fc2ブログ

新WEBサイト公開開始しました

 
■ご訪問者数
■東海ダンマサークル紹介

zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

■カレンダー

08 | 2023/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

■記事検索

■最新記事

■月別アーカイブ

■カテゴリ
■メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

■リンク
■QRコード

QRコード

#jtba「怒らないことは誰のため?」




#jtba「怒らないことは誰のため?」

Ubhinnamatthaṃ carati,
Attano ca parassa ca;
Paraṃ saṅkupitaṃ ñatvā,
Yo sato upasammati.

『怒っている人に対して、逆に怒らない人は、
 自分と他人という両方に、有意義な行為をしているのです。』
(相応部経典,有偈篇,第11 サッカ相応,第5 善語勝利経)

 仏陀の教えは、完全なる幸福の境地を説くものです。それだけではなく、日常生活にもおおいに役に立つものなのです。しかし、理性に基づいて理解しなくて はならないのです。聞法だけでは実行する気にはなりません。時々、表面的に見ると違うと思える言葉もあるのです。いくつかの例で考えてみましょう。

 「怒りに打ち勝つためには、怒らないことだ」、これだけでは何の意味かわからないですね。人が怒って自分に攻撃するならば、自分も怒って逆襲すれば超簡 単で早いのではないかと思う。怒りを怒りで返すということは、確かに超簡単です。どんな無知な人にもできることです。人間に限らず、動物も同じことをやっ ているのです。世界で正しいと思われているのは、インテリ的な生き方ではなく、脳も発達していない動物たちがやっている行為なのです。

 無知な人、感情に操られている人は、気に入らない出来事が起きたら必ず怒る。それから相手に攻撃を仕掛けるのです。相手も「何だこいつは」と思って、怒 りを返します。自分が怒っても、それに対する相手の怒りが嫌なので、先に怒った人がさらに怒るのです。このように、互いに怒り合いの合戦をするのです。怒 りが燃えるだけで、消えることはありません。

 理性のある人は、感情的な怒りに怒り返すのではなく、怒りとは何かと観察するのです。怒りは炎のようなもので、怒った人も怒りの対象も、破壊する感情だ と発見します。相手がいくら悪くても、自分だけ怒らないで落ち着いていれば、自分の心が相手の怒りの炎で燃えないことと、相手の怒りも自分から怒りという 燃料を与えないから、そのうち怒りの炎が燃え尽きるのだと理解するのです。

 では、人が自分に対して勝手に怒ったり、自分を侮辱したり、攻撃したり、非難したりするのを黙っていると損ばかりではないか?相手がやりたい放題ではないか?と思われるでしょう。

 実は、そうではありません。怒った人は、その時点で燃えています。自分の心もいくらか破壊しています。ですから、怒りを受けた自分が怒り返さなかったな らば、何の損害も受けていないのです。相手に対しても、怒りの燃料を供給していないから、相手の心も最小限の害で済みます。ですから、怒りに対して怒り返 さないことで、自分の心が成長するだけではなく、他人に対しても善行為をしていることになるのです。

●イラスト:田辺敏宏
▼参考テキスト
「怒りに慈しみで勝つ~怒る人は多重に損をする~」
 http://www.j-theravada.net/howa/howa129.html
【57】 口は機関銃です
 http://www.j-theravada.net/qa/gimon57.html
「言葉は核燃料か ~感情混じりの言葉は核廃棄物です~」
 http://www.j-theravada.net/howa/howa55.html
「口から漏れる放射能~言葉は注意して使用する道具に過ぎない~」
 http://www.j-theravada.net/howa/howa150.html

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
写真: #jtba「怒らないことは誰のため?」<br><br>Ubhinnamatthaṃ carati,<br>Attano ca parassa ca;<br>Paraṃ saṅkupitaṃ ñatvā,<br>Yo sato upasammati.<br><br>『怒っている人に対して、逆に怒らない人は、<br> 自分と他人という両方に、有意義な行為をしているのです。』<br>(相応部経典,有偈篇,第11 サッカ相応,第5 善語勝利経)<br><br> 仏陀の教えは、完全なる幸福の境地を説くものです。それだけではなく、日常生活にもおおいに役に立つものなのです。しかし、理性に基づいて理解しなくてはならないのです。聞法だけでは実行する気にはなりません。時々、表面的に見ると違うと思える言葉もあるのです。いくつかの例で考えてみましょう。<br><br> 「怒りに打ち勝つためには、怒らないことだ」、これだけでは何の意味かわからないですね。人が怒って自分に攻撃するならば、自分も怒って逆襲すれば超簡単で早いのではないかと思う。怒りを怒りで返すということは、確かに超簡単です。どんな無知な人にもできることです。人間に限らず、動物も同じことをやっているのです。世界で正しいと思われているのは、インテリ的な生き方ではなく、脳も発達していない動物たちがやっている行為なのです。<br><br> 無知な人、感情に操られている人は、気に入らない出来事が起きたら必ず怒る。それから相手に攻撃を仕掛けるのです。相手も「何だこいつは」と思って、怒りを返します。自分が怒っても、それに対する相手の怒りが嫌なので、先に怒った人がさらに怒るのです。このように、互いに怒り合いの合戦をするのです。怒りが燃えるだけで、消えることはありません。<br><br> 理性のある人は、感情的な怒りに怒り返すのではなく、怒りとは何かと観察するのです。怒りは炎のようなもので、怒った人も怒りの対象も、破壊する感情だと発見します。相手がいくら悪くても、自分だけ怒らないで落ち着いていれば、自分の心が相手の怒りの炎で燃えないことと、相手の怒りも自分から怒りという燃料を与えないから、そのうち怒りの炎が燃え尽きるのだと理解するのです。<br><br> では、人が自分に対して勝手に怒ったり、自分を侮辱したり、攻撃したり、非難したりするのを黙っていると損ばかりではないか?相手がやりたい放題ではないか?と思われるでしょう。<br><br> 実は、そうではありません。怒った人は、その時点で燃えています。自分の心もいくらか破壊しています。ですから、怒りを受けた自分が怒り返さなかったならば、何の損害も受けていないのです。相手に対しても、怒りの燃料を供給していないから、相手の心も最小限の害で済みます。ですから、怒りに対して怒り返さないことで、自分の心が成長するだけではなく、他人に対しても善行為をしていることになるのです。<br><br>●イラスト:田辺敏宏<br>▼参考テキスト<br>「怒りに慈しみで勝つ~怒る人は多重に損をする~」<br> http://www.j-theravada.net/howa/howa129.html<br>【57】 口は機関銃です<br> http://www.j-theravada.net/qa/gimon57.html<br>「言葉は核燃料か ~感情混じりの言葉は核廃棄物です~」<br> http://www.j-theravada.net/howa/howa55.html<br>「口から漏れる放射能~言葉は注意して使用する道具に過ぎない~」<br> http://www.j-theravada.net/howa/howa150.html<br><br>~生きとし生けるものが幸せでありますように~









協会 更新情報 | 11:49:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する