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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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#jtba「愚かな味方」ジャータカ物語より





協会のfbより紹介です。





#jtba「愚かな味方」ジャータカ物語より

 その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、商業で生計を立てていました。そのとき、カーシ国のとある辺境の村に大勢の大工たちが住んでいました。※菩薩…前世 修行者であった釈尊のこと。

 その中の一人である禿頭の大工が木を切っているとき、一匹の蚊が、その銅鍋の底のような後頭にとまって、槍で突くように頭を嘴(くちばし)で刺しました。彼は自分のそばに坐っている息子に言いました。「おい、わしの頭を蚊が槍で突くように刺している。追い払っておくれ。」息子は、「父さん、辛抱していてくださいな。一撃でそいつを殺しますから」と言いました。

 菩薩は、自分の扱う商品を仕入れるためにこの村に着き、その大工の小屋に坐っていました。大工が息子に「おい、この蚊を追い払っておくれ」と言ったの は、丁度そのときでした。息子は、「父さん、追い払ってあげるよ」と、鋭利な大なたを振りあげ、父親の背後に立って、「蚊を打つよ」と、父親の頭を真二つ に割ってしまいました。大工は、即座に死んでしまいました。

 菩薩は、彼のそのしわざを見て、「(味方の愚か者よりは)たとえ仇敵であっても、賢明な者のほうがまだましである。何故ならばそういう者は、刑罰の恐れを理由にしてでも、人々を殺すことまではしないだろう」と考えて、つぎのような詩句を唱えました。

 浅はかな味方より余程
 思慮ある敵は優れたり
 蚊を殺そうとするこの白痴は
 父親の頭を切り裂く

 この詩句を唱えて菩薩は立ち去って行きました。大工は、親族たちによって、手厚く葬られました。

◆スマナサーラ長老のコメント「物語の教訓」
 人付き合いというものは、生きていく上で必ず必要です。人間関係さえ上手くいけば、幸福に生きられるということは明白な事実です。人付き合いの失敗は、 人生そのものの失敗です。人は誰でも多かれ少なかれ、他人との付き合いについてかなり苦心するのです。幼児たちから老人まで、他人との付き合い方は頭の痛 い問題です。ですからこれは一生涯の問題です。

 他の問題、たとえば仕事のことは、仕事に就く年齢に達したとき悩めばよいのです。それは子供と老人には関係がないのです。健康の問題は、病気を抱えてい る人々が気にするべきものです。教育の問題は、若者が注意すべきです。子育ての問題は、若い夫婦たちが取り組むべきものです。老夫婦たちにはその悩みはあ りません。

 このように考えると、人間に関わるこれらの問題というのは一生涯のものではなく、一時のことであると理解できます。人には次から次へと問題が現れます が、一つの問題を生涯引きずる必要はありません。その時どきに現れる問題を、その場でその時に解決していけばよいのです。

 しかし、人付き合い・人間関係という問題は、一生涯の問題です。解決しましたと軽々しく言って片づけることはできないのです。年齢と環境の変化ととも に、人間関係の形は変わっていきます。それに絶えず適応しないと、社会人として落ちこぼれるのです。幼稚園児たちの人間関係と、小学生の人間関係は同じで はありません。園児の時は友達がいっぱいいたのに、小学生になってから仲間に苛められて、ひとりぼっちになるケースもあるのです。それは、その子が年齢に よる状況の変化に適応できなかったということです。二十歳になった子供の暴力で親が悩むのは、両者ともに年齢の変化に適応できなくなっているからです。

 また、場所によっても人間関係は変わるのです。たとえば、会社で真面目に仕事をする立派なサラリーマンが、飲み屋で女性とトラブルを起こしてセクハラ罪 で訴えられるとします。この場合は、会社では立派な人間ですが、遊び場の人間関係での立ち居振る舞いがまずかったことになるのです。ですから、時と場に応 じて常に変化する人間関係に、我々は常に適応できるように心がけなくてはならないのです。

 家にいても学校・会社にいても、人間関係からは逃げられません。ひとりで山で遊んでいても、やりたい放題で遊ぶことは禁止なのです。社会のために自然を 守り汚さないことに、気をつけなくてはいけません。自然災害に遭遇して全財産を失って、避難生活をしていても、人間関係だけはついてきます。たとえ避難所 でも人間関係につまづいてしまったら大問題です。病院で死ぬ間際にあるときも、他人との関係だけはつきまとうのです。

 たくさん仲間がいたからといって、人間関係が上手とは言い切れません。逆に、ひとりでいるからといって、人間関係が下手だとは限りません。私たちはたく さん仲間を作ることで、人付き合いが上手だと自画自賛しますが、これはとても危険なことです。現代人はいとも簡単にこのポイントを見過ごし、不幸に陥って いるのです。このジャータカが、幸福に生きるために必要不可欠なこのポイントを物語っています。

 味方に言われたからといって無批判で何でもやる生き方は、正しくないのです。智恵のない味方は、失敗したところでそこに仲間も引きずろうとするのです。 たとえば日本国の味方がどこかで戦争を引き起こしたからといって、日本国民に何の関係もない国まで出かけて、戦争に参加して殺し合いをする必要はありませ ん。良い味方だと思うならば、戦争を引き起こすような愚かな行為をしないように相手を諭すべきです。

