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zaike2号

Author:zaike2号
 東海ダンマサークルでは、東海地方をベースにお釈迦さまの説かれた「テーラワーダ仏教(初期仏教・上座仏教)」を、皆さんと一緒に学び実践するために活動しています。
 また、日本テーラワーダ仏教協会より、定期的に長老(お坊さま)方をお招きし、法話・勉強会・冥想実践(ヴィパッサナー)を行っています。

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 sammâ samâdhi 正定 





協会の記事ではありません。
吉水 秀樹  安養寺住職 のfbより紹介です。




 

  sammâ samâdhi 正定 

 かんたんに言えば「正しい集中」ということでしょうか。三昧(ザンマイ)サマーディsamādhi=禅定という言葉もあります。いろいろな仏教用語を知るより、正しい集中と考えるのがいいと思います。特別な感覚と考えず、水が氷点下に達したら、自然に徐々に変化して氷になっていくようなこころの状態の変化と考えたらいいと思います。
 集中や集中力は、私たちの日常の暮らしの中にもあります。そもそも、「楽しい」というのは、「集中している」と同じ意味と言えます。私はスイレンが好きなのでスイレンの世話をしているときに、時間がたつのを忘れます。夢中になります。これは「集中している」ことで、「楽しい」ことです。電車の中でスマホをいじって、ゲームしたりメールしたりしているのは、やはり束の間でも夢中になれることが楽しいことで、集中と関係があります。
 人間にとって特別な意味があるセックスも、それをしているときは、仕事や義務、日常から解放された「忘我」があるから、それを求めて止むことがありません。それも夢中になって集中しているということです
「集中」=「夢中」=「忘我」=「解放」=「楽しい」。
しかし、セックスはヘビでもカエルでもします。歩きスマホも健全な集中とは思えません。パチンコやギャンブルに集中することは、場合によればとんでもない不幸を招きかねません。
そういうわけで集中には、「正しい集中」と「害のある集中」があるようです。正しくない集中は危険をともないます。私たちがほんの一瞬でも「忘我」を好むのは、日常の暮らしが苦しみにあふれているからかも知れません。
「忘我」は仏教でいう、「無我」とは違います。そもそも、一般的に言う集中は、一つのことに集中するので、周囲が見えなくなります。不倫の快楽に酔っている人は、それで人生が破壊されて行くことに気づいていません。ギャンブルやアルコール依存の人は、そのこと自体が不幸なことに気づいていません。

そもそも、冥想にも「集中冥想」と「気づきの冥想」の二つがあります。集中力は大切ですが、ブッダの冥想は、「気づきの冥想」「観察冥想」「ヴィパッサナー冥想」です。チベット仏教では、歓喜仏のオブジェが存在するように、いつのまにか男女の性交まで、冥想のような精神的な境地と考えていたようで、これにも疑問が浮かびます。

 ブッダの冥想は、「集中」ではなく「気づき」を育てます。精神を一点に絞り込むことが集中なのに対して、「気づき」には境がありません。集中することは他を排除するプロセスになっていて、実は自由がありません。「気づき」には、排除も限界もありません。マインドフルという言葉はこの意味で、こころには空間があり、智慧を用いる自由があります。また、面白いことに智慧は集中の結果もたらされたものです。
 しかし、集中を積み重ねただけでは、どこまでいっても部分的であって全体たりえません。そこで、気づきの力が本領を発揮します。
 ヴィパッサナー冥想は基本、対象を選択しない無選択の気づきです。私という中心が初めからありません。こころの監視カメラの如く、映し出された映像に意図・善悪、中心がないのです。中心とは知識や経験や記憶です。それは過去のもので「私」のことです。ですから、気づきの冥想では、思考は天敵であり妄想です。常に時間軸が「今ここ」とは思考や記憶、過去のものが要らないことです。

 日常の冥想では、まず坐り「~したい」という気持ちから離れることがスタートです。そして、五感の刺激からも離れることが大切です。普段それらこそが生きることですから、容易なことではありませんが、道を知っていれば難しことでもありません。音をただ音として聞き、電話が鳴っても何があっても動じないこころを育てます。
 欲・怒り・怠け・浮つき・混乱・疑念、など智慧を妨げる要素から離れると、正しい集中が生まれます。正しい集中を育てていくと、生きることが楽になります。毎日冥想を積み重ねていくと、ふとした瞬間に浅い禅定状態に入ることがあります。要するに集中力が強くなり、仕事が楽にこなせたりします。
 禅定にはいろいろな副産物があって、人はそれを求めますが、ブッダの冥想は禅定が目的ではないことを最初にしっかりと理解することが大切だと思います。

 スマナサーラ長老の言葉
『仏教では、存在の次元を「欲界・色界・無色界」の三界に分けています。欲界は五官(眼耳鼻舌身)の刺激によって生きている世界で、いわゆる私たちが生きているふつうの世界のことです。禅定をつくると、心は欲界を超えて、色界に入ることになります。色界は五官の刺激に頼らない世界です。身体はあるのだけれども、見たり聞いたりして心が外のエネルギーから刺激を得る必要はありません。無色界は身体さえもいらない次元で、ただ心のエネルギーのみで生きている世界です。
 禅定には段階があります。経典では、色界の禅定を四段階(第一禅定~第四禅定)に分けています。第一禅定では思考も喜悦感もありますが、レベルが進むに従って徐々に思考が消え、喜悦感もなくなって、ただ落ち着いているだけの状態になります。しかし、ヴィパッサナー冥想で自分を観察するためには、思考(ヴィタッカ、ヴィチャーラ)がないと難しいのです。ですから高いレベルの禅定状態に入ると、却って修行がやりにくくなります。ヴィパッサナー冥想には、第一禅定をつくればそれで十分です。修行のためには、神秘体験がないといって困る必要は全くありません。ただ、禅定をつくると、心が清らかになって落ち着きができるのです。禅定状態から出ても、その徳は残っています。その落ち着いた集中力のある状態でヴィパッサナーの修行をすると、楽に修行ができるのです。』

スマナサーラ長老の言葉によると、正しい修行、正しい冥想をしているなら、自然に八正道がそなわり、すでに八正道を歩みだしているとのことです。

http://www.j-theravada.net/…/key-ariya-attangika-magga.html…









ひとり言 | 10:23:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
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