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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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#jtba「マインドコントロールを解除するために」(中篇)





協会のfbより紹介です。





#jtba「マインドコントロールを解除するために」(中篇)

 人間の意見、というものは、結局はそれぞれの人の主観に過ぎない、というのが、ブッダの立場なのです。主観はすべて間違い、という意味ではありません。

 例えばある人が「生命は死後、生まれ変わるのだ」と言う。またある人が「生命は死後、生まれ変わらない」と言う。この二つの意見とも主観です。もし実際に生命が死後生まれ変わることが事実であるならば、前者の主観がウソにならないのです。後者の意見はウソになるのです。もし生命が死後生まれ変わらないことが事実であるならば、前者の意見がウソで、後者の意見は真理になるのです。

 仏教は世の中の様々な意見について、誰が正か、誰が邪か、ともう一つの偏見で二分化しないのです。人の意見は、事実に、真理に合っているか合っていないのか、また、どの程度で合っているのか、というところを気にするのです。事実に合っていても、主観は主観です。

 真理を発見するためには、人の話に乗るのではなく、自分で経験しなくてはいけないのです。それでも、その実験する方法を人から学ばなくてはならないのです。人の話は主観でしょうし、それを聞く自分が、また自分の主観を作るでしょう。これが問題になります。

 また我々は、日常生活をする上では様々な他人の意見を聞き入れなければならないのです。その場合は、単純に鵜呑みにする、自分の好みで一人の意見を取り入れてもう一人の意見を却下する、言っている相手の迫力に抑えられて信じる、皆の意見に合わせる、などのバイアスが入ります。

 しかし人は、事実・真理を知るべきです。正しい行動、正しい生き方をするべきです。でもここまでバイアスに攻撃されたなら、事実を知ることはできそうもないのです。

 お釈迦さまが悟りをひらいて間もないうちに、この大きな問題が気がかりになったのです。悟りそのものが言葉に、概念に、イメージにならない、すべてを乗り越えた境地なのです。

 真理そのものにしても、いまだかつて誰も発見しなかったものなので、俗世間の思考パターンでは理解できないものです。語っても相手には理解しにくいものになるのです。自分が解っていることを相手にしゃべると、使う言語によって充分表現できない可能性があります。

 それから、聞く人は自分の能力で理解するので、言われたことをそのまま理解しない可能性もあります。それによって事実はけっこう偏向してしまうのです。お釈迦さまが説法するときは、この問題を解決して語られたので、「法についてよく語られている。正しく語られている」という形容詞を使うのです。法は相手に充分理解できなくても、誤解することは不可能です。

 しかし、ブッダの聖なる教えは、よく変わったものです。聖なる優れた教えは、俗的一般論にまで、時代によって変わってしまったのです。それは釈尊が厳密に注意したところを無視されたことの結果ではないかと思います。いわゆるバイアスの問題なのです。

 我々一般人は、バイアスの塊なのです。客観的である、科学的である、実証されている云々の理由が、無意識的にバイアスなのです。興味あるものしか調べないのは、我々の生き様です。ブッダの言葉を自分で理解するとき、また、他人に教えるとき、自分の主観で解説する。自分で理解できる範囲だけが正しいと思ったりもする。

 また、自分の主義に合わせて解説する。論理学者は論理の立場で、哲学者は哲学の立場で、科学者は科学の見解で、神秘家は神秘主義の立場で、宗教家がそれぞれの宗教の立場で解説するのです。それで、お釈迦さまが伝えたかったことと、解説は変わってしまうのです。ですから仏教では、解説の仕方(解説学)まで教えなくてはならなくなっているのです。

 仏教は他宗教と違って、完全オープンな教えなのです。誰が学んでもよいのです。批判することも、挑戦することも、比較することも、できるのです。恨み憎しみをもって、根拠のない言葉で仏法を侮辱することは、悪いに決まっている。それは悪業です。それ以外の批判は、悪業になりません。

 しかし「仏教は自由な教えだ。オープンな教えだ。批判することも自分なりに解説して理解することも自由だ」と思って仏教を解説しても、たいへんな問題が起きます。彼らが真理を自分の主観で偏向させてしまうのです。なぜならば、物事を理解する自分の立場(自分のバイアス)に基づいて理解するからです。

 本当のところ、オープンの意味は、バイアスで解説することではなく、客観的に理解することなのです。自分の好きなように科学実験したからと言って、科学の真理は発見できないのです。注射するべき薬を、自分は注射がイヤだからといって、身体に塗ったり、飲んでみたりしてもダメなのです。そこで、自分のバイアスは通らないのです。つづく

●photo:Virtual Reality Demonstrations by Knight Center for Journalism in the Americas<flickr>
▼引用テキスト
「思考さえも自由にならない」~人間皆バイアスを持っている~
http://www.j-theravada.net/howa/howa149.html
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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