●photo:Axe by Peter Murphy(flickr)
▼参考テキスト
「蚊を退治する話」
http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0401.html
♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪
写真: #jtba「愚かな味方」ジャータカ物語より<br><br> その昔バーラーナシーにおいてブラフマダッタ王が国を統治していたとき、菩薩は、商業で生計を立てていました。そのとき、カーシ国のとある辺境の村に大勢の大工たちが住んでいました。※菩薩…前世 修行者であった釈尊のこと。<br><br> その中の一人である禿頭の大工が木を切っているとき、一匹の蚊が、その銅鍋の底のような後頭にとまって、槍で突くように頭を嘴(くちばし)で刺しました。彼は自分のそばに坐っている息子に言いました。「おい、わしの頭を蚊が槍で突くように刺している。追い払っておくれ。」息子は、「父さん、辛抱していてくださいな。一撃でそいつを殺しますから」と言いました。<br><br> 菩薩は、自分の扱う商品を仕入れるためにこの村に着き、その大工の小屋に坐っていました。大工が息子に「おい、この蚊を追い払っておくれ」と言ったのは、丁度そのときでした。息子は、「父さん、追い払ってあげるよ」と、鋭利な大なたを振りあげ、父親の背後に立って、「蚊を打つよ」と、父親の頭を真二つに割ってしまいました。大工は、即座に死んでしまいました。<br><br> 菩薩は、彼のそのしわざを見て、「(味方の愚か者よりは)たとえ仇敵であっても、賢明な者のほうがまだましである。何故ならばそういう者は、刑罰の恐れを理由にしてでも、人々を殺すことまではしないだろう」と考えて、つぎのような詩句を唱えました。<br><br> 浅はかな味方より余程<br> 思慮ある敵は優れたり<br> 蚊を殺そうとするこの白痴は<br> 父親の頭を切り裂く<br><br> この詩句を唱えて菩薩は立ち去って行きました。大工は、親族たちによって、手厚く葬られました。<br><br>◆スマナサーラ長老のコメント「物語の教訓」<br> 人付き合いというものは、生きていく上で必ず必要です。人間関係さえ上手くいけば、幸福に生きられるということは明白な事実です。人付き合いの失敗は、人生そのものの失敗です。人は誰でも多かれ少なかれ、他人との付き合いについてかなり苦心するのです。幼児たちから老人まで、他人との付き合い方は頭の痛い問題です。ですからこれは一生涯の問題です。<br><br> 他の問題、たとえば仕事のことは、仕事に就く年齢に達したとき悩めばよいのです。それは子供と老人には関係がないのです。健康の問題は、病気を抱えている人々が気にするべきものです。教育の問題は、若者が注意すべきです。子育ての問題は、若い夫婦たちが取り組むべきものです。老夫婦たちにはその悩みはありません。<br><br> このように考えると、人間に関わるこれらの問題というのは一生涯のものではなく、一時のことであると理解できます。人には次から次へと問題が現れますが、一つの問題を生涯引きずる必要はありません。その時どきに現れる問題を、その場でその時に解決していけばよいのです。<br><br> しかし、人付き合い・人間関係という問題は、一生涯の問題です。解決しましたと軽々しく言って片づけることはできないのです。年齢と環境の変化とともに、人間関係の形は変わっていきます。それに絶えず適応しないと、社会人として落ちこぼれるのです。幼稚園児たちの人間関係と、小学生の人間関係は同じではありません。園児の時は友達がいっぱいいたのに、小学生になってから仲間に苛められて、ひとりぼっちになるケースもあるのです。それは、その子が年齢による状況の変化に適応できなかったということです。二十歳になった子供の暴力で親が悩むのは、両者ともに年齢の変化に適応できなくなっているからです。<br><br> また、場所によっても人間関係は変わるのです。たとえば、会社で真面目に仕事をする立派なサラリーマンが、飲み屋で女性とトラブルを起こしてセクハラ罪で訴えられるとします。この場合は、会社では立派な人間ですが、遊び場の人間関係での立ち居振る舞いがまずかったことになるのです。ですから、時と場に応じて常に変化する人間関係に、我々は常に適応できるように心がけなくてはならないのです。<br><br> 家にいても学校・会社にいても、人間関係からは逃げられません。ひとりで山で遊んでいても、やりたい放題で遊ぶことは禁止なのです。社会のために自然を守り汚さないことに、気をつけなくてはいけません。自然災害に遭遇して全財産を失って、避難生活をしていても、人間関係だけはついてきます。たとえ避難所でも人間関係につまづいてしまったら大問題です。病院で死ぬ間際にあるときも、他人との関係だけはつきまとうのです。<br><br> たくさん仲間がいたからといって、人間関係が上手とは言い切れません。逆に、ひとりでいるからといって、人間関係が下手だとは限りません。私たちはたくさん仲間を作ることで、人付き合いが上手だと自画自賛しますが、これはとても危険なことです。現代人はいとも簡単にこのポイントを見過ごし、不幸に陥っているのです。このジャータカが、幸福に生きるために必要不可欠なこのポイントを物語っています。<br><br> 味方に言われたからといって無批判で何でもやる生き方は、正しくないのです。智恵のない味方は、失敗したところでそこに仲間も引きずろうとするのです。たとえば日本国の味方がどこかで戦争を引き起こしたからといって、日本国民に何の関係もない国まで出かけて、戦争に参加して殺し合いをする必要はありません。良い味方だと思うならば、戦争を引き起こすような愚かな行為をしないように相手を諭すべきです。<br><br>●photo:Axe by Peter Murphy(flickr)<br>▼参考テキスト<br>「蚊を退治する話」<br>http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0401.html<br>♪生きとし生けるものが幸せでありますように♪









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