラナアナアになることを防ぎます。ですから、例え朝に10分間の冥想をするときでも、普段の生活と区切りをつけて、真剣に修します。私の実践例を紹介します。
私は毎朝、最低でも60分の坐る冥想をしています。坐る前に、裏山を15分ほど歩く冥想をしてこころを整え、礼拝して「慈経」と「慈悲の言葉」を声にだして念じます。
坐る直前に手短に修行の確認をこころします。誰でもしていることですが、明確にします。
一番が時間のこと、何分の冥想に挑戦するかを確認します。二番目は、何があっても、放っておくこと。電話やチャイムが鳴っても放っておくことを念じます。この二番目の確認が大切です。ここで、「電話が鳴ったら対応する」「お客さんが来たら対応する」としてもかまいませんが、その分条件づけられた浅い冥想になってしまいます。
私たちは世俗に暮らしているので、限度があります。しかし、この部分こそが私が「別時冥想」と呼んでいる肝心なところです。「厭離」や「離欲」というブッダの言葉が示すように、60分ダラダラ冥想するより、10分間、私は一切の世俗から離れるという覚悟をした方が、はるかに効果あります。冥想は決して長い時間坐るのがよいわけではありません。
もし、今死んだとしたら、電話にでることは終わりです。雨が降っても洗濯物のことなどどうでもいいことです。ですから、本当の冥想は10分間の冥想なら、10分間死ぬという意味です。肉体的には死にませんが、精神的に死ぬことは可能です。
「真剣」とか「死ぬ気でやれ!」とか、いぜん紹介した仏教用語の【サムヴェーガ】=「このままではだめだ! と感じ、真理を求道する切迫したこころの状態」とは、この意です。
長老方が、「手放す」「放っておく」「何もしない」と仰るのも、精神的に死ぬこのことです。
『冥想の作法』
坐ってからは、まず背筋を伸ばします。意識的に深く三回ほど呼吸をします。軽く頭を下げ再度姿勢を正し楽に坐ります。「待ちます」や「固定します」など好きな言葉を念じて、身体を動かさないと宣言します。そこからが、ヴィパッサナー冥想です。一回目の呼吸が観察されるのを明確に見ます。
このような作法が大切なのは、まさに日常・世俗から離れる、大切な入口になるからです。儀式・儀礼のようですが、自分で作法を決めて如法に修されることをお勧めします。
いくら、「電話が鳴っても放っておく」と宣言しても、凡人がそう簡単にできることではありません。仮に電話が鳴って反応しても慌てずに、ありのままに淡々と今ここにある感情の動きを観察するのが、ヴィパッサナー冥想です。そうするうちに、本当に電話が鳴っても感情が出なくなって、いよいよ観察冥想に入ります。
冥想・座禅と言っても、誘発された静寂、強制された静寂は、静寂ではありません。それは子どもを教室の後ろに立たせるようなものです。期待も努力も捨てて、すべてを放っておく、何もしないのが真の冥想だと思うのです。
協会の記事ではありません。
スマナサーラ長老と面談しました。
20年ぶりに東京へ出かけたのは、スマナサーラ長老にお会いするためでした。実は私は二作目になる著書を間もなく出版します。その帯に長老からのお言葉を頂きました。直接長老と対面してそのお礼をするための上京でした。12月6日夕刻にサンガクラブでの講話があり、そこでお礼を伝えることができました。学んだことをレポートします。
「豊かさ」がテーマです。
「豊かさ」とは何でしょうか? これは大問題です。最初に考えてほしいです。あなたにとって「豊かさ」とは何ですか? このことを自問することが肝心です。
★「物質的な豊かさ」と「精神的な豊かさ」、この両面がそろってこそ豊か? これは本当でしょうか?
★現在の日本はたいへん豊かな国である。それに比べたらスリランカやミャンマーなどの東南アジアの国々は、同じ仏教国なのに発展途上で、豊かさに陰りがある?
これは本当でしょうか?
★12月に入って、カニやフグを食べる機会がありました。清潔な料亭で美味しいものを食べて満足し、豊かでした?
