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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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#jtba「気をつけるべき行動」【5つの戒律「②不偸盗戒」について】





日本テーラワーダ仏教協会  の紹介です





#jtba「気をつけるべき行動」【5つの戒律「②不偸盗戒」について】

 パーリ語『Adinnādānā veramaṇī sikhāpadaṃ samādiyāmi.』
 読み:アディンナーダーナー ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミ。
 意味:「与えられていないものを取らない」という戒めを、私は受けて守ります。

 「偸盗」という漢訳仏教語はたいへん難関な印象があります。「盗むなかれ」という戒めです。私たちは「盗み」の罪といえば、銀行強盗のようにスケールが 大きい犯罪をイメージしてしまいます。もっと小さな盗みの場合でも、会社の横領事件とか、子供がいたずら気分で犯す万引きくらいのものでしょう。

 そうすると、「自分とは関係ない話かな」という気分になりますね。そんなことは社会常識として当たり前なので、とりたてて仏教徒の戒めとする必要はあるのか、という疑問も生じるかもしれません。話はそう簡単には済まないのです。

 パーリ語では、不偸盗の定義は「与えられていない(他人の)ものを取らない」になります。「盗む」というと、だれかほかの人がいないと成り立ちません。 それなら、人がいないところでいる限りは、その戒律を守っていることになります。そうなると、人がいないところでいればいるほど、徳を積むことにもなりま す。なにかおかしいでしょう?

 ここで不偸盗の意味を理解するめに、「与えられていないものを取らない」という言葉を変えて、考えてみましょう。与えられたものを取る権利はあるのです。使用する権利もあるのです。「自分に使用する権利がないもの」と言えるのは、自分に与えられていないものなのです。

 人は、すべて他からいただくもので生きています。この身体さえも、他者から与えられたものなのです。親が身体を与えて、食べ物まであげて、大きく成長さ せたのです。与えられた身体だから、自分にはこの身体を使用する権利がある。だから、人はだれでも「与えられたもの」で生きていかなくてはいけない。それ は基本的な法則です。与えられていないのに、奪うことは自分勝手なわがままな行為であるだけでなく、法則まで犯していることになるのです。

 いっぱいいただいて、それなりに生きていられることに感謝するべきなのに、その正反対に奪うという行為は、あまりにも悪いのです。仏教でいう不偸盗とは、与えられていないものを取らない、奪わないことです。それはつまり、法則に従って生きることなのです。

 私たちは自分たちの体を維持して生きるために、外部から様々なものを取り入れなくてはなりません。外部から物質的、感覚的、精神的な刺激を絶えず取り入 れることが、「生きること」です。生命は普遍的に「死を避けたい」という感覚をもっています。生命ならば、生きるために外部から様々なものを取り入れる権 利があるのです。

 しかし、取り入れるものは「与えられたもの」でなければならないのです。つまり、自分が外部の世界にそれなりの貢献をした結果として、いただくものでなければならない、ということです。

 ですから、会社に勤めている人であっても、仕事をさぼって給料だけいただこうとしたら、それは盗みです。労働者は労働法で保護されているんだから、だら だら仕事をしても同じ給料をもらう権利があるんだ、と言ってもそれは真理の世界とは関係ありません。同じように、雇い主が人に仕事を頼んでおいて適切な報 酬を払わないことも「盗み」です。

 生きるために必要な「もの」はもたなければならないのです。それを得るために、必要ななにかを社会に貢献するのです。社会に貢献することで、社会から必要なものを得る。このような生き方ならば、不偸盗の戒を守っていることになります。

・生きるとは取り入れること
・一人分の適量を考える
・適量以上のものを要求しない
・たくさん得た分は、分けてあげるべき分
(書籍「テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え」より抜粋)

『ダンマパダ308』
 戒を守らず 自制せず
 天下の施食(せじき)受けんより
 赤き炎に焼かれたる
 熱鉄丸を喰(は)むがよし(和訳 江原通子) 

▼参考テキスト
「テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え」
 http://amzn.to/8YDWCB

