会の記事ではありません。
吉水 秀樹 安養寺住職 のfbより紹介です。
子育てと苦聖諦
私はもうすぐ60歳になります。私の子育て人間の子育てを見ると『苦聖諦』の意味がよくわかると思います。私は三人の子どもを育てましたがいったいどれくらいのエネルギーを使ったでしょうか? これはシャレになりません。20代に子どもが生まれて、50代子どもが一人前に近づくまで、使ったエネルギーは私の総エネルギーの80%は優に越えていると感じます。気がついたら私は60歳になっています。もし、その苦労して育てた子どもが、新聞で報道されているような犯罪者になったら、親としての苦労はさらに死ぬまで続きます。
ブッダの言葉に、「欲しいものはなかなか得られない。しかして、苦労して得たもので人は苦しむ」とあります。
... さて、子どもを育てているお母さん、お父さん、それでもまた子どもが欲しいですか? 冷静に考えたら割が合いません。この質問は、もう一度生命として生まれ、輪廻したいですか? と同じ質問です。「ハイ私はそうしたいです。」と即答する人は智慧がないと思います。
しかし、この連鎖が止められるかは疑問が残ります。何故なら、私は美しい異性に出会ったら、このような苦しみを忘れて、求め交尾してまた子どもつくって、愛の名において、一生懸命子育てするだろうと思うからです。
これは無智のなせる業です。無智から渇愛が生じる、そして老死へと、苦しみの連鎖はそう簡単に止みません。毎日、懲りずに夕食の支度をして食べます。少しの満足が得られますが、満腹苦やさまざまな苦も確実に生まれます。総じて苦しむ時間の方が長いのはまぎれもない事実です。快楽はほんの一瞬、苦しみが消える刹那です。それでも、懲りずに毎日食事を求めます。これも、無明のなせる業です。
Facebookで現役子育てしている女性のため息のような日記を見て、妙に共感しました。子どものために一生懸命働く、しかし働くことは動物でいう「餌探し」です。仕事で大成して地位やお金を得ても、餌探しが上手なだけで、自慢できたものではありません。自慢げに高級車に乗って、自分も高級と勘違いしてる輩は、哀れとさえ見えます。砂上の楼閣でほろ酔い寿ぎ宴を楽しんでいる人には、迫りくる危険が見えていません。ほんとうにたいせつなことが見えていないのでしょう。
ブッダが「苦は聖なる真理です」と説いた、その真意を理解して、もう二度と母体に宿ることのない世界へ、自我の終焉へと成長したいものです。