★デパ地下で買い物をしました。クリスマス飾りと賑やかなBGM、色とりどりの食材、華やかな衣装の売り子さん、多くの人でごったがえしでした。ふだんは1500円もあれば十分な夕食の用意ができるのに、一万円ちかい買い物をして大満足、豊かでした。
私は長老の講話を聞いていて、「豊かさ」とは何かが、ほんとうにわからなくなりました。それはいいことです。
長老は、一つの例を語られました。
スリランカで暮らす一家がありました。そこに日本人の客が来ました。粗末な食材で簡単にカレーを作ってみんなで食べ、ゴザをひいて客も土間で家族と一緒に寝て、一夜を過ごしました。
日本の家庭にスリランカ人が遊びに来ました。ごちそうを食べ食事は一緒に済ましましたが、彼が泊まる部屋がありません。さあたいへんです。困りました。
さて、どちらが豊かでしょうか?
豊かさは何処にあるのでしょうか?
豊かさは眼に見えるものではないと私は思います。「物心共に豊か」などと言いますが、あやふやな表現です。長老の講話を聞きながら、私が感じている豊かさの薄っぺらさに嫌悪感さえ覚えました。
講話の最後に質疑の時間があったので、私は長老に「今後、豊かさを見間違いしないように、仏教で説く【豊かさ】のガイドライン、定義を説いてください」と質問しました。
時間がなかったので、長老は簡単に説かれました。私の理解した要約です。
仏教で説く「豊かさ」とは、「知足」のことです。「小欲知足」という仏教用語がありますね。「足ることを知る」が、「豊かさ」のキイワードです。
そこにあるもので満足する。瞬間瞬間で事象は変化しますが、いつでもそこにあるもので満足する。それが「豊かさ」のように見えてきました。
先の例で考えても、わざわざ何かを探さなくても、「そこにあるものでみんなが満足する」こと。それに「どんなときでも、困らないこと」。少欲と知足のもたらす、福楽が「豊かさ」なのだとあらためて知りました。
そこに至るには、こころに戒め、つまり道徳を持つことや、慈しみのこころを育てること。こころの静けさを知り、固定した考えや決めつけを捨てて、いつでもどこでも周囲と調和できる柔軟さが不可欠だと思い知りました。
長老の言葉を側で聞くのは久しぶりです。その空間に居るだけでこころが落ち着いて禅定にいるようでした。まことに有り難い時を生きることができました。
物質にあふれた東京の街からは、何ひとつ豊かさを感じなくなりました。あふれる物質のために、こころの豊かさが見えなくなっている私がありました。
それならブッダにきいてみよう: 人間関係編 Kindle版
仏教は幸せに生きる(一切の苦を乗り越える)ための学問です。
お経を唱えたり厳しい修行をしたりしなくても、心の方向をちょっと変えるだけで楽しく生きられる「テクニック」の宝庫でもあります。
生きていくうえでの悩みや疑問(Q)と、それに対する答え(A)が詰まっているこの「ブッダ的人生相談」は、具体的な例ばかりなのでより仏教を身近に感じていただけると思います。また、あなたが似たような困難にぶつかった時には、打開するヒントも与えてくれるはずです。
読んだ後、心がふっと軽くなり、物事をシンプルに考えられるようになれたら、あなたはもう幸せへの第一歩を踏み出しているということです。
-人間関係編 目次-
1 人間関係を円滑にするコツ
2 人といると緊張してしまいます
3 嫌いな人に親切にするためには?
4「ご縁」について
5 破られない約束なんか無い?
6 ご恩の返し方
7 頼まれ事はどこまで引き受ければいいでしょうか?
8 「所有すること」の恐ろしさ
9 「方便」と「嘘」は違う?
10 どうすれば友達ができますか?
11 良い友達のつくり方
12 悪友は避けた方がいい?
13 ウザいけど仲間はずれは嫌……どう付き合えば?
14 本音を話すのは良くないんですか?
15 善人と付き合うのはかったるい?
16 他人に迷惑な行為とは?
17 会話を意味あるものにするには
18 折り合いが悪い人との付き合い方
19 他人を嘲笑うということ
20 人の気持ちがわかるようになりたい
21 怒らせてしまった相手との関係を修復するには
22 人と対立してしまった時の解決法
23 人前であがらない方法
24 成熟していない年長者でも 敬わなくてはいけませんか?
25 離婚を考えている夫との関わり方
26 妻との会話が噛み合いません
27 「認められたい」という欲
28 集団意識は本当に正しい?
29 組織の中で結果を出すには?
