2014-08-25 Mon
協会のfbより紹介です。
#jtba「ダメな自分」というエゴ
エゴを捨てるなんてできっこないと、決めてかかってはいけません。また、怒りのコントロール術だけを知りたいなんて、甘いことを言ってもいけません。とにかく挑戦すること。そうやって人は成長しなくてはいけないのです。
まず、「自分は偉い」というエゴを捨てましょう。そのためには「私は何者でもない。大したものではない」と考えることです。また、「自分はダメだ」というエゴも捨てましょう。「私は大物だ」と思うのと同様に、「私には才能がない」と思うのも、エゴの一種です。
「私には能力がないのに、あの人にはいろんな才能がある」と考えると、嫉妬の感情が生まれます。自分に特別な能力がないことが嫌だから、相手に怒りを覚えるわけです。でも、あなたが才能に満ちあるれていなければならない理由はどこにもありません。
それから、「負けず嫌い」というエゴも捨てましょう。「誰にも負けたくない」と思って他人と戦うことは、仏教的には間違っています。ただし、「自分に負けてたまるか」と思う気持ちは、正しい負けず嫌いです。
あなたが何かの問題に対し、真剣に取り組まずに失敗してしまったとします。そんなとき「自分の怠け心に二度と負けないようにしよう」と考えるのは、自分を戒めているのであってエゴではありません。
エゴを捨てると、人には怒りの感情の代わりに理性が育ってきます。理性的な人は、自分がいかに“外の世界”の力を借りながら生きているかわかっているので、その世界に対して何か役立つことに、自分の能力を使おうとします。
たとえばそれは、地球温暖化の防止活動かもしれませんし、公園の清掃活動かもしれません。規模の大小を問わず、自分のやれることを自分のやれる範囲で行うのです。
すると、充実感が湧き起こってきます。これは人にとっての本当の喜びです。物事が「思い通り」にいくときに感じる喜びと違って、行為がうまくういくかどうかは関係ありません。大切なのは、「役に立つ人間になろうとすること」そのものなのです。
▼参考テキスト
COURRiER Japon(クーリエ ジャポン)2014年09月号
「怒り」を捨てて生きるスリランカ初期仏教の智慧
http://amzn.to/WHEO4o
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
エゴを捨てるなんてできっこないと、決めてかかってはいけません。また、怒りのコントロール術だけを知りたいなんて、甘いことを言ってもいけません。とにかく挑戦すること。そうやって人は成長しなくてはいけないのです。
まず、「自分は偉い」というエゴを捨てましょう。そのためには「私は何者でもない。大したものではない」と考えることです。また、「自分はダメだ」というエゴも捨てましょう。「私は大物だ」と思うのと同様に、「私には才能がない」と思うのも、エゴの一種です。
「私には能力がないのに、あの人にはいろんな才能がある」と考えると、嫉妬の感情が生まれます。自分に特別な能力がないことが嫌だから、相手に怒りを覚えるわけです。でも、あなたが才能に満ちあるれていなければならない理由はどこにもありません。
それから、「負けず嫌い」というエゴも捨てましょう。「誰にも負けたくない」と思って他人と戦うことは、仏教的には間違っています。ただし、「自分に負けてたまるか」と思う気持ちは、正しい負けず嫌いです。
あなたが何かの問題に対し、真剣に取り組まずに失敗してしまったとします。そんなとき「自分の怠け心に二度と負けないようにしよう」と考えるのは、自分を戒めているのであってエゴではありません。
エゴを捨てると、人には怒りの感情の代わりに理性が育ってきます。理性的な人は、自分がいかに“外の世界”の力を借りながら生きているかわかっているので、その世界に対して何か役立つことに、自分の能力を使おうとします。
たとえばそれは、地球温暖化の防止活動かもしれませんし、公園の清掃活動かもしれません。規模の大小を問わず、自分のやれることを自分のやれる範囲で行うのです。
すると、充実感が湧き起こってきます。これは人にとっての本当の喜びです。物事が「思い通り」にいくときに感じる喜びと違って、行為がうまくういくかどうかは関係ありません。大切なのは、「役に立つ人間になろうとすること」そのものなのです。
▼参考テキスト
COURRiER Japon(クーリエ ジャポン)2014年09月号
「怒り」を捨てて生きるスリランカ初期仏教の智慧
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♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
