「スジャータ婦人会 Sujātā Buddhist Sisters」が発足しました!
本会は、仏暦2563年が始まる満月の日(2019年5月19日)、仏法僧に帰依する在家女性仏教徒が集まり、仏教活動を支えるとともに、仏教伝道に資する活動を行うことを目的に発足いたしました。
スマナサーラ長老からのビデオメッセージ
■スジャータHP・入会登録
https://su2jaa5ta62.wixsite.com/mysite
入会資格は日本テーラワーダ仏教協会の女性会員です。
入会ご希望の方はHPから登録フォームに必要事項を入力してください。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
問い合わせ先 sujaata2562〔アットマーク〕gmail.com
(スジャータ婦人会世話役アドレス)
※本会の詳細は7月号のパティパダ―に掲載いたします。
業と輪廻
仏教で最も誤解されやすいテーマです。誤解される原因は常識的な自分の観念でこのような法則を理解しようとすることです。それは、「ヘビは邪悪な生き物である」と決めて、ヘビについて語るようなこと、空の写真だけを見て、宇宙を語るようなことです。
そこで、「自業自得」「善悪」という言葉の真意を理解することが真相の理解に役立つと思います。ブッダの言葉で、「自分のしたことと、しなかったことを問題にして、人のしたことと、しなかったことは問題にしてはならない。」という偈があります。自業自得の本質をよくあらわしています。人生の何時いかなる時でも、「人のしたことと、しなかったことを問題にはしない。」という生き方の安らぎと慈しみが理解されれば、人の不幸に対して冷淡な言葉を口にすることはなくなります。他者の不幸を眼にしたとき、何か自分のしてあげられることはあるか? 何もできないのなら、こころ静かに沈黙をたもって慈しみの眼差しで見守ることが最善です。
逆説的ですが、この生き方は他人事はなくなり、すべてが自分の問題になります。先日の悲惨な交通事故などのニュースを聞いて、被害者も加害者もすべてが私の問題になります。そうなると、軽はずみな批評批判の言葉は生まれません。
自我には善悪を語るほどの智慧がない、私は愚か者であることも自然に受け入れられます。その上で、原因と結果の法則があります。私は自分の人生で起きた如何なる些細な出来事も、自業自得と見ることができます。これは人のせいにすることがない悪業からの解放でもあります。幸福な人の必須条件です。
また、輪廻は今ここで起きています。私たちにあるのは過去や未来ではなく、今ここだけです。やった通りの結果が次の瞬間に生まれています。今ここの縁起の観察が輪廻の種明かしですが、顕微鏡で細胞分裂の一部始終を観察するほどの注意がないと語れません。死んだ後や、生まれる前の生存については、わからないことはわからない、見たことは見たこと、聞いたことは聞いたこと、考えたことは考えたこと、分類ができない人には語ることができません。
今ここの最小単位の「これありて、かれあり。これ滅して、かれ生ぜず。」という観察こそがそのカギです。輪廻と業はべつものではありません。すべては目の前で起きています。
これらの理は人に教えられることでも教えることでもありません。そのように理解したら、残った人生で少しでも、自分以外の生命、他の人の迷惑にならない注意をして生きる以外にさらに道はありません。善因楽果・悪因苦果は、小学生でもおよその理解はできると思います。自業自得、業(行為と結果)は、他の人に対して語る真理ではありません。ブッダは業を意志と説きました。今ここの意志には完全な自由があります。 思いつくままに…
#jtba 新着動画|【ブッダの智慧で答えます】親への瞑想の勧め方/慈悲の瞑想をしていると……/これは第一禅定?/仏教徒の条件(スマナサーラ長老)
視聴者の皆様から届いた質問をスマナサーラ長老にお尋ねしました。2019年5月24日に収録したQ&A動画を2回に分けて配信します。その前半です。
00:15 Q:親への瞑想の勧め方
30代会社員です。妻の実家の近くに家を建て、子供と住んでいます。実家は遠方で両親が二人暮しです。二人暮しで高齢になってきたこともあり母が先行きを不安に思っています。祖母が痴呆になっていることもあり、母も自分もボケるのではないかと心配しています。ボケの予防としてヴィパッサナー 瞑想を勧めたいのですが……
03:57 Q:慈悲の瞑想をしていると……
慈悲の瞑想をしていて上手く集中できると、
「存在というものは、
地水火風の四大と
無常・苦・無我の三相の流れでしかない。」
みたいな観察になってくるのですが。このまま進んで行って大丈夫でしょうか。
それともこれもただの妄想で、慈悲の文言を念じる事に集中した方が良いでしょうか。
04:34 Q:これは第一禅定?
