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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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#jtba「こころのセキュリティーは大丈夫ですか?」






協会のfbより紹介です。





#jtba「こころのセキュリティーは大丈夫ですか?」

●妄想世界からの脱出
 どのようにして心というものは育てたらいいのかという話になります。

 まず必要なことは、「妄想」という世界を知っておくことです。私たちの心には子どものころから夢の世界を楽しみたいというデータがインプットされていま す。これはどんな人間にも多かれ少なかれ例外なく組み込まれていますし、大人になっても想像の世界を楽しむという傾向はつづきます。ここで重要なことは、 妄想や想像と現実はまったく違うということを知っておくということです。

 小説や漫画に描かれる、そして映画や舞台などで演じられる世界は物語であり、我々の欲、怒り、希望、悩み、悲しみなどの感情を刺激するために用意された つくりものだということです。そういう感情に訴えてこない限り作品にはならないのです。読んだり、見たりしているうちに感情移入されて引き込まれ、いつの 間にか現実と妄想の世界の区別がつかなくなることがあります。

 つくる側の人々も、なんとかリアルに、それが妄想ではなく現実に思えるようにつくることに力を入れていますから、映画でも劇画でもこれでもかというふう に現実性を出して描くのです。こういう世界に没頭しているとき、私たちの思考は妄想と現実とをはっきり区別することはしません。区別することに目を向ける と、折角の妄想の世界を楽しむ興味が半減してしまうからです。ところが、その妄想と現実の区別の認識が欠如するところに心の発病の萌芽があるのです。

 物語の妄想世界を体験していると心のなかにさまざまな感情が揺れ動き、その感情のなかからいろいろな概念が出てきます。その概念が、実はその妄想世界を 楽しむ源になっているのですが、そのグルグルと回転しているさまざまな概念をそのまま放ったらかしにしておくのではなく、「どの思考が事実に基づいている のか」「どの思考が単なる想像に基づいているのか」という区別を、しっかりとつけておく必要があるのです。

 ちょっと難しく思われるかもしれませんが慣れてみればこれは簡単なことで、このチェックさえ怠らなければ心が発病することはまず防ぐことができます。こ のチェック法は、このあとに詳しくお話しますが、仏教の冥想法が解決してくれます。そして、心の発病を防ぐことのできるこのチェック法は、その冥想法しか ないのです。

 冥想といってもいろいろな種類がありますが、仏教でいう冥想法は「自分の心を客観的に観ること」なのです。この修行をしつづけていくと、やがてかつて経 験もしなかった智慧が現れます。その智慧によって、欲、怒り、無知という三悪は消えていってしまうのです。三悪が消えた心は、もうぜったいに安心です。突 如発病するなどいう危険もまったくありません。

 心を観察するといっても、もう少し詳しく言うと「観察すること自体」を実践すること、それを冥想と言っているのです。心を育てるために、これ以上早くできる方法を見つけることは論理的に言っても不可能です。

 この冥想法を「ヴィパッサナー冥想」と呼んでいます。この冥想の実践から私たちは、仏教の教えの基本である「一切のものごとは無常であり、実体のないも のだ」という真理を体験できるのです。貪り、怒り、無知などのいわゆる「貪・瞋・痴」が跡形もなく消えていくのです。

▼参考テキスト
【施本】こころのセキュリティー(発行2002年)
http://www.j-theravada.net/dhamma/kokoro-security.pdf
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
















写真: #jtba「こころのセキュリティーは大丈夫ですか?」<br><br>●妄想世界からの脱出<br> どのようにして心というものは育てたらいいのかという話になります。<br> <br> まず必要なことは、「妄想」という世界を知っておくことです。私たちの心には子どものころから夢の世界を楽しみたいというデータがインプットされています。これはどんな人間にも多かれ少なかれ例外なく組み込まれていますし、大人になっても想像の世界を楽しむという傾向はつづきます。ここで重要なことは、妄想や想像と現実はまったく違うということを知っておくということです。<br> <br> 小説や漫画に描かれる、そして映画や舞台などで演じられる世界は物語であり、我々の欲、怒り、希望、悩み、悲しみなどの感情を刺激するために用意されたつくりものだということです。そういう感情に訴えてこない限り作品にはならないのです。読んだり、見たりしているうちに感情移入されて引き込まれ、いつの間にか現実と妄想の世界の区別がつかなくなることがあります。<br><br> つくる側の人々も、なんとかリアルに、それが妄想ではなく現実に思えるようにつくることに力を入れていますから、映画でも劇画でもこれでもかというふうに現実性を出して描くのです。こういう世界に没頭しているとき、私たちの思考は妄想と現実とをはっきり区別することはしません。区別することに目を向けると、折角の妄想の世界を楽しむ興味が半減してしまうからです。ところが、その妄想と現実の区別の認識が欠如するところに心の発病の萌芽があるのです。<br> <br> 物語の妄想世界を体験していると心のなかにさまざまな感情が揺れ動き、その感情のなかからいろいろな概念が出てきます。その概念が、実はその妄想世界を楽しむ源になっているのですが、そのグルグルと回転しているさまざまな概念をそのまま放ったらかしにしておくのではなく、「どの思考が事実に基づいているのか」「どの思考が単なる想像に基づいているのか」という区別を、しっかりとつけておく必要があるのです。<br> <br> ちょっと難しく思われるかもしれませんが慣れてみればこれは簡単なことで、このチェックさえ怠らなければ心が発病することはまず防ぐことができます。このチェック法は、このあとに詳しくお話しますが、仏教の冥想法が解決してくれます。そして、心の発病を防ぐことのできるこのチェック法は、その冥想法しかないのです。<br><br> 冥想といってもいろいろな種類がありますが、仏教でいう冥想法は「自分の心を客観的に観ること」なのです。この修行をしつづけていくと、やがてかつて経験もしなかった智慧が現れます。その智慧によって、欲、怒り、無知という三悪は消えていってしまうのです。三悪が消えた心は、もうぜったいに安心です。突如発病するなどいう危険もまったくありません。 <br> <br> 心を観察するといっても、もう少し詳しく言うと「観察すること自体」を実践すること、それを冥想と言っているのです。心を育てるために、これ以上早くできる方法を見つけることは論理的に言っても不可能です。 <br><br> この冥想法を「ヴィパッサナー冥想」と呼んでいます。この冥想の実践から私たちは、仏教の教えの基本である「一切のものごとは無常であり、実体のないものだ」という真理を体験できるのです。貪り、怒り、無知などのいわゆる「貪・瞋・痴」が跡形もなく消えていくのです。 <br><br>▼参考テキスト<br>【施本】こころのセキュリティー(発行2002年)<br>http://www.j-theravada.net/dhamma/kokoro-security.pdf<br>♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪









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