30 傲慢な上司に困っています
31 上司とのトラブルで解雇の危機!
32 部下の育て方
33 働かない息子を何とかしたい
34 仕事相手に対する怒りで疲れてしまいました
35 怒らないとなめられる?
36 怒りの伝染を避ける方法
37 日本のお寺に女性は要らない?
38 弁護士としての心がまえ
39 暴言を吐く病院スタッフへの対処法
40 破産しそうな親類との付き合い方
41 認知症の母とどう向き合えばいいですか?
42 介護の心がまえ
43 老い先短い親に 道徳や真理を伝えたいのですが
44 うつ病の友達にしてあげられること
45 大切な人が罪を犯してしまいました
46 親への怨みを断ち切りたい
47 人間関係で冥想を活かすには
48 社会を良くする方法とは?
49 人と接するのが苦手です どうすればいいですか
50 放っておくと排他的・差別的になってしまうのが人間?
〈上座仏教のスマナサーラ長老が、実際に寄せられた悩みに答える「一問一答形式」で、わかりやすく実用的に仏教の教えを解いたシリーズ〉
・内面に向き合う人のための「こころ編1」、「こころ編2」
・対人関係に関する悩みを集めた「人間関係編」
・子供についてのあれこれ「教育編」
・より良く生きるためのヒントが詰まった「ライフハック編」
協会の記事ではありません。
智慧について
仏教には。「〇〇智慧」という言葉がいくつかあります。「名色分離智慧」「無分別智慧」がその代表です。そもそも、「智慧」とは言葉で説明のできないものです。知識や記憶とは次元が異います。
スマナサーラ長老が、正見=「見解のないこと」とサラリ説かれているのは流石だと思います。「見解がない」とは、「見解をもたない」=「分別しない」ということと理解できます。けっきょく、正見 =「無分別智慧」とも言えそうです。
また、ややこしい仏教用語が増えたと思わないで欲しいです。「無分別智慧」もこころが穏やかで健康正常なとき日常にあらわれていますが、気づかないだけだと思います。
以前の車の運転の例で言うと、「前にのろい車がある」「前の車は邪魔」というのは見解で、分別思考です。無分別とは、そのような思考が浮かばない状態です。
ご存知のように、私たち人間は貪瞋痴のエネルギーで生きています。「欲」は一番わかりやすいです。「~したい」と私たちが行動するときには、必ず欲があります。
目的地を決めてそこに行こうとすることは、「欲」ですが、欲をずっと持ち続ける必要はありません。目的地を決めたら、あとは「今ここ」に住して、安全運転に徹し、プロの送迎運転手のように淡々と運転すればよいだけです。前の車がおそければ、追い越しできる場所で安全にそうすればよいし、条件が揃わなければ静かに後ろをついて進めばよいと思います。余分な感情を作らなくても、どのみち状況は刻々と変わります。
見解がないときは、正常健康なので実感はありません。ただ楽です。力まなくても、日常で楽に過ごしているときには、こころが無分別の状態に近いこともあると思います。一生がそのようであるなら、それは覚者や聖者と呼ばれるのでしょう。
「知識」と「智慧」は似て非なるものです。知識は説明することも学んで貯えることもできる、物質的なものですが、智慧は言葉の世界を超えたものです。それを踏まえたうえ否定形などを使って言葉で説明されています。
・智慧とは無智がない、無明がない状態
・知識は氷で、智慧は水のようなもの
・知識は記憶や過去、言葉の世界にあり、
智慧はそこにはない
・どんなに冥想しても、智慧は蓄えられない
瞬時にあらわれては消えるもの
・形も色も香りもないもの
もし、来世に持ち越せるものがあるとしたら、今生で修した「徳」と「智慧」だけとも私は聞きましたが、この点はよくわかりません。「業」と関係がありそうです。
今すぐに預流果に達してください。これは先延ばしにす
会社で仕事が上手くいくという目的、人間関係を上手く
それから、いつでも説法を聞くときは真剣に聞いてくだ
しかし、皆様は説法を聞きながら瞑想しなくてはいけま
宿題の内容は「あなたは誰ですか?」です。一人ひとり
説法を聞きながら自分の宿題をやると、それで預流果に
ブッダの瞑想とは、自分を調べることなのです。調べて
・2018年「パティパダー9月号」より
~生きとし生けるものに智慧の光が現れますように~