本日、先ほど瞑想中(今日は朝から晩まで瞑想する機会に恵まれました)に、妄想が途切れてしばらくしたところで(思考は働いている)身体が暖かくなると同時に楽な感覚となり(手足の感覚は消失して)明るい雲が視覚?に現れ自分の周りを漂っているような感覚になりました。しばらく(でも2~3分)続きましたが、この体験は第一禅定なのか?疑問に思いました。
12:02 Q:仏教徒の条件
「在家の仏教徒です」と言うには何が必要ですか?
聞き手:佐藤哲朗(日本テーラワーダ仏教協会編集局長)
※生き方についての悩み、初期仏教への疑問など、長老にお聞きしたいことがある方はメール(info@j-theravada.net)または協会HPの質問BBSまでお寄せください。
新着動画です。スマナサーラ長老がなぜ根気強く説法を続けているかというと……
#jtba 新着動画|【初期仏教Q&A】八正道の順番に意味はあるのか?/サティの意味がよくわからない(スマナサーラ長老)
2019年4月20日(土)かでる2・7で行われた「札幌ダンマサークル:スマナサーラ長老の法話と質疑の会」より。なぜ長老が根気強く説法を続けているかというと……
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
#jtba 新着動画|【初期仏教Q&A】禅僧と阿羅漢の悟りは違うのか?/日常生活で何をすれば仏道修行になるのか?(スマナサーラ長老)Q:禅僧と阿羅漢の悟りは違うのか?――日本で悟ったと言われる禅宗の老師の方々の解脱の心と、テーラワーダの阿羅漢の方々の境地は同じか、違うのか?
Q:日常生活で何をすれば仏道修行になるのか?――在家の修行者として、日常生活で何をすべきなのか、何をすると修行になるのか、という判断基準は?
2019年4月20日(土)かでる2・7で行われた「札幌ダンマサークル:スマナサーラ長老の法話と質疑の会」より,、質疑応答の部を順次配信致します。撮影:札幌ダンマサークル~生きとし生けるものが幸せでありますように~
#jtba 新着動画|Happy Wesak Day!【佛紀2553年ウェーサーカ祭記念ビデオ】五蘊の観察――慧の修習(スマナサーラ長老の法話より)
2019年5月12日に開催された日本テーラワーダ仏教協会の佛紀2553年「釈尊祝祭日ウェーサーカ祭」(なかのZERO小ホール)で上映された記念ビデオです。
佛紀2553年ウェーサーカ祭記念ビデオ
『五蘊の観察――慧の修習』
アルボムッレ・スマナサーラ長老の法話より
編集:三幡正実
音楽:Imee Ooi
目次
プロローグ
第1章 五蘊の観察
①色蘊の観察
②受蘊の観察
●命とは何か
●何故ありのままに知ることができないのでしょうか?
●感覚から渇愛が生まれる
●捨てることの完成
③想蘊の観察
④行蘊の観察
●誰が生命を生かしているのですか?
⑤識蘊の観察
●思考・妄想はストップ
●知っていることは正しいか?
