社長ブログ(ほぼ毎週金曜日更新)
変貌するブッダガヤへの道――ブッダの聖地2562(その3)
『サピエンス全史』とブッダガヤの変貌
4年ぶりにブッダガヤに来た。
前に来たときと様がわりしたのは、
セキュリティの厳重さだ。
ハラリは著書『サピエンス全史』の中で、
20世紀は戦争の時代と言われるが、
実際、戦争・テロリズムで亡くなった人の数は、
その前の世紀よりも少なくなっていると言った。
また、いまベストセラーの
ハンス・ロスリングの『FACTFULNESS』でも、
10万人あたりの戦死者数は、
1942年には201人だったのが、
2016年には1人になった、というデータが示されている。
この本の中で彼は、
「交通事故の死亡者数、5日連続ゼロ」というニュースは流れないが、
たとえば、「交通事故で家族5人全員死亡」というニュースは流れると言う。
つまり人は、ネガティブなニュースに飛びつくのだ。
まさにブッダガヤに入るまでの行程は
そのことをつくづく思いしらされる。
バスは途中までしか行けなくなってしまったし、
そのあとは、たぶん3回はセキュリティチェックをし、
アイフォーンや大きなカバンの持込は禁止。
セキュリティという名のものとで、
人の自由はどうなっていくのだろうか。
そういえば最近、自由という文字も、その言葉も、
めっきり聞かなくなってしまったような気がする。
〈ブッダの聖地〉ブッダガヤ・大塔
やっとたどり着いたブッダガヤは、それにしても素晴らしかった。
僕たちおおよそ100人は、
いつもはチベット人に占領されている
金剛宝座の前に大きなシートを広げ、
長老を先頭にして座り、
みんなで一緒にお経をあげた。
もし極楽というものが存在するとしたら、
こういう光景なんだろうと思わせてくれる経験だった。
その後、スマナサーラ長老は金剛宝座の横で、
一人ひとりの腕に聖糸を巻いてくれた。
そして長老は、ブッダが正覚した後に一週間ずつ禅定状態にいた7カ所を、1カ所1カ所まわり、僕たちに説明してくれた。
日本のことが少し気になっていた僕の心をよそに、
みんなの表情は徐々に晴れやかになっていった。