「仕事とはどんなもの?~盗取受用の話~」
 http://bit.ly/IrafSz

「香り盗人の話」(ジャータカ物語)
 http://bit.ly/ZjOKzs
 
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
写真: #jtba「気をつけるべき行動」【5つの戒律「②不偸盗戒」について】 パーリ語『Adinnādānā veramaṇī sikhāpadaṃ samādiyāmi.』 読み:アディンナーダーナー ヴェーラマニー スィッカー パダン サマーディヤーミ。 意味:「与えられていないものを取らない」という戒めを、私は受けて守ります。 「偸盗」という漢訳仏教語はたいへん難関な印象があります。「盗むなかれ」という戒めです。私たちは「盗み」の罪といえば、銀行強盗のようにスケールが大きい犯罪をイメージしてしまいます。もっと小さな盗みの場合でも、会社の横領事件とか、子供がいたずら気分で犯す万引きくらいのものでしょう。 そうすると、「自分とは関係ない話かな」という気分になりますね。そんなことは社会常識として当たり前なので、とりたてて仏教徒の戒めとする必要はあるのか、という疑問も生じるかもしれません。話はそう簡単には済まないのです。 パーリ語では、不偸盗の定義は「与えられていない(他人の)ものを取らない」になります。「盗む」というと、だれかほかの人がいないと成り立ちません。それなら、人がいないところでいる限りは、その戒律を守っていることになります。そうなると、人がいないところでいればいるほど、徳を積むことにもなります。なにかおかしいでしょう? ここで不偸盗の意味を理解するめに、「与えられていないものを取らない」という言葉を変えて、考えてみましょう。与えられたものを取る権利はあるのです。使用する権利もあるのです。「自分に使用する権利がないもの」と言えるのは、自分に与えられていないものなのです。 人は、すべて他からいただくもので生きています。この身体さえも、他者から与えられたものなのです。親が身体を与えて、食べ物まであげて、大きく成長させたのです。与えられた身体だから、自分にはこの身体を使用する権利がある。だから、人はだれでも「与えられたもの」で生きていかなくてはいけない。それは基本的な法則です。与えられていないのに、奪うことは自分勝手なわがままな行為であるだけでなく、法則まで犯していることになるのです。 いっぱいいただいて、それなりに生きていられることに感謝するべきなのに、その正反対に奪うという行為は、あまりにも悪いのです。仏教でいう不偸盗とは、与えられていないものを取らない、奪わないことです。それはつまり、法則に従って生きることなのです。 私たちは自分たちの体を維持して生きるために、外部から様々なものを取り入れなくてはなりません。外部から物質的、感覚的、精神的な刺激を絶えず取り入れることが、「生きること」です。生命は普遍的に「死を避けたい」という感覚をもっています。生命ならば、生きるために外部から様々なものを取り入れる権利があるのです。 しかし、取り入れるものは「与えられたもの」でなければならないのです。つまり、自分が外部の世界にそれなりの貢献をした結果として、いただくものでなければならない、ということです。 ですから、会社に勤めている人であっても、仕事をさぼって給料だけいただこうとしたら、それは盗みです。労働者は労働法で保護されているんだから、だらだら仕事をしても同じ給料をもらう権利があるんだ、と言ってもそれは真理の世界とは関係ありません。同じように、雇い主が人に仕事を頼んでおいて適切な報酬を払わないことも「盗み」です。 生きるために必要な「もの」はもたなければならないのです。それを得るために、必要ななにかを社会に貢献するのです。社会に貢献することで、社会から必要なものを得る。このような生き方ならば、不偸盗の戒を守っていることになります。・生きるとは取り入れること・一人分の適量を考える・適量以上のものを要求しない・たくさん得た分は、分けてあげるべき分(書籍「テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え」より抜粋)『ダンマパダ308』 戒を守らず 自制せず 天下の施食(せじき)受けんより 赤き炎に焼かれたる 熱鉄丸を喰(は)むがよし(和訳 江原通子) ▼参考テキスト「テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え」 http://amzn.to/8YDWCB「仕事とはどんなもの?~盗取受用の話~」 http://bit.ly/IrafSz「香り盗人の話」(ジャータカ物語) http://bit.ly/ZjOKzs ~生きとし生けるものが幸せでありますように~








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