第2章 五蘊に無我を観る
●無我相経
第3章 五蘊観察の勧め
結語
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
#jtba【案内】愛媛 7/14(日) 松山講演会「生きづらさ、不安感を乗り越えるには」#仏教 #Buddhism #スマナサーラ長老 #講演会 #松山 #生きづらさ #不安感
【タイトル】『生きづらさ、不安感を乗り越えるには』仏陀の智慧に学ぶ
【日時】7月14日(日)
午前10:00~12:00 講演、午後01:30~04:00 質疑応答
【講師】アルボムッレ・スマナサーラ長老
【場所】松山市総合コミュニティセンター 3階(大会議室)
〒790-0012 愛媛県松山市湊町七丁目5番地
【定員】300席
【参加費】無料(ご喜捨)
▼アクセス
http://www.cul-spo.or.jp/comcen/access/
【申し込み方法】
メール:bohisa26@gmail.com
電話:050-7132-5060(受付時間 12:00~17:00)
※質問の事前受付:当日も会場にてお受けしますが事前受付もします。上記にお送りください。
【問い合わせ】松山講演実行委員会
電話:050-7132-5060
▼えひめダンマサークル準備会
http://dhammaehime.blog.fc2.com/
生きとし生けるものが幸せでありますように
5月18日(土),19日(日)「スマナサーラ長老in宮崎」復活のお知らせ
諸般の事情で中止のアナウンスをした「スマナサーラ長老in宮崎」ですが、会場等を変更して開催されることが決まりました!
直前のご案内ですが、ご都合のつくかたは、是非お誘い合わせの上ご参加下さい。
参加希望の方は、以下の連絡先までお申し込み下さい。
主催:うちうみハーブ園
(連絡先 加藤 080-3287-4879)
場所:天空カフェジール(宮崎県宮崎市加江田6411)
※会場にイベントに関する問い合わせをすることはご遠慮ください。
http://tenku-zeal.com/
https://www.facebook.com/tenkucafezeal/posts/2339780626068926
参加費:無料
駐車場あります。各自で坐布(座布団)を持参下さい。
※坐布は貸出もできます。会場は板の間のため、マットやタオルなど各自のご判断でお持ち下さい。
周辺にコンビニ等はありませんので、飲み物の準備等は予めお願い致します。
電車でお越しの方は、曽山寺駅から会場までの送迎をしますので、希望される方は、参加申込み時にお知らせ下さい。その他お問い合わせはうちうみハーブ園・加藤(080-3287-4879)までお願い致します。
業とは意志である
昨日の日記の言葉です。これは長老が仰った言葉で、もとを辿ればブッダの言葉です。業は原因と結果の法則であり、業には、「行為」と「行為の結果」という側面があます。「行為には過去の習慣力」が含まれています。この為に業は「どうにもならないもの」と理解され、運命論と勘違いされてしまうことがあります。
しかし、業には別の肝心な面があります。それが、「今ここの意志」という面です。本当に大切なことは、「業とは意志である」と理解することです。 単純に考えれば、「意志によって、行為は結果をうむ」となります。
何であれ、対象に触れて、思考や感情が生まれるときには、過去の影響を受けています。これは仕方のないことです。生活中に、冥想中に、「カー!」と、音に触れて「カラス!」と思ってしまうことです。しかし、過去の習慣力の言いなりになる必要はまったくありません。何故ならそれが妄想であり、幻覚のようなものだからです。
「見たものは見たまま・聞いたものは聞いたまま・考えたことは考えただけ…」そこで、気づきを入れて終わらせてしまえば、過去の習慣力はもはや影響を持ちません。
昨日食べたリンゴは今食べられないし、明日食べるミカンも今は食べられません。それは妄想だからです。ほんとうにあるのは「今ここ」です。今ここにあるイチゴは食べることができます。それが、「業とは意志である」という意味で、完全な自由を意味しています。
「今ここ」という現実の瞬間は、過去の影響をまったく受けないことが理解できるでしょうか?
