協会の記事ではありません。
木下全雄 さんの ブログの紹介です
今日も更新する事が特にありませんので、以前に朝日カルチャーセンター湘南教室さんで使用しました講義用プリントをここに公開させて頂きます。
皆様の修行のお役に立ちます事を祈っております。
ヴィパッサナーとは、明確に観察する、という意味です。
何を観察しますか?
肉体は「不浄」である、と観察しましょう。仏教用語では、この肉体は「九穴の糞袋(くけつのくそぶくろ)」と呼びます。目2、鼻2、耳2、口1、尿道口1、肛門1、の九つの穴からは、クソと名の付くものが流れ出ています。
目クソ、鼻クソ、耳クソ、痰、嘔吐物、大小便、と、毛穴という毛穴からも老廃物が流れ出て来ます。この「不浄」なものに、私達は執着するべきでしょうか?
感覚は「苦」である、と観察しましょう。ドンドン楽になる事があるならば、人間はそれをやめられなくなります。あらゆる感覚は「苦」である、という教えが一切皆苦です。感覚は不安定であり、苦しみに至り、不満が生ずるものです。
この「苦」に至るものに、私達は執着するべきでしょうか?
心の働きは「無常」である、と観察しましょう。記憶、認識機能、感覚、何かをしたいと思う衝動、これらは全て瞬間・瞬間変化しています。貪瞋痴(とんじん ち)と呼ばれる、欲・怒り・愚かさといった煩悩も、条件によって現れたり消えたりするのです。煩悩即菩提と言い切るためには、この煩悩でさえも無常であ る、という事が分からなければなりません。
この「無常」なるものに、私達は執着できるのでしょうか?
あらゆる事物は「無我」である、と観察しましょう。あらゆるものは変化します。安定していません。実体というものはなく、形・性質は、光のスピードで変化しています。条件によって組み立てられて、機能を持っているのですが、条件が変わると、全く違うものになるのです。
この「無我」なるものに、私達は執着できるのでしょうか?
これらのものを一つ一つ観察する事も大切ですが、ヴィパッサナー瞑想実践をすれば、これら全ての執着を、いとも簡単に、いつの間にか、いつも完璧に乗り越えることが出来ています。
ヴィパッサナー瞑想実践とは、実況中継をすること、でしたよね。
主観を入れず、客観的に、自分の感覚を実況中継するのです。善悪の判断は要りません。
そうすることで、主観から生まれるあらゆる価値観と執着を乗り越えます。苦を理解し、かつ乗り越えます。無常を理解し、無常を体験します。私という変わら ないモノさえも成り立たないことに気付き、理解し、体験します。妄想がなくなり、現実を生きることが出来るようになります。
砂糖と塩の分子構造の違いが分かったとしても、砂糖と塩の味の違いを理解したことにはなりません。砂糖と塩の違いは、なめれば一発で分かります。
ヴィパッサナー瞑想実践をすれば、現実と非現実の違いを理解し、無常を体験し、無我を体験することが出来るのです。
さぁ、それでは今日の瞑想実践を始めましょう。
こうした講義の後に、瞑想実践をして頂くのが朝日カルチャーセンター湘南教室さんでの瞑想講座です。この最後の一文は再びコマーシャルです。お誘い合わせの上、ご参加下さい(笑)。 .