2012-12-29 Sat
トーバッティー の紹介です
ミャンマーでの出家生活をありのまま報告。
Dipa Ma

1911年『ディパマ』は東部ベンガル(現在のバングラディッシュ)のミャンマーとの国境近くのある村で古代インド仏教徒の末裔であるバルワ族として生まれる。
彼女が生まれた頃には瞑想する人々もほとんどいなくなっているほど仏教の伝統は消えてしまっていたが、ごく少数の家族だけがその伝統を堅く守り続けていた。
その中にはディパマの家族も含まれていた。
ディパマは幼少の頃から両親よりお布施する人を差別しないという事を教わり、行ってきた。
また、別の子供達とはあまり遊ばず、他の女の子達は人形で遊んだりするのだが彼女は仏像を彫るという特別な趣味があった。
彼女は当時の民族習慣に習い、12歳で学校を辞めさせられて25歳の男性と結婚させられた。
その後、夫の仕事の関係でミャンマーのヤンゴンに渡り、新しい生活を始める。
20年以上経っても子供が出来なかったが、ディパマが35歳の時女の子を授かるが、3ヶ月で病気で亡くしてしまう。
4年後に再び女の子を出産、その後には待望の男の子を身ごもるも出産途中で亡くしてしまう。
数年して故郷の両親の死を知り、また夫を病気で亡くして7歳の娘一人と二人きりになってしまい深い悲しみの中で何をしたらいいのか、どこへ行ったらいいのか、あるいはどのように生きて行ったらいいのか分からなくなり持病である心臓病も悪化していった。
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