この法則は例え、刑務所に入れられて身柄を拘束されていても同じです。なにものも肉体の拘束はできても、こころを拘束することはできません。それがこころの世界の真実です。
誰も望むことではありませんが、もし仮に刑務所に入れられたら、解脱直行の冥想道場と思えば最高の環境かも知れません。死刑に処され、そこでこれは私の業であると受け入れ、すべてを捨てたなら、無余涅槃にさえ入れる可能性もあります。
一般の方にこのまま話すと誤解を招く可能性がありますが、すべてが自分の業である、業自性・自業自得の理を見るものは究極の自由を手にするのだと思います。
協会の記事ではありません。
嘘について
嘘について考えてみました。長老は嘘を悪業の親玉と仰いました。ブッダは嘘をつかないことが唯一の道徳とも説かれています。これらは、嘘から萬の不幸が生まれる。嘘をつかないということで、やがてすべての道徳が網羅されて、人格の完成に至るという意味かと私は理解しています。
嘘 = 不妄語、とは何でしょうか? 人を騙すことや、隠し事をすることが、嘘でありそれは確かに善いことではないのは理解できます。しかし、これらは表面的な理解であり、現象面に過ぎないと思います。
そこで嘘の本質は何でしょうか? 私は、『こころに嘘がある』。この言葉に尽きると思います。この言葉の意味や理解の奥行が人によって違うのだろうと思います。
たとえ、「私は嘘をつきません」「私は仏教徒の五戒を守っています」「私は仏教を深く信仰しています」と言っても、こころに嘘があるなら、何の意味もありません。
『こころに嘘がある』とは、現象にあらわれる以前のこころの動きです。別の角度から見てみます。
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人に知られたくない秘密にしていることがある。そこを訊ねられたのに言わないでいる。これらのことが嘘になるのか? 悪いことなのか? という問いがありました。
長老は以前、「嘘」の対極にある八正道「正語」の解説で、「自分も幸せになって、人も幸せになる言葉を話す」といった説明をされていました。とてもわかりやすいガイドラインだと思います。そこに照らすと、「その言葉を語って、まず自分が幸せになるのか? 次に相手が幸せになるのか?」ということが、とても大切なことと理解されます。
「真実を語らない」「隠し事をする」、これらにも二種類あると思います。
「語るべきことを語らない」と「語る必要のないことを語らない」の二つです。前者は嘘です。後者は嘘ではありません。
そもそも、ブッダは「沈黙の聖者」と言われています。何か話す必要があるのかと静かに自問したいものです。
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ここで、奥深いのは「意志」です。生命には最初に意志があります。意志によって動きます。意志があれば何をしてもよいという意味ではありません。しかし、意志の段階には完全な自由があるという意味です。この自由は何人も侵すことはできません。そこに、「~しなくてはならない」というのを入れることがこころの嘘です。
シンプルに考えたら、自分を含めたすべての生命への「慈しみ」が原点にあることが肝心です。慈しみがあって、こころに嘘がない。自分の愚かさをよく知り、完璧な人間などいるはずもなく、相手も私も不完全な人間同士であることを理解する。誰よりも自分のこころを丁重に扱って、それと同じように他者のこころも尊重する。これが道徳・戒律の原点かと思いました。
「こころに嘘がない」とは、自分のこころの動きをよく観察して、微細な悪感情も、「そうでありたい」「そうあってはいけない」という、ありのままから離れるエネルギーにも気づいていることだと思います。そこにはただ、ありのままの自分がいることでしょう。
追伸 : 挿入画像は、地蔵盆に子どもたちに「嘘をついてはいけないよ」と教えるためのカードです。私自身は小学校の低学年の頃に、「嘘はダメ!」って両親から教えられて、そのお陰で萬の不幸から本当に免れたと感謝しています。嘘をつかない(不妄語)には、確実な福楽、強力な現世利益があると思います。
https://www.facebook.com/tetsuro.sato.52/…/2607385455957707…
協会の記事ではありません。
サークル仲間の徒然日記です。
協会活動スローガン『こころを清らかにする人が幸せである』
皆さんありがとうございます。
4日5日とマーヤーデーヴィ精舎で法友と共にやれて
よかったです。
この喜びを東海ダンマサークルのラインで書きました。
一番お世話なった関西メンバーが抜けていました。
☆関西ウエサーカー祭と月例瞑想会に参加して
長老の法話を聴き、多くの法友たちとも仏教交流が
できました。
充実したゴールデンウイークです。
長年の人生川下りは
年齢だけはほぼ終点。
この川の両岸には 魅力的な止まりどころが
いっぱい。
これを五戒という宝物で心の調御をしながらの
川下りです。
舟下り中、仏教に出会い生老病死というウネリを
学んだ。
これに逆らうのが自我
だと知った。
有り難い。有り難い。
善友と共に
無常・苦・無我の墓場暮らしを楽しみながら
舟は涅槃の海に入ります。
舟下りは一艘一艘ですが法友同士
慈悲喜捨の気持ちで
助け合いながら
人生を成功させましょう❗️
(^。^)(^_^)